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2005年9月28日 (水)

稽古場

昨日は、まもなく本番をむかえる劇団ハイバイの稽古場に行ってきた。
白熱した稽古がつづいている。
この日は、オープニングのだんどりと、歌。それにつづいて、後半の稽古だった。
総勢二十名をこえる出演者が、けっして広いとはいえない稽古場で動きまわる。
迫力。

そこにふらりと劇団・青年団の志賀廣太郎さんが登場。
志賀さんはテレビやCMなどでもおなじみの役者さんだが、大学で講師もしているというすごい人。
この劇団には、作演出の岩井秀人をはじめとして、桐朋学園の出身者が多い。
志賀さんは、その大学の先生なのだ。
教え子の舞台の稽古場を見に来てくれる先生がいる。
いい人間関係なんだなと思う。
そんな人間関係がつくれるからこそ、演劇はすばらしいと改めて思った。

人間関係。
人と人とのつながり。
この劇団が表現したいことの本質は、そこなんだと思う。

口語劇と、ミュージカル。
ふつうはなかなか融合しないものを、一つにしてみようという新たな試みに挑戦した若き作者と俳優たち。
そのこころみは、そうとう面白いものにできあがりつつある。
ある意味、歴史的な瞬間かもしれない。
笑いもあり、不気味さもあり、感動もある。
ぜひ、この舞台を見てもらいたい。

公演は、10月6日から10日まで、高円寺の明石スタジオ。
タイトルは『ナナイロニ』作演出・岩井秀人
http://hi-bye.hp.infoseek.co.jp/

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2005年9月24日 (土)

モノローグ

イタリアから帰ってきて、仕事モードにきりかわり、またまた大変な状態になってます。
それで、このブログもちょっとさぼってしまいました。
せっかく読んでくれている人がいるのに、もったいないです。

あせってばかりで、前向きのエネルギーがわいてこないで、たちどまっているうちに、いつのまにた誕生日が来てしまい、また一つ歳をかさねてしまいました。

体感脚本講座のメンバーのみなさんに、誕生会をひらいてもらって、とってもハッピーでした。
誕生会なんてしてもらったのは、小学校の時以来かもしれません。
プレゼントももらったりして、うれしかったなぁ。
体感脚本講座やっててよかった。

そういうわけで、とうとうライブ版体感脚本講座も、あと一回になってしまいました。
ラスト一回、なにをやるか、いまから考えなくちゃ。

今回は、参加メンバーがもってきた企画書の検討をやりました。
それと、僕が以前に書いた舞台用の短編の台本を読んでもらい、その一部を僕が声に出して読んで、舞台脚本におけるモノローグの効用と面白さを解説。
モノローグは、日常的な会話では、ほとんどありえません。
映画やテレビのなかでも、ほとんどつかわれません。
もし現実で、ひとり言をしている人がいたら、ちょっと危ない感じの人だと思われてしまいます。
でも、舞台では、オーケイなんですよね。
とても便利なセリフ術の一つです。
もちろん、これを多用するのはだめですが、効果的に使うと、見せ場にもなります。

一人芝居。
これこそ、モノローグの集大成ですね。
たった一人で、何人もの人を演じわけたり、ドラマを語っていく。
ひとりで演じるわけですから、とうぜんモノローグもおおくなります。
うまい役者がやると(うまい役者しかやりませんけど)、おもしろいんですよね。
モノローグの醍醐味を感じられます。
ぜひ機会があったら、一人芝居を体験してみてください。

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2005年9月18日 (日)

帰ってきました

無事帰ってきました。
ナポリから、ミラノ経由で、成田着。
しょうじぎ、疲れましたァ。
座りっぱなしでも、つかれるんですね。
体はガチガチです。それなのにみょうに神経は興奮しています。
イタリアでは、ネットへのアクセスがなかなかうまくいかずに、旅行のレポートも十分に書けませんでした。
ほんとは、写真とかも載っけたかったんですけど、なかなか時間もとれなかったんです。
しかし、取材は満足のいくものでした。
きっと実を結んでくれることでしょう。
自分に期待!

東京では、ハイバイとエリートのみんなが、十月の芝居に向けて猛練習中。
高校では、生徒たちが前期の発表にむけてがんばってると思います。
後期は、卒業公演のための準備もはじまるしね。
ああ、まだ台本がまとまってません。
どうしようプレッシャーだぁ。
しかし、ぜんぶ一つずつ着実にやっていくしかないのだ。

この取材旅行をエネルギーにして、やっつけるぞ!

