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2005年10月31日 (月)

笑顔爆発

昨日は、笑顔クラブというところが主宰した、かめおかさんのワークショップに参加してきた。
かめおかさんは、中学生の演劇指導や、脚本を書いたり、さまざまなところでの講演活動などをしている人。
いぜん、東放学園の演劇を講師をしている、井上さんから紹介を受けて一度会ったことがあった。
僕は、シアターゲームとか、インプロの手法を、高校生に芝居を教えるときに使っているのだが、このかめおかさんも、同じような方法を使っていると聞いていたので、一度、どういうことをやっているのか見たかったのだ。
いつもは自分が指導をしている立場なので、純粋に参加者として、やってみたいという気持ちもあった。

笑顔クラブというのが、どういうものなのかというのも知らぬまま、会場である赤坂コミューニティセンターに向かう。
二十代から、上は七十代まで、さまざまな人が30人くらい参加してのワークショップ。
笑顔クラブとは、どうやら日本中を笑顔にしたいというコンセプトで作られた団体らしい。
いきなり、笑顔体操をやらされる。
ちょっと引いた。
主宰者の女性のリードのまま、笑顔作りの4段階とか、人指し指をくわえての、口角の上げ方などの指導を受ける。
笑えねぇヨォと思っていたが、まわりで真面目に笑顔をつくっている人を見てたら、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
笑顔大成功。
しかし、不思議なところに迷いこんでしまった感はぬぐえない。
あとでわかるのだが、僕と同じように、笑顔体操初体験の人が、実は何人もいたらしい。

かめおかさんのワークショップは、『心の筋肉強化がテーマ』。
基本的にインプロのゲームなどをベースにした楽しいものだった。
こういうものをはじめてやる人たちもかなりいたが、実にスムースに進んでいく。
演劇(特に即興)の練習につながるゲームが多かったが、そのゲームをやりながらの、かめおかさんの発する言葉が的確なので、参加者たちの集中力が切れることなく進行していく。

高校生に芝居を教えるときには、このコーチ役(ファシリテーターと呼ぶ場合もある)の人のキャラクターとパワーとエネルギーが最も大事である。
つまり、自分のことね。
これがテンション落ちると、全体のテンションも下がってしまう。
かめおかさんは、ものすごいテンションとエネルギーの人だった。
さすがだった。
見習うことが、たくさんあった。

参加者の人たちには、かなり面白そうな人が何人もいた。
脚本や小説の登場人物のキャラクターにすぐなりそうな人もいる気がした。
個人的にもう少し知り合いたかったのだが、そこまで近づく時間がなく、ワークショップが終わったら、バラバラになってしまったので、それがちょっと残念だった。
せめて名前だけでも聞いておけばよかった。

懇親会にも参加して、食事しながら、二人ほどの人と話をしながら、こういうワークショップにはどういう人が参加しているのかを取材。
いわゆるふつうの人たちが、集まっているという印象だったが、最後には、また笑顔体操でしめくくられた。
またまた、心の中では、かなり引き気味になりながらも、ニコニコピー体操をしたのだった。
うーん、今は、こういうのが普通なのか……

みんな向上心があって、笑顔が好きで、とても親切で、いい人で、前向きで……

悪いことは何もないんだけど、心のどこかで、警戒しているぼくがいる。
なぜだか知らないが、ぼくは油断するものかと思ったりしている。
自分こそ、人からは、いつもニコニコしている能天気男と言われているくせに。

笑顔一つで、いろいろ考えた。

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2005年10月29日 (土)

高校生との演劇1

僕は東放学園高等専修学校というところで講師をしている。
もう五年目。
今年は、卒業公演の演出担当。十月から十二月までは、週に二日。来年になってからは、ほぼ毎日、高校生と芝居の練習をすることになる。
公演は、来年2月の第二週の週末。IMGP2733

卒業公演というのは、高校生最後のイベントなので、演出をする僕としても責任が重大。
思春期の大事な三年間を過ごした仲間たちとの、最後の思い出作りでもあり、これから出ていく社会に向けての準備運動でもある。
とにかく彼らに、いい時間を過ごさせてやりたい。
心から、そう思っている

