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2005年8月29日 (月)

今の状態1

状態はかわってません。
かなり悪いです。
ブログも、書けずにすみません。
もうしばらくは、こんな感じかも。
脚本講座、やすんですみません。
かならず復活します。
もうちょっと待ってください。

昨日、中学生に演劇の体験レッスンをしました。
こんな状態のときに、どうしようかと迷ったのですが、まえから決まっていたので、しぶしぶいってきました。
しかし、レッスンをやりはじめると、血流と気流がかよいはじめて、テンションもみるみるあがり、いいレッスンができました。
やはり、気、血、流ですね。
実感。

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2005年8月27日 (土)

台風と呼吸

台風が去ったけど、ぼくのほうは、いまだに嵐のなかから逃れられずにいます。
焦燥感と、喪失感と、さまざまな感情の嵐につつまれたまま、体が動けなくなってしまい、ただ床に倒れて寝ているだけの状態でした。
しかし、このままではどうしようもないので、ひたすら呼吸をすることからはじめました。

ゆっくりと吐いて、ゆっくりと吸います。少しおなかに呼吸をためて、また吐きだします。
すると、少しだけ、動きだす力が出てきました。

ああ、そうだよなぁ。
と、気づきます。

まず吐きださなければならないのだと。
大きく吐きだせば、また息は、体のなかに入ってきます。
たまったものを、まず吐きだすことから、つぎに新しいものが入ってくるのだと。
こんな基本的なことを、ついつい忘れてしまっていました。
吐きだすことから、新しいエネルギーは生まれてくるのです。

大きく吐きだすこと。
それは忘れたり、捨て去ったりすること。
新しく動きだすためには、忘れたり、捨てたりすることが必要なのだと。

呼吸をして、動いている人たちは、元気です。
そう、ぼくも、元気にならなければ。

ゆっくりと呼吸をはじめることにします。

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2005年8月24日 (水)

ふ.ーてんの寅さん

締め切りのせいで、すっかり、ブログがおやすみになってしまってます。
この体感脚本講座を読んでくださっている人たちがいるというのに、なんだか申し訳ないです。
えーと、近況ですが、まだまだ最悪の状態です。
肉体的にも。
こんなに余裕がないのは、一年ぶり。
産みの苦しみですね。
もう少し、もう少ししたら、もとの元気な、脚本家にもどります。

ほとんど外に出てないので、テレビを良く見てます。
そんなの見てないで仕事しろって感じですが、なぜかつけっぱなしにしてしまうんですよね。
BSでやってる、ふーてんの寅さんシリーズに、はまりました。

リアルタイムでは、ほとんど見てなかったんですけど、あらためて見ると、その面白さに驚かされました。
なるほど、国民的な映画になるわけです。
面白いし、芸たっしゃだし、脚本がいいし、映像もすばらしい。
勉強になることだらけ。
とくに前半の作品には、若さがあふれていて、爽快です。
寅さんも若いし、スタッフも若い。
当時の僕は、まだまだ子供だったので、そのよさがわからなかったんですね。
ずっと大人たちの作品だと思っていたんですが、いつのまにか、その当時のスタッフたちよりも、年上になっているなんてね。

あー、おれも、何年もたっても、面白いと思ってもらえるような作品を書きたい。
いや、書くぞ!

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2005年8月21日 (日)

弱音はいてもよかですか2

締め切りに追いつめられて、精神的、肉体的にかなりきつくなってます。
そのせいで、この体感脚本講座のネタも、ネガティブ系になってます。
すみません。

物語の世界にいったん入ってしまうと、なかなかそこから出てこれなくなってしまい、日常生活がほとんどできない状態になってしまいます。
いまが、そういう状態です。
これが抜けるまでは、しばらくつづくと思います。
その間、このブログも、あまりいいネタを書けないかもしれません。
まぁ、苦しんでいる作家の状態を観察するという意味では、おもしろいかもしれませんけど。
ほらね、こんな感じで、自虐的になるわけです。

こういうとき、睡眠がろくにとれなくなるのは当たり前ですけど、それプラス、食生活もメチャクチャになります。
運動不足もかさなって、さらに肉体は悪くなっていくという悪循環。
なんとか呼吸をととのえて、モチベーションを維持しようとするのですが、なかなかままなりません。
こういうときこそ、ヨガなどをやって、ちゃんと自分をコントロールしなきゃならないんでしょう。

