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2005年12月22日 (木)

納豆キムチ

このところなんだか体調が悪い。
  すぐに疲れてしまうのだ。
 運動不足で体力が落ちているのかもしれない。
 集中力もとぎれがちで、仕事も思うようにすすんでいない。
 こんなんじゃいかんと思うのが、おもうように上向いていかない。
 どうしたらいいんでしょ。

 高校生のための台本も、すすみが悪く、締め切りもまもれなかった。
 どうも思ったような展開になっていかない。
 ここはふんばりどころ。

 悪いときには、悪いことがかさなるもので、テレビの方の仕事も急がされてしまい、よけいに焦ってしまう。
 胃がキューンと痛くなってくる。

 ちょっと愚痴ばっかりになってしまいました。
 こんなの、脚本のなんの参考にもなりませんね。
 体感脚本講座じゃなくて、体感ボヤキ講座になってしまいました。

 昨日は、東放学園高等専修学校で、文化庁関係の演劇授業のDVD制作のための撮影をした。
 ぼくの担当は3時間くらいで撮影終了したんだけど、ものすごく疲労している自分がいるのに気がついた。
 終了後、まるで老人のように、椅子を探して座っていた。

 夜、知り合いの出演している芝居を見に行かなければならなかったのだが、行けなくなってしまった。
 なんとか体力を取り戻さねば。

 何かはじめようと思う。
 うーん、まずは、納豆キムチご飯かな。

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2005年12月16日 (金)

仰木さん

プロ野球の監督、仰木さんが亡くなった。
さいごまでプロの監督をやりぬいたその姿には、胸をうたれた。
あのダンディな姿が、もうグラウンドで見られないと思うとさみしい。

人の死は、避けられないもので、誰にもいつかは来る。
その日がくるまでは、生きることに集中していかねばならない。
いま、この瞬間を大事にすること。

言葉にすると、じつにシンプルなことなんだけど、これが実はすごく難しい。
われわれは、つい今を忘れてしまう。
とっくに過ぎ去ったものにこだわったり、まだ姿も見せていない未来ばかりを見つめてしまったりする。
そして、今この瞬間をついつい見逃したりしてしまうのだ。

今日は、やるべきことに手をつけられないまま、町に出て散歩した。
歩きながら、死んでいった人たちのことを思った。
お世話になった演出家、小学校の時の友人たち、祖母、大学の友人……
彼らの死が、僕に今を問いかける。

人は、その死によって、生きている人に、大きなメッセージを贈ってくれている。

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2005年12月13日 (火)

4アウト

たまたまつけたテレビで、身体に障害を持ってしまった人たちの野球チームのドキュメントをやっていた。
21歳の時に脳梗塞で倒れて、半身マヒになってしまった人が、十年以上もかけてリハビリしてピッチャーとしてもう一度マウンドにあがる姿を見た。
彼は、ものすごく気迫のこもった球を、キャッチャーめがけて投げこんだ。
すばらしい投球だった。
うつくしかった。

たんたんと投球をふりかえる彼の姿を見ていて、涙がこみあげてきた。
感動した。

人間の魂の力を見せてもらった気がした。
自分も、魂をこめて毎日を生きていかねばと思った。

自分にとって、なにが大事なのか。
大事なものに向かって、自分はまっすぐでいられているか。
そんなことを考えた。

この障害者野球チームのドキュメンタリーが『4アウト』というタイトルで出版されているらしい。

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ギャグの夢

ギャグの夢を見た。
おおすじは忘れてしまったのだが、クライマックスは、ものすごくたくさんの人たちに囲まれた、伸介が『ギャンポシュー』という一発ギャグを連呼するというもの。
なん百人もの観客も、一斉に『ギャンポシュー』と叫ぶ。

いったい『ギャンポシュー』ってなんだ!?

夢見てる俺にも理解不能。

ギャンポシューとは、いったいなんなんだ。
そんなに面白いギャグだとは思わなかったんだけど。

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2005年12月12日 (月)

思い出ベンチ

DSC00392 最愛の代々木公園に、ベンチが増えていた。
二人がけの、品のいい木のベンチ。
噴水のまわりにズラリとならんでいる。
いぜんは、五つか六つが並んでいただけだったのだが、それが一気に増えていた。
かなり前に増えていたらしいが、いつも目にふれているからこそ、気づかなかったようだ。

増えたベンチには、小さな金属のプレートが張りつけてあり、『思い出ベンチ』というタイトルがあり、それぞれにメッセージが書かれている。

DSC00393 それを一つ一つ読んでいく。
故人の思い出もあれば、全世界へのメッセージもある、百年以上も前の人物に捧げたものもあった。
いくつもの物語が、一つのベンチから想像できた。