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2005年9月15日 (木)

ローマ取材1

順番が逆になっちゃったけど、このあとにのっけるのが、一日目です。

ネット環境がナポリでは見つからず、ようやく見つけた場所で、アップしてます。

今日はローマ市内を取材してきました。
歴史が目で見て、手で触れられるって、すごい。
今回の取材の目的は、来年の映画の設定のイメージをつかむというのが目的です。

今は、写真や動画でいくらでも見ることはできるのですが、やっぱり実際に触ったり、その場に身を置いたりして、体験することに勝るものはありません。

まさに体感することです。
物語に、微妙な触感や、リアリティをつけるためには、作家が体感したものが大きくかかわってきます。
当然のことなんですけどね。
いまさらながらに、物語は、机の上だけで作れるものではないんだと思います。
毎日、どう生きて、どう感じているのか。それが大事。

ローマといえば思い出すのは、コロッセウムです。燃えよドラゴンで、ブルースリーが戦ったあの場所。やっぱり燃えました。ここで、大昔に剣闘士たちが、すさまじい戦いをくりひろげたのかと。
巨大な劇場なんですね、ここって。こんな劇場をつくりあげた、デザイナーというか、設計士は、どんな人だったんでしょう。
グラデエイターの物語よりも、ここで働いていた職人や、奴隷や、建築家の物語のほうに、気持ちが行ってしまうのは、やはり僕が職人よりの仕事をしているからでしょうかね。

そこらにおいてある大理石の装飾物に、きざまれた溝。その溝をつけた、何千年か前の誰か。時をこえて、彼らの存在を感じます。

今日は、コロッセウム、フォロロマーノ、シーザーの墓、カラカラ浴場、パンテオン、カタコンベ、スペイン広場、トレビの泉などを見てまわってきました。
この町には、なんとか広場という場所が、たくさんあります。
それだけローマ人たちは、いつも広場に集まって、いろんなことを話し合っていたんでしょう。
広場がつくりあげた文明なんだと思います。

一日歩いて、疲れたので、同行の人たちとの夕食を辞退して、ベッドに直行しました。このところの引きこもり生活が、脚力と体力を低下させていることを実感。反省っス。
早起きして、仕事しまっス。

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ローマ取材1

ローマの道はデコボコ目指す

とにかく石畳の道である。
職人が一個一個、十センチ四方くらいの石を道に埋めてつくったものなのだ。
この作業は、根気がいる。同じ作業を、一つ一つ積み上げていかなければならないのだから。
このような作業のことを、『ジミチ』というが、感じで書いて『地道』。
まさに道をつくる作業のことを意味してたのね。
ようやくわかりました。

ヨーロッパの道は、このローマと同じように、石畳のものが多い。
よく見ていると、アスファルトでおおわれていたものを、あらたに掘り返して、石畳にもどしている場所もある。
きっとこのほうが、地球に優しいということで、石畳は復活したのだろう。
まさに地道にやって、復活したわけだ。

ただ、足にはくるよ。この道。
デコボコしているので、柔らかい靴底だと、ものに足にダメージがくる。
しかし、これも自然の足裏マッサージだどおもえば、得した気分になれるかもしれない。

二日目は、サンタンジェロ城からスタート。
だれかのお墓としてつくられたものが、中世期に牢獄となり、今はミュージアム件観光スポットになっている。
バネ式の投石機と石がおいてあったりして、かなり観光を意識した場所になっていた。そんなところを歩いていても、そこかしこにローマ時代から、そのまま残っているものというのがあちこちに顔を出していて面白い。歴史が、僕を圧倒する。

  その城から、すぐ近くに大きなドーム状になった美しい宮殿のようなものが見える。それがバチカンだ。
 ローマ法王がいるところ。
 ローマ市内に、もう一つ国があるというのが不思議だけど、これがキリスト教的社会をささえているんだよね。
 バチカン美術館は、全長が七キロもあるという。ゆっくり見ていったら時間がいくらあっても足りないので、駆け足でとおりぬけた。ほんともったいなかったが、今回の旅の目的は美術品をみることではないので、そのあたりはスピードアップだ。
 バチカンの宮殿のてっぺんまで登れるようになっているんだけど、そこにたどりつくまでの階段がものすごい。螺旋階段を、えんえん上りつづけて、ようやくたどりついたときには、完全に膝が笑っていた。こんなに狭くて、ながい螺旋階段を登ったのは、生まれてはじめてだった。巨大な建築物のなかに、こんなにも狭い空間がつづいているのが、肉体における毛細血管を連想させた。

  つづいて、聖堂の見学。
 ここには、ミケランジェロのピエタがある。そのうえの一枚の絵をのぞいて、あとの装飾はすべてモザイクでつくられている。手のかけかたが桁違いだ。ヨーロッパにくるたびに思うんだけど、宗教が文化におよぼした力の大きさってすごい。権力と宗教が結びついて、そこに時を超える美術品が残された。
 宗教の力で、それを維持してきているとも言える。
 維持していくという力が働かないと、のこされるのは廃墟だけになってしまう。
 廃墟というものには、見捨てられる理由の歴史もある。

