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2005年5月31日 (火)

『塔』
  芝居を見てきた。
『塔』(フラジャイル)。
 作家も知り合い。七人の出演者のうち、三人が友達という、まるで身内のようなカンパニー。
 作家の小里清は、若手の有望株で、演劇界では注目されている。
 だが、今回の芝居は、テーマが立ちすぎで、メタファーらしきものが多すぎて、ぼくにはあまり楽しめなかった。
 やりたかったことは、なんとなくわかるのだが、芝居に入っていきずらく、結局、感動もできなかった。
 見ている僕の心は、ちっとも動かなかったのだ。
 理解しようとする気持ちのほうが先立って、芝居の中に入ることができなかった。

 芝居を見ているとき、そんな状態になると、二時間の上演時間がやたら長くかんじられる。
 アゴラ劇場の椅子は、けっしていい状態ではなく、尻と背中が痛くなる。
 観客を苦しめるための実験ではないかとさえ思えてくる。
 今回、観客が演技エリアを取り巻く、かこみ座席になっていたのだが、不自然な角度で芝居を見なければならなかった観客がたくさんいた。彼らが、背中を痛めていないことを祈るのみ。

 面白く、観客が一体となって芝居に入り込める内容ならば、背中の痛みなど忘れてしまうのだが、今回は、どうもそうはならなかった。

 原因はなんだろうかと考えてみる。
 芝居に入っていけないということは、まず第一にチェックすべきポイントは、導入部だろう。

 冒頭、塔のてっぺんの、巨大な滑車が中央に鎮座する部屋に、気球に乗った女が、窓の外に現れる。
 窓の外というのが、舞台の奥にあり、ほとんど見えないのだ。
 見える人もいたとは思うけど、向こう側でなにやってるのかは、わかりずらかったと思う。
 見えない時間が、ちょっと長すぎた。
 もちろん観客は、劇のはじまりは、ものすごく好意的だ。なにがはじまるんだろう、なにがはじまるんだろう、どこにつれていってくれるんだろうと、ワクワク期待しながら見てくれているので、多少冒頭に無茶やっても許される。
 だが、この脚本講座では、何度もいっているように、『つかんでるかい?』これは、やらなきゃならないこと。
 ファーストシーンが、観客をつかんでるかどうか。これ大事ね。

 そこに舞台の床から、うすぎたない髭面の男が床をパコリとあけて現れて、疲れ果てて水を飲む。
 女が、窓を開けてと頼むところから、芝居がはじまる。
 ここまでが、ちょっと長かった。

 そのファーストシーンにつづく芝居が、またつかみそこねていた。
 セリフだけを聞いていると、コメディ的に、笑えそうなやりとりがつづくのだが、観客は、まったく笑わない。
 面白いシーンのはずなのだが、なんだか深刻に見えてしまう。
 これもやはり、冒頭部分としては、大きな問題だろう。

 演出家(作家でもある)は、ここをどうしたかったのだろうかと思う。
 観客をよりつかみたかったのならば、ちゃんと笑えるようにして、舞台の登場人物にもっと近寄らせてほしかった。
 でも、笑えるようにつくるって、ほんと難しいのは、僕もよくわかってます。
 俳優のその日の状態とかでも、大きくかわってくるからです。
 
 この芝居、最終的には、深刻なテーマが浮き上がってくるので、冒頭はとにかく、笑いから入ってほしかった。
 たぶん作家は、書いてるときは、それを意識していたはずだから、それがうまくいかなかったということなんだろう。

 導入部にかんしては、いちばんわかりやすいので、書きました。
 だが、日本の諺に『おわりよければ、すべてよし』というのがあるように、最後が、もりあがれば、途中のだめだったところとか、忘れてしまうものなんですが、今回の芝居は、僕には展開が予想できて、予想通りすぎて、驚きが少なく、クライマックスに、感情的な盛り上がりが欠けていたように思えた。

 でも、こういう結果になったのは、やはり冒頭部分に原因があると思います。
 主人公の、女(飛行船でたどりついた)に、ちゃーんと観客がよりそうようにしてやっていれば、よかったんです。
 それが、そうはなってなかった。
 他の登場人物の比重が多くなっていて、この主人公の比重が抑えられていた気がします。

 今日、このブログで書いたことは、作家に直接いえばいいことなのかもしれません。
 小里くんは、知り合いだけど、作品について僕が批評をするという関係性まではつくれてないので、昨日は、ただ握手をして帰ってきました。
 やはり、厳しい批評は、いいずらいもんです。
 もちろん、作品の正直な感想を抱くのは、観客の権利ではあるんだけど、自分のいうことが、相手にとってあんまりいい気持ちになるものではないと思うと、ついためらったりしてしまいます。

 やはり言いたいことを、はっきり言えるというのは、そういうことができる人間同士の関係性ができてからです。

 ライブ版の体感脚本講座では、お互いに批評が、正直に言えるような人間関係づくりからはじめたいと思います。
 人間の関係性こそ、脚本を書く上でも、もっとも大事なとこですしね。

 今回は、ちょっと厳しい意見ばっかりになってしまいました。
 あくまでも、僕の私的な感想で、他の人は、どう感じていたかはわかりません。

 百人の人がいれば、百の感じ方があります。
 劇場は超満員。
 あれだけの人が、雨の中、キャンセル待ちまでして、芝居を見るために駆けつけるのだから、きっとすごくいい作品だったのかもしれません。(ちなみに、僕は、キャンセル待ち)
 芝居のよさは、その場にいた人にしか、本当のことはわからないってことです。
 できはいまいちだったとか書いたけど、これだけの文章を僕に書かせてしまったということは、少なくともそれだけのエネルギーを僕がもらったということ。
 それが反発エネルギーだとしてもね。

 筋肉も、強くなるためには、プレッシャーを受けて、筋細胞が傷つかなければならないといいます。
 それは、心も同じなのかもしれません。
 傷ついたぶんだけ、強くなれる。
 なんだか、歌謡曲の歌詞みたい。

 脚本家にとっては、完璧な仕事の作品を見るよりも、自分だったら、こうするんだけど、というような作品を見て、いろんな感想を抱くのが、一番の修行になるのかもしれません。
 みなさん、失望を恐れずに、たくさん芝居を見てください。
 失望も、力になるのよ。

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2005年5月30日 (月)

クラウン・エフェクト

クラウン・エフェクト

  な、なんと! パーティのショーの出し物に出演した。
 パリからやってきたパントマイムの芸人親子『ジャン&ルイ』という設定。
 僕はは、親父のジャン。ルイ役は、渡猛くん。

 おまえ、パントマイムできるのかって?
 あたりまえじゃないですか。
 レッスン5回も受けてるんですぞ。
 はっきりいって、壁しかできません。

 それが、いきなりショーをやるなんて。
 しかもリハーサルもなしで。
 無謀といえば、無謀だけど、猛くんがうまいので、なんとかやれると思い挑戦することにしました。

 僕は一応、プロの脚本家なので、自分がドヘタでもばれないのような構成台本を書き上げて、本番前に、ちょこっと打ち合わせ。
 笑いのネタをいくつかしこんで、本番へ。

 顔は、白塗りの、ニセクラウン。
 シャツは、ボーダー。パンツは、ぴちっとしたダンサー物。

 ところが不思議なことがおきたんです。
 僕が、クラウンの格好で出ていったとたん、観客の視線はこの異質な人物にくぎづけ。
 何をしても、好意的な目線で見てくれているのが、はっきりわかりました。

 おお、これぞクラウン(道化)効果。
 クラウン・エフェクト。(僕がいま名付けました)

 お客さんは、僕を園田英樹としてではなく、どこからかあらわれた一人の謎のクラウンというキャラクターで見てくれているのです。
 そこに、園田は存在せず。
 一人の、道化者のクラウンがいたのです。

 クラウンは受け入れられている。
 そう思ったら、もう恐怖はなくなっていました。
 あとは、人前でビビッているクラウンの気持ちのまま、必死で行動するだけ。
 クラウンは、ドジで、ビビリで、おろかしいことばかりする存在。
 だから、ドヘタのマイムでも、ぜんぜんオッケイなわけです。
 かえって本当のクラウンだったら、それがうまいマイムなんかできないほうが当然かもしれません。

 そういうことだったのか。
 目からうろこでした。

 クラウンは、あまり言葉をしゃべりません。
 だから言葉をつかわずに、なんとか客とコミュニケーションをとるためには、なんとかお客に近づかなければなりません。ぼくは、そのことに集中したせいで。へたなマイムをしなければならないという恐怖からも解放されていました。

 即興のマイムショーという、とんでもない挑戦でしたが、僕的には大成功だったと思いました。
 お客さんたちの反応も、なかなかよくて、爆笑、爆笑。
 短いショーのなかに、いろんな気づきをさせてくれる、密度のこいものになりました。

 今日のブログは、脚本講座とはあまり関係ない内容になりました。
 このところちょっとブログを見てくれる人が減ってしまいました。
 やはり、連続物で、けっこう専門的なことを書いたのが原因だったのかなぁ。
 テレビ番組でも、連続物だと、視聴率が落ち込んでしまうことがあります。
 それは、やはりその内容が引き延ばしだったりするとき。

 よく一話完結で書いてくれとの依頼を受けます。
 一話完結とは、たとえ続き物のシリーズでも、その回のストーリーは終わらせるということ。
 これからは、できるだけ一話完結で書いていくつもりです。

 さて、ライブ版、の体感脚本講座スタートまで、あと三日になりました。
 まだ参戦できますよ。

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2005年5月29日 (日)

ダンスイベント

タップをはじめてから、ダンサーの知り合いがふえた。
  踊る人たち。
 実は、ずっとこの踊る人たちの気持ちが、わからずにいたんだ。

 子供のときから、踊るのは苦手だった。
 幼稚園のお遊戯会では、蜜蜂のダンスをやらされた。
 ベアの踊りだったのに、おれの相手役だけ、男の子だった。

 町の盆踊りでは、はなれて見ているばかりだった。
 おふくろが踊るのを、照れながら見ていた。

 中学の時のフォークダンスは、好きな子と手をつなげず、がっかりだった。

 高校、大学と、ディスコブーム真っ只中の時代だったにもかかわらず、自分はその輪の中に入っていけなかった。
 ディスコにいく友達を横目で見ながら、ダンスよりも、ナンパが目的なんだろうと、冷やかな態度をしていた。

 今思えば、本当は、自分も踊りたい、輪のなかに入っていきたと心の奥では思っていても、それを表に出すのが恥ずかしくて、わざとみないふりをしていたんだと気づく。

 自我がじゃまして、自分の心の欲求のままに、踊るのを止めていた。
 自分は、本当はずっと踊りたかったんだと、今なら言える。

 最近になってわかったことがある。
 ぼくは、多動症の子供だった。
 程度の差はあるだろうが、あきらかにADHDってやつだ。
 知的障害はともなっていないので、わかりずらいADHDだっただろうと思う。

 幼稚園のときに、あまりにも動きすぎるということで、椅子に足をしばられてご飯を食べていたという、悲惨な思い出がある。
 いまでも、それをはっきりと覚えているということは、よほどの心的ストレスをそのとき感じたにちがいない。
 幼児体験とは、なかなか根深いものである。
 おそらくそのころからの深い抑制意識が、踊りの楽しさに、身をまかせることに対しての恐怖を抱かせたにちがいない。

 ぼくは、踊るのが、怖かったのだ。
 本来の自分が解放されるのを、ためらっていたのだ。
 それに気づくのに四十年かかった。

 いまなら踊る人の気持ちが、少しはわかる。
 踊りは楽しい。
 体のなかには、リズムがあり、それが命とつながっているのがわかる。
 リズムが命だ。
 それを表に出したとき、人は真に解放される。

 タップ仲間の誘いで、ダンスのクラブイベントに行ってきた。
 こういうイベントにいくのは、生まれてはじめて。
 ディスコブームのときに、青春まっさかりを過ごしていたにもかかわらず、ディスコには2回しかいったことがなかったんだから。
 ましてやヒップホップダンサーが、ステージで踊るイベントなんて、自分の生活の範疇にはなかった。
 でも、誘われたときが、その殻を破るチャンスと思い、いそいそと出かけたよ。

 ついつい脚本家家業にしみついた癖で、やはりここでも人間観察。
 いやー、面白かったなぁ。
 いろんな人がいるもんです。

 今回は、たっぷりとダンサー人種を見させていただきました。
 写真をとりたかったけど、撮影機材持ち込み禁止だったので、断念。
 みなさんも、ぜひ普段自分のいかない場所にいってみてください。
 海外旅行の時みたいに、新鮮な気持ちになれますよ。

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2005年5月28日 (土)

脚本の極意5回目

脚本の極意5回目

  14001050 昨日は、締め切りだというのに、高校での授業もやらなければならず、かなり焦った。
 でも、人は目の前で起こることに、フォーカスを当てて生きるしかないのです。
 まだ書けていない原稿を置き去りにして、高校生たちの待つ稽古場に向かったのでした。

 僕が、必死の思いで稽古場に来ているというのに、生徒たちは、半分ほどしか集まっていない。
 これが劇団の稽古場だったら、とんでもないことなんだけど、まだまだ高校生、そのあたりの意識はかなり低いです。
 中学などで不登校とかやってた子が多いせいもあるけど、授業をさぼるということに抵抗がないんですね。
 演劇の稽古といえども、高校の授業の一環なので、まだ授業に出るっていう意識なわけ。
 だから、平気でさぼってしまう。
 このあたりの意識を、なんとか変えようと毎年がんばるんだけど、それがなんとか変わったころで卒業ってことになっちゃうんだよね。