これはすごくいい企画だ。
たぶんこれは個人が、公園に寄贈したベンチなのだと思う。
寄贈したい人にとっては、自分の思いのこもったベンチが公園にあって、それで憩う人がいると思うだけで、なんだか心があったかくなれる。
公園にとっても、ボランティアで公園の備品が補えるのだから、こんなにいいことはないだろう。

以前、他の公園でも、このようなベンチに座ったことがあった。
日比谷公園だったっけ。
たしか、カナダの公園でも、同じようにメッセージのプレートが張ってあるベンチに座った記憶がある。
ベンチを公園に贈るということが、いろんなところで行われているのかもしれない。

これはただベンチを贈るということではないような気がする。
一つ一つのベンチには、物語があるからだ。

ベンチを贈る人は、物語を贈っているのだ。
われわれは、ベンチに座るたびに、その物語をお尻と背中で感じることになる。
これぞ体で感じる物語だ。

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2005年12月11日 (日)

人物作りのヒント

今日は、ひさびさに脚本講座らしいことを書きます。
作家は、どのようにして登場人物をつくり出すか。

その前に、ちょっと芝居の話。
知り合いの役者さんが出演している舞台を見に行きました。
テアトル・エコー公演『暗くなったら帰っておいで』
作・ジミー・チン、演出・酒井洋子

イギリスの劇作家であるジミー・チンの自伝的な作品で、ランカシャー地方の綿工場で栄える町を舞台に、私生児を持った女性イディと、その家族と周辺の人たちの物語。
時代は第二次世界大戦直後から、18年間。
物語がはじめまってすぐに、この作品は、劇作家が自分のお母さんに捧げた物語なんだなぁって、気がつきました。

僕も、一応劇作家のはしくれなので、こういうタイプの作品を書きたくなる息子(作家)の気持ちというのが、すごくわかるわけです。

われわれ脚本家が物語を書く時、一番大事なことは、活き活きとした人物を描くことができるかどうかです。
頭のなかに、どれだけ具体的な人物を作り上げることができるかにかかっています。
まるっきり想像上の人物で、この作業をするには、かなりの想像力を必要とします。
想像力というよりは、幻視力とでもいうべきかもしれません。
幻を見る力が必要となるわけです。

でも、もっと簡単な方法があります。
自分の知っている人を思い浮かべるのです。
作家にとって、この人のことならば、なんでも手にとるようにわかるという人物ならば、かならず活き活きと描くことができます。

自分の一番身近にいる人や、もちろん自分のことならば、作家は熟知しているわけですから、活き活きと描くことができるわけです。

それに『この人を描いてみたい!』というモチベーションも大事です。
自分の身近に、描きたくなるようにユニークな人物がいて、その人物を描くことが、自分にとっても、観客にとっても、きっといい結果になるであろうと、作家が思ったときは、もう傑作ができたも同然なのです。

今回エコー劇場で観た、ジミー・チンの作品は、あきらかに作家が自分のお母さんのことを書いておきたいというモチベーションで書き上げた作品でした。
主人公の母親に対する、深い愛情がこもっているのを、僕は感じました。

脚本家は、自分の作品に、何をこめられるのか。
愛をこめられたら、これ以上のことはないですよね。

僕も、一脚本家として、観客に愛を感じとってもらえるような作品を目指したいと思うのでした。
なー、なんか書いてて、ちょっと恥ずかしくなってきちゃったなぁ。

身近な人たちに、愛情を持って接すること。
彼らのことを愛すること。
自意識の強すぎるわれわれには、なかなかできないことですけと、これのつみかささねしか、作品をよくする方法ってないのかもしれません。

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2005年12月 7日 (水)

苦戦中

いま、高校生のための芝居の脚本を執筆中です。
予定では、とっくに上がっていなければならないのですが……
思ったよりも執筆に時間がかかり、台本を待っている高校生たちには迷惑をかけてしまっています。

発想の元は、『12人の怒れる男』。
名称シドニー・ルメット監督の、あの名作です。
脚本は、レジナルド・ローズ。
もともとはテレビドラマだったのを、ルメット監督が映画にして、大ヒットした作品です。
陪審員制度のあるアメリカならではのドラマですが、日本でも、裁判員制度がまもなく採用されるようになるようですね。
三谷さんの舞台脚本で『12人の優しい日本人』というのもあり、映画にもなってます。
一幕劇としては、かなり魅力的な素材です。

これを高校生でやってしまおうというのが発想のもとです。
今回、卒業公演ということで、できるだけ出演者たちに出番をふやしてあげたいというのが、このスタイルで芝居を書いてみようと思ったきっかけでした。
今回は、ダブルキャストで、メインの14人を描きわけるということにチャレンジしてます。
出演者たちの特徴や、性格などをつかむのに、半年以上もかけてワークショップをやってきました。