気軽に引き受けた高校生の演劇指導だったが、いまでは僕の人生において、かなり大きな部分を占めるテーマになってしまった。
プロの脚本家、演出家としてのキャリアという面からみると、ほとんどメリットはないように見えるかもしれない。
たしかに僕が、高校生と演劇をやっているからといって、脚本の仕事が来たり、演出の仕事が来たりすることはない。
ここで作った脚本や芝居が、僕の生活のたしになるようなお金になることは、ほとんどといってないのだ。

でも、僕はこの仕事をやめるつもりはないし、もっと本気を出して、やっていくつもりだ。
それはなぜか。
それは、僕が何かを書き始めたときの動機に、すごく近いものを、この現場に感じているからなのだ。

僕が、物語を書き始めたのがいつだったのか、はっきりと思い出すことはできないが、覚えている限りでは、小学生の時に、友達に見せたくて漫画のストーリーを考えたときだったような気がする。
最初に書いた舞台脚本は、中学2年生のときの文化祭。全校生徒の前で見せるためのチャンバラ時代劇だった。
楽しかった。
物語をつくるのは、僕にとっては何よりの遊びだったのだ。

いつのまにか、その物語作りで、お金をもらうようになっていた。
もちろん楽しい。
そして、そのいただくお金に見合う、仕事(物語)をつくることには責任を持つという自負もある。
その仕事と、その現場を、高いレベルのところまで追求していきたいという欲求もある。
高いレベルとはなんなのかというところは、また別のテーマだが、とりあえずここでは、社会的な評価もギャランティも高いところのものだとしておこう。(本当の高いレベルは、そういうものではないと考えてますが)

今の、高校生との演劇作りは、その高いレベルに向かう道とは、まったく違う道だ。
むしろ、中学二年生のときの、ぼくの原初的な物語作りの喜びに、かぎりなく近い。IMGP2744

誰かのために何かをしたい。
誰かを喜ばせてみたい。
そんて僕の中にある、本能が、いま僕を突き動かしている。

自分の深いところにあるものに触れようとすると、なんだかとりとめもない文章になってしまいました。
自分が何を書きたかったというところも、ぶれてきます。
今日は、このあたりでやめておきます。
これからもときどき、高校生との演劇作りのレポートをこのブログに書きますので、ドキュメンタリーとして楽しんでくださいね。
脚本作りについても、面白いレポートになるかもね。

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2005年10月26日 (水)

レストランシアターの距離

レストランの店内でお芝居をする、レストランシアターで、短編の芝居を見てきた。
食事をして、一杯飲んで、芝居を楽しむという企画。
今年のはじめに、僕もこの企画に役者として参加したが、それがしだいにグレードアップしてきて、場所もいいところになり、お客さんもけっこう入るようになっている。

日常のなかに、ふつうにお芝居があり、それを楽しむことができるというのはステキなことだ。
こういう形態の演劇が、もっとふえてほしいと思う。

今回の演目は、一時間のコメディだったが、脚本的にはとてもよく計算されているものだった。
登場人物たちが、自分たちが、嘘をごまかすために、さらに大きな嘘をつかなければならなくなってしまうというシチュエーションコメディ。
最後は、ドタバタのスラップスティック的にもなっていき、僕の好きなタイプの脚本だった。

これを見ながら、コメディ(笑い)の難しさについて、あらためて考えた。
脚本では、おかしいシチュエーションに書かれているのに、笑いが起きる場合と、そうでないときがある。
笑えるか、笑えないか。
これはどこで決まるのか。

これは、かなりの比率で、役者のキャラクターと演技力にかかっていると思った。
キャラクターと演技力というもののなかには、もちろん、観客との親和性というものもふくまれている。
その役者が、観客との距離を、どれだけ縮められるか。

演出は、その距離の調節に力を貸してあげることはできるけど、最後は舞台にあがっている役者がなんとかやるしかない。
レストランシアターは、観客との実際の距離はものすごく短い。
出演者の30センチ前に観客がいたりする。
大事なのは、この実際の距離ではなく、物語の世界との心の距離なのだ。
この距離を、どうやってうめていくか。
それが『笑い』を生み出すためには、ものすごく大事になる。

このことがわかっていても、なかなかできることではないのが、この『笑いの世界』。
本当に、人を笑わせる力を持った人のことを、僕は尊敬します。

笑いは、人を幸せにするし、免疫力もあげてくれます。
笑わせる力を持った人というのは、つまり人を幸せにする能力の高い人ってこと。
すべてのお笑い芸人や、コメディの役者に、レスペクトです。

