« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »

2007年4月21日 (土)

生きる喜び

なつかしい人に、たてつづけに二人、ばったり出会った。
人に会うと、うれしくなる。
生きている、よろこびだ。

いろんな話をした。
これがあるから、毎日、大事にしなきゃと思う。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

高校生に脚本教える

今日から、高校生に向けての体感脚本講座を開始する。全、13回の予定。

新宿にある東放学園高等専修学校っていうところでやります。はたして、この講義を受けた者のなかからプロになる人があらわれるか。

結果は、数年後だね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月12日 (木)

肉離れ

トランク帰ってきました。

ヒューストンで迷子してたみたい。お土産も無事帰国。

まだ時差ぼけ中ですが、野球やってきました。三年ぶり。そしたらさっそく太股の裏側を軽い肉離れ。やっぱりやってしまった。古傷なんだよねー。

こうなると、歩くことの幸せを痛感。痛めて、はじめて普通が最高っていうことを思う。

いまから、九州帰ってきまーす。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 9日 (月)

時差ボケ

時差ぼけです。

無事帰国したんですが、なんとトランクがとどきませーん。
荷物が出てくるところで、最後までポツンと立ちつくしてました。
海外旅行、二回連続ロストバゲッジ。
ついてません。

その後、二日たったんですが、やはり出ました時差ぼけ。
ふだんは朝方の僕が、すっかり夜型になってます。
しかも八時くらいから眠たくて、二時前に起きるというもの。
あさまで起きて、写真の整理とかしてました。

写真、いくつかのっけます。
Rimg0066 Rimg0069

Rimg0074

                                                                                                                                                                                                                                                                     Rimg0101                            この四枚は、ティオティワカンの遺跡です。

最後のはみやげ物買っておどけるジャッキー。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年4月 5日 (木)

カリブ愛の詩

『メキシコよサラバ』

  旅のレポートも、これで最後になります。
  あと数時間後には機上の人になる予定。
 いまはホテルの部屋で、メキシコリーグのサッカーを見ながらこれを書いてます。
 ドスエキスというビールは、けっこうおいしいです。この三日間のお気に入りになりました。
 メキシコサッカーは、かなりレベル高いです。
 貧民層の人は、野球かサッカーでなりあがるしかないから、がんばるんじゃないかなぁ。なんかハングリー精神を感じます。

 カンクン入りしたのは、もう三日前になってしまいました。
 メキシコシティで、飛行機に乗り遅れちゃいけないと思って、空港に早く行き過ぎて、空港で三時間も待つことになりました。こういう時、一人だと暇つぶしが大変。
 人間観察も、三時間もやってると飽きてきます。

 カンクンの空港で、タクシーに乗ろうとしたら、寄ってきた客引きの口車に乗せられて、たった一人で8人乗りのバンに乗せられてしまった。
 もちろん値段は一人も八人も同じ。ふつうのタクシーの倍くらい払わされる。
 ちょっと悔しかった。

 タクシーの運転者が人懐っこくて、いろいろ話しかけてくるので、ポケモンの脚本家だというと、外国に住んでいる息子にわざわざ電話して、話をさせられた。
 息子はアニメファンらしかった。
 彼は、カンクンに出稼ぎに来てるという。
 みんながんばってるんだよねー。

『遺跡で迷子になる』

 二日目は、チェチェンイッツァの遺跡に行く。
 日本人のツアーに参加。
 アメリカ在住の日本人家族が二組、年配の御夫婦が一組、そしておれ。合計十一人。
 大型のバンに乗りこんで、遺跡を目指す。
 なんだか修学旅行気分で、おれはウキウキ。でも家族連れが二組ともおとなしいので、バンのなかではしゃぐわけにもいかず、しずかにしてた。
 こき季節、カンクンにバカンスに来るのは、新婚旅行以外はアメリカ在住の日本人家族がけっこう多いって、ガイドさんが教えてくれた。
 小学生と中学生の娘を連れてお父さんに話しかけてみた。
 彼のは、もう七年もニューヨークに仕事でいるとのこと。娘さんは、日本語よりも英語のほうが得意そうだった。
 