友人の渡猛くんが出演している、インプロの集団、東京コメディストアJを先日、見に行ったのですが、まわりでみんなが楽しんでいるのに、一人、その世界にはいれこめずに苦しんでました。
この状態は、とにかく早く抜け出さなければなりません。

そのための唯一の方法は、わかっているのです。
とにかく作品を仕上げること。
それしかないのです。

わかっているのに、それがままならない。
人生は、トラブルの連続です。
ビバ、物語。

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2005年8月19日 (金)

焦りと肉体

  仕事の締め切りに追いつめられてます。
  こればっかりは、どうしようもありません。
 やろうとしているんですが、なかなかはかどらないという焦りの日々がつづいてます。
 そうするとどうなるか。
 いろんな肉体的な変化がおきます。

 とつじょとして、動悸がして、汗が吹き出てきます。
 なんだか行動がおかしくなり、急に掃除をしたり、洗濯をはじめたりします。
 そして、ジャンクフードをやたらと食べたくなったり。
 もう、あきらかに焦りが、精神に影響をおよぼしているんですね。

 こんな状態になりながら、なんとか前に進まなければならないと、気力をふりしぼります。
 そうして、ようやく仕事が進み始めるんですね。
 いろんな人に迷惑をかけてます。
 まいにち心のなかでは、これとの葛藤。

 ドラマは葛藤だと、よくいいますね。
 ドラマを書くのも、葛藤です。
 がんばりまーす。

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2005年8月17日 (水)

骨盤矯正

  ずっと腰の具合が悪く、首とか、肩とかにもしこりがたまっている。
 ちょっと前に鍼灸をためしたけど、いまひとつ調子は向上してこない。
 仕事はとどこっていて、もやもやして、なかなか集中できないでいた。
 そこで予約をしていた、骨盤矯正に行ってきました。

 予約がなかなかとれないほど、人気がある治療院。
 いったいどんなことをするのかと思いきや、うつぶせになっ、ちょこちょことあちことを軽い力でおしたりするだけ。
 えっ、こんなんで矯正できるの!? と、内心思ってしまうくらい、あっさりしたものだった。

 診断によると、骨盤がかなりねじれているらしい。
 そのせいで、背骨全体がゆがんで、湾曲がなくなっているのだという。
 首も、ストレートネックになっているのは、その歪みのせいだって。

 一時間以上かけて、骨盤のゆがみと、背骨を正常な状態にもどしていくということをやってもらった。
 すると、たしかにやってもらう前よりも、腰の痛みがなくなった。
 うーん、不思議だ。
 やはり骨のせいで、痛みになっていたのかもしれない。
 しかし、いったん正常な位置に骨盤をもどしても、生活習慣や動きの癖で、またすぐに戻ってしまうらしいのだ。
 とにかく姿勢をよくして生活しなければならないと指導を受けた。

 骨盤と背骨は、人間の骨格の基本なのだろう。
 たしかに、それをナチュラルな状態にして生活していかなきゃね。

 腰の治療にいったんだけど、おかげで首のあたりのストレスも少なくなった気がする。
 だが、ぼくの仕事は、机の前で同じ姿勢をとり続けなければならないので、姿勢が崩れがちになってしまう。
 あまり長時間、同じ姿勢をとるのはいけないらしい。
 これは脚本家にとっては職業病だよね。

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2005年8月15日 (月)

終戦記念日

  今日は、60年目の終戦記念日。
 韓国では、解放記念日。
 立場がちがえば、同じ日が、まったくちがう意味を持つ。

 同じものでも、見る角度がちがえば、まったく違う形にみえる。
 この世にあるものは、すべて形が違うのだ。
 決まった形はない。

 どんなこと、どんなものでも、見かたによってまったく変わってくるということなんだ。

 つまり、見かたさえ変えれば、悪いものでも、良く見えたり、良いものでも、悪く見えるということ。
 できれば、いつでも良い方を見ていたいもの。

 これからも、この体感脚本講座では、この視点を変えるテクニックを考えていきたいと思います。
 読者や視聴者の視点をちょっとだけ変えることのできる物語を、もっともっと作っていきたいです。

 悲惨な体験が、ちょっとだけ視点を変えただけで、自分を育ててくれるユニークな体験にかわったり、なんでもない平凡に思えていたことが、すごく貴重で大事なことに思えてきたり。
 物語をつかって、そんなマジックを起こしてみよう。
 それが、物語作りの醍醐味です。

 

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2005年8月12日 (金)

