文化・芸術

2008年6月30日 (月)

ワークショップのお知らせ

『脚本家と監督が、ワークショップを開きます。

俳優のみなさま、ぜひ参加してください。』

きたる、2008726()27()82()3()の四日間、『即興とデバイジングによるシーン作り』をテーマにしたワークショップを開催します。

ワークショップリーダーは、脚本家、演出家の園田英樹がつとめます。

また脚本家、映画監督の大川俊道が特別講師として、自作の脚本を使って、映画における演技の指導も行います。

日程、2008726

27日、82日、3日。1時から6時まで。(2日のみ、130より)

場所は、新宿村スタジオ。(スタジオ番号はのちほどお知らせします)

参加費、一日につき千円。

できれば、四日間全部に参加していただきたいですが、お仕事などの都合で全日参加できなくても大丈夫です。

参加希望者は、簡単な自己紹介をつけて、メールか、ファックスで申し込んでください。

人数は20名までですので、お断りする場合もあります。

参加者には、こちらから連絡させていただきます。

締め切りは、7月18日です。

メールアドレス……hideking922@yahoo.co.jp

FAX番号……(03)34678864

主宰・プロジェクトNewOne

園田英樹(そのだひでき)プロフィール

  1957年生まれ。

佐賀県鳥栖市

出身 明治大学政治経済学部卒。

 在学中にテレビドラマで脚本家デヴューし、俳優兼脚本家として、数々の舞台に出演する。小説家としても、ジュブナイルを中心に二十数冊の著作がある。即興と、デバイジングによる脚本作りを劇団の作品作りに活かす方法を確立。2000年より、東放学園高等専修学校で演劇と脚本を教えるなかで、ドラマ教育の方法を模索しドラマケーション開発に参加している。東放学園高等専修学校の卒業公演のオリジナル舞台脚本も四年間にわかって書き続けている。NHK児童劇団のミュージカル脚本も三本執筆。現在、来年夏の劇場作品と、来年四月に公演予定の芝居の脚本を執筆中。

〔劇場脚本作品)劇場版ポケットモンスター3作目からの全作品。『翔べ、ペガサス』『アイシティ』『ゴッド・ブレス・ダンクーガ』『超音戦士ボーグマン・ラバーズレイン』『大阪の章二クン』(ベルリン映画祭、上海映画祭出品)『カメレオン』(96年日本映像)『セーラー服反逆同盟』『ハングマンGOGO』など、テレビ作品多数。

〔舞台脚本〕『天国の地図は誰ももたない』(日活芸術学園)『大冒険ラブソング』『さよならキャ盗ルパン』(NHK放送児童劇団)『ラストステージ』(川村真紀一人歌芝居)『赤い長ぐつ』(

川口市

ミュージカル団公演)『ファンタスト』『パノラマ幻象』『ファンタスティックリリー』(劇団帰燕風人舎)など多数。

大川俊道(おおかわ・しゅんどう)プロフィール

 1957年生まれ。

茨城県水戸市

出身。明治大学法学部卒。

 大学在学中より、脚本家デビュー、その後数々の作品にたずさわり、自ら監督もこなす。

 現在、次回作を執筆中。

〔脚本作品〕『太陽にほえろ!』『刑事貴族』『キャッツ・アイ』『あぶない刑事』『ハングマン』『ベイシティ刑事』『ルパン三世』『四姉妹物語』『セーラー服反逆同盟』『こち亀・ザ・ムービー』『甲虫王者ムシキング』『太陽の傷』『リリー・フランキーのおでんくん』他

〔監督作品〕『クライムハンター怒りの銃弾』(世良公則 原田芳雄)『NOBODY』(加藤雅也 竹内力 遠藤憲一 根津甚八)『サニー・ゲッツ・ブルー』(七瀬なつみ 又野誠治)『ダブル・デセプション 共犯者』(菊川怜 ウド・キアー ルイス・マンディーロ ジェームズ・ルッソ)『ワニ女の逆襲』(星野マヤ 中島宏海 菅田俊)他

