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2005年11月30日 (水)

脚本の共同作業の形

もう三日、まもとに寝てません。
ベッドがこいしいです。
仕事しながら、そのまま床でころがって、数時間気絶したように眠るという感じ。
これは、体によくないっス。

体はあちこち痛くなるし、寒いし、いいことなんてちっともない。
昨日は、学校のメイクの講師の人に、一目で体調が悪いのを見抜かれてしまいました。
頭皮の状態がよくないよって。
さすが目をつけるところがちがうなぁって感心してしまう。
ふつう、頭皮なんて目がいかないもんね。

よっぽどひどかったんだと思います。
シャンプーしたのに、やたらと細かいフケが出てたしね。

やはり、人間、ちゃんと眠らんといかんです。
骨髄は、横にならないと活動しはじめないっていう話しもきいてことあるしね。
横になることで、骨髄は血液をつくりはじめるんだって。

なんでこんな状態になってしまったかというと、いろいろあるんだけど、アニメの仕事と高校生の芝居の台本がかさなってしまったこと。
アニメの方は、なんとかかたずけたので、これからはしばらく芝居に集中します。

昨日は、やっと冒頭の十ページを書いて高校生たちに読んでもらいました。
読んでもらいながら、いろいろとイメージをふくらませていきます。
彼らの肉声をできるだけ台本に反映できるようにしたいんです。

これぞまさに脚本作りの共同作業なんだけど、彼らにどれだけわかってもらえているかは、なんともはかりかねます。
わかってくれてると思いたい。
ただ、思春期まっただなかの彼らの心のうちはなかなかはかりがたいもの。

短いシーンを何回も、読ませたので、最後はちょっと疲れて、あきちゃったようなところがあったなぁ。
これは僕も反省。
ちゃんと本読みをしてもらうことで、作家の僕が、それを台本にいかそうとしているということを、ちゃんと説明しておくべきだったです。
あと、彼らのテンションを考慮して、それなりのウォーミングアップを何回かやるべきだった。

彼らとの作業は、毎回、いろいろ考えさせられます。
自分のスキルと、人間力を試されているような気さえしてきます。
次回の稽古までには、もっと台本すすむぞー。

DSC00369 こないだ散歩をしていて、クラウンのパフォーマンスをしているのにでくわした。
百円で、30秒、あてぶりで動いてくれました。
思いっきり沈んでいた気持ちが、すこしだけ明るくなりました。
笑顔の力って偉大です。

ちかごろ僕も、そんなふうに人を笑顔にできる生き方をしたいと心から思います。

すばらしい紅葉を見たので、おすそわけです。

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2005年11月25日 (金)

落書き続報

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前々回に報告した、代々木公園のグラフティですが、続報です。
あのグラフティの上にも、ありました。

これって、上空から見なきゃ、全体像は見えないんだよね。
これを見るには、ヘリに乗ってこの上から見るしかありません。
それにしても、どうやって描いたのか……

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昨日は、仕事で、ちょっと嫌な思いをするはめになりました。
二十年以上脚本家やってきて、今回のような思いをするのは、はじめての体験。

何がおきたのかは、ここでは書けません。
恥ずかしいので。
それでも、この体験を糧にして、次につなげていきたいと思います。
反省、反省。

ちょっとへこんだのは、たしかだけどね。
ヘコむってことは、ふくらんでたわけだもんね。
いい方に考えます。

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2005年11月23日 (水)

若い友人たち

昨日は、友の死をひきずっていて、どうしようもなかった。
本来ならば、彼のお葬式に出席すべきかと思ったが、僕には芝居の練習をしに集まっている生徒さんたちがいる。
去っていく友は、心で見送ることにした。

僕の内側で起きていることを、みんなには黙って稽古をしようと思っていたのだが、どうしても胸につかえるものがあって、みんなに全てを話した。
なんだか、そうしたほうがいいような気がしたのだ。
こういうとき、ぼくはその内側からの声にしたがうことにしている。

きっと、目の前のハイティーンの子たちに、助けてもらいたかったのかもしれない。
そのありあまる生命力をわけてもらいたかったのだ。

ありがとう、わけてもらいました。

稽古といえば、ちょっと歯車があわずに話し合いになってしまった。
いろいろ不満を抱えている人たちもいるということもわかっていたし、その不満と不安に対しては、たしかに僕の説明も不足していたように思う。

