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2005年7月31日 (日)

気分転換

いつもの壁紙じゃなくて、おどろきました?
夏向きのテンプレートがサービスされてたので使わせてもらいました。
まえのテンプレートもすごく気にいってるんですが、ちょっと気分転換。
いよいよ夏本番って感じですね。

ひまわりは、イエローですよね。
なんでひまわりが太陽のイメージなのか、あらためて考えると不思議。
太陽って、イエローじゃないのにね。

ちがう色のひまわりがあったら、どんなんでしょう。
ピンクとか、グリーンとか、ブルーとか。
そんないろんな色のひまわりも見てみたい気もします。

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続・腰痛と膝負傷

前回のブログで、息子の膝負傷の件を書きました。
体感脚本講座のメンバーの方から、はげましのメールをいただきました。
ありがとうございます。ご心配おかけしました。

息子は、完全に手術とリハビリ一年を覚悟していたのですが、どうやら手術は回避の方向に向かいました。
そして、あっさりと退院が許されて帰ってきました。
不思議なことに、痛みもほぼなくなったらしく、いまのところようすを見るということになりました。

退院のときは、膝に装具をつけて、松葉杖で出てきたのですが、家につくなり、わりと普通に動いてます。
本人は、「奇跡が起きた」と言ってます。
不幸中の幸いとは、こういうことでしょう。
またしばらくすればスポーツできるということの幸せをかみしめているようです。

それで、僕のほうの腰痛のほうですが、こっちはさっぱりよくなってません。
マッサージに行って、入念にほぐしてもらったのですが、なかなか改善されません。
深いところにコリがあるようで、なかなかマッサージではとどかないようですね。
まだ針はやったことがないのですが、一度やってもらおうかとも考えてます。
体に針をいれるのは、ちょっと怖い感じがしますが、いろいろ聞くと、かなり効果的な場合もあるということですね。

でも、痛みがあると、自然にそれを意識して、姿勢を良くしたりするという効果があります。
ストレッチとかも頻繁にやるようになりました。
自分の肉体を意識させるという意味では、痛みは重要な役割をしているんですね。

人生においても、多少のトラブル(痛み)は、生きることの意味や大切さを、われわれに自覚させてくれる、素晴らしい味方なのかもしれませんね。

今回の入院騒動で、仕事をキャンセルしたり、ライブ版体感脚本講座も休んだりしてしまい、いろんな方にご迷惑をかけてしまいました。
リカバリーするために、これからもっとがんばらねばと思います。

猛暑の夏になりました。
寝苦しい夜がつづきますが、みなさん体には気をつけましょう。

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2005年7月29日 (金)

腰痛と膝負傷

このところ腰がずっと痛い。
左の腰。
もともとここにコリがあって、たえず違和感はあったのだが、この一週間ほどかなりの痛みをともなうようになってしまった。
ちょっと同じ格好をしていたりすると、次に動き出すときに、痛みが走る。

ぼくたち脚本家は、机の前に座っているのが仕事みたいなもんだから、腰痛持ちの人は多い。
ついに僕も腰痛持ちになってしまった。
これでやっと一人前か。

左腰から、左の尻腿あたりまでに、ちょっと違和感がある。
足からきている腰痛なのか、腰痛から足にきているのか、自分ではよくわからない。
マッサージとかには前からよく行っていたんだけど、今回ばかりは、あんまり効かないみたい。
よけいに痛くなった感じさえある。

いちおう演劇人なんで、アレキサンダーテクニックとかかじってはいるし、ヨガとかやってはいるので、自分で内側からなんとか治してみようと思っている。

腰の痛みに耐えながら、仕事のプレッシャーと戦っていたら、バスケットの合宿に行っていた息子が負傷したとの連絡がきた。
左膝をやったらしい。
しかも、診断は前十字靱帯断裂。
こいつは重傷だ。

息子は、自分の状態が、さほど重傷とは思っていないらしかった。
しかし、足首から腿のつけねまで、ギプスに入れられてしまったという。
それを聞いて、早く戻ってこさせて、こっちの病院で治療したほうがいいと思った。
前十字靱帯断裂の場合、手術しか治療の方法はないと聞いていたからだ。
しかも、かためていてはまずいらしい。

知り合いに紹介してもらった膝の専門家のところに連れていくことにした。
翌日、すぐに息子を呼び戻して、そのあしで病院へ。
仕事の予定は、すべてキャンセルだ。
関係者のみなさま、本当にもうしわけない。

川崎にある病院までタクシーで向かった。なにしろ、片足ギプスに入っているので歩けないのだ。
息子は、184センチあるので、支えるだけでも体力がいる。
こっちは腰が痛いっていうのに、なんでこんなときにと、心のなかでブツブツいいながら、でっかい息子をかかえて行った。

ギプスをきってもらって、膝固定具のブレスにかえてもらい、診察をうける。
膝から60CCも血を抜いているのは、ほとんどまちがいなく前十字靱帯断裂らしい。
それを治すには、手術しかないといわれて、息子は顔面蒼白。
すっかり落ち込んでしまった。
しかも、リハビリには一年くらいかかるといわれて、ショック増大。

しかし、周囲には、同じような手術を受けたと思われる患者の人たちが、診察待ちをしていて、すごく膝の怪我をする人が多いということを知った。
とくにバスケの選手とかに多いらしい。

とりあえず入院ということになって、いきなり入院することになった。
まさかそんなことになるとは思いもしていなかったので、あたふたしてしまう。
外科病棟が満員だったので、内科の病棟に入ることになる。
なにしろ息子の前にも、同じように膝を負傷した人が3人もいたらしい。息子で4人目。
いったい毎日、何人が膝の靱帯を切っているんだ!

