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2005年10月23日 (日)

木滝サン

「あー、また木滝のやつ、個人宛のメールを、メーリングリストでみんなに配りやがって。なんかい同じことを注意すりゃいいんだよ……よけいなメールがくるのは、迷惑なんだって……しょうがないなぁ」
  と、ぼくは忙しいにもかかわらず、木滝に電話をかけてしまう。
  そしてジャイアンツの心配性のピッチングコーチのように、選手の指導をはじめるのだった。

木滝さん。
子持ち脚本家、年齢不詳。
十数年前からのつきあいになる……
彼女のことを、こうして言葉で表現しようとすると、ものすごく難しいことに気がつきました。

うーん、会って、体験してみないことには、木滝さんの、すごさはなかなか伝わりません。

あらゆる人間の持っている性質を、ぜんぶ少しずつ、デフォルメして体現してしまっている人物なんですよ。
ほら、また難しくなっちゃった。

ぼくは木滝さんのなかに、すべての人間を見てしまうんです。
木滝さんは、ふだん見失っている自分のなかにある、人の弱さや、強さもや、すばらしさや、おろかさなど、すべてを見させてくれるんです。

そして、人間ってすごい。すばらしいって。思ってしまう。
つまり、ぼくは、この木滝さんが大好きなんですね。

そんな木滝さんに、劇団ハイバイの岩井君が目をつけて、自分の作品に登場させてしまいました。
こんかいの『ナナイロニ』に、木滝さんは重要な役をもらって出演してしまったわけです。
ぼくも彼女には、十年以上前に一度出演してもらっていて、彼女にとっては舞台出演は、二度目。
もちろん演技の訓練など受けていない彼女は、役者としてはほとんど素人なんですが、抜群の存在感を示してくれました。

抜群の存在感。
共演者としては、『まいったなぁ、食われちゃうよ』的なフォーカス取り。
ときとしては、芝居の内容よりも、目立ってしまいそうになる危険性さえふくんだ存在。
でも、面白かった。
危険だったけど、なんとかギリギリのところで、走り抜けた。
それが今回の彼女の舞台出演だったと思います。

彼女はプロの役者ではないので、いろんな役ができるわけではありません。
ただ自分として、自分のできる限りのことをして、そこにいるということにかけては、誰にもまけない力を発揮するのです。
そして、そこにいるということにかんしては、彼女は自分を疑うことをしたりしません。
これこそが、彼女の存在感の理由です。

この事実は、すべての役者や役者を目指す人への示唆にとんでいます。

自分が、この世界にいることに疑いを持たず、自分のできること(生きること)に全力をそそぎ、ただそこに存在すること。
こんな一言で言えてしまえるようなことが、なかなかできないんですよね。
疑ったり、不安になったり、全力で生きていなかったり。

つまりは、この現実のなかで、一人の人間として、どのように存在(あり)つづけているか。
そのたたずまいが、役者として舞台にあがったときに、とても大事になってくるということ。

いい役者と呼ばれる人たちは、まちがいなく役者としての技術以上に、この人間としての力を備えています。
技術をこえるものが、そこにはあるわけです。
もちろん技術はあって当然だし、あるほうがいいに決まってるんだけど、かりに技術がなくったとしても、人間力があれば、それを十分におぎなうこともできるのです。

木滝さんに会うたびに、ぼくは、自分も人間力をもっと鍛えたいと思うわけです。
そして、まだまだここに、ただ存在しつづけようと。

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