もちろん30人もいれば、発言できる人と、発言できない人もいる。
ただし、ものすごくリアリティのある会話や、発言の空気がここにはあった。

こういうことができるようになった、彼ら、彼女たちは、きっといい芝居をつくってくれるだろう。
それは、僕のなかで確信にかわりつつある。

僕は、この新しく、若い友人たちと、一本の芝居をつくることに全力投球します。
それが、いま僕にできること。

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2005年11月22日 (火)

友の訃報

親友のK君が、亡くなったとの報せ。
彼とは小学校、中学校、高校とずっと同じ学校に通った。
12年間を共に過ごした友は、数少ない。

彼が死んだ理由はわからない。
この報せも、ほとんど偶然に近いかたちで、ぼくのところにとどいた。

いったい彼になにが起きたんだろう。
いまは、冥福を祈るだけだ。

昨夜は、さまざまなことを思い出した。
教室での彼。水泳大会でヒーローだった彼。一緒に山に登った彼。
文化祭で一緒にライブをやった彼。

彼が京都の大学に入学がきまり田舎の町を旅立つ時に、駅で彼を見送った。
小さな田舎の駅。
なぜか見送りは、僕一人。
僕は、オイルライターをプレゼントした。そのライターを、彼はずっと大事に持っていてくれた。
浪人していた僕が、京都に遊びにいったとき、バス停で彼に偶然再会した。
彼の下宿に、何日か泊めてもらった。
彼が就職したとき、いきなり彼の仕事場を訪ねた。やりがいのある仕事だと言って燃えていた。
彼が結婚したとき、新居をたずねた。幸せそうだった。
彼に子供ができたとき、お祝いをもっていった。幸せそうだった。
サッカースタジアムで偶然に再会したとき、息子がサッカーをやっているんだと自慢していた。幸せそうだった。
フラッグを振る君は、幸せそうだった。
君にあったのは、それが最後だった。

僕は、君の幸せな顔しか思い出せないよ。

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2005年11月21日 (月)

代々木公園の落書き

すごい落書きを発見。
これです。DSC00331

朝、代々木公園を散歩してて、発見しました。
昨日も歩いたはずなのに、見逃してました。
渋谷門の外、公園からNHK方面に向かうための陸橋に登るための階段と、その両脇にこのグラフティはあります。

もちろんこれは違法落書きなんだろうけど、その迫力と芸術性に思わず息を飲んでしまった。
これを描くために、費やしたエネルギーにも驚かされます。DSC00334
昼間は人目があるし、通行人とかもあるので、これを描くのは絶対に無理。
たぶん深夜にやったんだと思います。
誰が描いたか知らないけど、すごいよ、まったく。

こういう落書きは、どうなるんだろう。
これには、いろんなことを考えさせられます。
道で歌ったりパフォーマンスをしたりするのは、もしかしたら違法かもしれないけど、通行人を楽しませたり、癒したりするものもあります。
しかし、それをただのノイズとしか感じられない人には、迷惑千万なことになるわけです。
このグラフティも、すごいアートと感じる人もいれば、ただの落書きにしか見えない人もいるわけだもんなぁ。DSC00333

僕が毎日、観察をつづけている代々木公園で、ちかごろ気づいた変化があります。
ホームレスの人のブルーシートハウスが、減ってきてるんです。
数年前から、ものすごく増えて、キャンプ村みたいになっている地域があるんですけど、そのあたりが少しずつ減ってきているような気がします。
無理やり撤去されたような雰囲気もあり、なにかが動きだしている感じ。
やはり、管理側が動きだしているのかもしれません。

管理側もある程度までは、見過ごしてたんだけど、その許容範囲をこえたので、強権を発動したのかもね。
これから、どうなっていくのか、観察をつづけたいと思います。

それにしても、あの落書き。DSC00335
いったい、どこのどなたが描いたのか。
気になるなぁ。

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2005年11月20日 (日)

脚本マラソン

ようやく来年のアニメ映画の脚本が最終段階。
なんと今回は、九カ月かかっちまった。
一本の脚本に九カ月。
マラソンだぁ。
何十回も、打ち合わせして、書き直して、そりゃもう大変な労力。
かけるエネルギーも半端じゃない。
自分でも、よくやるもんだと思ってしまう。

中学高校と、陸上競技で中長距離の選手だったのが、ここにきて役立ってるのかも。
いまや、体重がふえて長距離の選手だったのはみるかげもないんだけど、当時はかなりスリムでございました。
マラソン大会とか、優勝候補だったもんね。ただし、一回も優勝したことがないというのが、僕らしいところ。
いっつも二番手とか、三番手なんだよなぁ。
一番にはなりきれません。
これは、いまでもかわってないね。