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2007年3月16日 (金)

S-1グランプリ

昨日は、即興のショーに行ってきました。
面白かった。
笑った。

S-1グランプリ。
東京コメディストアJという即興劇団が年間を通して行っている、即興ショーです。
15名のプレイヤーが、ポイント制で、今年のチャンピョンを目指して戦います。
僕は、昨年から、その審査員の一人をやってます。
今年も、そのS-1がはしまりました。

原宿の老舗ライブハウス、クロコダイル。
毎月第三木曜日。
爆笑しながら、はげしく戦いが続きます。
今年は、誰がチャンピョンになるのか?

即興(インプロ)のおもしろさを、たくさんの人にもわかってもらいたいという、主宰の今井純さんの思いが、このS-1にはこもってます。
興味のあるかたは、ぜひご覧になって欲しいです。
食事やお酒を飲みながら、笑えるショーを堪能できます。
僕も、S-1では、審査員として、毎回ポケをかましてます。

あとこのショーのいいところは、お客さんに可愛い美女が多いということ。
審査員席からは客席も見わたせるのです。
桜を愛でる日本人のこころで、美女も堪能してきました。

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2007年3月15日 (木)

またハイバイ観たぞ

劇団ハイバイの初日を観に行ってきた。
『ヒッキー・カンクーントルネード』と『おねがい放課後』の二本立て。
作・演出、岩井秀人。アトリエ・ヘリコプター。

今回も面白かった。

ハイバイは、今、もっとも最先端の芝居をやっている集団だ。
主宰の岩井秀人はほんとにすばらしい。
彼のエンゲキは、ちょこっと時代よりも先に行ってる。
もうしばらくしたら、まわりがついてくるだろう。

現代人の残酷さや優しさや切なさを、独特の笑いで切り取ってみせる。
ものすごい才能である。
彼のまわりに集まっている役者たちも、かなりの曲者たちばかり。
いい味だしてます。

五反田のデニーズで、役者さんたちにご飯おごって、ご機嫌で帰ってきた。

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2007年3月14日 (水)

ブルーストッキング

劇作家の宮本研。
彼は昭和を代表する劇作家の一人だ。
1988年に亡くなった。

代表作の一つ、『ブルーストッキングの女たち』を観て来た。
地人会公演、木村光一演出。紀伊国屋ホール。

大正時代に、女性のための雑誌『青鞜』をつくった平塚らいてうや、伊藤野枝、神近市子などを中心に、大杉栄や荒畑寒村などをからめて、時代とそこに生きた人たちを描いた傑作だ。

どうしても観たかったので、当日券で劇場に飛びこんだ。
ついこないだも最前列だったけど、今回もなぜか最前列の右端の席があいてて、そこから舞台を見上げた。
なんかすきま風が吹き込んで、すごく寒かったけど、芝居はよかった。

主演の純名りさは、美しく、内なる炎を見せて、伊藤野枝を演じていた。
他の共演者の役者さんたちも、すばらしかった。

僕はこの芝居を二十年前(1987年)にも観ている。
約二十年ぶりに同じ芝居を見たわけだ。
もちろんキャストはまったく違う。

その時もいい芝居だと思ったが、今回は、前とは違う視点で芝居を観たような気がする。
書き手の視線。
宮本研が、この台本を書くとき、どんなことを思っていたのか。
そこに、僕の思いは向かっていた。

舞台の上から、宮本さんが、僕に語りかけてくれてるような気分。
主役の登場は、こうするんだよ。
虚実皮膜が面白いんだ。
この芝居の構成は、こうなってるんだよ、わかるかい。
ちょっと長いけど、十分もつだろ。
って。
まさに体感脚本講座だ。

勉強になりました。

僕は、一度だけ宮本研さんに会っている。
たぶんあれは、二十五、六年前だったと思う。
僕は二十歳そこそこの駆け出しで、演劇界の末端にしがみついていた。
新宿歌舞伎町の飲み屋だった。
僕の芝居の師匠、三原四郎に連れて行ってもらった会に、宮本さんも来ていた。