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2005年10月24日 (月)

タイガースに学ぶ

野球の日本シリーズがはじまっている。
タイガース対マリーンズ
マリーンズが2連勝して、千葉は大盛り上がりだ。
スポーツ好きのぼくとしては見逃せないシリーズ。

まさに勢いの違いが出てしまった、この2試合だったと思う。
勢いとはなにか。
辞書には、運動によって生じる他を圧する力。元気。勢力。はずみ。なりゆき。などと書かれている。

そう、勢いとは『運動によって生じる力』なのだ。
つまりこのシリーズの直前まで、マリーンズはパリーグのプレーオフをやっていて、さんざん『運動』していた。
そしてタイガースは、セリーグの優勝を決めてから、長い休みに入ってしまわざるをえなくなって、『運動不足』になっていたのである。
つまり、シリーズの開始の時点で、両者の『運動量』は圧倒的に差ができてしまっていたわけだ。

ここから脚本家(または脚本家志望者)は、何を学べるか。
自分が脚本家として、『勢いのある』いい脚本を書こうと思うならば、運動(書くという行為)を続けなければならないということだ。
脚本家は、書くという行為を止めてはいけない。
たとえ、どんな状況にあったとしても、書き続けなければならない。
そうしないと『勢い』は、どんどん落ちていってしまう。

すべては、勝利(いい作品を仕上げる)するために、われわれは『運動』をしつづけるべきなのだ。

この教訓は、脚本家だけではなく、他のジャンルにかかわる人たちにも同じだろう。
自分に勢いをつけたければ、とにかく止まってはいけないということですね。
運動をしつづけること。
ぼくも書き続けます。

まだ日本シリーズは2試合しか終わっていないので、これからタイガースも反撃を開始すると思います。
タイガースファンも、運動を後押しするだろうし、走り始めれば虎は早いはずです。
ぼくは、どちらのファンというわけではないので、日本シリーズがとにかく盛り上がってほしい、そしていろんなドラマ、ストーリーを、ぼくたちに提供してくれることを期待しています。

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2005年10月23日 (日)

木滝サン

「あー、また木滝のやつ、個人宛のメールを、メーリングリストでみんなに配りやがって。なんかい同じことを注意すりゃいいんだよ……よけいなメールがくるのは、迷惑なんだって……しょうがないなぁ」
  と、ぼくは忙しいにもかかわらず、木滝に電話をかけてしまう。
  そしてジャイアンツの心配性のピッチングコーチのように、選手の指導をはじめるのだった。

木滝さん。
子持ち脚本家、年齢不詳。
十数年前からのつきあいになる……
彼女のことを、こうして言葉で表現しようとすると、ものすごく難しいことに気がつきました。

うーん、会って、体験してみないことには、木滝さんの、すごさはなかなか伝わりません。

あらゆる人間の持っている性質を、ぜんぶ少しずつ、デフォルメして体現してしまっている人物なんですよ。
ほら、また難しくなっちゃった。

ぼくは木滝さんのなかに、すべての人間を見てしまうんです。
木滝さんは、ふだん見失っている自分のなかにある、人の弱さや、強さもや、すばらしさや、おろかさなど、すべてを見させてくれるんです。

そして、人間ってすごい。すばらしいって。思ってしまう。
つまり、ぼくは、この木滝さんが大好きなんですね。

そんな木滝さんに、劇団ハイバイの岩井君が目をつけて、自分の作品に登場させてしまいました。
こんかいの『ナナイロニ』に、木滝さんは重要な役をもらって出演してしまったわけです。
ぼくも彼女には、十年以上前に一度出演してもらっていて、彼女にとっては舞台出演は、二度目。
もちろん演技の訓練など受けていない彼女は、役者としてはほとんど素人なんですが、抜群の存在感を示してくれました。

抜群の存在感。
共演者としては、『まいったなぁ、食われちゃうよ』的なフォーカス取り。
ときとしては、芝居の内容よりも、目立ってしまいそうになる危険性さえふくんだ存在。
でも、面白かった。
危険だったけど、なんとかギリギリのところで、走り抜けた。
それが今回の彼女の舞台出演だったと思います。