 しかし、ここでこっちがイライラしたら、ここで終わりになっちゃうんで、僕はじっくりと耐えて待つことを覚えました。
 相手が、こちらの言葉を受け入れる準備ができるのを、待つんです。
 けっしてあきらめず。

 高校で演劇を教えるようになって、もう5年目だけど、僕のほうがずいぶん学んでいる気がします。

 anh3 さて、四回にわたってつづけてきた『スターウォーズの第一作』を題材につかっての、脚本極意講座ですが、いよいよ最終回です。(この体感脚本講座の最終回じゃないよ。あくまでも、このシリーズ)
 今回は、クライマックスの部分の分析と解説です。
 さぁ、いってみましょう。

 いままでの部分が、舞台の脚本でいうところの一幕と、二幕としたら、ここからが第三幕になります。

 全体の起承転結でいうところの、『転』の部分。
 この中にも、小さな起承転結があります。

○オビワンが死んだと思っておちこむルークをなぐさめるレイア。

○そこに追手がくる。(トラブル)空中戦になる。

○ハンソロとルーク、大活躍で、敵機を打ち落としていく。(爽快感の提示)
 チューを毛嫌いしていたレイアも、思わず抱き合ってしまったりする。
 オビワンの死という暗い場面のあとに、空中戦闘に勝つという爽快感のある場面を持ってくるあたり、脚本の構成が見事です。
 脚本家は、観客の心理を見事にコントロールしていると言えるでしょう。

112分
○レイア姫の救出作戦は成功したと思ったが、実は、敵はわざと逃がしたのだった。
 しかし、レイアは、それを読んでいた。
(レイアのキャラの立て方が見事。ただのおてんばキャラではなく、姫としての知性もあるいということろをちゃんと見せている)

○ハンソロとレイアは喧嘩するが、お互い、引かれあっていくのが、観客にはわかる。
 ここで、ルークとレイアとハンソロの三角関係の成立。(トラブル)

○反乱軍基地に到着するファルコン号

○R2から、デススターの情報を取り出す、反乱軍。
 しかし、デススターは、基地を発見していた。(トラブル)

○反乱軍は、小型飛行機で、敵の弱点を突くという作戦を立てる。

○デススターが、反乱軍の基地に迫ってくる。

anh12 ○ルークは、反乱軍のパイロットに加わって、攻撃に参加することにする。
 (主人公が、自分の意志をはっきりと見せて、変化を見せていることに気づいてください)

 ハンソロは、金を受け取ったら、オサラバという感じ。しかし、なんとなく釈然としていない。

○ベンがいてくれたらと落ち込むルークに、またレイアがキスをしてくれる
 落ち込んだ男の子が、女の子のはげましで元気をとりもどすのは、万国共通の行動原理ですね。(わかりやすい性格の主人公)

○ここで、ビッグスというパイロットと再会するが、そのまえふりは、まったくないので、なにかルークに関してのエピソードがカットされているということが推測できる。
 (ルークが辺境地域では優秀なパイロットだったということの説明にはなっているが、そのためだけかもしれない!? 脚本では書かれていたが、フィルムになったときにそのシーンがなくなっているということは、よくあります。演出上の理由とか、いろんな理由です)

○ルークには、オビワンの声が聞こえる。
 しかし、どういう理由で、そういう現象がおきているのか、物語の展開が急転直下なので、そういうところは観客は気にならなくなっている。
 (最大のトラブルを切り抜けるために、登場人物たちが必死に動けば、観客は、もうそれについていくしかないって感じになってしまうわけです)

○デススターへの攻撃開始。敵も小型機で応戦してくる。

○この3幕の中での、『転』の部分に入っていきます。つまり、クライマックス。

anh16 ○空中戦の連続。(いわゆる見せ場です)
 やられていく反乱軍のパイロット。

○デススターの攻撃まであと数分。(トラブル。タイムサスペンス)
 (タイムサスペンスというのは、エンターテイメントの脚本では、よく使います。みんなサスペンスが大好きなんです)

○反乱軍の攻撃機は、ダースベイダーたちに、次々にやられていく。(トラブル)

脚本極意12……クライマックスでは主人公を徹底的においつめること。
 いったい、どうなるんだと、観客に思わせることができれば大成功。主人公が最大のピンチを切り抜けた時、観客は、主人公といっしょに、カタルシス(解放感)を得ることができるのです。

○ついにルーク一機だけとなる。
 フォースをつかえととの、オビワンの声が聞こえる。
 機械に頼らず、自分の力で、切り抜けようとするルーク。
 ここも、大きなプロットポイントの一つですね。
 R2もやられてしまう。(トラブル)

○デススターの射程に入り、時間がなくなる。(究極のピンチ)

○そこに、ハンソロが現れて、ベイダーを追いやってくれる。
 (ハンソロのおいしいところ取り)
 ダースベイダーは脱出していっているので、次の物語への、引きになっている。

○ぎりぎりのところで、デススターの爆破に成功するルーク。
 宇宙に花火があがって、カタルシス(解放感)を得る。

ここからが、全体の起承転結の『結』です。
○基地に戻るルークを迎えるレイア姫。そこにハンソロもきて、三人抱き合う。

anh5 ○表彰式
 絵に描いたようにハッピーエンドだね。故障していたR2のピカピカに直っています。

脚本極意13……エンディングは、気持ちよく。あー、よかったと観客に思わせること。終わりよければ、すべてよし。

○脚本上達のためのチェックポイント

 この物語を通じて、主人公は、何を得たか?
 何が変わったかを、考えてみてください。

 成長。友。恋。メダル。称賛。仲間。
 そんなものを、主人公が得ていることがわかりますね。
 主人公は、物語の最初と最後で、どう変わっていたでしょうか?

 こんな感じで、いくつかヒット作品を分析してみてください。
 それだけで、あなたの脚本術は、グーンと上がるはずです。
 やはり、なんでも自分で体験し、発見したことにまさるものはありません。
 体験してください。
 そして、感じてください。

 それこそが、体感脚本講座の極意なのだ。
 ヌーン。

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2005年5月27日 (金)

脚本の極意4回目

脚本の極意4回目12801024

  ウワー、大変だぁ。
 トラブルだぁ。
 トラブルをいかにつくれるかが、脚本のおもしろさだって、いい過ぎたのかも。
 って、脚本家にとって最大のトラブルは、締め切りでしょう。
 それさえクリアできゃば、おれは成長できるのだぁ。
 クライマックスを迎えることができるのだぁ。
 そんなことを、ブツブツいいながら、焦ってます。

 そんなときに限って、予定がはいっていたりして、ドタバタしてます。
 昨日は、芝居を見に行く約束を、仕事していてど忘れしていて、劇場に遅れていくという失態を演じてしまいました。

 でも見た芝居は、当たり!
 脚本家仲間の、土屋くんが、脚本演出の『円』の舞台。
 『梅津さんの穴を埋める』(円スタジオ)
 おもしろかったです。
 29日までやっているので、みなさんぜひ見に行ってあげてください。
 円の役者さんは、声優さんとかやっている人も多いので、アニメとかたくさんやってる、ぼくとしては何となく親近感がありました。

 で、昨日につづいて、『脚本の極意4回目』でーす。
スターウォーズの第一作の分析と解説だよ。

経過時間47分(テレビの特別編をもとにしてます)
○悪の巣窟といわれる港町に行くルークたち。
 テレビで放送された特別編では、この宇宙港町の点描風景は、あとから追加されたもの。
 CGの技術が27年前の製作当時にはまだ未熟だったわけ。
 今は、いろんなことができるようになった。監督のイメージを忠実に再現するのに、CGはすごく便利。

○なんで、港にいくのかの理由が、このテレビ版では、抜けてしまっていた。
 宇宙に旅立つために、船とパイロットを探しにいったはず。

○酒場で、オビワンのすごさを紹介。anh18

極意その10……映画は、映像で説明するメディア。キャラクターの説明は、セリフではなく、行動で見せること。ここでは、老人がライトセーバーで悪人を切って捨てるという意外性を使っています。

52分30秒
○ハンソロ登場
 金のために動く、自由きままな凄腕パイロット。
 いわゆるアウトローキャラ。
 ジャバザハットに賞金をかけられて、命を狙われているというところを、西部劇風のパターンで紹介。(ハンソロのトラブル)
 サブキャラ作りの極意を思いだしてください。

○ソロとジャバのシーン(ハンソロのトラブル)
 ここは、テレビ版で追加されているもの。
 ジャバをCGでつくり、合成している。
 このあたり、ちょっとたるいのは、そのせい。監督は、新しい技術を使ってみたかったんだと思う。

60分
○ハンソロの船で飛び立つルークたち。
帝国軍は、R2を追っていて、攻撃してくる。(トラブル)

63、50秒
○帝国軍の戦艦に追いかけられるハンソロの船。(トラブル)
 しかし、ハイパースペースに逃げ込む。

64、40
images2 ○デススター登場(真打ち登場って感じ。ためにためて、いよいよ出てくる、大物悪役ってとこだね。)
 ダースベイダーのバックにいる、黒幕ターキー総督。
 見せしめに、オルデラン星をデススターで破壊すると宣言する。
 大ボスの力のすごさを観客に見せておく。(最大のトラブル)
(敵が強ければ強いほど、それを倒した時に、ヒーローは輝くことができるのである。これは、プロレスの演出でも、よく使われてますな)

○宇宙船で、目的地オルデランに向うルーク、ハンソロ、オビワンたち。
 ルークとハンソロは対立する。(葛藤、トラブル)
 ルークは、フォースの練習をして、その才能の片鱗を見せる。
 ハンパースペースを抜けて、オルデランが破壊されていることを知る。
 デススターと遭遇して、主人公たちは、敵の大きさを知る。
 デススターに、とらえられてしまう、ミレニアム号。(トラブル)
 レイア姫を処刑しようとしていた、総督とダースベイダーは、姫にまだ使い道があると判断する。(トラブル)

76分30秒
○船に隠れているルークたち。(トロイの木馬作戦!?)
 ダースベイダーは、長い間忘れていた何かを感じると言う。(次の作品へのふりですね。実は、ダースベイダーは、ルークの父親だったという事実が次回作でわかるわけだから)

79、30
anh10 ○作戦成功。デススターの制御室に入り込むことに成功。
 オビワンと別行動することになる。トラクタービームの電源を破壊に向かう、オビワン。
 ルークは、R2を守って、反乱軍にとどける目的を優先。

○対立するルークとハンソロ(葛藤)
 R2がレイア姫がいることをつきとめる。
 一目惚れしている、ルークは、すぐに助けにいこうとするが、ハンソロは関係ないと断る。(トラブル)
 ハンソロを金でつって力をかすようにしむけるルーク。

 ここにも、大きなプロットポイントがあります。
 今まで、自分の意志では行動していなかったルークが、はじめて、自分の意志だけで行動を開始します。(姫を助けに行くという自発的行動)
 ここをさかいに、前半のルークと、後半のルークとは大きく変わっていくわけです。

極意その11……主人公は、自らの意志で、事件を解決に導かねばならない。

83分
anh14 ○チューバッカを捕まえたふりして、姫のもとにいそぐ、ルークとハン。
 喧嘩しながらも、同じ目的のために突き進むという、いわゆるバディ物のバターン。
 しかし、敵に見破られて、戦闘になる。(トラブル)
 ムチャクチャやって、切り抜ける。

86、30
○姫を発見するルーク。
 なぜか、姫は、挑発するようなポーズで寝そべっている。
 このあたり、監督の狙いがわかるよね。(どういう狙いなんだよ!?  主人公の下心をくすぐるつもりか……その通り。人間は、高尚な目的だけでは、行動しないということを、観客の多くは、知っています。主人公が、正義のためとかいう、高尚な理由で動いているのではなく、レイア姫への恋心という、下心で動いているのがわかるから、観客は、このルークの一連の行動を、本能的に理解できるわけです)

○ダースベイダーが、ベンケノービがきていることを、フォースの乱れで感じ取る。ここで、ダースベイダーがジュダイの騎士の生き残りであることを説明。(トラブル)

90分
○姫を連れてにげるルーク、ハン、チューたち、追手と戦闘。(トラブル)
○勝気なレイア姫のキャラクターの説明。
 ハンと口げんかして、脱出の手口を指導する。ダストシュートに飛び込む。
○ダストシュート内に、モンスターがいた。(トラブル)
 壁にプレスされそうになる。(トラブル)
 C3に連絡しようとしても、通じない。(トラブル)
 R2が、プレスをやっととめる。C3とのいきちがいで、ちょっと笑わせる。
100
○オビワンは、電源を止めるための、工作をしている。すごく、高さのある場所。
○レイア姫と、ハンソロは、喧嘩する。(トラブル)
 脱出するために、ファルコン号に向かう。しかし、発見されて、銃撃戦になる。レイアは、おとりになったハンソロの行動力に、ちょっと見直す。
○通路の橋がわたれないルークとレイア。しかも、発見されて撃ち合いに。(トラブル)
anh4 ○姫にキスしてもらうルーク。
 姫は、お守りよと言うけど、あんまり説得力はない。なぜ、レイアがキスをしたのかは不明。少年を働かせるために、色気を使ったとも、とれる。あなどれんぞ、このレイア姫は。男を振り回すタイプなのかも。
105
○ダースベイダーとオビワンが対決する。
 ダースベイダーは、かつては、オビワンの弟子だったと、自分で言っちゃったりする。そして、オビワンは、たとえ倒れても、永遠の力で、よみがえると、自分で宣言。ダイアログとしては、かなり強引な展開だ。
○オビワンが、敵を引きつけている間に、ルークたちは、船に乗り込んでいく。
 ルークの目の前で、オビワンは、自らダースベイダーの剣に倒れる。
108
○脱出に成功するファルコン号。

