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2006年4月26日 (水)

ローリング・ドラマ・ツアー4

ローリング・ドラマ・ツアー4回目

今回は、短い作品のプロットを全員が出し合って、それについて考えるというエクササイズをやった。
タイトルは『家族』
家族についての、十分間のミニフィルムを作るとして、そのストーリー案を書いてくること。
というのが、課題。

プロット創作の一回目に『家族』を選んだのは、一番身近で、誰にも身近にあるテーマだから。
参加した7人のメンバーが、それぞれ家族についてのプロットを作ってきてくれた。
人に個性があるのと同じで、おなじテーマについてでも、出来上がってきたのは、それぞれ個性あふれるストーリーばかりだった。

それらのストーリーの良いところはどこか。問題点があるとしたら、どこかを、全員で検討していく。
脚本が共同作業でつくられるということを、こういう話し合いをすることで、体感してもらう。
自分が気づかないことを、他の人は気づいていたり、新しい視点をくれたりすることがある。
脚本家は、それらの総合力を一つにしていく仕事なのだ。

次は、このストーリー案を、シナリオの前段階の、『ハコ』にしていく。
だんだんシナリオに近づいていくのだ。
ここで出来上がるであろう脚本の使い道を、ちょっと考えた。
やはり脚本ができたら、それを映像化したいものだ。
そのためには、何をしたらいいのかも考えていきたいと思う。
脚本を欲しがっている、映像作家とかもいるだろうしね。

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2006年4月25日 (火)

応援します

がんばっている人を応援したい。
心から、応援したい。
ましてや、そのがんばっている人が、身内や知り合いだったらなおさらだ。

応援することで、自分も元気づけられる。
同じ気持ちを共有できる。

きっと誰しもが、この気持ちはわかってもらえるだろう。

これは人が持っている、善なる部分だと思う。
そして、この『共感』効果を、最大限に使うのが、演劇や音楽、エンターテイメントの世界だ。
つまりエンターテイメントは、人間のもっとも善なる部分の集大成ということになる。

僕のまわりには、それを信じて、がんばっている人たちがたくさんいる。
僕は、みんなを応援したい。

忙しいなか、一人でがんばってる人、がんばれ!

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2006年4月23日 (日)

思えば会える

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                                              アースデイ
という名前のイベントを、代々木公園でやってました。

あっ、これのことか。
前日、友人のブログを読んでいたら、『明日、代々木に行く』って書いてあったので、代々木で何かあるのかなって思ってました。
僕の頭で、それがつながったってわけ。
たぶん、友人は、このイベントに行くつもりなんじゃなかろうかと。

次に、僕の頭に浮かんだのは、『ここを歩いていれば、きっと彼に会える』でした。
でも実際には、その可能性はものすごく低いんですよね。
きっと何万人単位の人が、このイベントにはくるわけで、いつ彼らがくるかもわからないわけだから。

で、結論を言うと。
会えました。
彼の方が、僕を発見して、声をかけてくれたのです。
「なんで、ここにいるんですか?」
「いやー、ブログに代々木に行くって書いてあったから、もしかしたら会えるかもしれないって思ってたんだ」
「えー……でも、すごい偶然ですよね、こんなところで会うなんて」
「うん、でも、きっと会えるって思ってたよ」
 彼の息子にも、ひさしぶりに会えて、よかったです。

会いたい人には、会いたいって念じていると、会える確率が高くなる。
これは間違いない!

代々木公園のチューリップが、きれいに咲きました。
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2006年4月22日 (土)

プレゼント

Imgp2897 これは先月、出席した結婚式の引き出物。
ちょっと不思議なボトル。
入っていた解説書によると、このボトルに水を入れておいて24時間すると、まろやかになるという。
まろやか。
なんかいい響き。

飲んだ水がまろやかなのか、そうじゃないのか、それは飲む人の主観しだい。
まろやかだと思えば、誰がなんといおうとまろやかなのだ。
自由だと思えば、自由なのだ。

僕にはこのボトルが、すばらしく演劇的な装置に見えてくる。
水が変化するのだ。
見た目は何も変わっていないのだが、このボトルの中にちょっといただけで、中身が変わる(まろやかになる)のである。
演劇は、このボトルのようにありたい。