彼女はプロの役者ではないので、いろんな役ができるわけではありません。
ただ自分として、自分のできる限りのことをして、そこにいるということにかけては、誰にもまけない力を発揮するのです。
そして、そこにいるということにかんしては、彼女は自分を疑うことをしたりしません。
これこそが、彼女の存在感の理由です。

この事実は、すべての役者や役者を目指す人への示唆にとんでいます。

自分が、この世界にいることに疑いを持たず、自分のできること(生きること)に全力をそそぎ、ただそこに存在すること。
こんな一言で言えてしまえるようなことが、なかなかできないんですよね。
疑ったり、不安になったり、全力で生きていなかったり。

つまりは、この現実のなかで、一人の人間として、どのように存在(あり)つづけているか。
そのたたずまいが、役者として舞台にあがったときに、とても大事になってくるということ。

いい役者と呼ばれる人たちは、まちがいなく役者としての技術以上に、この人間としての力を備えています。
技術をこえるものが、そこにはあるわけです。
もちろん技術はあって当然だし、あるほうがいいに決まってるんだけど、かりに技術がなくったとしても、人間力があれば、それを十分におぎなうこともできるのです。

木滝さんに会うたびに、ぼくは、自分も人間力をもっと鍛えたいと思うわけです。
そして、まだまだここに、ただ存在しつづけようと。

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2005年10月22日 (土)

消えた人

超ベテラン俳優たちが出演する舞台を見てきた。
パニックシアター公演『ラスト・シーン』(下北沢『劇』小劇場)
作・マーガレット・ウッド。
女優の中村まり子さんが、主宰し演出もしている。

人生の大先輩である男優さんや女優さんたちが、イギリスの役者のための老人ホームの一室を舞台にして、人生の最後の一ページを、演じてくれている。
堪能させていただきました。

となりの大きな本多劇場では、若手人気劇団の『大人計画』が、売れっ子脚本家九藤さんの芝居をやっていて、賑わっている。
まさに、日本の演劇界の中心地、下北沢。
そこで、出演者たちの平均年齢が、日本一高いであろうと思われる芝居が、若者たちのエネルギーに負けない光を放っておこなわれている。
その事実に、ぼくはうれしくなってしまう。
芝居を好きでよかったと思える。

手が痛くなるほど拍手をして、劇場を出て、演出家に挨拶をして帰ろうとしたとき、ショッキングなことを聞かされてしまった。
知り合いの男優さんが、二年ちかく前に、自殺していたということ。
おどろいて、血の気が引いた。
一時期、その彼とは親しくしていた。彼は僕よりもかなり若かったので、酒をおごって、ずいぶん厳しいことも言っていた。彼のいい声と、ひょうひょうとした演劇が、ぼくは好きだった。
いつも芝居の案内をくれていたのに、ちかごろ来てないなぁと思っていたのだが、こんなことになっていようとは。

そのまま帰る気持ちになれず、酒場に行き、彼のために飲んだ。
あたまのなかでは、いろんな質問がぐるぐるまわった。
その質問をする相手は、どこにもいない。

でも、答えなんかなくったっていいのだ。
質問をするということが大事なのだと思う。
答えをもとめすぎるから、闇のなかに迷いこんだりしてしまう。

ぼくは質問をしつづけよう。
稽古場と劇場は、ぼくが世界にむかって質問をする場所。

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2005年10月21日 (金)

オペラ座の怪人

四季のオペラ座の怪人を見に行った。

豪華なセット、豪華な衣装、力のある役者の歌声……
うん。
退屈しませんでした。
このところ小劇場で、しょぼい芝居ばっかり見てたので、エンターテイメントがやっぱり好きなんだと思ったよ。
けど……なんでこうなったんだというところが、いくつもあって、ちょっと不満足。
これは職業病(脚本家)かもね。

その一つの例。
怪人が、オペラ座に逃げこんだときの、いきさつが説明されるんだけど、すごくあっさりと片づけられてた。
サーカスの一座で、すごくみにくい天才の男が見せ物になっていたんだけど、ここに逃げこんだとか。
えーっ、こんだけって思ってしまった。

怪人が怪人になってしまった理由の部分で、この人物ができあがったことを観客になっとくさせるための重要な部分のはずなのに、すごく簡略化されてしまっていたんです。
たぶん、もともとの原作では、『奇形の子供が、虐待されて、見せ物にまでされていた。だから彼の性格は屈折し、このような怪物が誕生した』という部分がはっきりと書かれていたのではないか。