  このスターウォーズの分析も、次回の5回目で終了です。
  最後まで、おつきあいしてくださいね。
 さて、いよいよライブ版体感脚本講座の開始が近づいてきました。
  六月二日が、第一回の予定。
 どんなメンバーが集まるんでしょう。
 どんなことをやりはじめるんだろう。
 その報告も、ここで書きたいと思ってます。
 お楽しみに。

 そのまえに29日は、ELITEのパーティ。
 みなさん、どしどしコンタクトしてください。

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2005年5月26日 (木)

脚本の極意3回目

3 脚本の極意3回目

  NHKで放送している『アクターズスタジオ・インタヴュー』という番組を、ときどき見る。
 いまは、再放送で深夜にやっているけど、これ、すごく面白いよ。
 やっぱり、いい役者は、いいこと言う。
 見てると、メモしたくなるようなことが、つぎつぎと出てくるもん。

 脚本家は、役者の言葉に耳をかたむけるのは、とても大事なことです。
 僕たちが書いた言葉を、彼ら(役者)が口にだしてくれてこそ、それが表現になるわけだから。
 共同作業のパートナーとして、役者さんたちは重要なんです。

 いい脚本が書けたら、ぜひそれを役者を集めて、本読みしてみよう。
 声にすることで、脚本の印象って、ずいぶん変わることがあります。
 そういう機会を持つためにも、役者の知り合いはつくっておきましょう。

 だんだん仕事のスケジュールがきつくなってきました。
 でもなんとか、このブログは書いていくつもりなので、読んでくれたらうれしいな。
 それじゃ、前回のつづき、いってみよう。

images5 『スターウォーズの第一作』を使った、脚本の極意三回目。

 この分析は、以前にテレビで録画したものをもとに、分数を出しているので、DVDとかとは違うと思います。この数字は、おおまかなものです。
○ルークのおじさんとおばさんは、オビワンのことを知っているらしいが、何か隠している感じ。(トラブル)

○ルークは、外の世界に出て行きたがっている田舎の高校生って感じのキャラクター。
 ルーカス監督の処女作は、そういう田舎の高校生たちの、それぞれの悩みを描いた青春映画、『アメリカン・グラフティ』。
 ここに二つの作品のテーマ的なつながりを見いだすことができます。
 当時、まだ若かったルーカス監督は、青春映画をつくろうとしてたんだね。

26分経過
○R2が、ルークの家を出ていってしまう。(トラブル)
 ルークは、そのことを、おじさんに隠して、一人で探しに行く。

32
○R2を探しにでたルークとC3。そこに、サンドピープルが襲ってくる。(トラブル)
 そこにオビワンケノービが登場。ルークを救う。
 彼は、本当の名前を隠して、暮らしていた。

極意その9……重要なサブキャラは、印象的な登場をさせること。
 ここでは、主人公を助けて登場という、これ以上ない印象的な登場をさせてます。

○ルークは、オビワンから、自分の父親に関しての、真実を聞かされる。
 父親は、ジェダイの騎士で、銀河で一番のパイロットだったということを知るルーク。(ちなみに、ジェダイというのが、日本の時代劇のジダイからとったもの)
 父の遺品、ライトセーバーを渡される。
 ダースベイダーの説明。
 フォースの説明。
 レイアからのメッセージを見る、ルークとオビワン。
 オルデラーンの反乱軍に、R2(デススターの設計図)を届けてくれるようにと頼まれる。

○主人公のルール……主人公の目的は、シンプルなものがいい。この場合は、物をとどけるという、じつに、初めてのお使い的な、簡単なものである。
 
○オビワンに頼まれて、ルークは、自分にはできないと、悩む。(葛藤)

39分
○帝国軍サイド。ボスとダースベイダー。その他の幹部たち。
 恐怖で、人間を支配しようとする、ボス。悪の典型。帝国軍は悪で、反乱軍は正義という、単純な構図を提示している。
 悪の軍団は、反乱軍の基地を見つけて、デススターで、一撃でつぶそうと計画している。(大きなトラブルの設定)
 物語のクライマックスに向けての、大きなフリがここにある。

○砂漠のジャワ族が惨殺されている。
 その現場を見て、自分の家が危ないとかけだすルーク。
 あんのじょう、おじさんどおばさんは、殺されていた。(トラブル)

 第二のプロットポイントだね、ここが。
 プロットポイントとは、物語が大きく動いていくところのことです。

○レイア姫は、ダースベイダーに拷問されている。反乱軍の場所をきくため。

○ルークの決意。
 オルデランに行く。
 そしてフォースを学んで、騎士になる。

○第2幕の、新しい起承転結がはじまったのが、わかるよね。
 ルークの前に、いくつものトラブルが立ちふさがった……つまり、新しい『起』ですね。(身内が殺された。一目惚れした女は、拷問されてる。悪を倒さねばならないという目的の明確化)
 ここからが、ルークを主人公にすえた、物語が新しく展開しはじめたのが、明らかです。

 以上、今回は、ここまで。次回をお楽しみに。
 つづくったら、つづく。

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2005年5月25日 (水)

脚本の極意2回目

脚本の極意・第二回

  50521_005 パソコンは、まだ復旧せず、キーボードが不自由なノートパソコンで仕事してます。
 だいたい仕事しなきゃならないのに、パソコンの復旧という時間のかかる作業ができるばずもありません。
 復活してくれたとしても、データ類はパーだしね。
 今回、最大の反省は、メールのデータをまったく保存してなかったこと。
 アドレスとかも、これからいちからつくりなおさなきゃなりません。
 あと、住所録とかも。
 いまさらながらにバックアップの重要性を痛感だヌーン。

 こんなときは体にいいことをするに限る。
 パワーヨガやってきたよ。
 これがけっこう筋肉にも効くし、血行もよくなって、やったあとにスッキリして、いいんだなぁ。
 みなさんにも、おすすめです。
 一時間やったら、汗びっしょりで、ホカホカになります。
 体の免疫率もぐっと向上。いいことずくめ。こりゃ、やるっきゃないよ。

sw0800  と、体の調子が上向いてきたところで、昨日につづいて、『スターウォーズ』分析の第二回です。
 さぁ、はじまるよ。(ドクッ、ドクッ、ドクッと24の効果音がなってます)

極意その5……映画における『承』は、展開部。
 一言でいうと、ここは、『ハラハラドキドキ』。
 観客をハラハラドキドキさせながら、ひっぱっていくのだ。

○惑星タトゥーインの砂漠をさまよう、二体のロボット。
 余談だけど、この構図は、実は、黒沢明監督の作品『隠し砦の三悪人』という映画の構図にそっくり。はっきりいって、パクリです。物語の構図も、よく似ている。
 パクリということ言葉が悪いけど、トリュビュートとか、オマージュといえば、いい感じになります。脚本家は、パクリをおそれるべからず。大好きなんだぁという気持ちさえあふれていれば、観客もわかってくれます。

○二体のロボットは仲間割れ。二手に別れてしまう。(トラブル)
12分
(ここに書いている時間経過は、いぜんにテレビ放映されたものの録画をもとにしているので、正確なものではありません。だいたいの感じです)

○R2は、謎の現地人ジャワ族に襲われてしまう。(トラブル)
 r2d2-b つれて行かれた先は、廃品ロボットがいっぱい。こいつらは、どうやら、町のゴミ回収屋らしい。そこに、別れた、C3もいた。
 脚本家は、世界の設定を観客に提示しながらも、ちょっとしたユーモアで、観客の心をほぐしていこうとしている。ロボットたちのドジな感じが、大事。こういうキャラクターのことを、狂言回しとか、コミックリリーフとか呼ぶ。

16分50秒。
○ルーク登場。
 今回の真の主人公。彼の登場にかぶらせて、メインテーマの曲が流れる。こいつが主人公だと言ってるようなもんだね。
 C3が、ルークに買われるときに、自分を売り込む。ちょっと観客を笑わそうとしている。
 ルークはR2とは、別のロボットを買おうとする。(トラブル)
 すると、そいつが故障してしまい、C3のすすめで、ルークは、R2を買う。

極意その6
○主人公のルール……その1、主人公は、観客に好かれるキャラでなくてはならない。(ルークは、好感のもてる少年。おじさんとおばさんの、と仲良く暮らしているいい子。嫌われる要素なし)

 その2、主人公は、物語がはじまるときに、何らかの不満を持っていなければならない。それは、できるだけ、観客の気持ちとシンクロするものであるべき。そうすることで主人公に、観客は、さらに感情移入しやすくなる。そして、その不満が、ドラマを通して変わっていったり、補完されていくことで、観客は、満足感を得ることができるのである。(ルークは、この時点で、この農園生活が退屈だとと思っていて、この岩だけけの星から、別のところに生きたいとと不満を抱いている。これは、主人公と同年代の観客たちが、みんな抱えいるような気持ちなので、共感しやすい)

 その3、主人公は、物語の始まりと、終わりとでは、はっきりと変わっていなければならない。この時点での主人公がAだとしたら、終わりではAdashに変わっているべき。つまり成長ってことだね。

20分30秒
○ルークが、R2を修理しようとしていて、レイア姫のホログラフメッセージを見ることになる。
 sw4 美女が助けを求めている。「助けてオビワンケノービ、あなただけが頼りです」
 こんなことを言われたら、少年の心は、グラグラくるよね。

○ここが『プロットポイント』
 プロットポイントとは、劇的転換点とも言います。それは、主人公の、行動の方向を変えて、発展させる出来事、エピソードのことです。
 ルークの人生は、このメッセージを見たことで、大きくかわっていくわけです。
 おまけに、ルークは、レイア姫に一目惚れまでしてしまう。(これもある意味トラブルですね)

極意その7……プロットポイントは、あとからわかるもの。
 シナリオをかきあげたあとで、ああ、あそこがプロットポイントだったなと、あとでわかればよいのです。書いてるときは、脚本家は、夢中になって面白がりながら書くのが一番。

極意その8……一つ目のプロットポイントまでに、物語は状況設定を終わっていなければならない。
(スターウォーズの状況設定は、ここまでにすべて終わっていたでしょうか? それは自分で再確認してみてね)

 というわけで、第二回目は、ここまで。
 つづくです。
 体感脚本講座のブログは、まじめにつづけてますが、現実の締め切りにむけての原稿のほうは、なかなかすすまず、かなり焦ってきてます。
 またまた、『もがいてます』状態かも。
 みなさんは、どうですか?
 現実では、もがかなきゃならないトラブルがたくさんあるよね。
 そんなときは、この物語作りでつちかった、トラブル解決のスキルを使って、うまく切り抜けていってくださいね。

 ELITEのパーティが29日に迫ってます。
 なぜかマイムをやることになっちゃった。(できんのかよぉ!)

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2005年5月24日 (火)

脚本の極意1回目

スターウォーズ公開記念sw1

  まもなくスターウォーズの最新作が公開されますね。
  アメリカでは、すでに公開されて、大騒ぎみたいですね。
 日本では、まもなくで夏休みの目玉作品。
 ぼくのポケモンとは、完全バッティングしてます。
 ポケモンは、子供専門になっちゃったけど、スターウォーズのほうは、大人向けを維持して、ここまできました。(これってすごいことです、マジで)
  二十数年にもわたる、シリーズ作品で、映像の進化の象徴ともいうべき、偉大な作品だと思います。
 もう、脚本家としては、うらやましいを通り越して、ねたましいとさえ思える、幸福な作品ですね。

 この大ヒット作を、分析して、参考にしない手はないでしょう。
 スターウォーズへの敬意をこめて、この体感脚本講座では、スターウォーズの原点となった、一作目を分析しながら、脚本の極意を盗んでしまいましょう。

 今回は、連続物のブログになりますよ。
 いままで、僕が書いたことを思い出しながら、読んでみてください。

 おっと、もしかしたらスターウォーズの一作目を見ていない人がいたら、ごめんなさい。

 さぁ、とってもためになる脚本の極意、いってみようか。
 
極意その1……起承転結の『起』は、『いったい何がおきたんだ!?』という感じを出すこと。観客をびっくりさせること。

(映画の経過時間)1~2分
○メインタイトルと同時に、メインテーマが鳴り響き、観客の心をわしづかみにしてしまう。
 この作品は、壮大なSFフィクションなんだと、観客に有無を言わせずなっとくさせてしまう。

○頭ごなしに、巨大宇宙戦艦が登場。
 いきなり観客を、びっくり驚かせておいて、物語に引き込もうという手口がみえみえ。 すごくわかりやすい導入部だと思う。
 巨大スクリーンにいっぱいの宇宙戦艦が、頭ごなしに飛んでくるというのは、それまでに、あまりないアングルだった。巨大さを見せるには、もっとも有効的。

 それにつづいて、はげしい戦闘シーン。
 観客は、考える余地なしに、物語の世界にひっぱられていく。つかみとしては、完璧だね。(『つかんでるかい?』)

○ロボット2体が登場。C3POとR2D2。images3
(実は、こいつらがシリーズの主人公なのかもしれない。スターウォーズのシリーズ全体を通して、出演するのは、このロボットたちなのである)
 脚本家は、彼らに「もうだめだ!」と言わせてしまう。

極意その2……主人公たちにいかにトラブルをつくるかが、物語の作り方としては、いちばん肝心だと言ったことを思い出してください。
 「もうだめだ!」というのは、ある意味で、最大のトラブルでしょ。
 主人公が、いかにそのトラブルを乗り越えていくか、そして、その中で、どう変わっていくかが、面白さを作り出すのです。

4分
○最大の適役登場。ダースベイダー。
○ヒロイン登場。レイア姫。
 悪役のすごい力を見せる。
 敵の目的の提示。(新兵器の設計図を探している)

images4 極意その3……主人公の前に立ちふさがる敵は、大きければ、大きいほどいい。
 敵というのは、最大のトラブルである。乗り越えなければならない壁は、大きければ大きいほど、それを乗り越えた時、その人間は輝くのです。
 主人公をより輝かせるためにも、敵は、強いほうがいいわけ。

極意その4……ヒロインには、華が必要。はなとは、輝きのこと。まわりを明るくするなにかをヒロインは持っていなければならない。
 このレイア姫は、けっして美人ではないけど、全身白づくめという、いわゆる花嫁ファッションで、全編を通している。
 花嫁とは、女性の人生において、もっとも無条件にヒロインでしょ。しかもお姫様だし。

○ロボット2体が、設計図を持って、脱出していく。
(敵は、それを追いかけることになる。やっぱり、ロボットが主人公だったんだ!?)