針初体験

  鍼灸院に行ってきました。
 針、初体験です。
 このところよっぽど疲れた顔をしているのか、みんなから「大丈夫?」と声をかけられてしまっていた。
 よっぽどひどい顔をしているみたい。
 こりゃ、いかんなぁと思っているんだけど、自分ではどうしようもない。
 なんとかしなきゃという気力さえも消え失せているみたいなのだ。

 そんなときに、タップ仲間のNさんから、メールで鍼灸院を教えていただいた。
 Nさんの推薦なら、いっちょ試してみるかという気になって、さっそく行ってきました。

 いったいどういうことをするのかとちょっとドキドキしながら診察用のベッドに横になっていると、いきなりあらわれた先生が、あっというまに体に針を刺しはじめた。
 気づいたら、全身針だらけ。
 ちょっと痛いと思うところもあったけど、なんのことはなかった。
 しばらくじっとしていると、なんか気が体をめぐりはじめたのが感じられた。
 なんだかホワッとあったかい感じが、体のなかを動きはじめたのが、はっきりとわかった。
 これって、もしかしたら効くかもしんないと思った。

 それが終わると、こんどはお灸。
 これも初体験。
 熱いのいやだなぁっと思っていたけど、チクッとするくらいで、あっというまに終わってしまった。

 最後に、首のあたりを、すこし針でぐりぐりされて、何カ所かに起き針というやつをしてくれた。
 それで終了。
 ぼくの鍼灸初体験は、一時間あまりで、あっさりと終わったのでした。

 直後は、ちょっと首のあたりに違和感があったけど、それほど不快なものではなく、気がめぐりはじめたせいで、悪いところが少し熱を持ったような感触。
 体感的には、けっこういい感じだった。
 家にもどって、しばらく休んでいたら、あきらかに血の巡りがよくなっているのがわかった。
 手足があったかくなって、なんか気持ちいい。
 気持ちも、すこし上向きになった気がします。

 やっぱり、なんでもやってみるもんだと思いました。
 気分は上々。
 仕事、がんばります。

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2005年8月10日 (水)

コーヒーで火傷

  いろいろあって、机の前に座りッぱなしです。
  体のあちこちの痛みは継続中。
 おまけにコーヒーをいれようとしていて、熱湯を左手にぶっかけてしまい、親指を火傷してしまいました。
 ひどくはないと思うんだけどヒリヒリしてます。
 ずっと冷やしてるんだけど、ほんとヒリヒリ。
 あー、こういうのがヒリヒリだったと、あらためて思ったりしてます。

 指の火傷は、キーボード叩きが仕事の人間にとっては、けっこうきついです。
 それでも冷しながらキーが打てるくらいなので、ほんとうにたいしたことありません。

 弱音はいたブログに、あたたかく労りのコメントをいただきました。
 ご心配おかけしまして、すみませんでした。
 ありがとうございます。

 昨日は、長崎に原爆が投下された日で、テレビでいくつかのドキュメンタリーをやってました。
 そのなかで、被爆者の60年にわたる苦しみの日々を映像で見て、やりきれない思いになりました。
 ぼくの指の火傷の数百倍もの傷を負って、それの後遺症が死ぬまでつづくんです。
 それは想像もつかない痛みでしょう。

 チャンネルをひねると、フーテンの虎さんの2作目がオンエアされてます。
 そこには戦後十数年で、たちまちよみがえった日本の明るさが満ちてました。

 現実では、今も被爆の後遺症で苦しんでいる人はいるし、渥美清さんは、もう亡くなってしまってます。

 なんかいくつかの時空を同時に見ているような気持ちになりました。

 僕らは、いま、どこを生きているんでしょうか?
 脚本家というのは、映像になって永遠になる時間(映画)をつくるために、文章を書いています。
 書いているときは、その映画の時間を生きてます。
 でも、現実の肉体は、火傷でヒリヒリ親指の時間を生きてるんです。

 このギャップにいつも苦しみます。
 架空の世界を生きる僕と、現実の世界を生きる僕が同時に存在するんです。

 架空の世界のほうに比重をおきすぎた僕は、現実の世界では生活失格者になりがちです。
 いろんな人に、多大なる迷惑をかけているはずです。
 この場をかりて、あやまりたいと思います。

 どうしたらいいんでしょうかね。
 口では、人のためになりたいと思っていても、けっきょくは自分の都合でしか生きていない自分がいます。
 自分の都合で生きることは、悪いことではないとは思いますが、それが自分とまわりの幸せにつながるのが大事なんですよね。