その部分が、こういう大劇場とかの公演用に開いていくとき、『差別』の問題とか、『虐待』の問題とか、現代の社会では、すごく規制がかかってくる。
それは、僕が仕事の現場としている、テレビや映画の世界でもそう。
そういう見えない『圧力』が、たぶんこのあたりの描写を、やわらかくさせたんじゃないかと思うんだよね。

かりにそうでないとしても、この部分をちゃんとおしていくと、エンターテイメントとしての作品のトーンが、ものすごく変わっていくのもたしかだ。

脚本家の人というか、翻訳家の人、演出の人も、きっとそのあたりはちゃんと描きたかったに違いないんだけど、そこをおすと、たしかに作品のトーンはものすごく暗くなってしまう。
たぶん、このことを避けたかったんでしょう。

豪華な衣装とか、セットとか、すばらしいダンスとか、びっくりするマジックとか、美男美女のロマンスとかを、観光バスに乗って見に来るお客さんたち相手に、人間の残酷さや差別がつくりだした、異形の怪物の犯罪を見せつけて、自分たちの中にそういう残酷さがあるということを気づかせるような芝居を見せてもしかたがない。ここは幸せな気分で帰ってもらうおう。
そういう判断が、怪人が怪人になった理由の部分を薄くしてしまったんだよね。

そのあたりの現場の判断が、芝居を見ながら、透けて見えてしまうあたりが、まさに職業病。

でも、このことは、自分にもふりかかってくること。
エンターテイメントの仕事のなかで、どこをおして、どこをひくか。
エンターテイメントという言葉のなかには、そういうギリギリの作り手の、センスと知力の戦いもふくまれているのです。

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2005年10月20日 (木)

ウーンな映画

知人の会社の元上司が映画を作った。チケットがあるというので、渋谷に映画を見にいった。
ナイトショーである。
行く前に、地震が起きた。地震はたいしたことがなかったが、なんだか不安になる。
その映画は、若者風俗をとりあげたものだったが、その出来のひどいこと。
衝撃を受けた。
単館上映とはいえ、かりにも一般映画館で封切りしている映画である。
もう少しなんとかならなかったものか。
はじまって数分は、ツッコミ所満載なので、笑いそうになってけっこう楽しんでいたのだが、ひどい音楽とひどい映像がえんえんとつづくと、肉体的にもどんどん疲労していった。
途中で退場したくなったが、両側に人が座っていたので、迷惑をかけるわけにもいかないという気分で、眠ろうとしたが、音楽が大音量でかかるので眠ることもできない。まるで拷問にかけられてるような気分になってしまった。
トホホ。

自分のことは棚にあげて、言わせてもらうけど、やっぱり脚本は大事です。
脚本の段階で、どんな映画になるのかというのは、だいたいわかります。
プロデューサーのみなさんは、脚本の段階で、映画の出来上がりは想像できるはずです。
その段階で、なんとかできなかったものなのか。

で、その映画のクレジットを見ると、監督が脚本も書いていた。
演出する人が、脚本も書いていると、こういう独りよがりの作品になってしまうことが多々ある。
やはり演出家は、客観的であるべきだと、いまさらながらに思いました。

作演出をしている人は、自分に対して、客観的視点をどうやって持つか。
それが大事。

これは自分にたいしても鏡だと思った。
いま高校生の芝居を準備しているけど、どうやって客観的視点を保つか。
共同脚本家に入ってもらうか。
アドバイザー的な人に、読んで意見を言ってもらいながら、作業をすすめるのか。
どっちとも使うか、検討します。

もしあなたが脚本を書いているのだったら、ちゃんと意見がいえる人(プロデューサー的感覚を持っている人)に、自分の作品を読んでもらって意見を聞いてください。
そして直しましょう。
直しはつらいけど、最終的な結果は、絶対によくなるのだから。

ほんと人の作品を批判したり批評したりするのは、同じクリエイターとして、じつにつらい。じぶんにもろに跳ね返ってくるからだ。ぼくの書いたものも、おなじように、いろんな人がいろんな意見を言うだろう。それはとてもこたえることだけど、ここでふんばっていくしかないのだよね。