僕は、宮本さんの向かいで、作家の言葉を一言も聞き逃すまいと緊張して座っていた。
宮本さんは、静かにグラスを傾けていて、あんまり言葉は聞けなかったけど。

一度会っただけでも、忘れられない人もいる。
僕の中では、この人もそんな人の一人だった。

この『ブルーストッキングの女たち』には、九州の女たちが出てくる。
伊藤野枝と神近市子。
まだ女性が差別されていた明治時代に生まれて、大正時代に、燃えるような青春を送った女たち。
たぶん、僕のおばあちゃんの世代(ちょっと上だけど)。

宮本さんは、九州の女を描きたかったんじゃないかなぁ。
女性への尊敬と、愛情のこもった芝居だった。

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2007年3月 9日 (金)

大先輩たち

世界最大の演劇都市は、東京だと思います。
まいにちものすごい数のお芝居が上演されてます。
伝統的な歌舞伎から、ブロードウェイのミュージカル、さまざまな小劇場では実験的なまで、それこそ何百というカンパニーが毎日新作の芝居を舞台にあげているのです。
こんな街は、世界広しといえども他にはないはずです。

演劇の質も、そうとう高いと思います。
東京における演劇というコンテンツは、もっと世界的にも認められていいはずなんですけどね。

この演劇ブームのもとをたどっていくと必ずいきつくところがあります。
小山内薫がつくった築地小劇場や、岸田国士がつくった文学座などです。
二人とも明治生まれの文学者で劇作家で演出家。
小山内薫はロシアの演劇を、岸田国士はフランスの演劇を日本に導入して、いわゆる新劇と呼ばれるブームをつくった人たちです。
いまや新劇という言葉は、ほとんど死語みたいになってしまいましたが、明治の終わりから大正時代にかけて、ロシアやフランスの演劇に刺激を受けて、日本でも新しい演劇をつくろうと、必死になってがんばった劇作家や俳優たちがいたんです。
彼らは、その代表的な作者たちです。
とにかく、この人たちがいたからこそ、今の演劇都市東京ができたわけです。

ここまでは、昨日見てきた芝居のことを書くための前ふりです。
ちょっと長かったですけど。
でもこれを書いておかないと、わかってもらえないから。

で、昨日観てきたのは、TAC三原塾という劇団の、『日本近現代戯曲への挑戦 Vol.4』と銘打った公演。
岸田国士の『屋上庭園』小山内薫の『亭主』田中澄江の『ほたるの歌』の三本立て。

脚本家という仕事をやっていても、なかなか岸田国士や小山内薫たちが書いた作品を読む機会はありません。
本当は、こういう人たちの仕事もちゃんと勉強しておかなきゃいけないんですけどね。
勉強ばっかりしてたら、自分の作品を書く暇がなくなってしまいますから。

でも、やっぱりチャンスがあったら観ておきたいもの。
といっても、いまではこういう人たちの作品を上演してくれるところは少なくなってしまいました。
そんな機会をくれて、ありがとう三原塾の人たち。

それぞれ大正14年、大正15年、昭和24年の作品でしたが、今の僕にとっても、すごく参考になる脚本でした。
当時の日本人が、どんな感覚で生きていたのか、戯曲は時代を知るうえでも、とても大事な資料だと思います。
なんか、いい気分で帰ってきました。
オールウェイズって感じです。

脚本家の大先輩たちに、僕も少しでも近づけるように、がんばろうって気になりました。

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2007年3月 2日 (金)

ストーリーは止めない

 このブログは脚本家志望者のために書き始めたものでした。
 思い出したわけじゃないけど、ひさしぶりに脚本家として参考になるような記事を見つけたので、書き留めておきます。
 ドリームガールズの脚本監督のビル・コンドンのインタヴューが、プログラムに載ってて、その一節です。