 またまた、弱音はきトークになってしまいました。
 どうも、このところのバイオリズムがそうなっているようです。
 散歩と呼吸で、リズムをとりもどさなゃね。

 それにしても、ヒリヒリはつらいです。

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2005年8月 9日 (火)

弱音はいてもよかですか

さっきこのブログ用に、弱音をはきまくった情けない文章を書いていたら、それがもう少しで書き終わるというところで、突然、パソコンが『モジュール違反』とかなんとかいうメッセージを出した。
なんだこれって、感じで×をクリックしたら、文章が一瞬にして消えてしまった。

その文章は、思い出すのもいやなくらい、体の痛みと心の弱った状態をつづったもので、情けないことこのうえなしのもの。
そんなものを、ブログに書きこんでどうなるんだという、マイパソコンくんの叱咤激励だったのかもしれない。

やっぱ、弱音はおれにはむいてないのかと、パソコンにあやまりました。
すまん、弱音ばっかりはいて。

そういったものの、肉体的状況としては、腰の痛みにくわえて、首の痛み、足首からスネへの痛みと、かなり不自由になってます。
心も、締め切りとか、いろいろあって、かなり弱った状態。
かなりきつい感じです。

それでも前に進まなければならないのが、脚本家なんですよね。
あと、体温の急上昇というのもくわわってます。
ホルモンの分泌がおかしくなっているのか、ふいに体の内側に熱がこもるんです。
しばらくするとおさまるんだけど、なんか心配。
きっと仕事がかたづけば、そんなことすぐになくなるんだろうけどね。

心が、体におよぼす影響というものは、はかりしれないものがあります。
まずは心をととのえるのが、先決ですね。

こういうときは、散歩して深呼吸。
この夏、なんとか乗り切りますよ。

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2005年8月 8日 (月)

広島の母たち

猛暑の日がつづいている。
外に出るのもおっくうになる暑さのなか、オフィス・サエ公演『広島の母たち』を観に行ってきた。
原作・山本真理子。構成演出・露川冴。

公演場所は、大塚の駅から少し歩いたところにある、スタジオバリオ。そこにたどりつくまでの道は、照りつける太陽で溶けだしそうだった。みるみる体温があがり、汗が吹き出してくる。
ぼくは、コンビニで袋入りの氷を買って、首の後ろを冷しながら歩くことにした。こうでもしないと、熱中症になりそうだったから。
この氷袋作戦は、正解でした。
おすすめですよ。

芝居は、原作の山本真理子さんの、被爆体験を書いた本を、ほぼその原文のまま朗読しながら、役者たちが、さまざまな役を演じていくというもの。
群読を、演劇に進化させたもので、このオフィス・サエの独自のスタイルである。

ふつうの演劇の場合、原作物をやるときは、それをもとにして、脚本を書くものだが、ここでは脚本化しないで、原作をそのまま使っている。もちろん、全部をやるわけにはいかないので、割愛したり、再構成したりはしているのだが、できるだけ原作のニュアンスを残すという意味では、徹底している。

ドキュメンタリーの舞台化。
その方法としては、このオフィス・サエの方式は、すごく効果的だと思う。
それに作家の文章の味というものを、あらためて気づかせてくれる体験でもある。
山本真理子さんの文章には、伝えなければならないものへの確信の強さとともに、それをつつみこむ温かいぬくもりがある。人間への、深い愛情。それが文章からあふれている。
これこそ文章の力だ。

今回の『広島の母たち』は、被爆した15歳の女の子が、助けをもとめて歩きまわるうちに、偶然お産の手伝いをすることになるというエピソードを中心に、彼女の被爆後、数日間の様子が描かれている。
それは60年経ったいまでも、一人の女の子の目線を通して、われわれに切実な現実として伝わってくるものだ。
命の重さ感じた、一時間半だった。

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2005年8月 6日 (土)

原爆の日

今日は、ヒロシマに原爆が落とされた日。
戦後60年。
昨日見たテレビに、原爆の製造にかかわった科学者と、被爆者との対談があった。
それを見ていて、僕は激しく心をゆさぶられた。

科学者は、あくまでも『リメンバーパールハーバー』だと言い張った。

その一言を、大量破壊兵器で何十万人を一瞬に殺すことの正当化に使って信じない人間と、60年の歳月を経て対峙しなければならない、被爆者の人の心をおもいやると、やりきれない気持ちになった。