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2005年10月19日 (水)

アフレコ

今日は新番組の一回目のアフレコだった。
ぼくが脚本を書いている関係で、台本チェックのために、いさんでスタジオに向かう。
ところが聞いていたのより、一時間開始時間があとだった。ぼくのところまで連絡がとどいてなかったらしい。
おかげで誰もいないスタジオで、台本チェックを一人でした。
ぞろぞろとやってくる声優さんや、マネージャーさんに挨拶をして、録音監督にチェックした内容を確認して、そそくさと次の打ち合わせ現場に向かう。
一話の雰囲気を知りたかったんだけど、残念。

つづけて本読み。
何回も書き直した台本なんだけど、さらにプロデューサーたちから、さまざまな意見を聞く。
もう一回、直しだ。
ほんとうに書いては書き直しの連続。
これが脚本家の仕事。

世界中で、書き直しをしつづけている、脚本家のみなさん、がんばろう!
きっとこの先に、うれしい笑顔を見せてくれるお客さんがいることを信じて。
ぼくらは、誰かの幸せのために、今を生きているのさ。
100_0134 イェーイ!

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2005年10月18日 (火)

やればできるのに

昨日は、がんばった。
大物の直し、テレビの予告、短編ギャグ物と、たてつづけに三本を書き上げた。
三日閉じこもってたので、背中はガチガチ。
マッサージとかも、すきをみて行ってるんだけど、あんまりよくなってない。
いかなかったら、もっとひどくなってると思うけど。

ハイバイの連中は、昼打ち上げとしょうして、富士急ランドに行っちゃった。
やつらのブログとかのぞくと、すごと楽しかったみたい。
すごくうらやましい。
芝居とか一緒にやって仲良くなると、ほんとに仲間になれるんだよね。
そんな連中と、一緒に遊園地にいくなんて、まるで小学校の遠足みたいな雰囲気で、幸福感に満ちてしまうだろうことはよくわかる。
あー、そんないい体験を逃してしまうなんて、体感脚本講座の主としては、大失態。

しかし、毎回、原稿の締め切りに間に合わない。
もうちょっと早くできないものかとよく言われるが、できないんだよね。
追いつめられて、追いつめられて、ギリギリの土俵際までいかないと、原稿が書き上げられない。
ほんと反省してるんですけどね。
体にもよくないし、なんとか改善していきたいと思ってます。
まだまだこの仕事つづけたいし。

ニュースでは、首相が靖国神社に参拝したからと大騒ぎ。
中国も韓国もいきなり大批判。
なんでそうなるのと思います。
あえて摩擦をつくってしまうのね。

ただ摩擦が起きるということは、そこに意識がいくということ。
悪いことばかりじゃないと、僕は思う。
摩擦がおきれば、力ゆるめたり、油をさしたり、ローション塗ったりするよね。
そういうことに気づかないうちに、ポキッと折れたりしないようにすることができるから。

なにか人との間に、摩擦がおきたとき。
それをいいことだと、自分に言い聞かせることができるかどうか。
それ大事ね。

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2005年10月15日 (土)

脚本チェックポイント

  昨日、ある劇団の芝居を見てきた。
  ストーリーは、ちょっと哲学的な内容を舞台化したもので、難解なところのあるものだった。それは観劇する前からわかっていたことなので、眠たくならないようにとカフェインをたっぷり飲んでいったつもりだった。それでもやっぱり、睡魔に負けて、うつらうつらしてしまっていた。
 面白ければ、どんなに眠たくてもたぶん大丈夫だったとは思うんだけど、やはりそれほど面白く感じられなかったということだろう。
 芝居を見るときには、そのときの肉体的コンディションもおおいにかかわってくる。
 体調が悪いと、どんなに面白い芝居でも、気分が悪くなったり、眠たくなったりしてしまう。
 体調がいいのに、体が不調になったら、それは芝居のせいだと思っていい。

 それでもう一つのことに気がついた。
 内容が難解で暗めのストーリーとかの場合、主人公を演じる人のキャラクターと演技力がとても大事になるということだ。
 観客をストーリーをつなぐのにもっとも大事なのは、主人公を演じる人物のキャラクターなのだと、あらためて思った。