病室にはいってしばらくして、MRIの撮影をすることになる。
膝の断面図とかを撮影するやつだ。
そのあいだ、入院の準備。
買い物行ったり、手続きしたりして、バタバタ。

あっというまに夕方になってしまっていた。
会議室のようなところに呼ばれて、診断を受ける。
すると医者が、首をかしげている。
MRIに、断裂しているようすが映っていないらしいのだ。
えっ、じゃあ、どういうこと?
手術しないでもいいってこと?
いきなり息子の顔が明るくなった。
しかし、どこかが損傷していることにはまちがいないので、しばらく入院して様子をみるということになった。

そういうわけで、彼はいま入院している。
そして、僕の腰は、ますます痛みを増したのだった。

しかし、今回、膝のこととか、病院のこととか、少し詳しくなった。
この経験が、いつか脚本にいかすことができるんじゃないかなぁ。
そんなふうに思えば、あらゆる体験が、ポジティブに変わっていく。
そのほうがいいよね。

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2005年7月26日 (火)

追悼・岡八朗

ネットのニュースにアクセスしたら、岡八朗さんの訃報が載っていた。

往年の吉本新喜劇の大スターだった人だ。
子供のころ、僕が住んでいた九州でも、毎週土曜日は吉本新喜劇が放送されていて、僕はそれを見るのが大好きだった。
そのとうじ、岡さんは、ほとんど主役を張っていて、得意のギャグで、僕を笑わせてくれていた。
僕にとっての吉本新喜劇は、岡八朗だといっても過言ではない。

関東に住むようになって、吉本新喜劇があまり見れなくなったのと、お笑いのスターたちも世代交代がすすんで、岡さんの姿を関東で見ることは、ほとんどできなくなっていた。
それでも、まだまだ元気でいらっしゃるのだろうと思っていたのに……

岡さんのギャグの一つに、自分のくぼんだ目をネタにしたものがあった。
オクメ。
自分の体の、あまりかっこうのよくないところを、逆手にとって、それを誇らしげにギャグのネタにする。
それは少年時代の僕にとっては、衝撃的なことだった。

自意識過剰気味で、自分と人とがちがうことが恥ずかしかったり、自分の容姿を気にするようになっていた僕には、岡さんのギャグは、信じられない光景だった。だが、それが面白いのだ。そして、それをしている岡八朗が、なぜかかっこよく見えるのだ。
そう、岡八朗は、ぼくにとってはヒーローだった。
岡八朗は、新喜劇のなかで、いつも恋をしていた。
そして、その恋は、たいていかなわぬことになるのだが、それでも岡八朗は愛すべき人物でありつづけるのだ。

すばらしい喜劇人が、また一人、鬼籍の人となった。
きょうは岡八朗のギャグを思い出して、もう一度笑いたい。

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2005年7月25日 (月)

消息を絶つ

『消息を絶つ』とは、物騒なタイトルだけど、これはテレビドラマのタイトル。
よみうりテレビで放送されて、ネット配信もされてる、よみうりテレビの番組。
舞台演出家でもある、G2さんの、脚本演出。

その番組に、二人も知り合いが出演しているのだ。
一人は、主役の西村りさ。
もう一人は、バーのマスター役で渡猛。
この西村りさも、高校の教え子。
今年卒業したばっかりの2期生。卒業公演では、お世話になりました。
彼女も、高校の在学中からいろんな芝居に出演して、役者としてのキャリアを積んでた実力派。
これからもっと活躍して欲しい期待の女優さんです。

渡くんは、去年一年間、僕の高校の授業のときにアシスタントをしてくれた、即興男。
これまた卒業公演では、お世話になりました。
いまは東京コメディストアというユニットで、インプロのライブショーをしています。

二人も知り合いが出ているとなると、これはみないわけにはいきません。
関東地区では放送されてなかったので、ネットでダウンロードして第一回を見させていただきました。
URLは、http://bb.goo.ne.jp/special/syousoku/
推理仕立ての、ほとんど個室ドラマ。
まるで舞台をのぞいているような面白さがありました。
われらが西村りさの芝居もたっぷり楽しめます。
推理物なので、解決編が気になるところですが、これはダウンロード有料になるみたい。

これから、こういうネット配信で、新作ドラマなどを見る時代になるんだろうなぁ。
そんな思いが強くなりました。
そういう意味では、この作品は、ネットで見るということをあらかじめ計算したうえで作られているように感じます。
G2さん、さすがです。

ぼくも、脚本家として、いくつかの作品にかかわっているので、ドラマ作りの現場の事情などは、多少はわかっているつもりです。
みんな厳しい条件のなかで、戦っています。
スケジュールとか、予算とか、もろもろね。
そんななかで面白いもの、多くの人に見てもらえるものをつくっていかなければならないというのは、本当に大変なことです。
面白いものをつくるためには、なによりも脚本が大事。
体感脚本講座は、そんな面白い脚本にすこしでも近づけるようにと、がんばる脚本家を応援します。

って、本当は、自分が一番、応援してもらいたいのかなぁ。

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2005年7月22日 (金)

ウルトラマンのヒロイン

小田急線の改札で、ウルトラマンのヒロインに出会った。

ぼくが、晩御飯のスープをぶらさげて、改札を抜けると、そこに彼女、ミズキ隊員があらわれた。
新宿南口に、怪獣が出現していたわけではない。
ウルトラマンもいなかった。
科学特捜隊の出動ではなかったようだ。

実は、この7月からはじまったウルトラマンマックスの、ヒロインのミズキ隊員を、僕の高校での教え子である長谷部瞳が演じているのだ。
すっかり大人びて、きれいになって女優オーラをはっしている彼女を見ると、女の子の十五歳から二十歳くらいって、すごく成長するんだなってことを、実感です。
まるで親御さんになったような気持ちで、彼女が女優として成長していくのを、喜びました。

高校で演劇を教え始めて、もう五年になる。
卒業生も、2学年おくりだした。
このなかには、俳優をめざして、大学や専門学校にすすんでいる子たちもいる。
もちろん俳優への道ではなく、ちがう道のほうに歩みだした子も。
みんな、どうしているんだろうなぁ。
一緒に芝居をつくっていた日々を、ときどき思い出す。
彼らにとっての青春の日の一ページのどこかに、僕を入れてくれてたら、うれしいんだけど。

今日は、高校での前期授業の最終日だった。
3年生には、いつものように、インプロの練習からはじめて、そのあと脚本講座をやった。
簡単に物語をつくれる方法を伝授する。
そして、それぞれの生徒に、物語のタネをつくってもらう。
それを、彼らがやる卒業公演の台本に反映させようと、もくろんでいるのだ。
もちろん彼らには、そういうもくろみのことは言ってはいないんだけど、物語作りの面白さを体験してもらうのはできたんじゃないかと思う。
 このなかから、いつかすごい物語作家が生まれないともかぎりません。