『大切なことは、歌の間もストーリーは止めないということ。映画を止めて、出演者に歌だけ歌わせてしまってはいけない。観客は、その曲が気にいらなかったら、歌が終わるのを待たされることになるからね。そのためには、歌の最初と最後で、何かが変わっていなければならない』

 たしかに、その通り。
 あたりまえのことだけど、ついつい忘れがち。
 ミュージカルの台本を書くときには、この言葉を思い出そう。

 脚本の最初と最後では、主人公(登場キャラクター)が何か変わっていなければならない。
 変化のない物語ほど、つまらないものはない。

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2006年11月23日 (木)

レント

Rent1 ミュージカル、『レント』を見てきた。
チケットがばか高いにもかかわらず、満員。
会場に入っていく観客たちの顔は、みんな期待感でいっぱい。
これから楽しむぞっていう、ウキウキ感があふれている。

僕は、こんな劇場にいるのが大好きだ。
もちろんそんな劇場でやっているのが、自分の芝居だったら最高なんだけど。
でも人の芝居でも、こんな劇場で時間を過ごすのは本当に幸せな気分だ。

そして、芝居もよかった。
歌もいい。
曲もいい。
過剰にならない演出もいい。

僕が書きたかったものが、ここにあった。
僕が見たかったものが、ここにあった。
シンプルなロックミュージカル。
人物がリアルな群像劇。
僕が、芝居をはじめたころ目指していたもの。
フィクションとリアルが、舞台上で交錯するもの。
それに多くの人の手がくわわり洗練されたもの。

終わった時には、チケットの高さも忘れていた。
いいものにはそれだけの価値がある。
それでもやっぱり、ちょっと高すぎるとは思うけどね。

もちろん安ければ、もっといい。
いいものは多くの人に見てもらいたいから。

それにつけても、十年前のオリジナルキャストによる初演を見たかった。
現場に立ち会いたかったなぁ。
十年前のニューヨーク。
十年前なんて、あっというまだ。
そういや、おれのやってる夏の映画も、来年で十年かぁ……

この『レント』の作家であり、作曲家であるジョナサン・ラーソンは、僕と同世代の人間。
だから彼の書いた世界は、「わかる、わかるよ。きみも、ぼくも同じ時代を生きてきたんだね」的な共感を感じられる。
ただ、彼は約十年前に、このミュージカルの初日前日、リハーサルのあとに急死した。享年、三十五歳。
自分の作りだした作品が、世界中で上演される大ヒット作になるということも知らないまま。

P200303

もし彼が生き続けていたら……
どこかで会ったら……
いい友達になれたかもしれない。
いや、なれた。
僕らは会わなくても、友達だ。

ジョナサン。
僕はきみがうらやましい。
こんないい作品をつくりあげることができて。
でも、きみは僕をうらやましがってるかもね。
いまだに『これから』を夢見ていられるんだから。

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2006年11月17日 (金)

即興コメディ

東京コメディストアJという、インプロ集団がある。
今井純率いる、若手パフォーマーたちだ。
彼らは、原宿クロコダイルで、月に2回インプロショーをやっていて、第三木曜日は『S1グランプリ』といって一年間に渡って即興芝居によるバトルを繰り広げるというもの。
昨日は、そのライブの日だった。
一年間に渡る戦いも、昨日をふくめて、十二月のラスト一回を残すのみ。
その日に、優勝者が決まる。

この即興バトルに、審査員として参加することになり、約一年間、彼らのパフォーマンスを見続けてきた。
15人のプレーヤーが参加しているのだが、彼らがこの一年で、すごく成長していく姿を見続けることができて、とても幸せな体験ができたと思っている。
昨日は、その中でも傑出した日だった。