あのシーンは、人類の戦争の歴史の、象徴のように思えた。
人を殺すことを正当化してきた歴史。
われわれは、それをくりかえしてきたんだと。

人は自分のすることを正当化することで生きつづけてきたんだろうか。
自分は正しいと思わなければ、生きてこれなかったんだろうか。

正しいことなんて、どこにもない。
そのまえに、正しいことなんて、いったいなんなんだ。

すべてのものには、いくつもの面がある。
見る方向で、まったくちがうように見えたりする。

他人は、自分とは、まったくちがうものを見ているんだというところからはじめようと思う。

でも、あの対談には、すごく大きな意味があったと思う。
勇気をもって、対峙してくれた、科学者と被爆者。
両者に敬意を評したい。

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中学生と体感脚本講座

  中学生を相手にして、体感脚本講座をやってきた。
 昨日、東放学園高等専修学校に打ち合わせに行ったら、中学生相手の体験授業というやつが行われていた。
 つまり学校の下見で、実際に授業を受けてみるというやつですね。
 なんのきなしにのぞいていたら、ちょっと授業をやってくれませんかと、担当の人から頼まれた。
 断る理由もなかったので、『そんじゃ、いっちょやるか』って感じで、中学生に授業をすることになる。

 相手は、イラストライター志望の中学生4人とお母さん二人。
 それに高校生一人をくわえて、7人相手の体感脚本講座をやりました。
 はじめはいったい何がはじまるのって、とまどっていた中学生たちでしたが、ウォーミングアップで、おもしろいゲームをやっているうちに、みるみる笑顔になっていく。
 イラスト志望だけあって、けっこう内気そうな子もいたけど、『失敗していいんだよ』『失敗してくれて、ありがとう』『遊びなんだから、どんどん失敗して』と声をかけながらゲームを進めていきます。
 この声かけが大事なんですね。

 子供たちの多くは、ふだん失敗を恐れたり、失敗をしたくないと思ったり、失敗をすることが恥ずかしいと思ったりしながら生活をしています。
 それは、幼いころから、親に叱られたり、先生に叱られたりして生活しているからです。
 無意識に失敗をすることにたいして、どこかで警戒していて、そのために体のどこかが固くなっています。
 まずは、そのブロックを解いてやること。
 それがこの声かけです。

 すると最初は、警戒していた子供も、しだいに大胆に声が出せたり、動けたりしてくるようになっていきます。
 もともと固くなかったわけですから、その状態にもどしてあげるわけです。
 ウォーミングアップがうまくいくと、それにつづく授業のほうにも、ものすごくいい効果があらわれます。
 積極性が出ると同時に、集中力もあがってくるのです。

 おそらく中学校では、ほとんど発言などしないだろうと思われる少年(もしかしたら学校に行ってないかもしれない)が、このウォーミングアップをしたあとの授業では、自分のアイディアをなんのためらいもなく発言していました。

 あらゆる授業で、いま僕がやっているようなウォーミングアップが行われるようになれば、もっと教師と生徒のコミュニケーション能力と、授業の効率はあがっていくのではないでしょうか。
 そんなことを、ずっと考えていました。

 簡単にいえば、演劇的なウォーミングアップを、他の授業にも使っていくということです。
 たぶん数年後には、そういうふうになっていくのではないかという予感はあります。
 そういう日がくるように、これからも、体感脚本講座的な方法を広めていくつもりです。

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2005年8月 4日 (木)

ストーリーがはじまる

  劇団ハイバイの10月公演『ナナイロニ』のためのワークショップがはじまっている。
 このブログには、もう何回も出てきている岩井秀人主宰の劇団だ。
「稽古前に脚本について話がしたいんですけど」
 と、岩井君からの電話。
 そう、ぼくは、今回脚本のアドバイザー(岩井君流に言うと脚本番長)として参加することになっている。

 いつのまにやら気づいたら、巻きこまれていた感じだ。
 でも、ぼくはこの巻きこまれることが、嫌いじゃない。
 巻ズシよりも、トロが好きだが、人生は巻きこまれ上等。

 ぼくは二十歳の時に自分の劇団を立ち上げてから、ほとんど脚本演出という立場で芝居にかかわってきたのだが、去年から役者復活、そして今回は、こういう形で参加と、ちょっと流れが変わってきている。
 ワークショップでは、二十歳以上若い役者さんたちと、いっしょに即興でシーンを作ったりしている。
 できるだけ若者たちの刺激になるようにと、がんばっているのだが、なにしろこっちは腰痛持ち、けっこうハード。