8分
○敵の口を通して、設定を語らせる。二大勢力が争っていること。
(葛藤とは対立ということ。2大勢力の対立は、大きな葛藤ですね)

ここまでが、全体(スターウォーズシリーズ)の『起』ですね。約8分30秒。

ハリウッドのシナリオの王道には、映画がはじまって10分までに、おもな登場人物を全部出すことという、決まりがある。
あと、1分30秒以内に、メインところはそろうのか!?

○全体の、起承転結の『承』はここから。
 この中に、こまかい起承転結が連続して、映画は作られていくのです。
 ここまでは、シリーズ全体の『起』なので、この一本目の映画の本当の『起』は、実は、ここからなのです。
 今まで主人公が出て来なかったのは、一作目のドラマが、実は、ここからはじまるからだった。ちなみに、ここから映画を見はじめても、ちっとも違和感なく見ることができるはず。_100

 スターウォーズ公開記念1、分析と脚本の極意編、第一回目は、これにて終了。
 つづく。(ドクッ、ドクッ、ドクッと24みたいな効果音あり)

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2005年5月23日 (月)

パソコンダウンだヌーン

040720_026 トラブルは、思いもかけないところからやってくるもんです。
いきなりパソコンがシャットダウンして、再起動しなくなってしまいました。
サポートセンターに電話したら、リカバリー用のディスクが必要だって。
そんなのどこにしまったか忘れてるヌーン。
メインでつかってるデスクトップが、いまは使えない状態です。
まいったぁ。

書きかけの原稿や、いろいろ使いやすくしていた、ソフト類なども、ぜんぶパーって感じ。
最悪の気分になりました。
バックアップの大切さを痛感。
いままで、パソコンにかんしては、こういうトラブルにあってなかったから、全部人ごとだったんだけど、まさか自分の身にふりかかろうとはね。

でも、こういうときこそ、『トラブル・イズ・マイビジネス』を思い出すのだ。ヌーン。
これも、自分にあたらな体験をさせる機会をくれているんだ。
トラブルを楽しむんだぞと。
それでこそ体感脚本講座のヌシなのだ。(と、自分をメチャはげましてます)

いちおう、数日前までの文書データは、メモリースティックに入れておいたので、仕事のほうは、なんとかなります。
でも、ここ数日のは、無理かも。

こういうときは、あきらめがかんじん。
気分を変えて、前にすすまなきゃね。

そういうわけで、このブログは持ち出し用のノートパソコンで書いてます。
あらためて、デスクトップのほうが、文書を打ちやすいのを実感してます。
とくにぼくは、親指シフトという、きわめて少数派のキーボードを使っているので、ノートの方は打ちにくいのです。
この悩み、親指シフトを使っている人になら、わかってもらえると思います。
ノートは、無理やりに、親指シフトにしたやつなんで。

このブログを、約一月近く書いてきました。
体感脚本塾への申し込みも、何人かしていただきました。
じつは予想していたよりも、少ないです。
そのぶん、みっちりと密度の濃い塾ができそうなので、楽しみです。
開始まで、あと約一週間、なんかドキドキするなぁ。
どんなメンバーが集まるのか。
どんな物語が、新しく生まれるのか。

入塾希望のかたは、まだ受け付けてますので、ぜひコンタクトしてみてください。
脚本家になりたいわけじゃないけど、一度ジャッキーの話を聞いてみたいという人、見学してみたいという人も、かまいませんよ。

ブログを読んでもらっていれば、よくわかってもらえると思いますが、ぼくのまわりにはみなさんに紹介したい面白い人がたくさんいます。
そういう人たちに、一度あってもらいたいんです。
そして、いろんなことを感じてほしい。

この体感脚本塾の企画をサポートしてくれている、ELITE主催のパーティが5月29日に新宿であります。050520_011
なんと無料で、ダンスパフォーマンスが見れたり、サルサを習えたり、爆笑のショーが見れたりするというもの。
もちろんぼくも参加します。
参加したいという人は、このページからELITEのページにジャンプしてね。
そのパーティが、この体感脚本講座ライブ版の、第1回目になります。

何を感じて、何を書くか。
それは、参加するあなたの物語。

今回パソコンの不調で、写真とかも、ノートに残ってるやつしかつかえず残念。

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2005年5月22日 (日)

エンドマークをめざすのだ

西所沢に行ってきましたぁ。
埼玉だぁ。050519_015
はじめて足をふみいれた町。なんかドキドキします。
まずはパシャンと一枚。
なんかのんびりとした雰囲気です。駅前には、パン屋と、コンビニ、ちょっと見上げるとダンススタジオ。いい感じじゃないですか。
都心から少しはなれると、こんないい感じの住宅地があるわけです。

で、なんでここにきたかというと、この町に拠点をおく市民劇団のお芝居を見るため。
学校で即興の授業を担当している正さんというかたが、この劇団の演出をしているので、招待券をもらったのでした。

いまは、地方を拠点においている劇団も多数あります。
なかなかそういう劇団の芝居を見るチャンスは少ないです。
所沢という場所は、都心に近いとはいえ、いちおう地方劇団になるのかなぁ。

スタジオは、もとは民家だったものを改装したもので、観客が五十人はいれば満員。
あったかい雰囲気で、芝居をみました。050519_016

おじさんや、高校生と思える若者がいっしょになって、芝居を楽しんでいるのが伝わってきました。

こういう地方の劇団の役割というものを、ちょっと考えました。
地域に生活する人たちが、演劇にふれたり、体験したりすることの機会になるためにも、こういう劇団はもっとあっていいと思います。
いまは、人と人とのつながりが希薄になってます。
都会では、隣に住んでいる人の顔さえしらないということも、あたりまえです。
それは地方でも、おなじようになってきています。
そんななかで生活していかなければならない人たちが、こういう場所で、つながりを持ったりしていくことは、とても大事なことのような気がします。
いわば祭りの場所ですね。
祝祭空間が、身近にあれば、ひとはいきいきしてくるもの。

ちょっと今回はアカデミックになっちゃったなぁ。

で、今回のタイトル『エンドマークをめざすのだ』です。

これはまさに書いてある通り。
脚本を書きはじめたら、自分でエンドマークをつけるまで、やりましょうってこと。
じつは、これがなかなか難しいんですね。

書きはじめたものの、途中でにつまってしまって、中途半端に終わってしまっている脚本がいかに多いか。
完璧である必要はないんです。
とにかく最後まで書き上げるということが、大事だとぼくは思います。
失敗してもいいじゃないですか、最後まで書き上げましょう。

誰か、有名な作家が言ったことばを思い出したました。
その作家は、『あなたの代表作は?』と問われると、いつも、
『ネクスト・ワン(次の作品です)』と答えるのです。
なんか、かっこええ。
でも、自分の次の作品が、傑作になると思うと、次の作品にとりかかる意欲も出てきますよね。
ネクスト・ワンをめざすためにも、いまはエンドマークを目指さなきゃ。

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よかったぁ

050519_008 原宿でインプロのショーを見てきたました。
去年、僕のアシスタントをやってくれた、渡くんが出演してます。
ステージのある店内は、満員のお客さんでにぎわい、笑いと拍手のなかショーは進みます。
ラストには、ジャズシンガーのおまけもあって、盛り沢山な夜になりました。

インプロっていうのは、耳慣れない人もいると思います。
日本語でいうと、即興。
いっさい台本なしで、その場でシーンやストーリーをつくっていくというもの。
僕は、これが大好きです。

物語作りは、一人で即興をやっているようなものですからね。

しかし、インプロをいきなりやれっていわれても、なかなかできるものではありません。
人前で、相手役の人が出してくるものに、瞬間的に反応して、協力しながら、ストーリーをつくっていかなければならないんですから。
でも、ご安心を。
インプロをできるようになる、ゲームがたくさん開発されてます。
いわゆるシアターゲームと呼ばれているものなどです。
ゲームをやっているうちに、しだいに心と体が解放されて、人前で表現することができるようになってきます。
楽しく、創造的で、刺激的な遊びです。050519_013

この体感脚本講座では、そういうインプロのゲームをやったりすることで、脚本作りの本質に迫っていくつもりです。
ぜひやってみたいと思うかたは、コンタクトしてみてください。
本格スタートの六月は、まもなくです。

で、今日の本題。
『よかったぁ!』

このキーワードは、脚本のラストにつかいます。
起承転結の『結』の部分です。
『そんなことがぁ!』のクライマックスを、主人公が切り抜けたあと、物語は集束していきます。
そのとき、『よかったぁ!』と観客(読者)が思えるようなものになっているのか。

あなたの物語は、そうなっていますか。
もちろん、これはハッピーエンドでなければならないと言っているのではありません。
悲劇的な結末でも、感情的なカタルシスがあり、主人公とともに、観客が物語を体験していれば、かならずこの『よかったぁ』という感覚になれるはずです。
もし、そうなっていなかったなら、もう一度読み直して、検討してみましょう。
余韻が残るのがベストですね。
いいもん見たなぁって感じを、観客に抱かせたいものです。

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2005年5月20日 (金)

とんでもないことが!

050519_007  今日は、パントマイムのレッスンを受けたあと、新番組の打ち合わせに行く。
 時間が少しはやかったので、マックでくつろぐ。(飲み物百円に驚いた)
 もちろんマンウォッチング。
 会話のスケッチ、実行。
 午後のマックは、高校生と、おばさんたちのたまり場だ。
 そのなかに、営業マンの休憩中。
 みんな、がんばれだ。

 監督とプロデューサーとの脚本会議。
 ようやく新しい物語の骨格が出てきた感じ。
 これは中国の資本でつくるアニメ。
 いま、政治的には日中関係が微妙だけど、文化や経済の面では、しっかり協力してます。

050519_005  で、今日ののタイトル『とんでもないことが!』です。
 どこかで聞いたなぁと思った人は、なかなかの記憶力。
 そう、なつかしの番組、ファイトクラブでナレーターがよく使ってたセリフ。
 『そのとき、とんでもないことがァ!』『予想だにしないことがおきてしまった』ってやつです。

 なんのことかというと、これが『クライマックス』なんですね。
 ハラハラドキドキの最後には、主人公に最大のピンチが襲いかかる瞬間。
 それがクライマックス。
 起承転結でいうなら、『転』にあたる部分です。
 ゲームでいうなら、ラスボスが登場して、主人公がもう逃げられない窮地におちいってしまうところてですね。

 これをラスト五分の部分にもってきてください。
 ハラハラドキドキさせつづけた観客に、最大のピンチを体験してもらいましょう。

 脚本の構成を考えるときに、この部分をはっきり意識するのは、いいことです。
 クライマックスは、なんになるのか?
 主人公の、最大のピンチ(トラブル)とはなんなのか?
 それを問いかけてください。
 もし、他の作品をみるときは、その作品のクライマックスが、『予想だにしないこと』になっているかを、チェックしてみてください。
 逆に考えれば、そこに向かって物語はすすんでいくわけですから、これを想定していると、作家としては書きやすくなります。

 テレビドラマや映画をみるときに、『つかんでるかい』『ハラハラドキドキ』『とんでもないことが』この三つを意識してください。
 会話のスケッチと、この作品分析。
 これを毎日つづけることが、脚本家のウォーミングアップ。
 レッツトライ!