2、3年生のアフレコ志望のクラスでは、感情表現の練習をする。
いくつもの感情表現をやってもらって、それにたいして、何を感じたかを語り合う。
どんな感情が出しやすく、また、出しにくい感情は、なんだったのか。
そういうものに自分で気づかせるように誘導していく。
そして、そんな感情表現を、いろんなときに、採取して、自分の心の引き出しにいれてくれるように提案。
夏休みに、表現の引き出しに、いろんなファイルをふやしてくれればいいなぁ。

みなさんも、自分のなかに、いろんな感情が生まれたとき、自分がどんな顔をしているか、どんな行動をとっているか、どんな動きをしているか。
ちょっと観察してみてください。
そうすれば、その感情に捕らわれたり、しがみつかれたりすることもなくなります。
悲しみや、憎しみ、怒りなんて、いつまでもっていてもしかたないですからね。
そういうものは、さっさと引き出しにしまってしまいましょう。

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2005年7月20日 (水)

歌う脚本家

歌った!
小西真理さん主宰のミュージックノットに参加して、発声からコーラスを習ってきました。

発声練習から、一曲を選んでのコーラスまで、一時間半、たっぷり楽しませていただきました。
呼吸について、このところ考えているので、歌のための発声練習も、インスパイアされることばかりです。

やはり体の無駄な力を抜いて、リラックスして、発声することが一番大事だということは、ヨガの呼吸とも通じるもの。
喉をひらいて、ため息をする感じで、それに声を乗せていく。
スムースに、声がでるのを実感。

ピアノにあわせて、音程をとりながら、声を出す。
自分の音程があっているのかどうか不安になるが、音が気持ちのいい感じというところに集中していくと、自然と音もあっていくような気がする。
とにかくよけいな力を、体から抜いていくことに集中する。

今回、歌ったのは、ウルフルズの『バンザイ』
気持ちよく、イェー! ってな感じで、歌わせていただきました。
大声だして、歌うのは、それだけでストレス解消になります。
それにハモって歌うのは、さらに気持ちがよい。

最初のうちは、ハモるっていう意味さへもよくわかってなかったんだけど、何回かやらせてもらうちに、なんとなく気分のいいハモりがわかるようになってくる。

インプロダンスの時にも感じたんだけど、他の人の出してくるものに、あわせていくことの気持ちよさを体感しました。
芝居のなかで、インプロで歌を歌うということも可能かもしれないと思いはじめました。

また、ためしてみたいことを発見した感じです。
芝居のなかに、即興のダンスと、即興の歌がくわわったら、どんな作品になっていくんでしょう。

いま書いているアニメのシナリオにも、なんかそういうノリを活かしてみたいと思います。
作品づくりは、一つのところにとどまっていると、硬直しがちです。
たえず移動して、たえず自分に刺激をあたえ、変化しつづけることが大事だと、僕は思います。

変化すること。
それは、あたらしい機会(チャンス)を生みます。
チェンジは、チャンスになるんです。

自分が硬直してるなと感じたときは、恐れないで、どんどん変化してみましょう。

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2005年7月19日 (火)

呼吸の大事さ

ヨガをやっていると、呼吸の大事さを、あらためて気づかされる。
呼吸。
それこそが、人間にとって、もっとも原初的であり、もっとも大事なコミュニケーションだったのだと。

人は、呼吸で、世界とつながっている。
自分意外のもの(大気)を、吸いこむことで、自分の中にとり入れ、次に吐くときには、自分の内側を一回通ったもの(吐息)を、外に出すのである。
こんどは、誰かが吐いたものを、誰かが吸いこむ。

これって、空気をつかっての間接キッス。
世界中の人が、みんなで間接キッスをしてるってことだよね。
ウワーぁ。
そう思うと、なんだかこの星全体が、濃密な関係でつながっているような気がしてきます。
ラブラブだぁ。

ただ、この間接キッスは、個人の意志とは関係なく行われてしまうものだから、ときどき神経を逆撫でしたりします。

それのもっとも顕著な例は、他人のおならを嗅いでしまったときの感覚。
ただ臭いってだけじゃなく、憎しみすら感じてしまうことがありますもんね。

でも、それが愛している人だったり、親しい人のおならだったら、ぜんぜん嫌悪感を抱くこともなく、笑顔にすらなれたりします。
これはおならが、その人の体内から出てきたもの。
つまり他人の存在そのものだから起きる感情でしょう。
他人の体から出てきたものという点では、言葉と同じなんです。

目には見えない存在だけど、言葉と同じくらいの存在感をもった、コミュニケーション能力をもったものなのなんでしょうね。

なんだか変な話(シモネタ)になってしまいました。
呼吸の話を書こうとしていたら、おならの話になっちゃった。

呼吸の話にもどります。
このところ、どうして自分が呼吸のことを、こんなに気にしているんだろうと思っていました。
ぼくたち脚本家や作家は、そのとき心にひっかかっていることが、深いところ(潜在意識)で、自分がいま書こうとしている作品とつながっていることがあります。

今回、ぼくが、どうして呼吸のことが気になっているのか。
それは来年の映画のテーマの一つとして、呼吸が大事なキーワードになりそうだったからです。
ストーリー的には、まったく呼吸のことなど出てきたりしていないんですが、それがわかったとたん、いろんな要素が、一つにつながっていることに気づきました。
今回、自分は、呼吸について書こうとしているんだなということが。

呼吸についての物語。
それがどんなものになるのか。
お楽しみに。

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2005年7月18日 (月)

芝居とダンス

JOUさんの、ダンスワークショプに参加してきた。
初心者のための、インプロダンス。
JOUさんは、体感脚本講座の生徒さんでもある。
講師と生徒が入れ代わって、今度は教えてもらう側だ。

体のウォーミングアップにつづいて、インプロダンスに通じる簡単なウォーミングアップをやっていく。
参加者たちは、それらが、あとでダンスにつながっていくということを意識しないままやっているのだが、そのウォーミングアップ自体がおもしろいので、笑いながら体を動かしていくことができる。
ぼくも、即興を高校生たちに教えたりしているので、いろいろと参考になることがある。
はっきりいって、盗めるところばかりです。

今回は、参加者が二十名近くだったのだが、ほとんどが演劇経験者だった。自分を解放して人前で何かやるということに、抵抗感の少ない人がほとんどだったので、スムースにワークショップは進んでいく。
指導するJOUさんも、やりやすそうだった。