どうやったら彼らが魅力的に見えるようになるか。
それが最大のテーマです。

この学校(芸術系)で、彼らが3年間学んできたこと、成長してきたことなどを、この芝居のなかにこめられたらと思って、かなり欲張り気味です。

さぁ、これからぐんぐん書いていきます。
公演は2月なので、みなさんぜひ見て欲しいなぁ。

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2005年12月 2日 (金)

ホラーな夢

また床で寝た。

台本を書かなければならないと追いつめられていても、打ち合わせは容赦なく襲ってくる。
打ち合わせにいかなければ、仕事にはならないし、しかしいったん家を出てしまうと、集中力とか勢いとか切れてしまい、また作品世界に戻るのには、相当のエネルギーと時間をようすることになる。

つまり、物語の世界にはいるのには、それそうとうの儀式が必要というわけです。
ぼくの場合は、ある程度、眠ることが必要なんですけど、時間に切迫されていると、ゆっくり眠りにつくという気分になれません。
そういうわけで、床で倒れてるという事態がつづくことになってます。

また床で倒れてました。
気づいたら、三時間くらいたってるって感じ。
あわてて屈伸とかして、パソコンに向かいます。

しかし、それでも書き始められるわけではなく、お茶飲んだり、コーヒーのんだり、テレビを眺めたりして、しばらくすごさないと、書き始められません。
きっと、多くの脚本家が、おなじようなことをしてると思うなぁ。

今回は、短い眠りのなかで、すごい夢を見ていました。
ホラーです。

若い男が、年上のおばあさんと恋愛をしているんだけど、自分が若いということを隠すために、老人に変装して彼女とつきあっています。
しかし、そのおばあさんに、彼が特殊メイクをしているということがばれてしまうんです。
メイクをしている現場に、おばあさんが踏み込むと、動転した男は、メイクを覗いたおばあさんを殺そうとおいかけます。
そして、なぜか火をつけようとした男は、自分の特殊メイクに引火して爆発してしまうのです。
無残に砕ける男の体。
やけただれた男の顔は、目が吹っ飛び、老人ともなんともつかないものになってしまいます。

こんなホラーな夢を見てしまいました。

若い男と、老女の恋愛というのは、ドラマにしたら面白そうと思って書き留めました。
それがホラーになってしまうのは、どうかと思うけどね。

追いつめられた夢の中にも、なにかドラマなヒントを見つけようとする、悲しい性を持つのが脚本家です。

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2005年12月 1日 (木)

脚本家とアフレコ

昨日は、いま僕と一緒に仕事をしている脚本家、岩井秀人くんのテレビアニメでのデヴュー作品のアフレコだった。
劇団ハイバイでは脚本演出をこなして、次世代の日本の演劇を背負うべき人材である岩井氏も、テレビの世界ではまだまだ新人。
いまは、僕とみっちり修行中。
脚本書きのノウハウを、惜しみなく伝授してます。

その岩井君がはじめてとりくんだアニメ作品のアフレコが、昨日ありました。
自分で書いたセリフが、絵になって、それに声優さんが声を入れていくわけです。
岩井氏も、めずらしく緊張気味。
ちょっとしたセリフのニュアンスとかにも神経質になってました。

それで自分の初体験のときを思い出しました。
あれはもう二十年以上も前のこと。
まぼろしのアニメ作品、手塚治虫原作の『ドン・ドラキョラ』第8話。
はじめて書いた脚本が採用されて、アテレコの現場が見れるというので、かなり興奮して東北新社にでかけました。
当時は、まだフィルムでアテレコをやってて、そうそうたる声優さんがいらっしゃったのを覚えてます。

ところがその作品は、どういう事情か知らされぬまま、4話で放送終了。
ぼくの書いた8話は、幻となってしまったわけです。
そのころの僕は、いまの岩井くんと同じように劇団を主宰しながら、役者やったり、脚本書いたりしていました。

それからかなりの時間が流れて、たぶん何百という脚本を書いてきたせいで、アフレコに立ち会う時の緊張感を無くしている自分に気づかされました。
作品にかかわるうえで、脚本家がギリギリかかわれるのは、アフレコの時までです。
自分の書いたセリフとかが、どうなるのかは、ここで最終判断をしなければなりません。
この先は、もうどうあがこうと変えるわけにはいかなくなるわけですから。

アフレコが終わって、緊張が解けてホッとしている岩井氏と一緒に昼ご飯を食べながら、僕ももう一度初心にかえって、作品と向かい合っていかなければと思ったのでした。

それにしても、昨日の回は、ちゃんと絵が入っていたなぁ。

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