よく出場したのは、八百メートルとか、千五百メートル障害。
駅伝とかもに出場しました。
八百って、ほんときつい競技なんですよ。
ゴールしたあと、全身に乳酸たまって、動けなくなくなったりするんです。

脚本の仕事も、それにちょっと似てるとこあります。
全身のエネルギーを全部出し切って、身体動けなくなったりします。
精神的にですけど。
でも、しばらくするとまた次の作品(レース)に出場したくなるんだから、人間ってすごいよね。

いまは、高校生の芝居の脚本とか、他の作品の脚本とか、いろいろ控えているので、まずは目の前のゴールに向かって走りつづけようと思います。

昨日は、ライジンオーのファンの人たちのオフ会に、乱入しました。
みんな喜んでくれて、ほんとよかったなぁ。
ライジンオーのファンの人たちは、ほんとにあったかい人が多いです。
みんな仲間って感じで、まるで同窓会に出席するみたい。
まるで同じ芝居をつくった劇団員に再会するような雰囲気もある。

一つの作品を通じて、こういう思いを一緒に持つことができるというのは、ほんとに希有な例です。
きっと一生つきあえるね、この仲間たちとは。

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2005年11月19日 (土)

オークション

ヤフオクやりました。
初体験。
何を買いたかったというと、コミックブック。

いぜんこのブログにも書いた、内田さんの単行本を、知り合いに読ませてあげたくて、こりゃもうオークションしかないということで、ついに手をだしました。

初体験にもかかわらず、落としたよ。
最後の一分で、何度もせりあって、意地でもって感じで競り落としました。
最後は、金じゃぁ。

これが適正な価格かどうかは、現物がこないことにはわからないけど、けっこう面白かったです。
でも、人と競り合うのって、スポーツでは面白いけど、こういうのはあんまり好きじゃなかったです。

ぜったい欲しい物とかじゃないと、これには手を出さないことにします。
神経に悪いね。

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2005年11月18日 (金)

ちあきなおみ

chiaki1 こないだNHKのBSで録画した、ちあきなおみの特集番組を見ながら、これを書いている。
ちあきなおみ。
やっぱ、すげーっ。
一曲の歌から、ドラマが立ち上がってくる。
そのドラマを、強烈に立ち上げるのは、すさまじい歌唱力だ。

この映像のなかではじめてみる映像や歌もあったのだが、背筋がぞっとするように鬼気せまる歌もある。
いやぁ、まさに、プロ中のプロの歌手ですね。
歌の表現力に感動させられます。

この人の場合、歌だけではなく、その顔と肉体によるパフォーマンスも、すばらしい。
それらが一体となって、一つのちあきワールドになっている。

彼女は、ある日、いっさいの活動を休止してしまった。
ぼくは幸運なことに、彼女の一人芝居を目撃している。
彼女が、たしか、歌姫ビリー・ホリデイの生涯を歌と芝居で演じた作品だったと記憶している。
赤坂の劇場だったと思う。

いまは、強烈に感動したということだけ覚えている。
彼女と、彼女の歌は、なんだかすさまじいエネルギーを舞台ではっしていた。
たぶん彼女しか表現できない世界だった。

その時、その時代に、いなければ見れないものや、体験できないものがある。

だからこそ、今を生きているということは、貴重なことなんだよね。
今でなきゃ、見れないものや、体験できないことを、ちゃんと見つけて、味わうことができるかどうか。

もちろん、個人によって、何が大事で、何に価値を見いだすかは、まったく違う。
ぼくが、ちあきなおみにもらった感動が、どれだけすごかったかを伝える手段は、こうして十数年後にこうして、ふと思い出した文章でしかないのだけど、これを見た人にとっては、「そっか……」ってな感じだろうなぁ。

自分が感じた感動体験を、他の人にも、なんとか伝えたい、形がかわったとしても、サービスしたい。
そんな思いが、僕の脚本や芝居をつくるときの、根っこのような気がする。

話は、また自分のことになってしまったけど、この『ちあきなおみ』さんの番組は、ぜひみなさんにも見てもらいたいです。
再放送するみたいです。12月に。

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2005年11月17日 (木)