 実人生では、とんでもないことや、予想だにしないことは、あまりおこって欲しくないですけど、物語の世界では、大歓迎。
 あなたの人生のクライマックスは、いつきますか。
 そのとき、ああこれがクライマックスかぁ、と気づくことができたら、主人公としては、それを切り抜けることが楽しみになりますよね。
 どんなふうにして、自分は、このクライマックスを切り抜けるんだろうって。
 トラブルも、こう考えたら、楽しみに変わるかも。

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2005年5月19日 (木)

ハラハラドキドキ

100_0295
 第二のキーワードは、
『ハラハラドキドキ』です。

 これが起承転結の承にあたる部分のこと。
 いろんなハラハラドキドキがありますよね。

 とにかく主人公といっしょに、お客(視聴者・読者)に、ハラハラドキドキを体験してもらいましょう。
「どうなるの?」「どうなるの?」「どうなるの?」
 って感じで、次のシーンにつながっていけていたら、それはもうしめたもの。

 サスペンスドラマだと、いちばんわかりやすいです。
 テレビドラマの『24』なんか、その典型のドラマですね。

 でも、これは他のタイプのドラマでも、あてはまることなんです。
 ロマンス、悲劇、コメディ、シリアスドラマ、歴史劇、どんなジャンルでも、おもしろいといわれるものは、ぜんぶこの方式があてはまってます。

 ハラハラドキドキさせましょう。
 ドラマの大半は、それでできているのです。

 ラストの5分前までは、その連続です。
『ハラハラドキドキ』できるのか。
 つかんだあとは、それを自問しながら書きください。

 実人生で、毎日が、ハラハラドキドキしていたら、そりゃちょっと疲れますが、ドラマのなかでだった大丈夫。
 せいぜい長いやつでも、二時間ちょっと。
 テレビシリーズだったら、1クールか、2クール。
 それくらいなら、つっぱっしっていたいものですから。

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2005年5月18日 (水)

つかんでるかい

100_0265  そろそろ実践に役立つ、脚本講座をはじめましょう。
 今回のキーワードは、『つかんでるかい』

 脚本は、1ページ目、さらにいえば、1行目で勝負しなければなりません。
 勝負をかけるべきです。

 なんの勝負かというと、観客(視聴者、またはスタッフ)の心を、つかめるかどうか。
 つかんだら、脚本家の勝ち。
 スタートには、成功できます。
 数ページは、興味をもって読んでもらえるでしょう。

 漫才やコントブームのおかげで、『つかみ』という言葉は、わりと一般的になってますよね。
 よく『つかみはオッケイ』なんて使われているのを耳にするでしょ。
 観客を、自分たちの話にひきこめたり、興味をひくことができたことを意味してます。
 脚本にも、これが大事なんです。

 起承転結における、『起』の部分のことですね。

 30分物のテレビ番組だと、冒頭の約1分以内。
 1時間物だと、冒頭の3分以内。
 そこできっちりと、お客様たちを、つかんでいる必要があります。
 もちろん、そこには主人公は、登場しているべきです。
 そこで主人公を、観客のみなさまに、気に入ってもらえたら、ベストです。

 だからもう、一行目から油断しちゃだめなんです。

 冒頭の何ページかを書いたは、一回、あたまから読み直して、自分に問いかけましょう。
『つかんでるかい?』
 つかんでたら、オッケイ。
 前に進もう。

 もちろん、いろんなつかみかたがあるので、そこは各自でアイディアをひねりましょう。
 こんな『つかみかた発見した』という方は、どしどしコメントよせてくださいね。
 ぜひ参考にさせてもらいたいと思います。
 

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2005年5月17日 (火)

吸うのが先か吐くのが先か

 050516_006 歌のレッスンを受けた。
 先生は、ぼくが演劇を教えてる東放学園高等専修学校でボーカルを指導している作詩作曲家の小西さん。
 いやー、楽しかったなぁ。

 高校生のときに、コーラス部というのがあって、男女が仲良く歌ったりしているのを、横目でみながら、『ケッ、なんだよ』とひがんでいた僕でした。
『どうせあいつら、女が目当てで、コーラス部とかにはいっとるとやろ』
 と、九州弁で毒づいてました。

 ところがいざ、みんなでハモって歌ってみると、その気持ちよさに気分爽快。
『ゴスペラーズの気持ちがわかるなぁ』
 なんて、過去のことなど忘れて、すっかり歌手気分なわけです。

 演劇と同じく、ボーカルの練習も、『呼吸』からはじまりました。
 やはり人間のする表現行為には、かならず『呼吸』がついてまわるもんなんですね。

 呼吸の大事さを、あらためて実感しました。
 ただ、複式呼吸をつかって、ゆったり息を吸って、吐いているだけで、自然と血流がよくなり、気分がよくなってきます。
 よけいなところに力がはいらず、必要なところだけの筋肉をつかって動けるようになります。050516_009

 みなさんも、仕事をはじめるまえに、ゆったりと呼吸をしてみてください。
 できるだけ上半身や胸や首などの緊張がほぐれるように。
 マッサージしてみるのもいいと思います。
 仕事がスムースにすすむことうけあいです。

 レッスンは約二時間。
 やはり新鮮な体験というものは、疲れを残しません。
 からだは少し疲れているはずなのに、気分ははればれ。
 手足は、血の巡りがよくなっているのがわかります。

 そこでひらめきました。
 『田中くんに教えなきゃ。心臓にふたんをかけずに、いいエクササイズになるのは、歌がいいよって』
 さっそく、闘病中の脚本家に教えてあげたいと思います。

 で、今日の本題。
『吐くのが先か、吸うのが先か』

 呼吸の練習をしていて思ったんですけど、「人間が生まれてくるとき、息を吸ったのか、吐いたのか、どっちからはじめたんだろう?」って。

 赤ちゃんが母親の体内にいるときは、酸素はへそから、取り込んでるわけですよね。
 それを切り離して、この外界にでてくるとき、まずはどっちをしたんでしょう?
 やっぱり吸ったんでしょうか?
 赤ちゃんは、生まれてたときに、泣くっていいますよね。
 泣き声をあげるためには、息を吐かなきゃならないし……

 どなたかご存じのかたは、教えてください。

 もしかしたら、この反対を考えれば、答えは見つかるのかもしれませんね。
 人は死ぬとき、どうするのか?
 最後に、息を吐いて、つぎに吸わなくなるから、人は死ぬわけですよね。
 ということは、人は、息を吸って誕生し、吐いて終わるってことですか?
 これでいいのかなぁ。0559_013

 脚本の書き方と、今回のタイトルは、あまり関係がありませんでした。

 ただ、こんなことを考えたりすることが、ひょいと脚本に反映してきたりすることがあります。
 歌の練習のシーンと、人の誕生や死のイメージ。
 かけ離れたような二つのイメージが、どこかでつながったりする。
 それは作家が意識するしないにかかわらず、作品にいろんな味付けをしてくれます。
 
 ですから、自分のなかに浮かび上がってくるイメージや思いを、できるだけもらさないように注意してください。
 ここで以前に書いたネタ帳の出番です。
 無意識にでてきた思いでも、ネタ帳に書きつけておくんです。
 いつか、それが、どこかで効いてきます。

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2005年5月16日 (月)

トラブル・イズ・マイビジネス

 050516_010 きょうの東京は、すごくいい天気。
 紫外線も、すごいだろうなぁ。しかし、緑があざやかです。
 これも昨日の嵐のおかげですかね。

 いやー、昨日のかみなりは、ちょっとビビッた。
 同時に、地震もおきたし。
 おれはオヤジだし。
 きっと、どこかで火事もおきてたんじゃないかな。
 ヒョウも降ってたらしいね。
 ウヒョウ!

 この世界は、まさになんでもありの、おもしろワンダーランドです。

 現実の人生では、トラブルはなるだけ起きて欲しくはないものなんだけど、物語の世界では、トラブルこそが、物語を面白くしてくれる必需品です。

 物語のなかでは、思いっきりすごいトラブルを主人公にふりかからせて、楽しむことができます。
 主人公に感情移入できていれば、まさに自分がトラブルを解決していくような気分になります。
 それが物語の面白さなんですね。
 物語のなかでだったら、どんな悲惨な体験でも、死ぬことすらもできるわけです。
 燃えるような恋も、はげしい変態行為も、空を飛ぶことも、宇宙怪獣と戦うことだって。

 そして、そこで疑似体験したことが、この現実の世界で、実際に体験することに、役立ってくれたりするんです。
 それこそが物語の効用。
 ぼくたちが、物語を必要とする、大きな理由だったりします。

 ビバ、ストーリー。
 ビバ、フィクションなのだ。

 100_0182 小学生に『物語の作り方』というテーマで話をしたことがあります。
 一時間で、きみも脚本家になれると銘打って。

 そのときはなしたのは、まず主人公をつくって、その弱点をきめたら、みんなでトラブル(事件)を思いつきでいいから、とにかく考えてみようというもの。
 小学生に一人一人、トラブルを言っていってもらいます。
 いろんなトラブルがでてきます。

 トイレで紙がない。
 おかあさんにしかられる。
 忘れ物をしてしまう。
 宇宙人にあう。
 親が死ぬ。
 友達と喧嘩する。
 怪獣にふみつぶされる。
 交通事故にあう。
 落とし穴に落ちる。
 などなど。

 トラブルが集まったら、それを全部、主人公に体験させるのです。
 このとき、主人公の顔を、黒板に絵で描いているいると、子供たちの反応は、ぐっとよくなります。
 子供たちが、それぞれの自分の頭のなかで、主人公がこのトラブルにあって、悲惨な目にあうときのようすがイメージしやすいからです。

 この主人公が、これらのトラブルをどうやって切り抜けていくかを、みんなで考えてみて。
 と、僕は、アドバイスしながら、これらのトラブルをつなげていきます。
 子供たちのなかから、自然と笑い声があがり、彼らが楽しんでいることがわかります。

『そして、もう一つ、大事なことがあるんだ。このトラブルを切り抜ける前と、切り抜けたあとで、主人公が少しだけ変わっているかどうかを考えて』
 ぼくは、最後に、こうつけくわえます。

 すごく変わらなくてもいいんです。
 ちょっとだけの変化でもいいんです。
 でも、この変わるということが、とても大事なんです。
 できれば、少しいいほうに、変わっていることが。

 物語をつくりながら、物語の主人公と一緒に、子供たちは、それを体験したんだということを感じてくれています。
 教室にいる全員が、おなじ時間のなかで、おなじ体験をしたんだということを。

 これって、実は演劇の面白さとおなじなんですよね。
 劇場にいる全員(役者と観客)が、物語ができあがるのを、同時に体験すること。

 もちろん小学生の子供たちは、演劇とか、芝居とか、あまり見たことはないし、そんなものにも興味がなかったりするんですけど、演劇にたいして、すこしでも興味を持ってもらえたらと思って、ぼくは、最後に、それもつけくわえます。
 『お芝居って面白いんだよ』と。

 そして、現実の人生でも、すごく役立ったりするんだよって。

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2005年5月15日 (日)

キャラの宝庫

 _012 主人公のつくりかたのところでも書いたかもしれませんが、自分のまわりの人を、よく観察していると、脚本の登場人物のヒントになります。

 よく見ること。
 それが大事です。

 これは、会話のスケッチのところでも書きましたね。
 キャラクターにかんしても、おなじです。
 とにかく、よく見て、よく聞いてください。

この写真は、なんとなく顔に見えた樹です。よく見ていると、こんな面白いことにも気づきます。関係ないかもしれないけど。

 つぎに考えるのは、その人物の『弱点』『苦手なもの』
 その人物は、なにに弱いのか。
 なにが、彼をこまらせるのか。

 どうして、これが大事かというと、観客(視聴者)は、その弱点こそを『愛して』くれるからなんです。

 本人にとっては大問題の弱点が、観客にとっては、その人物の愛すべきところになるわけですね。
 親近感。シンパシーという言葉に置きかえてもいいでしょう。

 この感覚を、観客に抱かせられたら、脚本家は主人公の造形に成功したも同然です。
 あなたは、どんな『弱点』を、主人公に持たせますか?

 _014 これは学校の風景。
 廊下のすみに映っているのは、Nくん。
 もう主人公にしてやりたい人物の一人です。

 本人にとっては大問題だろうけと、弱点だらけの人物にぼくは思えます。
 ステキだなぁ。
 と、ぼくは思ってしまうわけですが、演出家としては、演劇の練習をすることによって、彼に弱点を、長所に変えていったり、弱点を弱点だとおもわずにすむような心持ちにしてあげられたらいいと考えます。

 演劇のエクササイズには、もちろん舞台をつくるという目的もありますが、教育という観点で、このエクササイズを見ると、人に成長の過程を体験させるという部分が多くあります。
 このことを、全国の先生たちに知ってもらいたいと、ぼくは思います。
 もっと演劇(ドラマ)を、教育の現場につかってもらいたいと。

 この5年間、学校で演劇を教えることになってから、こんなことを考えるようになりました。
 脚本家として、エンターテイメントを提供していくと同時に、このことはぼくにとっての大きな目的となったようです。

 体感脚本講座では、ぼくがこの教育の現場で感じたことなども、どしどし使っていきたいと思ってます。
 ぜひ、みなさんも体感してくださいね。

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2005年5月13日 (金)

外からつくる

 パントマイムの授業に出た。
 講師は、藍さん。
 プロのパフォーマーだ。1_004

 なぜかこの時間は、生徒が少ないので、レッスンを受ける側にとってはいい環境。
 みっちりとレッスンを受けられる。
 まだ三回目だが、すこしずつ体の動かしかたを、体がおぼえていっているのがわかる。

「マイムは形ですから。どう見えるかが、大事です」
「かならず鏡の前で練習してください」
「自分の動きがどう見えているかを、たえず意識してください」
「重さは、角度なんです」
 印象的な言葉を、いくつも発見する。

 自分の知らないジャンルをやっている人の話には、いままで気づいていなかったことを気づかせてくれるヒントがたくさんある。
 それが楽しくて、ぼくはいつも、いろんなところに顔を出しているような気がする。
 もちろんマイムは、演劇にもすごく役立つと思っている。
 演劇をやりはじめたころ、もっとマイムの練習をしておけばよかったと思っていた。
 だから、いまこうしてレッスンを受けるのが、すごく楽しいのだ。1_002

 やっぱり楽しいことをやるのが、もっとも集中するんだな、あらためて思う。

「演劇とかでは、内面をつくれってよくいうでしょ。でもマイムでは、いくら内面をつくっても、それが見えなきゃ、どうしようもないわけですよ。だからぼくたちは、どう見えるかをいつも考えてます」
 レッスンが終わって、藍さんが言った。

 その通り。
 ぼくも、そう思う。
 演劇だって、なんだって、観客にどう見えるか、どう伝わったかが、もっとも大事。
 そのときに、俳優や、役者や、演出家が、どう思っていたかなんてことは、二の次で、観客に『なにが』伝わったかが、もっとも重要だ。