コンテンポラリーダンスといっても、どういうものか知らない人もいると思います。
うーん、僕にも、説明するのは難しいっス。

今回のワークショップでは、何人かのチーム全員で、ダンスらしきものをつくっていくという過程を体験しました。
これは前回もやったことなんだけど、今回は、前回よりも理解がふかまった気がします。
言葉で書くのは、非常に難しいですね、ダンスの稽古で何をやったかを表現するのは。
言葉で表現できないから、肉体と音楽で表現するのが、つまりダンスなんでしょうね。
すみません、うまく書けなくて。

でも、これだけは言えます。
なんでも体験しなければ、見えてこないこともあるってこと。
ふだんは自分の近くにないことでも、興味をもったら、思い切って飛びこんでいってみてください。
自分のやっていることにも、かならずフィードバックできることを、発見できると思います。

今回は、ダンスにつづいて、岩井君の劇団ハイバイのワークショップに参加しました。
そこでは、岩井君が稽古用に書いた台本を、役者たちがいろんな形で演じていくというものなんですけど、今回は、ダンスのワークショップから取り入れた動きを、その演技の間に入れてみるという試みをしてみました。

芝居の感情の高まりと同時に、その心境をダンスで表現してみるというものです。
よくわかる例を言うとしたら、ミュージカルでは、芝居の途中で歌と踊りになりますよね、それのコンテンポラリー(インプロダンス)版です。

これが面白かった。
芝居の途中に、いきなりおかしなダンスがはじまって(役者たちの即興ダンス)、ひとしきり踊ると、また芝居に戻っていくというもの。
理由はわからないけど、ほんとになんだかおかしくなるんですね、このシーンが。
これは、大発見でした。

発見したものを、さらに押し進めていけば、それはオリジナリティになっていきます。
きっといつか、この面白さを、みなさんにも見せる機会があると思います。

こんなふうにワークショップとかの話題ばっかりブログに書いていると、ちゃんと仕事しているのかと思われてしまいそうですが、ちゃんと脚本の仕事のほうもやってます。
実は、ますます脚本の仕事が好きになってきているんです。
いろんなことをやればやるほど、やっぱり物語、脚本が大事なんだということの確信は強くなっていきます。

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2005年7月17日 (日)

3年2組

  今日は二つめのブログ書きこみです。

 ポケモン見たあとに、吉祥寺シアターに行ってきました。
 矢内原美邦プロジェクト『3年2組』の公演を見ました。
 体感脚本講座のメンバーの一人、岩井君のお誘い。
 「映像とダンスとセリフのパフォーマンスで、最近、けっこう注目されてますから、見に行きませんか」
 なにかインスパイアされるものがあるような予感がしたので、忙しいけど、行くことにしました。

 吉祥寺シアターは、すばらしい劇場でした。
 ヨーロッパとかで、見たことのあるコンプレックスシアターで、いくつかのスタジオが一つの建物に入ってるようす。
 今回のパフォーマンスが行われるスタジオも、高さと広さも、いい感じ。
 観客席も、見やすくできていて、すごく好感のもてるステージ。
 自分もこういうところをつかって、何かやってみたいと、そそられました。
 武蔵野市、よくやった。

 さて、公演は、開演前から舞台に紙吹雪が降り注いでいて、美しいステージの空間が際立ち、期待感をそそる。
 舞台の中央奥に、おかれた紗幕に、映像が映し出されて、そのなかに役者が飛びだしてきて、ものすごいスピードでセリフを吐き出し、記号化された踊りのような動きで、リズムをつくっていく。
 セリフは、小学生なのか、中学生なのか、作者の個人的な思い出のようなものが語られていく。
 その内容を、ここで紹介するのは、言葉が足らずにできないんですが、スピードとエネルギーとポエジーとダンスの混沌の中に、誰しもが持っている青春の思い出が泳いでいる、って感じです。(すんません、なんだかわからない表現で)

 劇団ハイバイに前回出演していた、稲毛礼子が、役者として参加していた。
 ワークショップでからんだことがある彼女が出てきただけで、僕は一気に、親しみを持って見ることができるようになりました。
 稲毛さんは、まだ年齢は若いのに、おばさんみたいな腰の座った演技のできる、独特の雰囲気を持つ女優さん。
 彼女が出演していることを聞いていなかったので、なんだか嬉しくなってしまいました。
 やっぱり舞台は、客席との距離感というのが大事です。
 知っている役者が出ているということは、この距離を一気につめてくれます。

 今回の作品、ぼくは、とても面白かったんだけど、一緒に行った岩井くんは、どうもだめだったみたい。
 その理由も、ぼくにはよくわかる。

 まず、役者のセリフで、聞き取れないものが、すごく多かったということ。
 演出家は、それでもいいと思ってやっているのは、わかったんだけど、それはすごく挑戦的なことなんですね。
 演劇を見に来る観客というものの多くは、役者やストーリーによりそって、物語を役者たちと一緒に体験しようと思って、劇場にくるものなんですね。
 セリフは、聞こえて当たり前と思ってるわけです。
 セリフというのは、役者やストーリーを、自分のものとするための、観客がもちうる唯一の手がかりなわけだから。
 それが聞こえないとなると、もうそれだけで、突き放されたような気分になったりします。
 それでも、何かを感じろと、いうのは、観客への挑発と感じられてしまうこともあるのです。

 セリフを聞かせたいのか、結果的に、聞こえなくなっているのか、それとも、聞こえなくてもいいのかという点は、はっきりしておくべきだったのでしょう。
 そのあたりの、見極めが、中途半端だったのかもしれないと思いました。
 セリフのスピードを要求され、そのために自分の能力の限界を超えてしゃべり、そのせいで、セリフを観客にとどけられなくなってしまっている役者もいました。
 それは実は、役者にとって、すごく不幸なことなんですね。

 演出家は、それでもいいと思っていても、この作品だけを見た観客は、その役者が、だめだって思ってしまうことになりかねないからです。
 だめ役者のレッテルを張られてしまうかもしれません。
 セリフをまともにしゃべる技術がない役者だと。

 もちろん、今回、僕がそんなことを思ったりしたわけではありません。
 役者は、聞き取れないであろうことを、わかったうえで、それをしていると、好意的にとっていました。
 でも、きっと、そうはとれない人もいるだろうということです。