プロの現場アフレコ

いま制作中のアニメのアフレコに立ち会っている。
声優さんたちが、まだ不完全なアニメにセリフを入れて、いきいきとしたシーンにしてくれる現場だ。
声優は、いまや若者のあこがれる職業の一つである。

ぼくの教えている高校で演劇を専攻している子供たちも、ほぼ半分ちかくが声優になりたいと口をそろえて言う。
いまの声優さんは、ただ外国映画やアニメに声をあてるだけではなく、ナレーションをやったり、バラエティに出演したり、歌をうたったり、ステージで活躍したり、マルチタレントとして活躍する人たちがいる。
専門の雑誌とかも出ているくらいだ。人気職業となるのも当然のことだろう。

二十年以上脚本を書いてきて、僕も一度だけ、スタジオ内に入って声を出したことがある。
自分の原作の漫画のラジオドラマのおまけで、お願いして一回だけ声を入れさせてもらったのだ。
自分ではずっと芝居をやってきていたので、うまくセリフを読めると自信たっぷりだったのだが、そうは問屋がおろさなかった。
難しかった……

今回のアフレコ現場は、とくに厳しいディレクターさんなので、緊張感たっぷりのプロの現場だ。
声優さんたちは、自分できちんと予習してきて(ビデオで自分のセリフを前日にチェックしているのです)、タイミングもニュアンスも間違うものかという気迫を出している。
自分が失敗して、流れを止めてはいけないという思いがあるのだ。

リハーサル一回で、すぐに本番。
ほとんど取り直しをすることなく、進行していく。
まさにプロの現場。
プロの技術を要求される現場である。

そんななかに、まだ未熟な声優さんが入ると、とたんに大変なこととなる。
ディレクターは、相手をプロとして認めているから、容赦なく厳しい要求をしてくる。
経験値がまだ少ない声優さんは、その要求にこたえようとして、さらに緊張し、失敗をしてしまうということがある。
それでも、彼らはプロとしての根性を見せて、なんとかふんばっていくから、すごいの一言。

もし自分が同じ立場だったら、その場から逃げ出してしまうかもしれないと思った。
プロの現場は、本当に厳しい。

この厳しさを、あこがれている高校生たちにも、一度見せてあげたいと思った。
この厳しい現場に、立ち向かうだけの技術と、精神力を身につけなければ、ほんとうのプロにはなれないんだということが、彼らも感じるだろう。
そうすれば稽古に遅刻したり、さぼったり、二度としなくなるんだろうけど。

それでも、また、声優に挑戦したいと思う僕がいる。
やっぱり、自分の書いた作品に、自分で声を入れるって、一つの夢ですよね。

ちなみに、ミッキーマウスの生みの親のディズニーは、自分でミッキーの声を録音していたんだよね。logo01
さすが夢の具現者、ディズニーさまだ。

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2005年11月12日 (土)

ハイティーン

いま、毎週火曜日と金曜日は、数時間ずつ高校生と演劇のワークショップをやっている。
昨日は、次回の作品についての、実験をやってみた。IMGP2744

僕が書いていった、キャラクターのメモ(性格とかいろいろ書いてある)を一人一人に渡して、それは自分以外の人には見せないようにする。
そして、7人ずつ、舞台にあがってもらって、ある殺人事件についての議論をやってもらうのである。
有罪か無罪か。
お互いが、どんなキャラクターになっているのかわからないまま、どういう議論が展開し、そしてお互いは、何かを感じ、わかりあったりできるのか。
ぜんぶ、即興でやるのである。

シーンが成立するかどうか、やる前はわからなかったけど、すっごく自然で面白いシーンがたくさんできあがりました。
おもしろかった。
セリフがあるわけではないので、全員、自分が舞台の上でただ生きるしかなくなり、ものすごく自然な演技になりました。
この、ただ生きて、そこにいるということが、案外舞台の上では難しいんですよね。

みんなハイティーンの若者たち、彼らの潜在能力をしっかり見せていただきました。
すごいよ、みんな。

生徒たちは、このプロジェクトがはじまってから、ずっと即興とか、口語劇とか、ルコックとか、いろんなことをやりながら、手さぐりで進んでいることに、もしかしたら不安を抱いているかもしれません。
結果がまだ、まったく見えないから。
そこのところはあんまり心配しないでね。
見えないところを、手さぐりですすんでいくことの面白さを体験して欲しい。
いちおう、僕は、物語に関しては、かなりプロだから。
さいごには、かならず面白い物語ができると信じてます。
ほんとは、この毎日の体験こそが、目的なんだけどね。