「外をつくれば、内側も、それに影響されて変わってくるんですよね」
 と、ぼくは相づちをうった。

 この影響されてくるというところが、面白い。
 影響は、いろんなところにでてくる。

 脚本においては、どう見えるようになるかを、設計して書いていくことが必要なんですね。

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2005年5月12日 (木)

ネタ帳のすすめ

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 ネタ帳。
 またはアイディアノート。

 脚本家志望の人には、これを毎日、自分のそばに置いておくことをお勧めします。
 なんでも思いついたものを、このノートにメモしておくのです。
 きっと、それがいつか役にたちます。
 いまは、使えないアイディアでも、時間がたったとき、それをぼんやりながめた瞬間に、そのアイディアがまた新しいインスピレーションをひきおこしてくれたりするのです。

 過去が、いまを助けてくれます。

 ぼくは、形はかわったけど、中学生のころから、このネタ帳を書きはじめて、今にいたっています。
 学習ノートだったのが、A4のバインダーになり、皮表紙の手帳になったり、電子手帳になったりして、いまはまた、学習ノートにもどってます。

 このネタ帳とは別に、作品ごとに、創作ノートというのもつくります。
 表紙には、その作品の『タイトル』を書きます。
 できるだけバインダー形式のものがおすすめです。(差し替えが可能になるから)

 一ページ目は、その作品で、自分がめざそうとするものを書きこみます。
 たとえば『世界中の人たちを感動させる』とか『みる人に、家族の大切さをもう一度思ってもらう』とか『とにかくかっこいいアクションをやる』とか『命とはなんなのか』とか『自分探しの旅』とかです。

 その作品全体にかかわる、自分のモチベーションを、いつも再確認できるように、ここに書いておくわけです。

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 つぎに『登場人物』
 1ページに一人で、人物のメモをつくります。
 おもいつくかぎり、その人物について、くわしく書きます。
 書いていくうちに、自分のなかで、その登場キャラクターがしだいにはっきりと浮き上がってくるはずです。
 登場人物が、一人でかってに動きだすようになれば、もうしめたもの。
 あとはこの人物によりそって、物語ができていくのを、作家は楽しめます。

 主人公が、一番はじめに書かれるのは当然のことですよね。
 たぶん二番目は、その主人公を、助けてくれる人になるでしょう。
 三番目は、主人公にとって、最大の敵(ライバル)となる人物。
 あとの順番は、あなたしだいです。

 つぎは『トラブル』
 ここには、登場人物たちにふりりかかると大変なことになると思われる、事件(トラブル)を、思いつくままメモします。
 そのトラブルが、作品のなかで、使えようと使えまいと吟味せずに、とにかく思いつくかぎりのことを書いてみます。
 吟味は、書いたあとですればいいんです。

 つぎは『あらすじ』
 ここには、できるだけ簡単、簡潔に、物語のあらすじを書きます。
 くわしくストーリー(プロット)を書くのは、次の作業でいいです。
 ここには、できるだけシンプルに、一行か二行で書いてみます。
 こうすることで、この作品が、どこを目指していくのかが、いつも確認できるからです。

 作家というものは、書いていくうちに、いろいろアイディアがでて、最初に行こうとしたところと、まったく違うところに行こうとしてしまうことがよくあります。
 でも、それってあんまりいい結果にはならないことが多いんですよね。
 ですから、ここでいつも、自分のいく場所を確認するというわけです。

 たとえば、『主人公は、宝の地図を見つけたことで、冒険の旅にでる。しかし、宝を狙う海賊たちと、戦いながら、宝の島を見つけるが、ほんとうの宝は、自分と一緒に旅をした仲間たちだということに気づくのだ』
 こんな感じです。

 つぎに、くわしい『ストーリー』をつくっていきます。
 このことはプロットということもあります。

 創作ノートのつくりかたは、実は、もっとくわしいものを考えたんですが、それはまた別の機会にね。(体感脚本塾ライブでは、それはもちろんやりますよ。応募待ってます)

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2005年5月11日 (水)

銃弾か天使の指先か

 脚本会議では、脚本家は毎回窮地においこまれる。
 昨日も、かなりおいこまれました。

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 自分の書いたストーリーにたいして、プロデューサーたちが、それぞれの意見をぶつけてくる。
 それがたいていの場合、否定的なニュアンスのものばかり。
『要素が多い』『テーマがわかりずらい』『これはやらないほうがいい』『新鮮味にかける』『焦点がしぼりきれてない』『主人公の目的があやふや』などなど。

 もちろん言い方はソフトになっているのだが、それらの言葉は、まるで弾丸のように脚本家の胸に突き刺さる。
 あまりにも銃弾を受けすぎると、生死にもかかわってきます。
 それらの銃弾は、いくら脚本家が防弾チョッキを身につけていても、そのうえからグイグイとくいこんでくるからだ。

 規模ちがえども、みなさんにも、おなじようなピンチが何度も訪れると思います。
 こういうときの切り抜けかたを、教えましょう。

 まずは、自分のなかのよけいな感情をおさえて、じっと彼らの言葉に耳をかたむけること。
 そして、
 この場所にいる人たちは、みんな自分の味方なんだ。みんな僕のファンなんだ。みんな、ぼくのことが大好きで、ぼくにプレゼントをしてくれてるんだ。

 そう思うのです。
 とにかく、そこにいる人たちの背中には、みんな羽がはえている。彼らは天使なんだと思いこむのです。

 するとどうでしょう。
 いままで銃弾に思えていたものが、とたんにやらわかい天使の指先にかわってきます。
 天使の指先が、やさしく自分をマッサージしてくれているのです。

 天使たちは、まだまだ未熟なぼくを、もっといい場所に導いてくれようとしているんだ。
 どこかすばらしいところに連れていってくれようとしているんだ。

 そう思えてきたら、もうしめたもの。
 会議は、前向きな、楽しいものにかわってきます。

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 そんなにうまいこといくかなぁ。
 そんなのできっこないよ。
 そう思われるのも当然でしょう。
 かくいうぼくも、なかなかうまくはいきません。

 脚本家が、自分の書いたストーリーにこだわるのは、あたりまえのことです。
 何時間も、または、何日もかかって、背中の痛みと、睡眠不足にたえて書き上げた原稿なのですから。
 自分では気に入って、会議の席にもってきたのですから。
 自信作なのですから。

 しかし、それにこだわりすぎると、いい作品にするためのチャンスを失うことになってしまいかねません。
 脚本は、共同作業(演劇にしても、映像作品にしても)を前提してして書かれるものなのです。
 みんなでいいものを作り上げていくための道具です。

 会議では、脚本家は窮地におちいると書きました。
 ここでドラマの基本を思い出してください。

 主人公は、窮地におちいる。(トラブルにある)
 そして、それを一つずつのりこえていくことで、成長し、自分の目的を達成する。
 それがドラマです。

 いいドラマをつくるためには、無数のトラブルが必要なのです。

 窮地のときこそ、チャンス。
 おいこまれたときこそ、自分にシメシメと言い聞かせるのです。
 天使があらわれた。
 自分にチャンスがおとずれたと。
 トラブルを、よろこんで受け入れるのです。

 受け入れることができたら、どんなにかいい状態で、仕事ができるようになるだろうと、ぼくは思うのです。

 ですから、いつも、受け入れたいと思いつづけているわけです。
 みなさんは、どうですか?

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2005年5月10日 (火)

作家の執念

 入院している脚本家の田中浩司を、お見舞いに行ってきた。
 蕨市民病院。
 ワラビという、なんだかおいしそうな町の名前。
 友達のお見舞いというのに、はじめて降り立った町だったので、いきなり観光気分になってしまった。
 タクシーに乗ると、ワンメーターで病院についた。これなら歩けたなと思う。
0559_002  
 ぼくは町をゆっくりと歩きながら、観察するのが好きだ。
 どんな人たちが、ここでは生活しているんだろう。
 どんなドラマがここでは毎日おきているのだろう。
 そんなことを考えながら歩いていると飽きることはない。

 病院の近くに、すこし大きめの神社があるのが見えた。
 神社も好きだ。
 神社のなかは、いつも空気がきれいに澄んでいる気がする。
 いや、まちがいなく、その土地で、もっとも地脈のいい場所に神社は建てられている。
 ぼくは、神社の境内で、土地のエネルギーを体で感じるのが好きなのだ。

 テレビドラマのセットにでてくる、明るすぎる病院とはちがい、本物の病院には、なんだか沈殿したような暗さがただよっている。
 そりゃ、そうだよなと思う。
 病気や怪我をかかえた人たちの、重い雨雲のような気分が、そこらじゅうにたちこめているのだから。
 あちこちに、いらだちや、かなしみや、あせりや、いたみや、くるしみが、かたまりのようになっているのを感じる。
 ぼくら、外からきた訪問者は、それらにできるだけ触らないように、慎重に歩かなければならない。
 胃のあたりが、ちょっとと重くなる。
 自分が少し緊張しているのがわかった。

 田中くんは、予想していたよりも、元気そうに見えた。
 ベッドのうえで起き上がって、ぼくを迎えてくれた。
 それでも数日前までは、トイレに行くのも禁じられていたというほどの重症だったらしい。
 すでに入院して二週間以上もたっていると彼は言った。
 病院にくるまで、自分の状態が、そんなに悪くなっていると気づいていなかったらしいのだ。
 喘息の具合が悪いと思って病院にきたら、それは実は心臓が原因で、あやうく心臓が止まりそうになっていたのである。
 そのまま入院。
「もう運動もできなくなっちゃったよ。……エッチもね」
 と、彼は冗談めかして笑いながら言ったが、ぼくは、どう答えていいかわからなかった。

 しかし、作家は、死ぬまで作家なのだ。
 さすがだと思ったのは、彼がベッドのうえで、書きつづけていた、ノートを見たときだ。
 そのノートには、入院してノートをつけられるようになってからのことが、びっしりと書きつけられていた。
 毎回の食事については、詳しいイラスト付きである。

「このまま死んじゃったら、これが遺作になると思って、書いてんだ……いや、一日中ベッドからでられなくて、なにもすることないしね」
 作家魂だ。
 おれは、はじめて田中くんを、尊敬した。
 ごめん、はじめてで、田中くん。

 実は、この田中くんには、ぼくはこっそり嫉妬していたことがある。
 なんせあの寺山修司の弟子を名乗れる男なのだ。
 ぼくが一度はあこがれた寺山に、かわいがられた男なのである。
 そりゃ、嫉妬してもいいでしょう。
 しかし寺山さんにその才能を買われていたにもかかわらず、ぼくの知っている田中くんは、どちらかといえば、どんくさいタイプの男で、純粋であるがために、生きかたが不器用に思えていた。
 だが、やはり、この男は立派な作家だった。

 人間、自分が死ぬとわかったときに、なにをするかは、大きな問題だ。
 この男は、作品を書いていた。
 しかも、懇切丁寧な食事のイラスト付きで。
 そこには、なんともいいようのないユーモアがあるではありませんか。
 おろかしくも、真剣なユーモアが。

 ほんとに、尊敬したよ、田中くん。
 きみがいいというから、ここにきみの記念写真をのっけます。
 きっと、このブログを見た人は、みんなきみを尊敬するよ。

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 でも、あのなんだか不思議なイラスト付きのノートは、遺作にはならないと思う。
 まだきみは、しぶといよ。

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2005年5月 9日 (月)

酔拳と脚本家

 酔拳の日本チャンピョンに、中国拳法を習った。
 カンフーである。
 ジャッキーである。
 ブルースなのだ。

 ぼくは、いちおうジャッキー・チェン兄貴の、日本人の弟である。
 とうぜんカンフーはできるはずだと思っていた。
 思いこんでいた。

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 ところがはじめて体験するカンフーが、こんなにもきついものだったとは思いもしなかったよ。

 中国拳法では、敵の金的(キャンタマ)とか狙うために、体勢を低く構えるのだそうだ。
 低く構えるためには、とうぜん膝をグッとまげた状態にならなければならない。
 これで一分もすると、もうももの筋肉がプルプルしてきて、膝が笑ってしまう。

 ふだんダンスで鍛えているとはいえ、そんな姿勢をとっているわけではない。
 たちまち汗びっしょりになってしまった。
 おまけに、突き出すパンチの早いこと。
 カンフーだけに、カンパツいれずに、パンチを出さなければならない。
 フーってな感じだ。

 それにしてもカンフーとは、香港映画でよく見ていたが、実戦形式でそれをやっている人たちがいようとは、まったく知らなかった。

 このチャンピョンたちは、フルコンタクトで闘う試合をしているらしい。
 毎年11月に大会があって、このぼくたちに教えてくれた、廣橋さんという人は、去年の大会で優勝したのだ。
 本物の日本チャンピョン。
 いちおうマスクと金的ガードと、オープンフィンガーのグローブはつけるが、それ以外はどこを殴ってもいいということになっているらしい。
 おまけに決勝戦は、お互いに目隠しをして、両手両足につけた鈴の音をたよりに闘うんだって。
 ちょっとクレージな感じの世界。
 おもしろすぎるぜ。
 まさにカンフーハッスルな世界だったのだ。

 酔拳と、脚本講座にどんな関係があるのか?
 と聞かれると、ちょっと困ってしまうけど、無理やり理由をつけてしまおう。
 それが即興の基本だ。

 酔拳は、八人の仙人が、酔っぱらっている人の姿にインスピレーションを受けて編み出した拳法だそうだ。

 脚本家も、どこにインスピレーションがころがっているかわからない。
 いっけんバカバカしいものにも、すばらしい脚本のネタがあるかもしれません。
 見落としちゃいけないってことだよね。

 まさか酔っぱらいが、チョー強い拳法になるとは、それ以前の人は思わなかっただろう。

 もうひとつ気づいたのは、ダンスも拳法も、実戦(試合)にいくためには、地道な基礎トレーニングが必要だってこと。
 これは脚本も同じだと思う。

 拳法の道場では、ウォーミングアップもかねて、基礎の突きとか蹴りをひたすらくりかえす。
 ダンサーは、ベーシックのステップをくりかえす。
 脚本家はなにをすればいいか?