 三時間近く、ほぼまっすぐな道を行くと、ジャングルの中に遺跡が忽然とあらわれる。
 巨大な都があったらしい。
 ここにもでっかいピラミッドがある。
 やはり階段状になっていて、最上階は、平らになっていて、そこに木で建物を建てていたようだ。
 ティオティワカンの時も思ったのだが、当時の人々は背が低かったにもかかわらず、この階段の一段一段が異様に高い。
 なぜだろうと思っていた。
 その謎が解けた。
 これは階段としての機能よりも、儀式の時の雛壇としての役割をになうものだったのだ。
 きっとこの雛壇に、偉い人順に並んで座ったんだろう。
 そう考えれば納得がいく。

 この遺跡には、巨大な球技場があった。
 サッカー場よりも、もっと大きい。縦に百五十メートルくらいはあった。
 ボールを入れるゴールが、ものすごく高いところにある。
 ここでの試合は、選手たちにとっては大変だったろう。
 ここ以外にも、球技場はいくつもあったらしい。
 いろんなサイズの球技場で、サッカーのような、バスケのような試合をやっていたのだ。
 しかも勝ったほうのチームのリーダーが、その場で首を切られていけにえになったらしい。
 研究者が言うのだから、たしかなのかもしれないが、僕には納得できないものがある。
 いくらいけにえが神事だったとはいえ、自らいけにえになるのは、昔の人でも嫌だったんじゃないかなぁ。

 遺跡が広大すぎて、帰りの道で迷子になってしまった。
 他のツアーのおばさんたちに、道を聞いて、なんとか集合場所にたどりついたけど、集合時間に大幅におくれてしまった。
 みんなに迷惑をかけたので、ひたすら謝る。
 マヤの遺跡にまできて、遅れをあやまることになるとは、締め切りに遅れて毎度謝ることになっている、脚本家の悲しい癖なのか。

『会長さんとお友達』

 三日目は、コバ遺跡とトゥルム遺跡。
 八時前に迎えがくることになっていたが、電話で起こされた。
 寝坊だ。
 もう一組のお客を迎えにいってくるので、その間に準備してくださいということになる。また謝った。

 今回は、昨日よりも一回り小さいバンになる。
 昨日一緒だった年配のFさんご夫妻と一緒。
 観光会社の日本人の若い女の子のガイドが二人、研修でついてくる。
 海外で仕事をする日本女性は、日焼けで真っ黒。たくましい。

 まだ三時間近く走る。
 ジャングルの中をいくので、変化が少なくあまり面白くない。
 今日はFさん御夫婦と、話しながら遺跡を目指した。
 埼玉に本社のある自動車部品の会社の会長さん夫婦だった。
 メキシコに工場があるので、だんなさんは仕事でメキシコによく来ているらしかったが、今回は奥さん孝行でカンクンに観光旅行にきたのだという。
 ほがらかな御夫婦だ。
 僕も話し相手ができて楽しくなってくる。

 ここにもでっかいピラミッドがあった。
 どうやらツインタワーのようになっているしらいが、もう一つはまだ草木に覆われた山のまま。
 一つの方だけが発掘され、ほぼ復元されている。
 そこに登ったら、ジャングルの中に、あちこちに盛り上がったようなところが見える。
 それらも遺跡にちがいない。

 マヤ人は、見事な舗装道路をつくっていたらしく、そのあともあった。
 車輪は使っていなかったらしいが、舗装道路はなんのためのものだったのだろうか?
 まさか飛行機の滑走路なんてことはないよね。
 でも、そんなことを考えると楽しい。

 ジャングルの中の遺跡は、風化が激しく、石灰岩にきざまれたレリーフとかもほとんど消えていた。
 この遺跡も広大なので、自転車の前に二人分の座席をつけた、逆リヤカーみたいな乗り物で移動する。
 この人力車は快適だ。

 テュラムの遺跡に移動。
 ここはカリブ海にのぞむ、マヤ最後の遺跡と呼ばれている。
 四方を壁にかこまれた都のあと。
 でも、僕には都というよりは、前線基地のように思えた。
 マヤ人たちがカリブ海からやってくる外敵に備えてつくった城砦。
 そんな感じ。
 絶壁を降りていくと、そこには美しい浜辺があり、観光客たちが海水浴をしている。
 あちこちに猫くらいの大きさのでっかいトカゲ(?)がいる。
 すでに見慣れてしまったが、日本で見たならば、飛び上がるだろうなぁ。