夜は、オリンピックセンターで歌のレッスンに参加。
脚本の仕事の締め切りがとっくにすぎているのに、焦るこころを一瞬封じこめて、呼吸に集中。
みるみる血流がよくなるのを感じながら歌わせていただきました。

ちかごろ僕は、身体の骨格のバランスと血流と呼吸を大事にしてます。
まぁ、人間の肉体の基本ですね。

脚本も、基本が大事?。
さて、基本とはなにか。

うん、これは答えが難しいかも。
やはり、骨格と、血流と、呼吸か、これも。

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2005年11月11日 (金)

内田善美さん

20年ほど前に、筆を折って、僕らの前から姿を消した漫画家がいる。
内田善美さん。
僕が、もっとも好きな漫画家だ。

この人の作品は、デヴュー作を、偶然『りぼん』で読んで以来、ぜんぶ読んでいる。
単行本も、全部持っているはずだ。
あまり物を収集しない僕が、唯一持っていたいと思う本だ。

すばらしい日本の漫画作家のなかでも、最高のレベルまで到達した作家の一人だろう。
そんな人が、ふいに姿を消して(作品を書かなくなって)、もう二十年くらいたってしまった。
しかし、作品はちっとも古びていない。
今読んでも、すばらしい。

昨日、ふと思い立って、『星の時計のLiddele』を読み返した。IMGP2772
はじめてこの作品を読んだときのことが、まざまざとよみがえった。
一年以上に渡る連載中、ぼくは雑誌から、この作品だけを切り取って、一冊の本をつくったりしていた。
それほどお気に入りだったのだ。
漫画の本を切り抜いたなんて、後にも先にも、このときだけ。

美しい人物。
詩的な会話。
ロマンス。
幸せな時間をすごせた。

一冊のコミックブックで、幸せになれるなんて、なんていい時代だったんだろう。

『星の時計のLiddele』の主人公ヒューは、夢の中に消えて行った。
そして、作家の内田さんも、物語を残して消えた。

いや、消えたわけではない。
ただ、作品を出さなくなっただけなのに、それを、読者である僕たちが、かってに消えたとか言っているだけだ。
失礼極まりないことを言ってもうしわけありません、内田さん。

最高の漫画を書くことができた内田さんは、今も、自分の物語を生きているにちがいない。
この世界のどこかで。

ありがとう、僕は、あなたに、いくつもの幸せな時間をもらいました。

僕も、この世界のどこかで誰かが、ありがとうと言ってくれるような物語作家になれるかなぁ。

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2005年11月 9日 (水)

レ・ザユリ

 また自慢話。
  僕は、ラッキーマンです。
 漫画のラッキーマンじゃないですよ。なんだかついてる男っていう意味。

 会いたい人とか、見たいこととかあると、いつのまにかそれが自分の前に現れてくれるんです。
 ほんと不思議。
 そのたびに、何かに感謝します。(何かが何かはいまだに不明)

 また今回も、会いたい人たちが、向こうからやってきてくれました。
 僕が演劇を教えている高校のクラスに、一日ワークショップをやってくれにきてくれたのは、『レ・ザユリ』というカンパニーのみなさん。
 カナダ人のダンと、マティウ、スエーデン人のヨハン、そして日本人の春菜さん。
 彼らは、今年の五月にフランスにあるジャック・ルコック国際演劇学校を卒業して、新しい劇団をつくり、そのはじめてのツアーで日本にやってきている。大阪で東放学園関係のパフォーマンススクールをやっている八木さんの紹介で、ぼくのクラスに教えにきてくれたのだ。

 ジャック・ルコックの書いた『詩を生む身体』を以前読んで、いろんなことを考えたことがあった。
 演劇について、学ぶべきことが、この本にはたくさんあった。
 そして、彼が実践した、俳優養成のためのトレーニングには、おおきなインスパイアを受けた。
 海の向こうでも、自分と同じようなことを考えている人がいるもんだと思ったものだった。
 そんなことを、僕なんかが言うのは、おこがましいですけど。
 もし自分が、二十代前半だったら、彼の演劇学校に飛びこんでいって、さまざまな体験をしたかもしれないと夢想したこともある。