水変身ボトル。
これを僕にくれたEY君と、昨日話していて、ちょっと感動した。
ぼくは、結婚式の引き出物は、出席者はみんなおなじものをもらっているのだと思いこんでいた。
しかし、それは大きな間違いだった。
引き出物は、渡す相手ごとに、まったく違うものだったのだ。

つまりこのボトルは、僕のためにと彼らが考えて贈ってくれたものだった。
そうか、そうだったのか。
じんわりとしたうれしさが、こみあげてきた。
すまん、かってにみんなおなじだと思い込んでいて。
僕は、自分の無神経を反省したよ。

このボトルは、水をまろやかにしてくれると同時に、僕の心もまろやかにしてくれた。

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2006年4月19日 (水)

ローリング・ドラマ・ツアー3

ローリング・ドラマ・ツアー3回目

 我が家で再開した、ローリング・ドラマ・ツアーも三回目。
 今回は、また新顔登場。
 役者と劇作をやってる4郎と、笑顔のテロリスト脚本家のKキングだ。
 EY君、マリ王、A美、K猫と、今回は総勢7人。椅子が足りなくなったので、一つ買ってきてもらった。

 初対面の人もあったので、雑談しながら自己紹介してもらったあと、今回は僕が考えたプログラムをやってもらう。
 今日は、ストーリーを発想するための、ちょっとしたウォーミングアップをかねたエクササイズ。

○主人公になりそうもない人物を、三人考えてみよう。

 これを五分間考えてもらう。(あまり考えこまないことが大事。頭の中に浮かんでくる人物を書いていくこと)
 出席したメンバーが一人につき三人ずつ書くわけだから、僕のをいれて合計21人の人物が設定されることになる。
 そこには、さまざまなものが書かれていた。
 例えば、寝たきりの老人、死人、なんにも興味を持たない人、バナナしか興味がない男、うちのオヤジ、ナルシストの殺人鬼、二重人格の内側の人、レジーうちのおばちゃん、などなど。

 ここで気づくのは、主人公になりそうもない人物というのは、実はもうその時点でものすごいトラブルを抱えた存在が多いということ。
 そして、あまり考えずに書いた、これらのキャラクターのなかに、それぞれの作家が抱える潜在的な興味が浮き彫りにされてしまうということ。
 やはり作家は、知らず知らずのうちに自分を表現してしまうものらしい。

○次に、今書いた人物の中から一人を選んで、その人物を観客が好きになるためには、どういうことをさせたらいいかを三つ考える。

 これも五分間。
 これもいろんな方法が考え出された。
 ちなみに僕が選んだのは、寝たきりの老人。
 この人物に観客を感情移入させるためには、どんな方法が考えられるか。

1、寝たきりだけど、起き上がろうとがんばってるところを見せる。(ベッドから落ちてしまう)
2、いじわるな看護士にいじめられる。(同情を引く)
3、だめな息子に保険金をかけられて邪魔者扱いされる。(やはりこれも同情を引く手だね)

 もっと他にもいい方法は、いろいろ考えられると思うけど、とりあえずこの三つが頭に浮かんだ。

 それぞれの参加者たちの、メモにも、それぞれ三つずつの方法が書かれた。
 これは、どれが正解で、どれが不正解ということはない。
 それらのことを検討していくなかで、いくつものドラマの可能性が浮かび上がってくることに、最大の目的があるわけだ。

 フィールドワークとしては、各参加者に、21人キャラクターのなかで、どれが一番、気を引かれたかをアンケートしたら、まったくちがう結果が出た。参加者7人が、ほとんどがバラバラの結果。
 つまり観客としては、主人公の好みは、バラバラであるということがわかった。

○次に、どんなドラマが生まれそうかを、全員で話し合う。
 いろんな意見が出て、いくつものドラマのタネが生まれた。

 体感脚本講座の特別バージョン、ローリング・ドラマ・ツアー3はこうして今日ももりあがったのだった。
 また来週もやるぞ!