 このあたりのことだけが、残念に思ったところでした。

 来年の2月に、高校生の芝居をつくらなければならないんだけど、エネルギーとスピードでぐいぐい押していくような芝居は、高校生とか大学生とか、若さがはちきれんばかりの人たちで、やると面白いんですよね。
 若さは、それだけで、美しかったり、微笑ましかったり、無邪気な浄化作用をもっていたりします。
 そんなものを、見せたいと思っている僕にとって、今回の『3年2組』の公演は、とても共通する思いを感じました。

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映画公開

IMGP2218 昨日は、ポケモン映画『ミュウと波導の勇者ルカリオ』の公開初日だった。
舞台挨拶のある銀座マリオンに行ってきました。
毎年のことだけど、この日は、いつもドキドキです。
面白さはちゃんと伝わるのだろうか?
お客さんたちは、どんなふうに映画を見てくれるのだろうか?
期待と不安で、いっぱいになってしまいます。

映画館で、映画を見ながら、お客さんたちの反応を感じます。
楽しんでくれてるかどうか。
一番後ろの通路で立ったまま。

実は、毎年、出来上がったものを見ると、あそこはこうしておけばよかった、とか、もっと面白いセリフが書けたんじゃなかったか、とか、構成はこれでよかったのか、とか、いろんな思いが胸に浮かんできて、少し情緒不安定になってしまっていました。
もちろん毎回、映画の出来には満足してはいるんですけど、作り手側としては、反省点はかならず出てくるものなんです。

今年はIMGP2212、情緒安定したまま、見終わることができました。
イメージ通り。
ぼくが脚本を書いているときに、思い浮かべていた映像が、スクリーンの上にきっちりと描かれていました。
面白かったです。

お客さんの反応も上々。
喜んでくれていたみたいでした。
本当に、ほっとしました。

あとは興行成績が伸びてくれるのを祈るのみ。
映画の出来不出来にかかわらず、興行成績が良いか悪いかで、作品作りにかかわった人たちが、満足感を味わえるかどうかはかわってきます。
もちろん成績が良くなれば、みんなニコニコになれるってわけです。
そうなるといいなぁ。

今回の脚本は、実はオーソドックスな構成を取ってはいません。
脚本のルールなんていうものが、もしあるとしたら、そこからはかなり外れたものになっていると思います。
ぼく的には、かなりアクロバット的な脚本でした。
アクロバットは、失敗をしてしまうというリスクもあります。
でも、あえて、それに挑戦してみた作品でした。

でも、そういう脚本アクロバットに、挑戦させてくれた監督に感謝です。
湯山監督の理解と、アドバイスがあったから、できた作品だと思います。
それがなかったら、僕一人では、けっしてできませんでした。

映画初日は、じっさいには、一年も前にやっていた作業のことを、昨日のことのように思い出させてくれるのでした。IMGP2229

メインの声の出演者たちのみなさんと、エンディングテーマ曲を歌ってくれたパフィのお二人の舞台挨拶も、楽しませていただきました。
楽屋におじゃまして、一緒に写真を撮ってもらってはしゃいでしまいました。
みなさん、いい人たちでした。

初日打ち上げが、近くのレストランであったので、行ってきました。
実は、8年目にして、この打ち上げに出たのは、はじめてです。
おいしい中華料理をいただきました。
関係者の人たちの挨拶も、みんな前向きなものばかりで、よかったなぁと思っていたんですが、今度はしだいに来年の作品に対するブレッシャーに感じてきて、少し落ちつかなくなってきます。

これだけたくさんの人たちがかかわっている映画という産業の起点を作らなければならない、脚本家という仕事には、こういう大きなプレッシャーがのしかかります。
でも、それをプレッシャーにしているのは、自分なのだ。
自分の中の不安が、それをプレッシャーにしているんだと、自分に言い聞かせます。
これは応援なんだ。
みんなが応援してくれているんだ。
そういうふうに思って、まずは自分が本当に楽しむこと、目の前にいる、たった一人の人を楽しませること、それを大前提にして、次の作品にとりかかることにします。

今日は、なんだか決意表明みたいなブログになっちゃいました。

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2005年7月15日 (金)

自分と出会う

このところ、なんだか忙しくなって、毎日早くから、遅くまで駆け回っています。
眠気と頭痛をおさえるために、頭痛薬を服用したりして、あんまりいいことじゃないなとは思っているんですけど、痛みが起きるよりはいいか。
痛みには、弱いぼくです。

昨日、朝から晩まで、何かしながら三食パンを食ってました。
野菜もとらにゃあかんよ。
と、田舎の母の声が聞こえます。

何をしているのかというと、映画の脚本とテレビの脚本の調整と執筆。
それだけならばいいんだけど、打ち合わせというのが、大変なんです。
脚本は、映像をつくるためのものなので、多くのスタッフとの調整が必要になるわけなんですね。
それが面白いから、この仕事をやってるわけなんだけど、重なってしまうと、時間と体が足りなくなって、こまってしまいます。
でも、所属のないフリー人生なので、そこはなんとか自分でコントロールしていかなければなりません。
ぼくの場合は、高校で、授業もやっているので、その生徒たちたちのことも考えねばならず、さらに大変になってます。
なんか大変自慢してるみたいで、へんですね。
やめましょう。
もっとポジティブにいかなきゃね。
こんなにいろんなことができて、ぼくは幸せです。

昨日の体感脚本講座は、7回目なので、いきなり書き手にとっては、ハードルの高い課題を出してみることにした。
もちろんたっぷりウォーミングアップをやってからだから、いっけん高いハードルを、ひくーくしてから、飛ぶようにしてるんですけどね。
一人でやるときは、自分なりにウォーミングアップをしてからやってみてください。

その課題とは、『自分と出会う』
今の自分が、なんらかのはずみでタイムスリップして、過去の自分(8歳から15歳の間)と出会うという状況になる。
そのときに、どういう会話をすることになるのか。
そのシーンを、20分で書いてみる。

参加者全員、一気に書き上げました。
いーや、ほんとに面白いシーンが、いくつも出来上がりました。

次に、
できあがったものを、作家が指名して、参加者の中から二人の読み手を選んで、それを読んでもらいます。
そして、それを聞いて、何を感じたか、自分のなかにどういう感情がおきたか、他の人たちはそのシーンを聞いていて、どう感じたかを、話し合います。
ここまでが、今回のワークです。

人は、普段自分のことをは、自分が一番わかっているつもりで、自分のことは、ほとんど見ていなかったりします。
このワークをすることで、自分というものが、どこから出発したのかということを、再確認することになったり、ふだんは気づかなかった自分に、気づいたりということがおきます。