『島に行く』

 四日目、これでカンクンは最後だ。
 あとはさっさと東京にもどるだけ。
 今日は予定がなかったので、近場をブラブラする。

 バスでフェリー乗り場に行き、三十分海の散歩。
 イスラ・ムヘーレスという島に渡った。
 ここはまるで新島って感じ。

 浜辺には2年前のハリケーンのなごりが、まだあった。
 そうとうひどかったらしい。
 観光客がみんな水着姿で歩いていて、田舎の海水浴場って感じ。
 浜辺沿いには、海の家みたいなものがたくさんあった。
 一時間いて本土に戻った。

 最後に、ホテルの前のビーチで、ついにおれも海に入った。
 十分ほどだったけど、今年初の海でウォーキング。
 カリブの海は、ぬるかった。

 僕の長い旅行レポートを読んでくださって、ありがとうございます。
 東京に帰ったら、また脚本修行だぜ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007年4月 1日 (日)

ソカロの夜

『これが広場だ』

 昨日、メトロに乗ったことに自信を深めて、旧市街まで、今度はメトロの乗り換えに挑戦してみた。
 午後一時過ぎ。昨夜の喧騒が嘘のように、地下鉄の駅は静かだった。
  すんなり2ペソのチケットを買って、メトロに乗る。
 なんとなく駅の表示とかも、システムが理解できるようになってきた。

 地下鉄のなかは、いかにも労働者階級の人たちといった雰囲気の人たちで、八割方満員。そのなかに、いきなり物売りの女の人が乗りこんできた。
 体にスピーカーをしょって音楽を鳴らしながら、CDを売っている。
 これと同じような光景を、韓国でもバンコクでも見た。
 日本でも、かなり昔は、そういうことをやっていたと聞いたことがあるが、今は想像だにつかない。
 どんなことをしてでも働かなければならない人たちがたくさんいる国では、こういう電車内での行商とかがまだ行われている。
 目の前に座っていたふとったおねぇえさんが、そのCDを買った。そのスムースなやりとりに、一瞬、目を奪われる。
 やっぱ、買う人いるんだ!
 行商のおばさんは、電車が次の駅に止まると、すばやくホームに出て、隣の扉に移っていった。
 するとまた別の行商のおばさんが入ってきて、今度はガムを売る。
 みんななかなかいい声の出し方をしているので感心。

 五つか六つ駅をすぎて、一本ラインを乗り換えた。
 簡単な乗り換えも、けっこう冒険に思えるから、旅は楽しい。
 何をやっても脳が活性化する気がする。

 ソカロ。
 たぶん広場っていう意味なんだろうと思う。
 メトロの駅をでたら、そこにははデーンとでっかいカテドラルがあり、その前に広大な広場がひろがっていた。
 これはまさにヨーロッパの大都市のスタイルそのもの。
 しかもこの広場が、半端なくでかい。ゆうに百メートル四方はある。

 この下には、でっかいアステカの神殿があったらしい。
 それをぶっこわして、スペインの征服軍がキリスト教的世界を、その上につくりあげたのだ。
 カテドラルの横に、テンプロ・マヨールという遺跡があり、そこにはアステカの壮大な神殿が発掘されている。
 侵略してきたスペイン人が、すこしでも以前の文明に敬意を持ってくれていたら、もっとたくさんの遺物を見ることができたんだろう。

 しかし、そんな歴史的な遺物よりも、僕を驚かし、感動させたのは、このソカロに集まっている人たちだった。
 このソカロの周囲には、ものすごい数の人が集まっていた。
 メキシコシティじゅうの人が、ここに集まったんじゃないかと思うくらいの人出。
 人、人、人、人人人……人の波。
 道路の両側は、自分の売り物を一メートル四方のふろしきの上に広げた行商の人が、びっしりと埋めつくされている。
 せまくなった道を歩く人たちは、肩をぶつけあいながら、まるで明治神宮の初詣状態。
 それがえんえんと続いている。
 なんだか町中が、巨大なフリーマーケットになった感じ。
 あちこちでタコスや、ピザみたいなもの(なんがよくわからない食い物)を売っている屋台もあり、ここはアメ横か!
 しかも半端なくでかい、アメ横だ。