 ナポリにバスで移動。三時間強の高速道路の旅。

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2005年9月12日 (月)

ローマの休日

ローマにきてます。
取材旅行で、昨夜、ローマに到着しましたぁ。
これから食事して、一日目の開始です。
まだまだ東京に残してきた仕事があるので、ノートパソコンは必需品。
ネットにもつながりました。
最近のホテルは、ホットスポットを用意してくれているので便利になりました。
しかし、30分5ユーロは、高いのか安いのかようわかりません。

選挙は、自民党が圧勝したみたいですね。
こっちのテレビでも、日本の選挙の様子を報道していて、かなり関心高そうでした。
今日は、ローマの市内を中心に遺跡などを見てまわります。

ぼくが脚本アドバイザーで参加している、ハイバイの公演が近づいてます。
役者さんたちは、毎日稽古をつづけて、すごく面白くなりそうな感じです。
みなさん、びせ見てやってくださいね。

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2005年9月10日 (土)

芝居のチラシ

ひさしぶりの体感脚本講座。
今回は、劇場でもらってきた、チラシを使ってのワーク。

劇場に行くと、ぶあついチラシの束をもらいます。
ちかごろは、このチラシの配布をビジネスにしている会社もあるくらいです。
このチラシというのは、演劇関係にとっては、重要な情報伝達手段。
いくらネット社会になったからといって、芝居に関しては、このチラシというのが、もっとも有効な観客動員の手段のようです。

脚本講座の参加者の人たちに、一枚一枚チラシを見せて、『行きたくなるかどうか?』の感想を言ってもらいました。
どれだけチラシが、興味を引くことができるかの、テストです。
その結果、やはり情報を持たない人にたいして、もっとも興味を引くのは、『どんな役者さんが出演しているのか』ということだということがわかりました。

まぁ、当然といえば、当然の結果なんですけど。
役者というのは、まさに芝居の顔ですからね。

いい役者が出演しているというのは、観客にとっては、自分のお金と時間を使うための『保険』になります。
まだ出会う前の物語に、お金を払うのは不安ですからね。

その観点から見ていくと、商業演劇のチラシは、そういう一般的な観客に向けてのアナウンス効果という意味では、完璧にできていました。
メインの役者が誰で、どんな役者が出ているのかということだけが、チラシの前面におかれています。
芝居の内容も、一言でわかるようなキャッチコピーが書かれていて、わかりやすいことこのうえなし。
デザインの斬新さなど、一かけらもないんですけど、その手の芝居を見る人にとっては、必要十分なもの。
ある意味、プロの仕事だと思いました。

デサインがいいのは、やはり小劇場で、そこそこの実績をつんでいて、芝居の内容も評価の高いものをつづけている劇団のものがいいですね。

チラシを使っての、ディスカッションにつづいて、脚本講座は、2本の企画書を検討しました。
それぞれの企画について、いろんな感想や提案がでました。
それらを書いてきたメンバーにとっては、いいサジェッションになったことだと思います。
企画書というのは、自分の書く物語を、他人に見せる前の段階での助走になります。
ここでいい助走ができていると、いいジャンプができるわけです。
自分一人で、作品を書く場合は、企画書を書く必要はないのですが、商業的なジャンルをやったり、クライアントがついたりするものには、そういう部署との連携が必要になります。
それをクリアしていくためにも、企画書というのは重要なわけです。

次回からは、少し、この企画書というものについて書いていこうかなと思います。
なんてことを書いていながら、明日からは、取材旅行に入るわけで、このブログは旅行記になるかもしれません。
乞ご期待。

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2005年9月 8日 (木)

復活です。

体感脚本講座・復活です。
個人的な理由で、ここ何回か休んでしまった、ライブ版体感脚本講座が復活します。
参加者のみなさんには、迷惑をかけてしまいましたが、またみなさんに会えます。
なんてことをいいながら、来週は、また休んでしまうんですけど。(すみません)
この機会に、みなさんに一本脚本を書いてもらおうと思ってます。

来週は、シナハンで、イタリアに行ってきます。
シナハンは、中国ご飯のことではありません。
シナリオハンティングです。
いいインスピレーションをもらって帰ってくるつもりです。

昨日は、ひさしぶりに芝居を見てきました。
友人の西山水木が出演しているもので、シアター1010の『写楽考』です。
作・矢代静一、演出・マキノノゾミ。

シアター1010は、半年くらいまえにできた新しい劇場。
北千住にあるから、千十で1010。しかも建物は、丸井(0101)の入っているビルの中。昨年のオープン日は、10月10日だったという、シャレでネーミングされている。
いい劇場でしたが、名前のシャレのわりには、エントランスなどが、あまりにも普通すぎて、ちょっと残念。