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2006年4月15日 (土)

事件と風邪

Dsc00570 治ってたと思っていた風邪がまた、ぶりかえしてしまった。
鼻水たれるし、体はいたいし、頭はいたいし、だめだぁ。

水曜日、いつも散歩している代々木公園で殺人事件がおきていた。
うちから二百メートルくらいしかはなれてないところで、とんでもないことが起きていたのだ。
それも真昼に。
なんてこった。

しかし、公園は、何事もなかったように遊ぶ人たちであふれているのだった。

具合が悪いので、もう寝ます。
なんか、いいことないなぁ……。

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コンタクト

ブログのレイアウトの編集がうまくできなくて、メールの宛て先をどうやって入れていいのかわかりません。

体感脚本講座の主宰の僕にコンタクトしたくても、メールも出せないんじゃこまりますよね。

ぼくへのコンタクトは、こちらへどうぞ。

hideking922@yahoo.co.jp

いたずらメールはやめてね。

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気分を直してね

あっ、おれったらネガティブ!?

昨日のブログを書いて、それを読み直してたら、すごく落ちこんでる自分に気づいた。
これって、すげーネガティブな状態ですね。
いかん、いかん。
というわけで、ポジティブな自分を取り戻すためにも、これを読んでくれている、脚本家志望の人や、さまよえる脚本家の観察を面白がっている人たちのためにも、気分直しを書きます。

前の文章、そうとう自分に酔ってますよね。
怒りとか、寂しさとか、そういうものって自己陶酔に近いものかもしれませんね。
やっぱ、エゴ強すぎです。
僕のエゴが、文章書かせてます。

すんません。

高校生に演劇を体験してもらうなんて、だいそれたことをするためには、まずはエゴを捨てなきゃならないのに、エゴ丸出しじゃあ、いかんですよね。
反省、反省。

エゴを捨てるって、そりゃあ難しいっス。

でも、人の力になりたいなんて思ったら、まずは、そこを捨てなきゃなぁ。
相手の立場に立つためには、まずそこからね。
ニュートラルにならなきゃ。
昨日のおれじゃ、だめだってことを教えられました。

おれのせいで不快になった人もいただろうなぁ。
すみません。あやまりまーす。

今回のことは、いろんなことを、僕に教えようと誰かさんが企画してくれたことだと理解しました。
サンキュー!

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人気のない僕

14日は、週に一回だけ、演劇を教えに行く高校での初授業の日。
はじめて出会う若者たちのことを思い、若干、興奮気味で早朝六時に起床。
今日のプログラムを考えて、一時間も前に、学校に行き、体操服に着替えて、その時を待った。
彼らが僕の前に現れる、その時を。

しかし、その時は、こなかった。
誰も授業に出てこなかったのだ。
えっ、うそだろ、どういうこと!?

僕は、この三年間、この学校の卒業公演を担当してきた。
この授業は、卒業公演のための準備の授業なのだ。
それなのに誰もこない。
何かの連絡ミスなのか!?
それとも卒業公演をやる気がないということか!?

わけがわからず、僕は、こみあげてくる怒りと寂しさを飲みこんだ。

事情はなんであれ、僕と出会おうと思っている生徒がいないということなのだ。

いつも劇場は、人と人とが出会う場所だということを言い続けてきた。
芝居は、人と人とをつなぐと言い続けてきた。
それを信じてきた。
だから、高校生たちとの芝居作りをやってきたはずだった。

しかし、出会う人がいないということは、こんなに寂しいことはない。
自分は、ここでいったい何をしているんだろうと、空虚になった。

僕にとって、この場所での出会いは、もうなくなったということなのだろうか?
そんなことを自問した。

それとも、ベケットの芝居の登場人物のように、僕は、待ち続けなければならないのか?