 この体感脚本講座では、脚本家のためのベーシックトレーニングの方法も探っていきたいと思います。

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 もちろん、他の人の作品や脚本戯曲類を見るのは当然のこととして、実践的なエクササイズって必要でしょう。

 まずは、前回も書いた、『会話のスケッチ』ですね。

 脚本家よ、町にでて、人々の声に耳をすまそう。
 まずは、それがトレーニングの一番だ。

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2005年5月 8日 (日)

踊りまくるのだヌーン2

 このブログは、6月からはじまる、体感脚本塾のためのプレ講座のつもりだったけど、なんだかこれを書くのが楽しくなってきた。
 脚本の書き方を、あらためて自分に問い直している感じ。

 体感脚本講座の申し込み、どしどし待ってます。

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 脚本家というのは、人との共同作業が好きな人に向いてます。
 一人で作業するのが好きな人は、小説とかのほうがいいでしょう。
 脚本家が組むのは、演出家や役者などの場合が多いけど、脚本を書き上げるまでの過程にならば、相談に乗ってくれる人、全員が相手になります。

 共同作業って、じっさいはけっこう難しいもんです。
 一人一人、自分のエゴをもってるし、自分の書いたものに、他人が意見を言ったり、批評をしたりするのって、最初は、自分自身についてなにか言われてると思いがちですから。

 そういうとき、相手の意見や批評を受け入れる耳を持つというのは、とても大事なことになります。
 他人の言葉に、しっかりと耳をかたむけましょう。
 どんな意見も、自分を客観的に見るための手助けになるものなんです。

 人の話に耳をかたむけるということの訓練方法ですけど、いくつかまえのタイトルでも書いたけど、会話のスケッチって役にたちます。
 ただじっと聞いて、それを再現してみるのです。
 声に出して、プレイバックします。
 リズムや音の高低はどうだったか、どんな省略や、流行り言葉が使われていたかなどにも気をくばってやってみてください。

 いかに自分が、正確に聞いていないかがわかります。
 ましてや、文章に書き起こすと、どうしてもしゃべりそのものではなく、書き言葉になってしまう傾向がでます。

 声に出してみると、そのことによく気がつくことでしょう。
 いいアイディアを人から、もらうために、いい会話が書けるようになるために、人の話には耳をすませてくださいね。

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 昨日はタップのレッスン。
 いい汗かいたよ。
 このクラスには、ぼくよりも年上の先輩がいる。
 Nさんは、IT関係で働いていたが、いまはダンサー。
 もう50近いはず。
 ほんとまじめな人で、バレエとかも習ってるらしい。人生半ばもすぎて、踊れる人生って、幸せだと思います。
 Nさんは、マンションの管理組合の総会の準備があると言って帰っていった。
 すばらしき生活感。ビバ、ダンスマン。

 かたや43歳の脚本家、K・田中からメールで、心臓病で入院したとの知らせがくる。
 もともと不健康そうな生活していたから心配はしていたんだけど、心臓にきたかって、感じ。
 この男は、あの天才、寺山修司の最後の弟子。
 師匠の寺山さんは、享年47歳だった。
 いくら弟子だからって、病気癖まで師匠のマネしないでもいいのにと思ってしまう。
 ちょっと意地悪い書き方しちゃったけど、マジで心配してます。

 同年代の友人が、病に倒れたりすると、自分の運のよさに感謝です。
 ここまで病気らしい病気したことないもんね。
 このまま、踊りつづけるぞ、倒れるまでは。ヌーン。

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仮面のすすめ

 土曜日の原宿を、少し歩いた。
 明治神宮の前の橋のうえに、コスプレした少女たちがたくさんいる。
 フリル系や、きぐるみ系など、衣装はさまざまだったが、みんなメイクが、ゾンビだった。
 目の周りや、ほっぺとか、黒々と縁取りみたいなをしていて、それはまさに死霊、ゾンビそのもの。
 どうやら、死霊メイクが流行ってるらしい。
 これって、いつから?

 彼女たちは、じつに楽しそうに、それぞれかってきままに地べたに座りこんで、歩道を占拠しつづけている。
 コスプレゾンビに、明治神宮は占拠されているのである。

 これってじつに象徴的だなと思った。
 もとより神社は、霊的なものが集まる場所。
 地脈にくわしい人の話では、明治神宮あたりは、エネルギーの出る場所があるらしい。
 そこに死霊たちが集まるのも、当然のことか。

 現代の巫女たちは、わざと死霊の格好をして、生きていることを忘れがちな日本人たちに、生きる実感とはなにかを教えようとしているのかもしれない。(ちょっと持ち上げすぎかヌーン?)

 奇抜なメイクで、素顔がわからないようにしてしまうと、とたんに少女たちは、大胆になる。
 ふだんの日常ではおさえつけている、感情や、本来もっている傾向を、あらわにして動きはじめたりする。
 彼女たちは、メイクをしているから、地べたを占拠することができるし、じろじろみられてもへいちゃらでポーズをとったりできるのだ。
 日常(現実)の自分は、けっして危険にはさらされないと、どこかで思っているから。

 これって演劇で、仮面をつけるのと同じ効果なんですね。
 役者は、役柄という仮面をつけたとたんに、舞台のうえでなんでもできるようになります。
 モラルに反することも、犯罪さえも、役でやるのならば、平気でできるわけです。
 そこでおこなわれるのは、フィクションで、現実の自分はけっして危うくなることはないとわかっているから。

 自分を虚構化してしまう、装置がここにあります。
 フィクションに同化することが、仮面(役柄)だけで簡単にできるのです。

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 脚本家や作家の場合においても、同じような効果を発揮するものがあります。
 それはペンネーム。
 ペンネームをつかえば、日常の自分とはちがう者に、簡単になることができます。

 作品を書くんだというモチベーションをあげるためにも、自分にペンネームをつけるというのは、けっこういい効果をもたらしてくれます。
 あなたも、ひとつペンネームをつくってみませんか。

 かくいうぼくも、このブログをつくるにあたり、ジャッキーという、名前を使ってみました。
 とたんにジャッキーというキャラクターが、ぼくのなかで立ち上がり、一人で動きだしています。
 もうジャッキー、大活躍です。
 ジャッキー・チェンの腹違いの弟の、ジャッキー・そのだは、日本で脚本家をやってます。

 ジャッキーは、ふだんのぼくよりも、かなり元気なようです。
 ブログ作りにかんしても、エネルギーをおしんでません。
 もうしばらくジャッキーには働いてもらうつもりです。

(写真は、この話とは、まったく関係ありません。)

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2005年5月 7日 (土)

踊りまくるのだヌーン

 一気にコメントがふえてうれしいなぁ。
 なつかしい人が、コメントくれた。
 フジヨシ、立ってるかぁ?(ワハハハ)
 イワイくん、ヌーンつけてみました。
 くらみさん、いい脚本書いてね。
 はるなちゃーん、稽古いきます。
 いたがきさーん、ラウですか?

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 演劇のワークショップをやっていると思いきや、たちまちダンサーに変身!
 ルイスのラテンダンスのレッスン受けてきました。
 ほんとうは、まだ4回目なんだけどね。(けっしてしゃるうぃダンスに影響されたのではありませんぞヌーン)
 このクラスは、生徒さんの人数がまだ少ないので、生徒の立場からするとじっくりと教わることができるので、すごくいい。
 きょうは、女優の星野マヤさんもきてくれて、レッスンは華やかになっちまったヌーン。

 ドミニカンの体にしみついたリズム感を、うらやましがりつつも、自分なりに汗かきを楽しむのだヌーン。(そろそろヌーンやめていいよね)

 脚本家は、いつも好奇心旺盛でなければなりません。
 いたるところにアイディアのタネはころがっているものですから。
 こうやってダンスのレッスンをしていたら、いつか、しゃるうぃダンスの二番煎じを狙うプロデューサーが、ダンスにくわしいシナリオライターを探して、ぼくのところにやってくるかもしれないでしょ。
 脚本の取材もかねていると思えば、毎日が、もう仕事モードよ。
 遊びのときこそ、次の仕事の準備をしてるようなもの。
 毎日が、真剣勝負だヌーン。(あっ、くせになっちゃった)

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ビバ・フィクション

1  連休明けで、ひさしぶりに高校に行って、ワークショップをやってきた。
 3年生の卒公準備クラスと、2、3年生の声優志望者クラス。
 役者志望の3年生のクラスには、はじめて演技をやる者もまじっているので、芝居の基本からやっている。
 今日のテーマは、『フィクション(物語)にすると、現実はとたんにおもしろくなる』だ。

 まずは一人ずつに、連休中にどんなエボックがあったかを語ってもらう。
 いろんな話がでた。『バイトしてた』『ともだちとボーリングいった』『ゲームざんまいして、することなかった』『おじいちゃんたちと、お台場にいった』など。
 二十数人のリアルな生活が、なんとなくつまらなそうに披露された。
 生徒たちは、なんでこんな話をしなきゃなんないんだろうという感じで、ちょっと面倒くさそうだ。

 そこで、僕は、こう提案する。
「じゃあ、こんどは、いまはなしたことを、百倍くらい誇張して、フィクションにしていいから話してみてよ。ただし、ネガティブな誇張はなしね。あくまでも、いいほうに味付けして。ポジティブな感じでね」
 生徒たちは、「そうきたか」って感じで、とたんにテンションがあがっていく。

 するとさっきの話が、みるみるおもしろい話に変化して、聞いている生徒たちから、笑い声や、喝采がおきるのだ。
 ただのバイトが、『銀行強盗を捕まえた』話になったり、ただのボーリングが『ボールとまちがって友達を投げちゃった』話になったり、ゲームしてだけでなにもしなかったのが『自分の情けなさをネタにしたコント』になったり、お台場にいっただけが、『お台場を買い上げた』話になったりしてしまう。

 これこそ『物語』の力。ストーリーパワーだ。
 作り話は、面白いのである。
 これはもう、まちがいないことなのだ。

 ぼくは、生徒たちに『嘘』でいいんだということを説明する。
 芝居は、本当のことをやる必要はないんだと。

 フィクションのなかで遊ぶことが、芝居なんだということ。
 ただし、真剣な遊びでなければなりません。

 この高校生たちの話が面白かったのも、彼らがいきなり他の生徒たちの前で、即興で作り話をかたらなければならないという、切羽詰まった状況があったからこそなのです。
 ギリギリの真剣な状況に追い込まれたものが、作り話を真剣に語っているからこそ、観客はそれを面白がれるわけです。

 これは脚本書きにも、まったくあてはまります。
 どんなホラ話でも、バカ話でも、作家は真剣そのものでなければなりません。
 作家が、ギリギリの真剣勝負で書くからこそ、それは観客に伝わるのです。

 みなさん、物語作りを、もっと楽しみましょう。
 プレイ・ザ・ストーリー。

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2005年5月 6日 (金)

ボイストレーニング

 昨日は、日テレの生田スタジオに行って、7月からの新番組に出演する子役(といっても11歳から14歳)の人たち相手に、ボイストレーニングのしかたを教えてきた。

 なんで脚本家が、ボイストレーナーなのと驚かれるかもしれないが、ぼくは劇団主宰者で、19歳のときから劇団でさんざん鍛えられた役者でもあるのです。それにこの五年間、東放学園高等専修学校という芸術系の高校で、演技指導もしてきたので子供のあつかいにはかなりなれている。ポケモンの脚本家ということもあり、子供の受けは相当いい。ある意味、理想的な子役の指導係なのですよ。その番組の関係者が、振り付けの金丸さんを通して、ぼくに依頼してきたのでした。(ちなみにこの番組はぼくの脚本ではありません)

 子供といっても、子役としてのキャリアがあるので、彼らの態度や飲み込みはすばらしかった。こちらとしてもやりやすいことこのうえなし。
 やはり、こういうワークショップ的なものは、教わる側の質によって変わるんだなと痛感。
 教えてる側も、生徒がいいと、がぜん乗ってくるもんです。

 子供たちは、可能性のかたまりというオーラをみんな発していて、一緒にいると自然と楽しくなってきます。
 できるものなら、この子たちの未来を見てみたいと思いました。
 彼らにどんな輝く未来が待っているのか。
 この輝きは、どこまでつづくのか。
 無邪気さと、計算高さと、不安と、自信と、そんなものがいろいろまじった彼らの気持ちをあびながら、数時間を楽しみました。

 ボイストレーニングでもっとも大事なのは、呼吸と姿勢なんですね。
 声も筋肉をつかって出すものなので、ウォーミングアップも大切。

 それってじつは、なんにでもあてはまるものなんです。
 もちろん脚本を書くことにかんしても。

 脚本を書くのに、呼吸と姿勢が大事だとは意外かもしれません。
 あたまを使うためにはエネルギーのコントロールが必要でしょ。
 そのためにもっとも大事なのが、呼吸なんです。

 ぼくは執筆の前に、複式呼吸(丹田を意識した呼吸法)をおすすめします。
 あるきながらでも、座ってもかまいません。
 おへそのしたあたりの丹田を意識して、ゆっくりと呼吸しましょう。

 ようはリラックスすること。からだの余計なところに力がはいらないようにすること。
 そのための呼吸なんです。
 自分のからだの状態をととのえることで、脚本を書くための集中力が生まれます。

 体もストレッチとかやってウォーミングアップするほうがいいです。
 よけいな緊張感を抜きましょう。

 ものを書くという行為は、とくに背中のあたりの緊張状態がつづきます。
 何時間も執筆していると、背中がガチガチになってしまったりします。
 そういう状態がつづくと、集中力も持続しなくなります。
 緊張と脱力(リラックス)。
 これが大事です。

 これってまさにドラマの構成にもあてはまるでしょ。
 緊張状態ばかりがつづいても、観客はつかれてしまいます。
 緊張のあとには、脱力をもってくること。

 ぼくの場合は、脱力が多すぎて、締め切りにまにあわなくなってしまったりするわけですけど。
 反省。

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2005年5月 5日 (木)

会話の練習

会話のスケッチ・デッサン

 これはダイアログのエクササイズアイディアです。

 町で耳にはいってきた会話を、そのままおぼえていて、スケッチするのです。
 できるだけ正確に。
 そして、一人になったらそれを声に出して読んでみる。
 仲間がいるときは、その人と一緒に読んでもらってもいい。

 会話は再現できるのか?
 そのニュアンスはスケッチできたのか?