 海外で、言葉も通じない役者たちと、文化の違いを感じながら、パフォーマンスをつくっていくなんて、思っただけでワクワクするような体験だ。

 現実の僕は、早くから脚本を書き始めたせいで、留学とかそういうことをする暇もなく、ここまで突っ走ってきてしまっている。
 もちろん、そのことを後悔したこともないし、自分は、自分なりのやりかたで、演劇を学び、楽しんでいる。

 しかし、若いやつらには、自分が夢想したことをやってもらいたいという気持ちがある。
 世界は狭い。
 どしどし外に飛びだして、そこからまたこの国にも、豊かなものをもってきてもらいたい。

 そう思っていたら、それをやっている若者たちが、僕のところにやってきたくれたのだ。
 レ・ザユリのメンバーたちは、カナダ、フランス、スウエーデン、日本とナショナリティをこえて演劇活動をしていこうとしている若者たちだった。
 まさに、僕の会いたかった若者たちだ。

 彼らは、高校生たち相手に、約2時間半、一緒になってワークショップを楽しんでくれた。
 そのことが高校生たちにも、ちゃんと伝わったと思う。
 彼らが、演劇を楽しんでいるということが。IMGP2770

 一日のワークショップで、できることは限られているが、何よりも演劇を楽しんでいる人たちと、高校生が触れ合って、何かを感じてくれることが大事だと思っていた。

 サンキュー、異国から来た演劇青年たち。
 もしかしたら、僕が一番楽しんでいたかもしれません。

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2005年11月 7日 (月)

ルミネTHEよしもと

上京してきた父親を連れて、ルミネTHEよしもとに行ってきた。
若手のネタ披露の意味合いがつよい、5時6時の回。
まだテレビとかには、あまり出演していない、お笑いの若手が懸命にがんばっている。
それでも、けっこう人がはいっている。

売れてる芸人が出演する7時からの回は、もうチケットは立ち見席しか残ってなかった。
お笑いブームなのを実感。

新宿に、吉本が劇場をつくったのは、何年前だったろう。
着実に成果をあげている。
ここから出てきた若手芸人が、もう何人もテレビや劇場で活躍している。
芸人の育成にかけては、吉本興行は他をよせつけない。
こうして若手が芸を磨ける場所をちゃんと用意しているのが、その強さの理由だろう。

役者に関しても、いつからか、いい役者は、小劇場のほうからばっかり誕生するようになった。
大手の劇団に入ると、いい役につく機会が少ないが、小劇場だと、その機会は格段に多くなる。
しかも、冒険的なことは、小劇場のほうがやりやすい。
役者にとって、どっちが経験になるかは、はっきりとしている。

やはり経験を積むということは、どのジャンルでも大事だ。
脚本についても、それは同じ。
すばらしい傑作脚本が、すぐに書けるようになる天才もいるかもしれませんが、ふつうはなかなかうまく書けるもんではありません。
何本も書いていくうちに、しだいに書き方を覚えて、自分の思いをうまく伝えられるようになっていくもんです。

とにかく書き続けること。
それしかないと、今は思ってます。

本田美奈子.さんの訃報を聞いて、仕事を続けていられる自分の幸運に感謝しました。
アイドルから、ミュージカル女優へと、チャレンジして、すばらしいステージをつづけていた彼女を、僕は尊敬していました。
もっと歌っていたかっただろうなぁ。
彼女の無念を思うと、やるせなくなります。

人生何がおきるかわかりません。
今できることを、精一杯、やっていくしかないんだよね。

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2005年11月 6日 (日)

ヴェニスの商人

ちょっと自慢話し。
僕は、ヴェニスに行ったことがある。
そりゃあもう、すばらしい町だった。
歴史が、そのままフリーズされてるような美しさ。
かなり感激したうえに、同じホテルで、なぜかレポーターの梨本さんを目撃。
ちょっと笑った。(梨本さん、すんません)
ヴェニスまできて、日本のテレビの登場人物を見るという、違和感が僕を笑わせたのだ。


映画『ヴェニスの商人』を見てきました。venice
この三百年間の間、世界でも最も人気のある脚本家、ウィリアム・シェイクスピアの代表作の一つ。
今回は、実際のヴェニスでロケをしてます。

お客も、かなり入ってました。新宿の単館上映ってこともあるけど。
年齢層は高かったんじゃないかなぁ。
ぼくは、この映画を、かなり楽しめました。
でも、高校生の時のぼくが、この映画を見たとしたら、どう思っただろうか。
そんなことを考えてみました。
(あんまり意味はないのかもしれないけど。)