待ち続けるということは、すごく傷つき、疲れることだということを実感した。
ベケットへの理解は、すこし深まった。
それは一つ、得した。

午後の授業は、新一年生と二年生の子たち相手。
二年生は、たった三人だったので、あとは一年生。二十人以上。
ほんと、まだまだ子供。
この子たちに、一つでも二つでも、演劇の面白さと、感動を伝えてあげられたらと思う。
でも、それぞれの意識の差が大きいのが見えて、どうしていいのか、ちょっと迷った。
その迷いは、すぐに生徒たちに伝わるもの。
それをごまかそうとして、すこし焦った。

子供たちの前にたつと、人として、いつも何かを試されているような気になる。

気がつけば、もう俺も48歳。
いま目の前にいる彼らとおなじ歳のころは、二十歳まで生きることは想像できていなかった。
ましてや、三十歳や四十歳など。

16歳の時に、中学の時の同級生がバイクの事故で死んだ。
そのときから、何人もの人を、見送ってきた。
人は、すぐにあの世に行く。
しかし、自分はまだ生き残っている。

寺山修司が、亡くなったのは、彼が47歳の時だった。
まさか自分が寺山さんよりも年上になろうとは、思いもよらなかった。
一度も会うことはなかったが、いつもすごく意識していた。
あこがれだったのかもしれない。

友人は、寺山さんの弟子だった。知り合いの女の子は、寺山さんと付き合っていたりした。
あんな大人になりたかった。
あんな作家になりたかった。
ときどき、あの人が生きていたら、どんなことをしただろうかと思う時がある。

寺山さんが編纂した、『ハイティーン詩集』は素晴らしい詩ばかりだった。
それらの詩が、好きだった。
そんな詩を書きたいと思った。
あの人は、十代の素晴らしさを知っていた。
若さが、未来だということを知っていた。

僕が、高校生と芝居をしようと思ったとき、頭のすみに、ちらっと寺山さんがよぎっていた。
あの人が、高校生と芝居をやるとしたら、どんなことをするだろう。
そんなことを思った。

僕は、いま、あの人が生きなかった時間を生きている。

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2006年4月12日 (水)

ツアー2回目

ローリング・ドラマ・ツアーの第二回を昨日やった。
今回から、またすごいやつが現れた。
シェフの資格を持ち、趣味は寺回りという変わり種の作家で演出家のM皮君と、二枚目だけど、職人かたぎのK猫がくわわった。
まずは自己紹介というなの雑談から。
それが延々と二時間もつづく。
ただだべっているだけにはたからは見えるかもしれない。
しかしこれも実は、脚本講座の一部なのだ。
人物の造形。
ドラマにもっとも大事なのは、それだといっても過言ではない。
話しながら、ひとを洞察すること。それも大事な脚本修行なのですよ。

観察しているようで、実は観察されている。
その奇妙な感覚。
それが楽しくてしかたがない。
ついついテンションはあがってしまう。

今回は、それぞれが自由に書いて持ち寄った、ストーリーの原型(プロットとかシノプシスとも呼ぶことがある)を、それぞれ読んで、それに感想をのべあうということをやった。

それぞれこの一週間で、勝ってに書いてきたものなのだが、みんな個性豊かで、才気を感じさせるものばかり。
みんなオッケイ!
これ脚本にしてって言いたかったけど、それじゃ脚本教室にはならない。

さまざまな意見がとびかい、実に面白かった。
このとき大事なことは、人のアイディアを、極力否定しないこと。
そのアイディアを出した理由は、かならず出した人のなかにあるはずなんだから、それをいきなり否定してしまうと、その人の人格さへ否定したように受けとられてしまうことがある。

これは、どんな場合にも、同じことが言えると思う。
ましてやクリエイティブになっている人の気持ちをなえさせてはいけません。

そして意見を聞くほうも、素直になって、他人の意見に耳をかすこと。
相手はけっして、自分を傷つけようなどとは思っていないのだから。
そして意見を聞いたうえで、自分でよりよくするための可能性をさぐっていくのです。
どうしても描きたいものが、そこにあるとしたら、かならずたどりつく道は見つかるはずなのだ。

今回は、ツアーがもりあがって、とうとう7時間くらいぶっつづけてやってしまった。
みなさん、おつかれさまでした。

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2006年4月10日 (月)

オーッ! ルーシー

仕事すすまず。
ちょっとおいつめられた感じになってきました。
ちょっと余裕かましすぎてたら、あっというまに、おいつめられてた。
急激に精神的に追いつめられるので、肉体的にもきつくなります。

脚本家の生活は、この連続なんですけどね。
いぜんに録画してた『アイ・ラブ・ルーシー』の特番を、気分転換にちょっとだけ見ようと思たら、最後まで見ちゃった。
時間ないっていうのに、こういうことしちゃうんですよ。