 僕の受けた感じでは、旅行者相手というより、地元の人向けの市場だ。
 いろんな物が売られていたけど、価格は、すごく安かった。
 あんまり上等な品ではなさそうだったけど。
 写真もとったけど、この雰囲気はなかなか伝えられそうもない。
 なんか写真を撮ってると、すりに狙われそうな気がしたから、もう写真は隠し撮り状態。
 僕は、できるだけ気配をけして、町に溶け込もうとした。
 まったくできないんだけど、そんなことは。
 東洋人は、ほとんど歩いてなくて、みんな僕のことじろじろみるんだよね。

 このソカロの、巨大アメ横では、メキシコのバイタリティを感じた。
 誰もが、ひたすら商売してた。
 なんでもやって生きるんだという、気合が伝わった。
 しかし、どうしようもなく、まったくうれそうもない、おじさんとかもいた。
 両手に、なんかパンみたいなものを持って、売り歩いているんだけど、あまりにもシンプルすぎて、誰も見向きもしない。
 それでもおっさんは、声をだしながら歩き回っている。

 やっぱ仕事が、あんまりないんだろうなぁ。
 仕事があれば、そこまですることないだろうし。それとも、ふだんは何かやってて、休みの時はこういう行商とかするんだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていたら、やっぱり隙ができたんだろう。
 靴磨きのおっさんにつかまった。
 断ったけど、立ち止まった隙に、靴にクリームつけられてしまった。
 しょうがねぇ、これも経験だと思い、言われるままに、靴を磨かれた。
 やっぱり最後に、かなりの値段をふっかけてくる。
 半分くらいだろうと思って値切ったら、その中間で、折り合った。
 それでも、たぶん普通の値段よりは、かなり高めなんだろうと思う。

 それにしても、靴磨きの人も、たくさんいる。
 空港とか、駅とか、あちこちで見る。
 たしかにメキシコ人は、みんなピカピカの革靴をはいている気がする。
 靴磨きは、元でもほとんどかかんないし、いい仕事なのかもしれない。

 あとで空港の靴磨きの値段を見たら、やはり僕がソカロで払った金額は、その倍以上だった。
 あの靴磨きのおっさんは、観光客の靴を磨いて、ぼろ儲けしてんだろうなぁ。
 ほとんどの人が英語しゃべれないんだけど、その靴磨きのおっさんは、けっこううまく喋ってた。
 靴磨きも、英語力がものをいうのだ。

『二階建てバスの孝行娘』

 ソカロを歩き疲れたら、ちょうど二階建ての観光バスが止まってた。
 それに乗れば、ちょっと観光して、自分の泊まってるホテルの近くまで行ける。
 迷わず飛び乗った。

 バスの中でチケットを買う。おねぇさんが、手首にバンドを巻いてくれる。それをつけていれば乗り降り自由なのだ。英語は大丈夫かと聞かれて、イアフォンをくれた。それで町の解説を聞きながら観光ができるのだ。こいつはいい。
 で、席に座ったら、日本語の解説もあるじゃないか。
 じゃあ、さっきのおねぇさんは、僕のことを何人だと思ったのだろう?
 たいていのところでは「ハポネス」とすぐに気づかれてたんだけどなぁ。

 ホテルの近くのレストランに入って食事。
 けっきょくシティにはいって、この店で食べるのは三度目。
 同じ店にばっかり入ってしまうのは、東京で暮らしているときと同じだ。
 これは僕の癖。
 基本的に、あまり冒険できないたちなんだよね。

 ホテルの一階にスターバックスがあり、そこでも毎日、おなじものを買ってしまう。
 グランデラテ。これも東京でやってることと同じ。
 安心感があるんだよね。
 スタバのラテには。

 八時からソカロでメシキコフェスィバルのイベントで、モダンダンスがあると書いてあったから、それを見に行くことにした。
 手首には乗り降り自由のバンドがある。
 もう一度、二階建てバスに飛び乗った。

 二階には、空いている席は一つしかなかった。それに座ると、前の席から日本語が聞こえてくる。女性の二人連れが話しているのだ。
「こんにちは」
 と、つい声をかけていた。
 二人はすぐに母娘だとわかった。二十代の娘のほうはメガネをかけているが、ほんとに雰囲気が似ている。
 ぼくはつい、ひさしぶりに日本語を聞いたなどと、いいかげんなことを言ってしまった。実は、昨日はガイドさんに案内されていたので、別に久しぶりの日本語じゃなかったんだけど、昼間ものすごい群衆のなかで、珍しい東洋人として孤独感を味わっていたので、本当に日本語が懐かしくかんじていたのだ。
 ほんとに言葉でコミュニケーションするのに、ストレスを感じないことの、なんとすばらしいことか。