やっぱり、シェイクスピアのこととか、彼の作品のこととかを、あらかじめ知っているからこそ、僕はこの映画を楽しめたんでしょう。
知らないときに、この映画を見たらどう感じたかを知るすべはないんだけど。

原作者のシェイクスピアが、もし自分の作品の映画を見たら、どのような感想を持つのかを知りたいです。
プロットは主要なセリフは、彼が書いたものと同じなんだけど、意味や、狙いは、まったく違うものになっていることに気づいて、びっくりするかもしれません。

この現代の映画は、ユダヤ人の差別や、同性愛的な感情などもふくめて、いろんな人間が描かれていて、とても深い味わいを持ったものにしあがっています。
でも、これは想像ですが、シェイクスピアの時代には、そんな深い意味合いのところにまでは、芝居をつくっていくことはしていなかったはずです。

ああ、こんな雑感を書きながら、夢を見るのは、シェイクスピア時代の人間味あふれる劇場の雰囲気。
さまざまな人たちが、劇場にあつまり、歓声をあげながら芝居を見ていた時代の風景。

ぼくは、シェイクスピアが好きなのではなく、たくさんの人があつまった劇場が好きなんだということに、いまさらながらに気づきました。
そんな活気ある劇場の中心にいた、シェイクスピアにあこがれているのだと。

ヴェニスの商人を見に行った話を書いていて、自分の好みの話しになってしまいました。

僕が、『恋に落ちたシェイクスピア』という映画が大好きだったのは、この劇場をちゃんと描いてくれた映画だったからなんですね。

僕は、劇場が大好きです。
そこに集まる人たちが、いとおしいんです。
何か面白いものを体験しようと、ワクワクしながら集まってきて、しばらく現実を忘れて物語の世界を生きたのち、芝居が終われば、芝居を見るまえよりも、少しだけふえた勇気を手にして現実に向き合っていく。

劇場って、そういう場所ですよね。

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2005年11月 3日 (木)

いいところを見つけよう

さっき、きつい芝居を見たときのことを書いたあとに、何かいいところを見つけられなかったかと自分に問いかけてみた。
どんなものにも、見つけようとすれば、きっと一つくらいほめるところはあるんじゃないか。
それを見つけられないのは、自分が、それを見ようとしていないからじゃないのかと。

否定すること簡単だ。
拒絶することも簡単だ。
だが、それをしたとたん、そこで関係は終わってしまう。
なんてシンプルなんだろう。

始めたり、つづけたりすることより、終わらせることは、ものすごく容易だ。

でも、僕は、終わらせるのではなく、つづけて体験していくことを選んだはずじゃなかったか。
そのためには、受け入れられるところ、いいところを発見して、それを伝えていかなければ。
そう思った。

ありました、いいところ。
ほめたいところ、見つかりました。

作家は、自分の痛いところについて、あえてそれに触れようとチャレンジしていました。
そのチャレンジ精神はいいことでしょう。
なかなかそういうことはできないものです。

役者たちは、自分にあたえられた場所で、全力でそれを演じようとしていました。
その方向性が、ちょっとずれていたとしても、それは彼らの責任ではありません。
まじめにとりくんでいたというのは、ちゃんと伝わってきました。
それを見てあげようとしなかった、僕のほうに、傲慢さがありました。

稽古の期間もふくめて、何カ月かの人生を、その芝居作りに捧げるわけだから、半端な気持ちではできません。
そういうエネルギーには、やはり敬意を払うべきでした。

次に、ものすごくいい作品をつくりだすかもしれない可能性を持った人たちに対しては、まず尊敬してから、話をしなければなりません。
そう未来を信じなければ。

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つきあい観劇

知り合いに演劇関係者や俳優が多い。
したがって彼らの公演への誘いが多くなる。
おつきあいの観劇。
いい作品であれば問題はない。
「よかった。おもしろかった。またがんばってください」
と、幸せに挨拶をして帰ってこられて、人間関係にもヒビが入ったりすることはない。

困るのは、どうしても好きになれない作品だったときだ。
相手は、自分の出演している作品は、基本的に良いもの考えているはずだ。
その人にむかって、「あんまりよくなかったよ」とか「面白くなかった」なんてことは、とても言いずらい。
心の中で思っていても、やはり正直に言うと、相手が不快な思いをするかもしれないと、気を使ってしまうのだ。

もちろん正直な感想を言ってあげたほうが、相手のためになるのだとは思っていても、まだ公演がつづくのに、いきなりテンションの下がるようなことを言ってしまうのは、とてもできることじゃない。