 で、脚本の打ち合わせ。
 やりたいことがある人が書いたストーリーに、客観的で、なおかつ的確で、さらにクリエイティブな意見を言うには、かなり神経をついやす必要がある。
 なにしろ作家は、傷つきやすいのだ。
 それはぼくも作家なので、十分わかっているつもり。
 書いたものに、批判的な言葉をかけられると、まるで自分自身が否定されたように感じたりすることは、おうおうにしてあること。
 その批判もしくは批評をする人が、悪気がなくても、それを悪気ととってしまうことさえあるもんです。

 だから脚本の打ち合わせのときには、かなり言葉を選んで話すことになる。
 できるだけストーリーのパワーが落ちずに、さらに面白くなる方向に、作家が行けるような提案をするように心がけます。
 そのときに注意しなければならないのは、自分の考えを押しつけないこと。
 あくまでも、その作家が、自分で気づいていくように配慮します。
 いきなり結論を言ってしまうと、逆に、その結論に対しての拒否反応が先に出てしまうことがあったりするからです。

 気づきの過程。
 それが大事なんです。

 それは脚本作りではない場合でも、あてはまることだと思います。
 ワークショップをなぜするのか。
 それは演劇という集団創作の芸術には、創作にたずさわる全員が稽古のなかで、発見し、気づいていく過程を共有していくことがもっとも大事だからです。

 結論を押しつけるのではなく、みんなでそれに近づいていく。もしくは、みんなで発見していくこと。
 それこそが、つまり生きるということなのかもしれません。

 岩井君には、かなりいいたいことを言ってしまいましたが、彼がそれを受け止めて、さらに創作のエネルギーをあげていくのがわかりました。
 その結果ワークショップでは、役者さんたちの集中もあがり、かなり面白い稽古になりました。
 もちろんまだ台本もないなかでの稽古なのに、みんなが稽古の過程を楽しんでいるのが、伝わってきます。
 きっといい舞台ができるでしょう。楽しみです。

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2005年8月 2日 (火)

出会いましょう

6月からはじめたライブ版体感脚本講座、全12回も、残すはあと4回となりました。
毎週木曜日に、渋谷区の施設に集まって、物語作りを体感してます。
自画自賛ですけど、かなり面白いです。
脚本初心者から、プロで仕事をしている人まで一緒になって、脚本作りに役立つ心と体の調整と、実作体験をつづけてます。
その成果は、じょじょに現れていくと思っています。

参加者の一人、コンテンポラリーダンサーのJoujoさんが、いま発売中のダンス雑誌『DDD』に登場してます。
じょじょに現れると書いたから、Joujoのことを書いたわけじゃないよ。
なんと彼女がはじめて書いた短編小説(エッセイ風)も掲載されてます。
雑誌がお目にとまったら、ぜひ読んであげてください。

このところ、仕事で追いつめられているので、ほとんど外に出ないで仕事場にこもってます。
外にでるのは、打ち合わせか、食料の買い出しか、マッサージか、芝居の稽古かです。
なんだ、けっこう出てますね。
前言撤回。
けっこう外にでながら仕事場にこもってます。

芝居の稽古は、劇団ハイバイのワークショップです。
体感脚本講座の参加者の一人でもある、岩井秀人くんの主宰している若手劇団。
注目株です。
ワークショップなので、外部からいろんな若い役者さんたちが参加して、実験的な稽古にチャレンジしています。

ぼくは、もともと劇団出身ですが、僕が若手のころには、こういうワークショップ的な稽古はあまりやってませんでした。
劇団なら、劇団員ばっかりでやる稽古がほとんどでした。
ちょっと閉鎖的だったかもしれません。
いまは、こういうワークショップ形式のものが増えて、オープンな環境のなか、さまざまな役者や作家、演出家が交流するようになってます。
これは、とてもいいことです。
だいいち、刺激がありますからね。
それに、さまざまな人と出会えるチャンスがある。

出会うこと。
これこそが、もっとも大事なことだと思います。
人と人が出会い。
化学反応が起き。
そして、まったく新しいものが出来ていく。
そんな現場に立ち会える幸せを感じます。

劇場こそは、出会いの場。
劇場を、世界におきかえても、これは同じだと思います。

出会いましょうよ、みなさん。
そういうわけで、体感脚本講座は、あと4回。
まだまだ出会いを求めてます。
これからでも遅くはありませんよ。
ぜひコンタクトして、出かけてきてください。
一緒に、物語作りを体感してみませんか。

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