あと、このワークのいいところは、執筆のときに、いろいろ余計なことを考える余裕がないので、本当の自分が書いたシーンに素直に出てしまうということです。
作家がもっているリズムや、独自の会話のニュアンスなども、よく出ます。

気がついたものや、感じたものを、どう使っていくのかは、あとはその作家しだい。
たまには、自分と出会ってみるというのもいいもんです。

と、今回は、ワークショップの内容を紹介しました。

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2005年7月12日 (火)

さらば、橋本

やっぱり無理していると、つけが出てしまいますね。
このところ、急に仕事が忙しくなってしまい、睡眠を取らずに仕事したり、そのままワークショップに出たりして、無理してました。
体は正直です。
精神的には、大丈夫だと思っていても、ちゃんとコントロールできてませんでした。
風邪ひいたようです。

今日は、朝から喉が痛かったり、鼻水がでたりで、あきらかに風邪の症状。
すぐに弱気になってしまうぼくは、葛根湯を飲みました。
すぐに薬にたよってしまうところは、まったく健康的じゃありません。

それでも、打ち合わせにいって、長時間、冷房の下で耐えてました。
すると、ますます具合が悪くなるから、泣き面に蜂。

ふと、急逝してしまった、プロレスラーの橋本選手のことなどが頭をよぎったりして。
プロレスラーというのは、もっとも演劇的なアスリートたちです。
ある種のインプロ演劇に近いものが、プロレスのなかにはあると、ぼくはずっと思っていました。
ただ単に肉体的に強かったり、技があるというだけでは、真のプロフェッショナルなレスラーにはなれません。
どう観客の感情とつながるか。
どう観客を面白がらせるか。
そういう観客とのコミュニケーション能力が、プロには問われます。
この点で、プロレスラーとは、役者でもあらなければならないわけです。

橋本選手は、そういうプロの一人でした。
まだまだこれから活躍の舞台はあったはずなのに、残念です。

ただの風邪だと思って油断しちゃいけません。
だいたいの重病は、風邪だと思うところからはじまるわけですから。
ぼくも、さっそくいろんなサプリとか買ってきました。
まずはヨガやって、体をととのえて、栄養補給して、たっぷり眠って、明日の仕事にそなえたいと思います。
みなさんも、体には気をつけてくださいね。

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2005年7月11日 (月)

おどるJOU

ハイバイワークショップに参加してきました。
ハイバイは、ぼくの体感脚本講座に参加してくれている岩井秀人さんの主宰する劇団。
つぎの公演にむけて、稽古がはじまっている。
ぼくは、脚本のアドバイザー的役割で参加することになったのだ。

そこでコンテンポラリーダンスの、ウォーミングアップ的稽古をしてきた。
指導してくれるのは、JOUさん。
おどるJOUとして、世界で活躍するダンサーさんだ。
そして、これまた体感脚本講座に参加する生徒でもある。

体感脚本講座をとおして、すごく優秀でユニークで、才能ある人たちとの出会いがつづいている。
プロデュースしてくれたELITEの金丸さんに大感謝だ。

コンテンポラリーダンスは、あまり身近ではないけど、ときどきパフォーマンスを見ていた。
今回、初歩の初歩だと思うんだけど、即興的ダンスの成立の瞬間と、ダンスにおける空間感覚の体験をさせてもらって、すごく興味深いものを感じた。
空間芸術という点において、やはりダンスも演劇も、おなじだということ。
いくつもの共通点がそこにある。
ここで、それを一つ一つ書いていってもしかたがないので、ここまでにしますけど、僕にとっては、かなり刺激的な体験でした。

演劇の練習においても、コーチングの大事さというのは、つねづね感じていることなんだけど、ダンスにおいても、それは同じだった。
プレイヤーというか、ダンサーの身体的感覚を、鋭敏にさせて、自分で大事なことを気づかせていくには、コーチングがとても大事だ。
もちろんコーチングする側が、まちがった方向性を持っていては、もともこもなくなるので、コーチをする人間は、その表現を深く理解しておかなければならない。
体感脚本講座のコーチとして、責任感とともに、さらに勉強していかねばならないなと、自分に言い聞かせました。

そのあと、JOUさんが、はじめて書いた小説を読んでくれというので、持って帰って読んだ。
処女作を、いきなりダンス雑誌に連載してしまうという。
ダンスをテーマにした、短編小説。
やはりダンスをやっている人でなければ書けないと思われる、身体感覚の詩情あふれる小説だった。
ダンサーが小説を書いた。
いいんじゃないですか。

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2005年7月10日 (日)

カンヅメ

仕事で、一晩、ホテルにカンヅメしてました。
もちろん寝ないで、プロット作り。
やっぱり、時間はかかります。
やっばり、眠たくなるもんです。

そんでもって、なんとか昼間までに、方向性だして、監督とプロデューサーに渡して帰ってきました。
じつは、前の晩も、テレビの脚本書いていて、4時間くらいしか寝てなくて、もう限界でしたわ。
ふつうは7時間くらい寝ないとだめなのよ。

背中はガチガチだし、体に悪いっス。
シャワーもあびてなかったし、よくやるなぁって自分で自分をほめました。

でも、こういう体験も、たまには面白いです。
なんとかなるって感じです。
なんか、文章にも力がないし、思考力が停止してる感じですね。
こういうときは休まなきゃならないんだけど。
これから芝居のワークショップだぁ。

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2005年7月 7日 (木)

ヨガがよか(九州弁)

じつは、このところ情緒不安定、プチ鬱だった。
ほんのちょっとしたことで人間は、不安定になってしまうものだ。
いくらぼくが天然系でも、たまにはそういうことになる。

三日間は、じっと耐えてたんだけど、こりゃなんとかしなきゃと思いました。
仕事はすすまないし、いいことないんだもん。
それで、何をやったかというと、いま流行りのパワーヨガ。

じつはヨガは、五回ほど習ったことがあって、とてもいいことがわかっていた。
ヨガをやった日は、すごくすっきりしてなんだか調子がよくなるのだ。
でも、一人ではまだやったことがなかった。
で、やってみましたよ。
CDの先生の声にあわせて。