それにしても、『アイ・ラブ・ルーシー』はシチュエーションコメディを、僕に教えてくれた作品だったんだなぁと、あらためて実感。
『ルーシー・ショウ』としての方が、僕は覚えてますけど。

ダイジェストを、今見てたら、ほんとにギャグのツボを押さえてます。
役者さんたちも、すっごくうまい。
本物のプロとは、こういうものなのだということを、教えてくれます。

ルシル・ボールのそばに、笑いの神様(クラウンという呼び方を覚えた)が、いつもいるのが、はっきりと見えた。
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2006年4月 9日 (日)

妖怪、出現!

幼い子供は、自分の世界と、他人の世界がちがうということを知らない。
自分が体験していることは、すべからく他人も体験していると思いこんでいる。

自我が発達する前の、わがままほうだいの子供の無意識は、平気で他人を傷つけたりしても何らそのことに気づかなかったりする。

僕のなかには、そんな子供の感覚がのこっていて、ときおり顔を出す。

簡単に言うと、『妖怪・無邪気』になって、まわりの人たちに迷惑をかけてしまうのである。

今日も、またやっちまった。

ある芝居を友人たちと見に行ったのだが、僕には、その脚本の面白さがあまり伝わってこなかった。
いや、もしかしたら、僕がどこを面白がればいいのか、わからなかったのかもしれない。
どんなゲームでも、ルールを知らなければ、そのゲームが面白くないのとおなじで、その種の芝居にたいする観劇のルールを僕が理解していなかったのかもしれない。

その瞬間、僕は『野球のルールを知らずに、野球場に連れてこられた子供』とおなじになってしまっていた。
妖怪・無邪気、あらわるだ!

この妖怪は、観客席でムズムズ動いて、まわりの観客を不快にする癖がある。
そして、劇場から外に出ると、自分のなかにたまった毒を、まわりの人にむかって吐きかけてしまうのだ。

迷惑なのは、一緒に行った心優しい友人たちである。
妖怪の毒をあびてしまうことになる。
飲み会の場の雰囲気を、かなりこわしてしまいました。
ほんと、ごめんなさいね。

妖怪を手なづける方法は、たった一つ。
面白いものを与え続けることしかない。
けっして、飽きさせないように。
そりゃ、自分でやるしかないんだよね。
他人に求めちゃだめなのよ。
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前列、右から二人目の白いジャケットの男が妖怪と化したジャッキーです。

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2006年4月 7日 (金)

ローリング・ドラマ・ツアーだ

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桜ももうおわりだね。

ブログ書こうと思ってたら、あっというまに三日たっちまった。

夢に小学校の時の友人たちが出てきた。
何十年も会ったこともない、小学生の友人の顔がはっきり夢にあらわれた。
スゲーぞ、脳!
どっからそのイメージ映像を取り出してきたんだよ?

なぜか夢の中の小学生のおれたちは、みんなで並んで立ち小便していた。
で、俺は起きて、すぐにトイレに駆け込んだ。
すっきりした。
でも、なんで小学生のイメージ?

そんな、なさけない夢の話しはさておいて、火曜日は記念すべき日になった。
あの伝説のローリング・ドラマ・ツアーが、再出発したのである。
なに!? 『ローリング・ドラマ・ツアー』なんじゃそれ?

そうその通り、これは一部の人しか知らない、ジャッキー園田がかつてやっていた脚本私塾のことです。
第一期が、十数年前。劇団に集まったメンバーに対して開いた脚本教室。
そして第二期が、十年くらいほどまえ。脚本家志望の人たち数名に対してやった脚本教室。
そのメンバーからは、プロの脚本家や小説家、ジャーナリストたちが誕生しました。

あの直木賞候補作家も、あの有名映画の脚本家も、あの記事を書いてるジャアナリストも、ローリングドラマツアーを通って世の中に出ていったのさ。(ちょっと自慢)
ほんと、みんな師匠のおれを軽々と追い越して、大活躍してます。
盆暮れのつけとどけくらいしろよ!(冗談だからね)