いやぁー、面白かった。
そして、エネルギーにあふれていた。
即興コメディをやるときにもっとも大事なことは、ポジティブなエネルギーであるということを、あらためて実感させられた。
もちろんこれは芝居をやるときだけではない。
生きている瞬間、すべてにいえること。
わかっていても、なかなかできることじゃないんだけどね。
昨日のショーには、それが満ちた。
幸せな瞬間が、何度も訪れた。
そして、それを観客と、プレーヤーが共有できた。
一年間、つきあってきて、本当によかったと思ったよ。
こんな瞬間を感じることができて。
知らない人にも、ぜひ体験させてあげたい。本当に、そう思いました。

そんな奇跡の瞬間を呼びこんだ、昨日の最大の功労者は、プレーヤーのナオコだった。
ナオコは、この十カ月間、ポイント制のS1グランプリにおいて、1点しか取れていないという最低得点者でした。
このグランプリのルールとして、最低得点者から順番に出場するというものがあり、彼女はこのところ毎回、最初の登場となっていました。りきめばりきむほど、いいシーンからは遠くなり、さらに悪循環を繰り返すということになっていて、彼女のトーンも下がり気味。

即興芝居(インプロ)で、もっとも大事なことであり、忘れてはいけないことは、芝居(シーン)は一人ではできないこと。(一人芝居という例外はありますけど)
共演者の協力があってこそ、いい芝居(シーン)ができあがるということ。
自分ががんばるより、相手役を引き立てるという気持ちがあってこそのものだということ。
相手が輝けば、すなわち、それは自分も輝くということ。

このS1では、相手役を選んでから、芝居を始めることになっている。
トップバッターのナオコは、なんと相手役に女子全員を呼び込んだのだ。(一人、男子のユタカも呼んだけど)
インプロのシーンでは珍しく、舞台上に十人近くの登場人物が立つことになってしまった。
しかもシーンの形式はミュージカル。
歌でシーンをつないでいくというもの。

こうなってしまうと、個人ではシーンのコントロールは無理。
とにかく相手が出してくるものに乗っかっていくしかない。
他の出演者のやることにだけ集中して、そこでなんとか『生きる』ことしかなくなってしまう。

短いシーンのなかで、プレーヤーたちは、みんなそこで『生きよう』としていた。
ただ、懸命に。
一体感が生まれた。
ナオコが、みんなの力を借りたいと思い、女子みんなを呼び込んだことが、みんなを一つにした。
それが大きなエネルギーを生み出した。
シーンのタイトルは『家庭訪問』。
女子ばかりの家に、一人の男性教師が訪問することで、家族のそれぞれの思いがはじけて、また一つになるという爆笑のミュージカルが生まれた。

このミュージカルは、その場にいるみんなにもエネルギーを与えてくれた。
一発目にこのエネルギーが生まれたことで、この日のショーは、最後までエネルギーに満ちたものになった。

そしてあらためて、現実の世界でも、一人ではなにもできない。
人との関係のなかでこそ、生きられるのだということを思い出させてくれた。
いい夜だった。

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2006年11月13日 (月)

岩国

報告が遅くなってしまいましたが、岩国でのワークショップは大成功でした。
参加者の人たちにも、たぶん喜んでもらえたんじゃないでしょうか。
僕も、演劇教育にたずさわる多くの人たちに出会えてよかったです。

岩国市は、錦帯橋で有名な古都で、美しい町でした。
また行ってみたいなぁ。
旅館でいただいたご飯も、とてもおいしかった。

仕事のほうは、なかなか進みが遅かったけど、すこしずつ前に進んでます。
まだ今月は、やらなきゃならなことがたくさんあるので、もうひとがんばりです。

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2005年11月 6日 (日)

ヴェニスの商人

ちょっと自慢話し。
僕は、ヴェニスに行ったことがある。
そりゃあもう、すばらしい町だった。
歴史が、そのままフリーズされてるような美しさ。
かなり感激したうえに、同じホテルで、なぜかレポーターの梨本さんを目撃。
ちょっと笑った。(梨本さん、すんません)
ヴェニスまできて、日本のテレビの登場人物を見るという、違和感が僕を笑わせたのだ。