 この親子は、二人でメキシコ旅行にきたのだという。
 女性の二人連れなので、なかなか夜は出歩いたことがないらしい。
 ちょうど自分たちの泊まっているホテルに帰る途中だったのだが、僕がソカロでイベントがこれから始まるといって誘ったら、「じゃあ、一緒行こうかしら」ということになった。
 旅はみちづれ、世は情け。
 まさに、寅さん的な流れだ。
 日常では、なかなかこうはいかない。
 今年に入って、男はつらいよシリーズをたくさん見て、寅さん感覚を身につけていたからこそ、こういう流れがやってくる。

 Oさん親子は、品川から来ていた。
 僕とはちがって、二人は日本人観光客がたくさん宿泊している小さなホテルにいて、いろんな人に会えて楽しいと言う。
 うん、これこそ正しい個人旅行だと思った。
 豪華なホテルにとまるよりも、日本人経営のホテルの安心感と、そこでの出会いを楽しむ。
 そのホテルには、修行中の若いプロレスラーも泊まっているとのこと。
 面白そうじゃないですか。

 二人は、メキシコシティに来てから、まだ一度も夜の町には出たことがないと言う。
 なんだか怖かったらしい。
 毎晩、夜の町を徘徊している僕とは大違い。
 僕と一緒に、夜の町を歩けるのをとても喜んでくれた。

 僕らがソカロについたのは、開演時間の十分前くらい。すでに広場は、何千人もの人で埋めつくされていた。
 さらにどこからともなく、どんどん人が集まってきている。
 下手よりの端っこに、座ろうとしたら、そこにいた人が身振り手振りで椅子を自分で持ってこいと言っている。
 たしかに前のぼうに、バイプ椅子が山積みされている。
 その椅子を勝手に持ってきて、そこに座席をつくった。
 あとから来た人たちも、それにならってどんどん座席が広がっていく。
 みんなこういう時の対処のしかたを心得ているらしく、ほとんど混乱もなく、すんなり座席が出来ていく。
 会場整理の人などいないのに、数千人もの人が、まったく混乱しないで自分たちの座席を確保していく。
 これはすごかった。

 プロレスの会場でも思ったのだが、ものすごい数の観客にくらべて、場内整理の人員は極端に少ない。
 それでもここの人たちは、ほとんど混乱することなく、いつのまにか自分の居場所をつくっている。
 これはおおらかな国民性こそがなせる技なのかもしれない。
 日本では、こうはいかないだろう。

 なにが違うんだろうと思った。
 チケット売り場とかで、多くの人がならんでいる。
 日本だと、なんかイライラ感が伝わってくるのだが、ここではそれがないのだ。
 最初からあきらめてるのか、それとも、そういうことを気にしないのか。
 ここの人たちは、並んだり、混乱している中にいても、あまりストレスを感じていないような気がする。
 やっぱり陽気なメキシカンなのね。

 イベントは、アメリカのダンスカンパニー、シュン・ウェイ・ダンスアーツの公演だった。
 モダンダンスカンパニーだ。
 ピアノの音にあわせて、ダンサーたちがゆったりと、ときには素早く動きだす。
 広場にあつまった民衆は、無駄話もしない。
 こんなにも大人数が、モダンダンスのパフォーマンスを見るのは、きわめてまれなことだろう。
 みんなほとんど咳もしないで、じっとダンスの公演を見つめている。
 そこらへんに普通に生活しているおっさんや、おばさんが、難解な動きのダンスを見つめているのだ。
 彼らの、芸術家に対するレスペクトが伝わってきた。
 終わると、潮が引くように、彼はどこかへと帰っていった。

 僕とOさん親子は、ソカロに近い評判のレストランで、マリアッチにかこまれて軽く食事をした。
 マリアッチが見たと言っていた、Oサン親子は、大満足。
 店にタクシーを呼んでくれと言ってら、待っていたのは白タクだった。
 ガイドブックには白タクはやめておけと書いてあったらしく、Oさん親子は、ちょっとビビる。
 僕は、親孝行するつもりで、この親子をホテルまで送って帰った。

 こうして僕の、メキシコシティの最後の夜は終わったのだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年3月 | トップページ | 2007年5月 »