ぼくは、劇場の入り口とか、構えというのは、芝居という非日常に入っていくための装置の一つだと思っています。
入り口から、芝居ははじまっていなければならないはずなのです。
それなのに、一般的な日本の劇場というものは、そこにはあまり気をつかっていないのが多いんですね。
やはり、ここもそうでした。

デパートという日常から、エスカレーターであがると、そこに区役所の分室があって、そこからあまりにも日常的に劇場のエントランスがあるわけです。
これじゃ、まるで区役所の公民館の高級なやつじゃねぇかよ、と心の中でつぶやいてしまいました。
一万円近くの料金を払うんだから、観客を非日常空間でおもてなししてさしあげようっていう仕掛けがもっとあっていいんじゃないかなぁ思います。
けっしてシアター1010の悪口を言っているんじゃありません。
全国にある、公共の劇場すべてが、あまりにも日常空間すぎるってことを言っているだけです。

われわれ演劇にかかわる人間は、芝居をプロデュースするとき、そういう器としての劇場の演出効果も、もっと考えていくべきではないかと思います。
もちろん、公共のものに手をくわえるということが、とても難しいことだということは、わかったうえで言ってます。
ここでも役人とか消防法とかが、立ちふさがりますからね。

物語を体験する入り口ということでは、芝居にとっては劇場、映画にとっては映画館、小説にとっては本、ゲームにとってはグラフィックか……
お客をおもてなしするには、どういう環境がいいのかという気配りですよね、結局は。

この気配りというのが、難しい。
気配り上手になりたいもんです。

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2005年9月 6日 (火)

いまできること

毎日、世界中で、嫌な事件や事故が起きている。
天変地異。戦争。差別。虐待。
テレビや新聞は、悲惨なニュースばかりを伝えている。
まわりを見まわしても、気が重くなるようなことばかり。
親しい人の病。
友人の家族の事故。
大切な人との別れ。
いつも、自分の無力感だけが、重くのしかかってくる。
なんにもできない自分が情けなくなる。
できるのは祈ることくらい。
祈りなんて、なんかの役にたつのだろうか。ただ自分をなぐさめているだけじゃないのか。そんな思いが、ぐるぐるとまとわりつく。

でも、何かができると信じたい。
信じているだけでは、何も前に進まないから、何かやらねばと考える。
それで、自分にできるのは何だと、自分に問いかけてみる。

まずは、身近にいる人を大事にすること。
あたりまえのことだけど、そういうことすらも満足にできずに、世界のことを思ったりしている自分が傲慢に思えてくる。
ああ、情けない。

もっと身近な、自分を自分は大事にしているのか?
暴飲暴食、慢性的な寝不足、運動不足、健康診断さえもやってない。
自分が、自分さえも大事にしていないことに気づく。

まったくモウって感じだ。
自分で自分を傷つけていることに、鈍感になっているのだ。

この鈍感さこそが、いろんなものにつながっていっているのかもしれないと思う。

いろんな世界の意味を知りたくて、作家を目指したはずだった。
そのためには、その意味を見つける視点が大事だと思っていた。
視点を見つけるためには、感覚を鋭敏にしていなければならないと。
そのくせ、一番身近なところには、鈍感でいつづけてきたのだ。

せめて、優しくなろうと思う。
自分にも、他人にも。

いま、自分ができること。
やっぱりそれは、物語をつくることしかない。
いい物語に近づきたい。
そして、その物語が、多くの人の心のなぐさめに、少しでもなるように。

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2005年9月 3日 (土)

ネットで韓流

ちょっと元気になりました。
いろいろご心配をかけてすみません。
夏バテもふくめて、締め切りに対応できず、苦しんでました。
まだまだ、産みの苦しみはしばらくつづきますが、なんとか対応できるはずです。
そろそろ上げ潮でいきます。

体感脚本講座も、ずいぶん休んでしまって、参加者の人たちに迷惑をかけてしまいました。
復活しますよ。

ネットテレビというものがはじまってます。
仕事しながら、息抜きがてら、韓国ドラマを見ています。
回線スピードのつごうで、まだ画像はあまりよくないですが、十分鑑賞にたえられます。
こうなってくると、放送のテレビは危機感を抱かなければならなくなりますね。
ネットでいろんな番組を、自由にダウンロードして見られるということになると、ますますテレビ離れがすすむことまちがいなしです。
番組の細分化、特殊化は、ますます進んでいくでしょうね。

なんか評論家みたいなことを書いてしまいました。
まだまだ、精神的なパワーが落ちてますね。
受け身になっている自分を感じます。

創作意欲が落ちているわけじゃないんです。
書きたいことは、たくさんあります。
エネルギーの流れがとどこおっているだけ。
原因はわかっているんですけどね。
それが解放されるように、努力していくしかありません。

いまこうして苦しんでいるのも、すべてはいい脚本や作品につながっていくと信じて、まえに進みます。

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