やっぱり、すっきりしちゃいました。
汗もかいて、気持ちも、すごく安定してくるし、その日一日、元気でいられます。
うーん、こりゃ、やっぱすごい。

もともと呼吸法とかには、興味があって、むかしから「臍下丹田に力をこめる」なんてことをやってました。
中学高校と陸上部で、長距離やってたんで、呼吸法で持久力もかわってくるってことを、体感的に知ってたしね。
それでヨガって、その中心は、呼吸にあるってことがわかってからは、なおさらヨガの深さを感じてるわけです。
すべては呼吸のなかにあったということです。

心と体をコントロールするために、もっとも効果的で、早い技術は、呼吸法でしょう。
ヨガは、その効果を知り尽くしたインド人たちが、長い時をかけてつくりだした技術なんですね。

これは脚本書きに使わない手はないと思いました。
執筆のための精神のコントロールに、ヨガを使ってみるのです。

ヨガをやって、心と体の調子をととのえ、その間に、イメージトレーニングで、執筆がどんどん進んでいるイメージをつくりあげておけば、いざ机についてからは、スイスイと気持ちよく仕事ができるカモ……

まずは、ぼくがためしてみますね。
まぁ、脚本の進行が同じだったとしても、体のためには確実にいいわけだし。

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2005年7月 5日 (火)

忍者の芝居

Neo Maskという劇団の旗揚げ公演を見てきた。
忍者の芝居である。
忍者軍団が、舞台をころがり、かたなをブンブンふりまわす。
鍛えられたからだの男と女が、肉体をぶつけあう。
殺陣を中心にすえた、かっこいい芝居だった。

子供のころに忍者ごっこをして遊んだ身としては、こういうの大好きだ。
また、いろいろと考えることも多かった。

なんでこの劇団の芝居を見に行ったかというと、知り合いの女優・井上直美が出ていたからというだけの理由だった。
話を聞くと、江戸村とかで忍者やってた人たちがつくった演劇集団だという。
なるほど忍者なわけだ。
殺陣が鍛えられているのも、納得。

ぼくは役者や声優さんの友人が多いのだが、小劇場系の芝居をやっている人たちが多く、この手のアクション物をやる人たちとの出会いは、あまりなかった。
たまに特撮物とかの脚本を書いたときは、そういう役者さんたちと接触する機会もあったのだが、脚本家はなかなか撮影の現場に行くことが少ないので、深く知り合うまでにはいかなかった。
本当は、こういう殺陣とかが得意な人たちと、もっと知り合いたいと思ってたんだ。

で、知り合ってきたかというと、体調不良のせいで、すぐに帰ってしまい、彼らと話す機会ももてませんでした。
今回は、残念。

考えたことの一つは、テレビや映画では、時代劇、とくに忍者物がつくられることは少なくなってしまったけど、特撮物やヒーロー物のなかに、その要素や技術は、ちゃんと生き残っているのだということ。
そして、この劇団の人たちのように、忍者アクションをエンターテイメントとして、ちゃんとやってみようとしている人たちもいるということ。
日本の伝統芸能は、こういうかたちで、生き残っていこうとしているんだなということだ。

忍者アクション芝居は、もしかしたら世界に通用するものにすることができるかもしれない。
そんなことを夢想しながら、芝居を見ていた。

日本製のエンターテイメント舞台が、世界に進出するとしたら、歌舞伎や能のほかには、こういう忍者アクションや特撮ヒーローアクションの路線があるのではないだろうか。
ブロードウェイで、忍者たちが飛び、駆け、斬りまくる姿を、いつの日か見てみたいと思った。
いや、ありでしょ。このセンは。

もちろんそのためには、脚本の面でも、おもしろいものを作らなければならないのは当然のことだけど。
今回の芝居は、セリフで説明するところが、どうも止まっている感じがしたのと、ユーモアが少なく感じたこと。
あとキャラクターの性格とかが、わりとよく時代物にあるタイプのものが多かった気がした。
よくいえば真面目すぎるのだ。
すごくテーマ性とかはあって、作者が真面目にとりくんでいるのは、よくわかった。
それはそれですごくいいんだけど、もうちょっとなにかがあってもいい気がした。
もっと無邪気な漫画みたいなノリでもいいのではないかと思った。

もっと時代劇をやっている劇団とか、アクションをやっている人たちを、これから見ていきたいと思った。
もしかしたら、一番、ブローデウェイに近いかも。
そこがいいっていうわけじゃないけどね。

そうそう、去年青山劇場で見た、唐沢さんの、『浪人街』は、チャンバラアクションすごくてよかったなぁ。
あれなら、アメリカでも絶対受けると思う。

いま、ちょっと体調不良です。
梅雨のせいかもしれませんが、自律神経がちょっといかれてるみたい。
なんだか体がほてったりするんだよね。
みなさん、体には気をつけましょうね。

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2005年7月 4日 (月)

むじゃきパワー

なんで、はじめて脚本を書いたひとの作品に、ひかれてしまうのか。

そのこたえは、そこに無邪気なよろこびがあふれていたからです。
物語つくりを、こころから楽しんでいるかんじが、自然とつたわってくるんですね。
ああ、これを書いている人は、まちがいなく楽しんでいるっていう感じが。

まるで小さな子供が、一心に描いた絵が、見るものの心をなごませ、いやしてくれるように、彼らの作品には、そういういやしの効果さえあるような気がしました。

童心。
無邪気さ。
すなおさ。
かざらずに、じぶんを出してしまう、解放感。

そういうものが、たしかに、ここにはありました。

そう赤ちゃんの笑顔をみると、おもわず、こっちも笑ってしまう、あの感じです。

そして、自分についても、ふと反省させられました。
自分も、最初に物語を書きたくて書き始めたときは、そういう無邪気な思い、ただ物語を書きたいという思いだけで、書いていたはずなのに、いつのまにか、プロになり、商品としての作品を要求されるようになると、この原初的なよろこびを、ついついわすれがちになっていたのではないか。
うまく書こうとするようになっていたのではないか。
ましてや、書く技術などと、えらそうに人に教えたりしようとしていなかったか。

大反省です。

無邪気にかくこと。
本気で、たのしむこと。
じぶんに、ブレーキはかけないこと。

わかっているようで、ついついわすれがちだった、このことを、もう一度、自分にいいきかせました。
毎日の人生も、こんな感じですごしていきたいもんです。

脚本は、書き続けていれば、ほっといてもうまくなっていくものです。
ただ、書き続けていくためのエンジンが必要なだけ。
そのエンジンこそが、この無邪気なのかもしれません。

