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2005年5月11日 (水)

銃弾か天使の指先か

 脚本会議では、脚本家は毎回窮地においこまれる。
 昨日も、かなりおいこまれました。

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 自分の書いたストーリーにたいして、プロデューサーたちが、それぞれの意見をぶつけてくる。
 それがたいていの場合、否定的なニュアンスのものばかり。
『要素が多い』『テーマがわかりずらい』『これはやらないほうがいい』『新鮮味にかける』『焦点がしぼりきれてない』『主人公の目的があやふや』などなど。

 もちろん言い方はソフトになっているのだが、それらの言葉は、まるで弾丸のように脚本家の胸に突き刺さる。
 あまりにも銃弾を受けすぎると、生死にもかかわってきます。
 それらの銃弾は、いくら脚本家が防弾チョッキを身につけていても、そのうえからグイグイとくいこんでくるからだ。

 規模ちがえども、みなさんにも、おなじようなピンチが何度も訪れると思います。
 こういうときの切り抜けかたを、教えましょう。

 まずは、自分のなかのよけいな感情をおさえて、じっと彼らの言葉に耳をかたむけること。
 そして、
 この場所にいる人たちは、みんな自分の味方なんだ。みんな僕のファンなんだ。みんな、ぼくのことが大好きで、ぼくにプレゼントをしてくれてるんだ。

 そう思うのです。
 とにかく、そこにいる人たちの背中には、みんな羽がはえている。彼らは天使なんだと思いこむのです。

 するとどうでしょう。
 いままで銃弾に思えていたものが、とたんにやらわかい天使の指先にかわってきます。
 天使の指先が、やさしく自分をマッサージしてくれているのです。

 天使たちは、まだまだ未熟なぼくを、もっといい場所に導いてくれようとしているんだ。
 どこかすばらしいところに連れていってくれようとしているんだ。

 そう思えてきたら、もうしめたもの。
 会議は、前向きな、楽しいものにかわってきます。

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 そんなにうまいこといくかなぁ。
 そんなのできっこないよ。
 そう思われるのも当然でしょう。
 かくいうぼくも、なかなかうまくはいきません。

 脚本家が、自分の書いたストーリーにこだわるのは、あたりまえのことです。
 何時間も、または、何日もかかって、背中の痛みと、睡眠不足にたえて書き上げた原稿なのですから。
 自分では気に入って、会議の席にもってきたのですから。
 自信作なのですから。

 しかし、それにこだわりすぎると、いい作品にするためのチャンスを失うことになってしまいかねません。
 脚本は、共同作業(演劇にしても、映像作品にしても)を前提してして書かれるものなのです。
 みんなでいいものを作り上げていくための道具です。

 会議では、脚本家は窮地におちいると書きました。
 ここでドラマの基本を思い出してください。

 主人公は、窮地におちいる。(トラブルにある)
 そして、それを一つずつのりこえていくことで、成長し、自分の目的を達成する。
 それがドラマです。

 いいドラマをつくるためには、無数のトラブルが必要なのです。

 窮地のときこそ、チャンス。
 おいこまれたときこそ、自分にシメシメと言い聞かせるのです。
 天使があらわれた。
 自分にチャンスがおとずれたと。
 トラブルを、よろこんで受け入れるのです。

 受け入れることができたら、どんなにかいい状態で、仕事ができるようになるだろうと、ぼくは思うのです。

 ですから、いつも、受け入れたいと思いつづけているわけです。
 みなさんは、どうですか?

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コメント

『受け入れる』ってイタイですよねェ。。。傷つくし。。。でも、受け入れなきゃ始まらないって事もありますよね。私も今、相手を『受け入れる』、弱い自分を『受け入れる』、苦しい状況を『受け入れる』・・・『受け入れる』訓練中です。『受け入れ』て『消化』して+に『変換』出来れば、何かがキット変わりますよね。

投稿: 人見 はる菜 | 2005年5月15日 (日) 00時30分

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