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2006年4月15日 (土)

人気のない僕

14日は、週に一回だけ、演劇を教えに行く高校での初授業の日。
はじめて出会う若者たちのことを思い、若干、興奮気味で早朝六時に起床。
今日のプログラムを考えて、一時間も前に、学校に行き、体操服に着替えて、その時を待った。
彼らが僕の前に現れる、その時を。

しかし、その時は、こなかった。
誰も授業に出てこなかったのだ。
えっ、うそだろ、どういうこと!?

僕は、この三年間、この学校の卒業公演を担当してきた。
この授業は、卒業公演のための準備の授業なのだ。
それなのに誰もこない。
何かの連絡ミスなのか!?
それとも卒業公演をやる気がないということか!?

わけがわからず、僕は、こみあげてくる怒りと寂しさを飲みこんだ。

事情はなんであれ、僕と出会おうと思っている生徒がいないということなのだ。

いつも劇場は、人と人とが出会う場所だということを言い続けてきた。
芝居は、人と人とをつなぐと言い続けてきた。
それを信じてきた。
だから、高校生たちとの芝居作りをやってきたはずだった。

しかし、出会う人がいないということは、こんなに寂しいことはない。
自分は、ここでいったい何をしているんだろうと、空虚になった。

僕にとって、この場所での出会いは、もうなくなったということなのだろうか?
そんなことを自問した。

それとも、ベケットの芝居の登場人物のように、僕は、待ち続けなければならないのか?

待ち続けるということは、すごく傷つき、疲れることだということを実感した。
ベケットへの理解は、すこし深まった。
それは一つ、得した。

午後の授業は、新一年生と二年生の子たち相手。
二年生は、たった三人だったので、あとは一年生。二十人以上。
ほんと、まだまだ子供。
この子たちに、一つでも二つでも、演劇の面白さと、感動を伝えてあげられたらと思う。
でも、それぞれの意識の差が大きいのが見えて、どうしていいのか、ちょっと迷った。
その迷いは、すぐに生徒たちに伝わるもの。
それをごまかそうとして、すこし焦った。

子供たちの前にたつと、人として、いつも何かを試されているような気になる。

気がつけば、もう俺も48歳。
いま目の前にいる彼らとおなじ歳のころは、二十歳まで生きることは想像できていなかった。
ましてや、三十歳や四十歳など。

16歳の時に、中学の時の同級生がバイクの事故で死んだ。
そのときから、何人もの人を、見送ってきた。
人は、すぐにあの世に行く。
しかし、自分はまだ生き残っている。

寺山修司が、亡くなったのは、彼が47歳の時だった。
まさか自分が寺山さんよりも年上になろうとは、思いもよらなかった。
一度も会うことはなかったが、いつもすごく意識していた。
あこがれだったのかもしれない。

友人は、寺山さんの弟子だった。知り合いの女の子は、寺山さんと付き合っていたりした。
あんな大人になりたかった。
あんな作家になりたかった。
ときどき、あの人が生きていたら、どんなことをしただろうかと思う時がある。

寺山さんが編纂した、『ハイティーン詩集』は素晴らしい詩ばかりだった。
それらの詩が、好きだった。
そんな詩を書きたいと思った。
あの人は、十代の素晴らしさを知っていた。
若さが、未来だということを知っていた。

僕が、高校生と芝居をしようと思ったとき、頭のすみに、ちらっと寺山さんがよぎっていた。
あの人が、高校生と芝居をやるとしたら、どんなことをするだろう。
そんなことを思った。

僕は、いま、あの人が生きなかった時間を生きている。

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