ここで、すばらしいプロを生み出す秘訣を教えましょう。
それは教える側が、教えようなんてあんまり思わないこと。
あいての才能を信じて、彼らが自分で自分のなかにもともとある物に気づくように、ヒントを与えること。
たぶん彼らは、ぼくのローリングドラマツアーに出なくても、自然と世に出た人たちだったと思います。
僕がやったのは、少しだけ背中を押してやったってことかなぁ。

いまなら、そうだったんだとわかります。
当時は、教えてやる気まんまんでやってたけどね。
だからちょっと強引なところもあったような気がする。
それで相手に、ずいぶん嫌な思いとかさせてしまったかもしれないと。
ちょっと反省モードに入ってしまいました。

そして、今回の第は3次ローリング・ドラマ・ツアーは、EY君の要請により開かれることになりました。
Ey君をはじめ、すごく才能あるメンバーたちが集まった。
もうこれは成功したも同然。
ほっといても彼らは、すばらしい作家として羽ばたいて行くにちがいない。
僕は、その彼らの羽ばたきの瞬間に立ち会えるという幸運を与えられたわけです。
ついてますね、本当に。

初回のメンバーは、EY君、M王、M松、A美の四人。次回からは、また新たなる才能が加わる予定。
今回のメインは、EY君たちが前回やった芝居の脚本についての分析。
どうやったら、脚本をうまく分析できるのか?
脚本にまよったときに、それを客観的に見るいい方法があるんだよね。
このドラマツアーではいろんな雑談形式で、それを解説していくわけなんだけど、ここではちょっとその要点を教えちゃおう。

脚本を読んだら、次のポイントをチェックします。
1、主人公は誰か?(ヒーロー)
2、主人公と対立するのは誰か?(敵、ライバル)
3、彼らは何について争ってるの?(地球の運命とか、宇宙の平和とか?)
4、主人公は、どんな行動をおこすか?(そりゃ戦うよね)
5、主人公の前に、どんなトラブルが立ちふさがるか?(おー、怪獣、怪人があらわれた!)
6、クライマックスは?(あと三分しかないぞ!)
7、ドラマの始まりとあとで、主人公は、どう変わったか?(仲間ができたよォ)

この七つのポイントで脚本を読めば、構成がだいたいつかめちゃうわけ。
( )内は、ヒーロー物を例にとって書いてみました。
わかりやすいっしょ。

物語(ドラマ)の骨格は、もう数千年前に出来上がっていて、僕らはそれをコネコネいじくりまわしているだけなんだ。
人の気持ちを動かすための機関として、『物語』をとらえたとき、それが効率的に動く方法は、だいたい決まってるわけ。
だから『物語』がうまく動いているかどうかを、チェックする方法も編み出されてるわけっすよ。

今回は、素材にした舞台の出演者と、演出家がメンバーにいて、他のメンバーたちもその芝居を見ていたので、とってもスムースに分析ができました。
どこが弱くて、どこが改善の余地があったのか。
他にどんなやりようがあったのか、いろんなアイディアも生まれた。

この新しいアイディアが生まれてくるというのが、とっても大事なこと。
ローリング・ドラマ・ツアーの真の目的はここにあるのです。
みんなで話し合っているうちに、新しい物が生まれてくること。
お互いが刺激し合って、成長がうながされること。
新しいエネルギーが充填されること。
そして、みんながハッピーになれたら最高!

そんなローリング・ドラマ・ツアーのようすを、このブログでも、ときどき報告していきますね。
みんなも、一緒にロックンロールだ!

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2006年4月 2日 (日)

マヨ!?

Top_portrait マヨ!?

東京電力のCMに、いきなり美輪明宏さんが現れた。
鈴木京香がドアを開ける、そこにキンキラの美輪さんが立っている。
『見に来たまよ』
なんとも強烈なインパクト。
日常が、いきなり非日常にかわってしまう。

でも、でも……
『マヨ』って言ってますよね。
マヨって。
見に来たマヨって。

マヨってなんすか?

きっと美輪さんならではの、メッセージがここにふくまれているのではないかと、僕はふかーく考えこんだりしてしまうのだった。
なんかの呪文か!?