そういうときは、何も言わずにさっさと帰ることにしている。
挨拶もしないで帰るのは失礼かなとも思うのだが、自分の心に嘘をついて、お世辞を言うほうが失礼だろう。

芝居とか見にいって、僕と同じような思いをしている人は、かなりいるんじゃないかなぁ。

昨日見にいった芝居はきびしかった。
知り合いが関係しているだけに、ここにそのタイトルなんかは書けないけど、見ていてほんとにつらかった。
芝居の内容よりも、フィジカル的につらくなってしまったのだ。
まずがなりたてる声が大きすぎて、そのうえマイクを使って大きな音量にしていたので、ほんとに耳が痛くなるくらいうるさかったのだ。
どういう効果を狙ったのか、まったく理解できなかった。それとも芝居が面白くなかったので、音が耳障りに聞こえたのだろうか。いや、やっぱり音はでかすぎたと思う。

帰りに乗ったタクシーのドライバーは、いままで芝居は一本も見たことがないという人だった。
そういう人に、ぜひ芝居を見た方がいいですよとは言えない自分がいた。

ぼくは、基本的に、芝居をつくっている人に悪い人はいないと信じたいくちだ。
ひどい芝居をつくったからといって、ひどい人間ではないはずだ。
きっとみんないい人なんだろうと思う。
でも、ひどい芝居を見てしまうと、それをつくった人もひどい人のような気がしてくるから、芝居は危険だ。

ぼくらは危険物を取り扱っている。
もっとそれを意識しなければならない。
薬局で、薬を売る、薬剤師さんたちのように。

芝居は、エンターテイメントであると同時に、薬でもあるし、劇薬でもある。
人を癒す、すばらしいものだが、使い方しだいでは、毒薬にもなってしまうのだ。
劇物。

なるほど、劇だけに、劇物の取り扱いには注意してくださいってことか。
しっかりオチがつきました。

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2005年11月 2日 (水)

みんな天才だぁ

今日は、午前中六時起きして、必死で原稿書き。
長いあいだやっている作品も終盤。あと少しだ。
なんとかとりつくろって、午後からの、高校生との芝居の稽古の準備をする。
卒業公演を一緒につくるメンバーたちの個性を、一刻も早くつかんで、台本を書いてあげたいと思っているんだが、その前に彼、彼女たちの実力もアップさせながらの稽古を計画しなければならない。
今回は、口語劇に挑戦することにする。
メンバーたちの半数は、ミュージカル的なものをメインにやってきた者、あとのほぼ半分は声優志望で、アニメチックなしゃべりが癖になっている子たち。
リアルな演技は、ほとんどしたことがないはずだ。

もちろんリアルとは何かという問題はあるのだが、まずは自分の言葉で、普通にしゃべるということをやらせてみたかった。

で、どうなったかというと、彼らの潜在能力の高さに驚かされた。
初見であるにもかかわらず、台本の読みにかんしては、ほとんどまちがうことなく、セリフ化できるのだ。
芝居をしていないように芝居をするというのは、かなり難しいことである。
それを彼らは、いとも簡単にやってのけた。

もう天才たちが、ゴロゴロいる。
ぼくは、うれしくてしかたなくなってしまった。

時間の関係で、全員に稽古をつけてやることができなかったのが、心残りだったが、稽古時間が終わると、地下鉄に飛び乗って、テレビアニメの打ち合わせに行く。
自分の学校の生徒が主演の番組の、脚本を書いている講師というのは、かなり珍しいのではなかろうか。
ぼくが講師をしている学校の一年生が、オーディションに受かって、この番組の主役の声をアテレコしているのである。
その番組の打ち合わせ。
いくつか細かいところでの直しがでたが、あらかたオーケイとなる。

ギャグ物なので、あんまり理屈とか考えて書いていると面白さが薄くなると思って、ぼくは勢いだけで脚本を書いているのだが、そういう僕がおろそかにしているところを、プロデューサーたちはついてくる。
もちろん、そういう意見は素直に聞くぼくだが、勢いだけは消したくない。
コメディとかギャグは、実は本当に難しい。
緻密な計算をしたうえで、最終的な現場では、それを忘れて、本能のままに行動したほうがいい。
笑いを生み出すには、勢いは重要だと思う。

来週までには、なんとか高校生の芝居のおおまかなストーリーまでは完成させたいものだ。

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