無邪気パワー全開でいきましょう。
子供のように、物語で遊びましょう。

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2005年7月 3日 (日)

八王子教室ありがとう

八王子市から頼まれた脚本講座、全5回が終了しました。
ひとまず、めでたし、めでたしです。
すばらしい環境で、5回のレッスンを終えることができました。
教えに行った僕も、いろんな人と出会えることができて、実り多い講座になったと思います。
チャンスを与えてくれた、萩原朔美さんと、八王子市学園都市文化ふれあい財団のスタッフのかたたちに感謝です。

今回は、ELITE主宰ではじめた、体感脚本講座とこの八王子教室の二本立てだったので、こういうことをふだんやっていない僕にとっては、はじめてずくしでした。
でも、とても和気あいあいとした、いい雰囲気のなかで、脚本作りを体験できたと思います。

今回は、いつものように心と身体のウォーミングアップをやったあとに、この一週間で生徒さんたちが書いてきた脚本を、みんなで読んで、それについて話し合うということをしました。
いわゆる『本読み』というやつです。

脚本家にとって、本読みとは、ある意味、本番です。
書いている間は、まったくの個人作業ですが、この本読みからは、共同作業に変わります。
監督やプロデューサーの意見を聞き入れて、改訂作業に入っていきます。

このとき、さまざまな視点から、意見が出てきます。
いい意見もあれば、わるい意見もあるでしょう。
もしかしたら見当違いの意見もでるかもしれません。
このとき大事なことは、脚本家は、すべての意見に耳をかたむけるということ。
たとえその意見が、作家にとって不快な意見であったとしても。

さまざまな感情がわいてくるはずです。
でも、この場では反論しないようにしましょう。
反論は、相手が意見を言ってくれるのを、ブロックしてしまいます。
それでは、共同作業にはいっていけません。
まずは聞くこと。
取捨選択は、あとで落ち着いてすればいいのです。

この本読みにのぞむ時は、意見を言ってくれる人たちを、すべて自分の味方なんだと思うようにしましょう。
じっさい、意見を言ってくれる人は、たいていの場合、脚本家の味方です。
それを信じてください。

それを信じられないと、ときどき悲しいことになってしまいます。
意見や、忠告が、自分にとっての攻撃だと感じられたとき、人は悲しい感情や、怒りさえ抱いてしまうことがあります。
そういうことが、いままでどれだけたくさん引き起こされてきたことか。
これは脚本の本読みの場でおきたということじゃなく、社会のなかでっていう意味でね。

そういう悲劇を起こさないためにも、こういう意見の場をつくるまえには、ちゃんと相手が自分を応援してくれている味方だと感じられる、雰囲気作りのウォーミングアップが必要なんですね。
現実の社会では、ときおりこのウォーミングアップなしで、意見や忠告が行われがちだから、悲劇が起きたりするのだと思います。

ちょっと話がずれました。
本読みの話にもどります。

八王子の教室の生徒さんたちの作品(6作品も集まりました)は、どれも面白く、力作ぞろいでした。
まず一週間で、これだけの数の作品が集まるとは、予想以上でした。
まずは書き上げてきたみなさんの熱意とエネルギーに拍手です。
とくに、はじめて脚本を書く人もいるわけですから。

それで思ったのは、いままでいくつか脚本を書いた経験のある人の作品よりも、はじめて脚本を書いてみたという人の作品のほうに、ぼくはなぜだか惹かれる部分が多くあったということです。
もちろん脚本という形にさえなっていないものもありました。
でも、なぜだか惹かれるものがあるんですね。
その理由は、また次回に書きます。

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2005年7月 1日 (金)

ハズバナ、ナサバナ

恥ずかしい話、略してハズバナ。
情けない話、略してナサバナ。

僕の、情けない話をします。
ずっと胃のあたりに違和感があったことがありました。
これはもしかしたら、悪い病気かもしれない。
そう思うと、その不安はさらに大きくなり、ますます痛みは増してきます。
胃潰瘍? もしかしたら、胃ガン?
食欲は落ちて、仕事にもしだいに手がつかなくなっていきます。
病気で死んだ知り合いのことなども思い浮かんだりして、毎日がしょんぽり。
病院に行くのも、なんだか怖くて、忙しいのを理由にしてためらっていました。

ついに思い切って、病院に行って、検査をすることになりました。
苦しい思いをして、胃カメラまで飲んで。(ほんとにこれは苦しかった)
すると、まったく異常なし。
「えっ、先生、だってここ痛いんですよ」
すると医者は、口元に少し微笑みさえ浮かべていいました。
「そりゃ、毎日、そうやって押してれば痛くもなりますよ。押しすぎです」
「…………」
次の日から、痛みは、嘘のように消えました。

いま思い出しても、あのときは情けなかったなぁ。

で、なんで今日は、このハズバナから始めたかというと、これも脚本における登場人物作りのテクニックに使えるからなんです。

これを読んでくれているみなさん、僕がハズバナをする前と、ハズバナをしたあとで、印象ってかわりました?
たぶん、少し身近に感じられるようになったんじゃないでしょうか。
距離が少しだけ縮まったでしょ。

これを主人公の登場シーンに使うんです。
まず主人公の情けないところからはじめてみるわけです。

主人公を、お客(視聴者)の人と身近な人物にし、好きになってもらうのが、この作戦の目的です。
主人公は、われわれ作家が物語を伝えていくための、もっとも大事なパートナーてす。
彼を、お客さんにも、パートナーになってもらいましょう。

これさえうまくいけば、ストーリーの導入は大成功と言っていいでしょう。
あとは、主人公の思いのまま動いていってもらうだけ。
お客さんは、彼についてきてくれるはず。
彼と一緒に、物語を体験してくれるはず。

昨日の体感脚本講座では、参加者のみなさんに、ひとりずつハズバナをしていただいて、実際に体験してもらいました。
話をするまえと、するあととで話をした人の印象がどうかわったのかを。

この方法は、実人生でもけっこう役に立ちます。
距離を縮めたい相手がいるとしたら、その人の前で自分の恥ずかしい話をしてみてください。
恥ずかしい話をするということは、相手に、心を開かないとできません。
心を開いてくれる人を、誰も嫌いになったりしませんからね。
レッツ、ハズバナ、ナサバナ。

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