で、僕は、一人ひそかに言ってみる。
『見に来たマヨッ!』
すると、僕をかこんでいた日常が、いきなり非日常の不思議ワーダーランドに変わっていくではないか。
オオッ、そうだったのか。
これだったのか。
『マヨ』って一言で、空気を変えてしまう、やっぱり美輪さんはスゲーッぜ!

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2006年4月 1日 (土)

僕の望み

Imgp2876 アユリテアトルのワークショップ発表会を見てきました。
この写真は、ゾンビの襲来のシーンではありません。
キャラクターつくりのためのウォーミングアップの風景です。

前にも書いたけど、このカンパニーはルコック演劇学校出身の若い役者さんたちがつくったもの。
当然のごとくウォーミングアップをふくめて、トレーニングはルコック式と言ってもいいかもしれない。
僕はルコックの書いた本は読んでいたけど、実際にトレーニングを受けたことはない。

彼らのトレーニングは、実は僕がいろんなところでやっていたトレーニングにすごく近いものだった。
だから僕にとっては、とりたてて目新しいものはほとんどなかったんだけど、ワークショップを受けにきている若い俳優志望の人たちにとっては、刺激的なものに映っているようだった。

はじめて演劇をやる人も、経験者も一緒になってゾンビ歩き。

このシステムは、体を動かすことで、心も動いてくるという考えかたからできている。
たしかにその通りのところはある。
心が動くということは、どういうことなのかというのを体に覚えさせていくのだ。

創造的な役者や作家や演出家を育てていくとき、こういうやりかたがきわめて効果的であることを、僕は知っている。
だから、このブログも体感脚本講座なのだ。

脚本作りという、きわめて脳内作業に思えるものを、体を動かすことで感じていく。
そんなシステムを考えている。

いずれ日本にも、このようなワークショップとか、演劇教育機関がしっかり確率されて、すぐれた役者や作家が生まれることを期待したい。
時代は、そういう方向に向かっていると感じている。

僕が、今回このワークショップの発表会を見に行きたかった理由の一つは、参加者のにまったく演劇経験のない中年男性が二人いたからだ。
前回、覗きにいったときに、この二人を見て、僕は『おもしろいなぁ』と感じていた。

なんでこの人たちが、ここにいるんだ?
まずそう思った。
この人たちは、いったい何者なんだ?
どこからみても中年のおっさん二人が、若い学生たちにまじって、体を動かし、照れ笑いしながら見当ちがいのインプロをやっている。
彼らが真面目にやっているだけに、それがおかしくてしかたがないのだ。

ここに、僕はコメディの原点を見た気がした。
意識せずにコメディの神様を呼び寄せた二人が、ここにいた。
ルコック風にいうならば、彼らの側にはクラウンがきていた。

彼らは、実に楽しそうにやっていた。
それがまた、おかしくてしかたがない。

ところがだ、帰り際にスーツ姿になった二人を見て、僕はまた驚くことになる。
さっきまでの『アホヅラ』はどこへやら。キリリとした有能そうなビジスネマンが、そこにいた。
えっ、これがさっきのあの人?
僕には、まるで別人みたいに見えた。
いまやコメディの神様も、クラウンも近くにはいない。

いったい、どっちが本当の彼なんだろう?

もしかしたら、さっきのワークショップで『なにもできない自分をさらけ出しアホヅラをさらしていた彼』が、本当の彼であり。彼が本当の自分をさらけ出すことができていたから、面白かったのではなかろうか。
今の常識人でビジネスマンの彼こそ、長年の人生で彼が『演じて』きたキャラクターなのではないか。

いろんなところに、いろんな芝居を見に行くのが僕の日常なのだが、いつもつまらない演技をする役者によく遭遇する。
演技しているのが、観客にわかってしまう瞬間、観客は冷めてしまう。
もちろんお芝居なのだから、演技しているのは、わかりきっていることなのだが、観客は、そこに『本当』を見たいのだ。

『本当』とは何なのか。
それをなんなくやってのけることができる役者こそ、いい役者なんだよなぁ。

そんないい役者たちと、一緒に仕事をしたいと思う今日このごろだ。
Imgp2890

そんな思いを胸に、桜の下散歩しつづける。

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