 絵描きさんは、自分の作品をつくるために、さまざまなデッサンやスケッチをしますよね。
 それって当然のことなんだけど、脚本家にとっても、その練習って効果的だと思います。

 会話のスケット、デッサンをやってみましょう。

 もちろん現実の会話の再現できたからといって、いいセリフがかけるようになるとは限りません。
 あくまでもセリフをいきいきと書くための練習です。
 自分で声に出して読んでみたりしているうちに、あなたが書きたいセリフのリズムやタッチが自然に生まれてくると思います。

 だって、テープレコーダーじゃないんだから、本当に正確に再現はできないものだから。
 あなたというフィルターがかかることが、いいことなんですよ。
 それが個性というものなのかもしれません。

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切り抜けろ

切り抜けました。
昨日は、そうとう追いつめられてたんだけど、なんとか窮地を切り抜けました。
原稿できたのは、打ち合わせにいく、三十分前。
ほんと、脚本家としては、最低だなぁって、いつも思います。
どうして、こんな状態になる前にできないのか、二十五年間も思いつづけてます。

ほんと、締め切りが守れる脚本家の方を尊敬してます。

それで、また直しの日々です。
きょうも、昨日の原稿の直しをしなきゃなりません。
それがおわったら、子役の人たちの演技指導にいきます。
こどもの日だからってわけじゃありませんが、思わぬところからの依頼です。
このことについては、また報告します。

体感脚本講座については、また帰ってきてから書きます。
このブログ、けっこう一生懸命書いてるんだけど、リアクションが極端に少ないんだよね。
もしお暇でしたら、コメントくださいね。

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2005年5月 4日 (水)

脚本家の日々

もがいてます。

打ち合わせまで、あと数時間。
しかし、原稿はまったくできてません。

やればいいのに、なぜ書かないのか。
それはまだ、なにかが自分のなかでひっかかっているから。
机のまえに、なにもしないでじっとしているので、体はガチガチになっています。

仕事のときは、だいたいいつもこんな感じです。
まるで修行僧だね。

脚本家のほとんどは、こういう感じに、何年もたえつづけなければなりません。
みんな、がんばろう。

ただ、こうしてがんばっていれば、かならず前が見えてくるという確信があるので、この苦行にもたえられるわけです。

明けない夜はないのだ。
もし、明けないとしたら、自分の心が闇をつくりだしているだけのこと。
夜明けがきたと思えば、そこは夜明けになるのです。

よーし、やるぞ!

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2005年5月 3日 (火)

会話について

 会話。ダイアログ。セリフ。おしゃべり。

 脚本では、会話はすごく大事だ。
 いきいきしたセリフは、脚本を光らせてくれる。
 いいセリフは、何百年も残る。

 脚本の仕事をしはじめたころ。いまから二十年以上も前のことだ。
 脚本のうちあわせで、アニメーションの監督落合さんと、夜遅くまで飲んでいたとき、監督が言った言葉はいまでも忘れていない。
「いいセリフを書いてくださいよ。とにかくいいセリフを」
 このとき僕は複雑な気持ちになった。
 えっ、おれのホンのセリフがまずいってこと?
 脚本家なんだから、いいセリフを書こうとしてるのは当然でしょ。
 監督は、おれのことを思って言ってくれてんの?
 いろんな思いが、交錯した。

 監督の真意がなんだったかは、いまとなっては知るすべもないが、このときの言葉がずっと僕を支配している気がする。
 たしかに、そのときからセリフについては、とくに敏感に反応するようになった。
 街を歩いていても、電車に乗っていても、カフェでコーヒーをすすっていても、たえず僕の耳は、周囲の会話に向けられていて、おもしろい会話をコレクトしようとするようになった。

 一時期など、小型の録音機を形態して、気になる会話を録音しようとしたりしたこともある。
 さすがにこれは犯罪になってしまうかもしれないと思ってやめた。
 というより、録音するよりも、頭の中のメモ帳に記録したほうが、効率がいいと思ったからだ。
 これは、ぼくにとっての、セリフ訓練方法だった。

 いまでも、そのころの癖は抜けていない。
 おもしろそうな会話が聞こえてくると、すぐに僕の耳は反応してしまうのだ。

 こないだも、おもしろい会話を聞いた。
 新宿のとあるレストラン。
 某カメラ屋の店員が、昼御飯たべながらはなしをしている。
「遠藤君(仮名)彼女とは、どうなの?」
「いいっすよ。彼女によめっていわれて、ナナ読んでます」
「ナナって、あのナナ?」
「まだいっかんの途中ですけど」
「おれも、いっかん読んだよ。女の気持ち勉強しようと思って」
「へぇ」
「ヌクールウォーズの待合室でよんじゃったよ」
「また行ってんですか?」
「名前かわったけどね。みんな、スゲェ、かわいい子ばっかだぜ」
「いくらなんです?」
「一万七千円。一時間半待ちだったから」
「同じ子ですか?」
「ああ。四日行って、三日同じ子」
「指名ですか?」
「彼女人気だから」
 で、会話は、おなじ店の店員の噂話に変わった。

 少女漫画を風俗の待合室で読む、若いカメラ屋店員は、じつにさりげなくこんな会話をしているのだった。
 僕にとっては、それはけっこう驚きだった。
 二人の会話には、ほとんど感情的なたかぶりとかなくて、すごく平板な口調で、以上の会話がやりとりされているのである。
 いちおう風俗という、非日常体験を語っているというのに、それはまるで晩御飯におにぎり食ったこととおなじような感じでしゃべられているのだ。

 会話というのは、言葉に出してはじめて、そのニュアンスがつたわるものだと思う。
 セリフとして書かれたものだけでは、雰囲気は、完全に伝わらない。
 脚本家は、自分の書いたセリフを、口に出して読んでみることだ。
 できるだけ正確に。
 本当に自分の伝えたいニュアンスが、そこにあるのかを、それを書いた文章で、ちゃんと表現できているかをチェックするためにも。

 ここまで書いて、自分があまりにもくだらない会話を書き留めていることに、あきれた。
 風俗自慢に耳をすましているよりも、目の前のごはんの味を楽しむことに集中しろって感じ。
 でも、こんな習性を持つ脚本家という仕事が、ぼくはわりと嫌いじゃない。

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お手伝い

昨日は、一日、新番組の打ち合わせ。
しかも中国がクライアントの作品なので、プロデューサーは中国人。
とうぜん通訳を介し、おまけにインターネットで、向こうのスタッフとも同時中継しながらの会議となる。
番組の会議も、ようそうが変わったなぁと、しばし感慨にふけった。
二十年前からすると、まるでSF映画のなかだね。
現実は、人間の想像力がつくりだしたものに、つぎつぎと追いついてくる。

いや、もしかしたら逆なのかもしれない。
人間が、想像力によって、現実をつくりだしているのかも。
きっと、そうにちがいない。

想像力は、つまり創造力ってわけか。
なるほどね。

こんなふうに、いつも一人で、ボケツッコミやってる、体感脚本講座のヌシのジャッキーです。

昨日のブログには『教えない』って書きましたが、一回目のブログに、『脚本教えます』って書いていることに気づきました。
なんだよ、いいかげんだなぁ、自分。って、また一人ツッコミ。
いったいどっちなんだよって、言われそうですね。
結論から先に言うと、『気づきの手伝い』ってことですか。

ぼくのやりかたを、みなさんに提示することで、みなさんが自分で気づいていくことのきっかけになればいいと思っているわけです。

脚本の書き方なんて、作家一人一人ちがうわけだし、ちがうからこそ面白いわけだしね。
ぜひ、自分流の脚本の書き方をつくりだしていってください。
この講座は、そのためのジャンプ台になればいいと思います。

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2005年5月 2日 (月)

教えない

ぼくは、脚本の書き方を教えるつもりはありません。

ブログのタイトルを、『体感脚本講座』としながら、いきなりこんなこと言うとすごく矛盾してますよね。
でも、本当に、そう思うんです。

教えることってできないなぁって。

ぼくはこの四年間、新宿にある東放学園高等専修学校というところで、毎年高校生と一緒に芝居作りをやってます。
脚本と演出を担当して、高校生たちと一本の芝居をつくっていくことと、その基礎練習がおもです。
そのなかで、つくづく思ったんですね。自分が彼らにしてやれることって、ほとんどないんだって。
どうしてそういう思いにいたったかっていうことは、ここではちょっとはぶきますけど、結論から言えば、『教えようとしない』ただ、『気づきの手伝い』ならばできるということです。

生徒さんが、自分の目で、自分の体で、感じて、気づいていくことの手伝いならば、少しはできるんだということです。

『自分は無力であるということを、たえず意識すること』
そう自分に言い聞かせて、高校生たちに接してきました。
ちょっとでも自分に権威や、ステイタスがあることを表に出すと、彼らの体は見えないところで緊張し、拒絶を示しはじめます。
たとえ、こちらが攻撃するつもりなど、もうとうなくてもです。
そうなると、もうどうすることもできないんですね。
一緒にいることすら、つらくなっていきます。

これって、実は芝居におきかえると、すごくよくわかります。

役者(教師)と観客(生徒)の関係なんですね。

役者が、舞台でどんなに熱演していたとしても、観客が冷めていたら、役者の熱はちっともつたわっていきません。
役者(舞台をつくるものたち)は、観客が舞台と一つになり、一緒に芝居をつくっていくような雰囲気をつくらなければならないのです。
そして、観客は、舞台上で役者がつくりだす物語を、それぞれに感じていくわけです。
舞台のできは、観客一人一人でまったくちがうものになります。
一人の観客によかったものが、隣の席に観客には不快だったりすることもあるでしょう。

すべては観客にゆだねられているものなんですね。

もちろん役者が伝えたかったものが、観客にちゃんとつたわり、感動という化学反応がおきれば、それは大成功なんですけど、多くの場合は、そんな大成功はおきないものなんです。
『まぁ、よかったね』観客は、そんなふうにつぶやきながら、劇場をあとにしていきます。それから先には、それぞれの現実の生活が待っていて、それに向かっていかなければなりません。

役者にできることは、舞台の上で、その瞬間を精一杯生きることしかないのです。
できることは、ただそれだけなんだろうと思います。

ですから、ぼくは、みなさんと一緒に、おなじ時間を、ただ生きようと思っています。
さぁ、ショーがはじまるよ。

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2005年5月 1日 (日)

主人公のつくりかた2

 昨日は、タップの練習に行った。
 そのあと、ラテンの先生ルイスの主催のパーティに顔をだす。
 おばさまたちが、踊りまくっていた。みんなあきれるくらい元気だ。

 脚本家は、こういうとき、すぐにこんなことを考えだす。
『このおばさんたちは、なにも悩みがなさそうに踊っているけど、本当はそうじゃないんだ。あのおばさんは、実は昨年、夫を亡くしたばっかりで、その悲しみをふりはらおうと明るくしている。あっちの人は、性的虐待をおさないときに受けて、トラウマがあって、毎日悪夢にうなされている。おっと、こっちの人は、実は詐欺師で密かに獲物を狙っている。あそこの人は、実は男……?!』
 存在感のある人々が、脚本家にインスピレーションをあたえてくれるのだ。

 人の数だけ、主人公がいるんですね。

 次にオープニングシーンのイメージ作り。
 彼らを主人公に物語をつくるとしたら、どんなオープニングにしたら、彼らを共感できる存在にできるのか?

 あたまのなかで、こんな遊びをはじめるんですね。
 『主人公作りゲーム』

 みなさんも、このゲームをやってみてください。
 けっこう楽しいもんですよ。
 それにすごく脚本書きのための練習にもなります。

 脚本家にとっては、毎日24時間、すべてが仕事の時間であり、練習の時間であり、楽しみであり、生きている時間です。無駄な時間はいっさいありません。
 できるだけまわりの世界から、インスピレーションを受けやすい体と頭にしておくことは、脚本家のつとめです。

 体のコンディションをととのえておきましょう。
 健康な肉体と精神を維持していることは、とても大事なことです。
 表現のために、必要なこととなのです。

 なんでもいいんです。ぼくはいまタップとかラテンとか踊ったりしてますけど、それらはすべてコンディション作りのため。
 あなたにあったエクササイズをしてください。
 世界があなたに、インスピレーションという、贈り物をくれようとしたときに、それをもらいそこなわないために。

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