 舞台に登場してからのわずかの時間で、観客を自分に感情移入させて、物語の再体験を観客たちにわけてあげられるキャラクターと人物。それが主人公を演じる人に要求されることなのだ。
 そのためには、できるだけ欠点の多い人物であることが、とても有効な手段となる。
 主役の人が、なんだか見た目がよくて、とっつきにくそうな人だと、観客としては感情移入がしにくい。
 なさけない人のほうが、好ましく思えたりしてしまう。親しみがわくからだ。

 脚本家は、自分の描く主人公が、観客から見て、親しみのわく人物になっているかというのを、物語の冒頭では考える必要がある。
 これは脚本を書く場合の、重要なチェックポイントの一つです。

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第一シリーズ終了感謝

 ハイバイの公演も無事終了。
 そして、ライブ版の体感脚本講座、全12回もめでたく第一シリーズが終了しました。
 参加者のみなさん、おつかれさまでした。

 それぞれ成果があがったことを期待します。
 この参加者のなかから、一人でもプロの人が誕生したり、他のジャンルでも大いに飛躍していただければと思ってはじめた体感脚本講座でしたが、けっきょく、僕自身が一番学んでいるようです。
 毎日が、チャレンジ&学習です。
 ありがとうございました。

 次回、第二シリーズはあるのでしょうか!?
 きっとあるでしょう。
 ブログ版体感脚本講座は、これからもつづけていきますのでよろしくお願いします。

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2005年10月10日 (月)

ハイバイあと2ステージ

右拳の痛みで、目が覚めた。
その直前、ぼくは夢を見ていた。
夢のなかで、何かに向かってパンチを繰り出したはずだった。
それが現実では、リビングにしいたマットの上で倒れて眠っているはずの自分の拳に激痛が走ったのだ。
しかも、ゴツッと音がしたような気がした。
なにかおきたのか、ぼくは瞬時に理解した。
体のすぐ横にあった壁に、パンチしてしまっていたことを。

夢のなかと同じように、体を動かしていたのだ。
そういえば寝言も言っていたような気もする。
それにしても拳が痛い。
かなり強烈にパンチをくりだしてしまったようだ。

子供のころ、ぼくは寝ぼける癖があった。
それは寝ぼけというには、かなり重症で、寝たまま風呂に入ったり、外に出ていってしまったこともあるらしい。
夢と現実との境目を、ぼくは行ったり来たりしていた時期があったのだ。
それは別に嫌な体験ではなく、まさに夢のなかでしている体験を、現実の世界でも体が反応しているというだけで、自分ではけっこう楽しんでいたような気がする。

今日は、劇団ハイバイの千秋楽。
僕が脚本に協力した作品『ナナイロニ』は、あと2ステージで終了。
エンターテイメント現代口語劇。しかも歌とダンスのミュージカルっぽい。
今回のお話は、妄想と現実がいりまじる人間の内面を、するどく、あたたかく、おかしく、ほろ苦く、歌い、踊り、笑い飛ばしたもの。
次世代の作家、岩井秀人の挑戦作。
見逃さないほうがいいと思いますよ。
昼は一時、夜は六時。あと二回だけ。高円寺の明石スタジオに急げ。

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2005年10月 8日 (土)

劇団ハイバイ本番中

ハイバイ公演中です。
ぼくが台本番長をしている劇団、ハイバイが公演中です。
今日は、もう三日目。
ぼくもこれから見に行きます。

台本番長とは、脚本アドバイザーのことです。
脚本演出の岩井君は、この体感脚本講座に参加して、そのようすもシーンにとりこんでしまいました。
ニセ体感脚本講座が、芝居のなかで展開してます。
今日もふくめてあと三日。
本番にすると、あと5ステージ。
ぜひ見てもらいたいです。
ハイバイのホームページを見てくれれば、行き方とか書いてあるので、よろしくね。

この三日間、ぼくは必死で原稿書いてました。
なんとか先が見えてきました。
ほとんど歩いてなかったので足がなえてます。

脚本家も体力勝負のところあるので、これからちょっと体力をもとにもどさなきゃと思ってます。
背中も腰もガチガチだし、運動不足でふとっちゃった。
仲間の脚本家も、この夏バテて、12キロやせたやつもいる。
やっぱ体が一番よ。

みなさん体は大事にしましょう。

かさねてお願いします。
ハイバイの芝居を見に来てください。

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