映画『ヴェニスの商人』を見てきました。venice
この三百年間の間、世界でも最も人気のある脚本家、ウィリアム・シェイクスピアの代表作の一つ。
今回は、実際のヴェニスでロケをしてます。

お客も、かなり入ってました。新宿の単館上映ってこともあるけど。
年齢層は高かったんじゃないかなぁ。
ぼくは、この映画を、かなり楽しめました。
でも、高校生の時のぼくが、この映画を見たとしたら、どう思っただろうか。
そんなことを考えてみました。
(あんまり意味はないのかもしれないけど。)

やっぱり、シェイクスピアのこととか、彼の作品のこととかを、あらかじめ知っているからこそ、僕はこの映画を楽しめたんでしょう。
知らないときに、この映画を見たらどう感じたかを知るすべはないんだけど。

原作者のシェイクスピアが、もし自分の作品の映画を見たら、どのような感想を持つのかを知りたいです。
プロットは主要なセリフは、彼が書いたものと同じなんだけど、意味や、狙いは、まったく違うものになっていることに気づいて、びっくりするかもしれません。

この現代の映画は、ユダヤ人の差別や、同性愛的な感情などもふくめて、いろんな人間が描かれていて、とても深い味わいを持ったものにしあがっています。
でも、これは想像ですが、シェイクスピアの時代には、そんな深い意味合いのところにまでは、芝居をつくっていくことはしていなかったはずです。

ああ、こんな雑感を書きながら、夢を見るのは、シェイクスピア時代の人間味あふれる劇場の雰囲気。
さまざまな人たちが、劇場にあつまり、歓声をあげながら芝居を見ていた時代の風景。

ぼくは、シェイクスピアが好きなのではなく、たくさんの人があつまった劇場が好きなんだということに、いまさらながらに気づきました。
そんな活気ある劇場の中心にいた、シェイクスピアにあこがれているのだと。

ヴェニスの商人を見に行った話を書いていて、自分の好みの話しになってしまいました。

僕が、『恋に落ちたシェイクスピア』という映画が大好きだったのは、この劇場をちゃんと描いてくれた映画だったからなんですね。

僕は、劇場が大好きです。
そこに集まる人たちが、いとおしいんです。
何か面白いものを体験しようと、ワクワクしながら集まってきて、しばらく現実を忘れて物語の世界を生きたのち、芝居が終われば、芝居を見るまえよりも、少しだけふえた勇気を手にして現実に向き合っていく。

劇場って、そういう場所ですよね。

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2005年10月21日 (金)

オペラ座の怪人

四季のオペラ座の怪人を見に行った。

豪華なセット、豪華な衣装、力のある役者の歌声……
うん。
退屈しませんでした。
このところ小劇場で、しょぼい芝居ばっかり見てたので、エンターテイメントがやっぱり好きなんだと思ったよ。
けど……なんでこうなったんだというところが、いくつもあって、ちょっと不満足。
これは職業病(脚本家)かもね。

その一つの例。
怪人が、オペラ座に逃げこんだときの、いきさつが説明されるんだけど、すごくあっさりと片づけられてた。
サーカスの一座で、すごくみにくい天才の男が見せ物になっていたんだけど、ここに逃げこんだとか。
えーっ、こんだけって思ってしまった。

怪人が怪人になってしまった理由の部分で、この人物ができあがったことを観客になっとくさせるための重要な部分のはずなのに、すごく簡略化されてしまっていたんです。
たぶん、もともとの原作では、『奇形の子供が、虐待されて、見せ物にまでされていた。だから彼の性格は屈折し、このような怪物が誕生した』という部分がはっきりと書かれていたのではないか。

その部分が、こういう大劇場とかの公演用に開いていくとき、『差別』の問題とか、『虐待』の問題とか、現代の社会では、すごく規制がかかってくる。
それは、僕が仕事の現場としている、テレビや映画の世界でもそう。
そういう見えない『圧力』が、たぶんこのあたりの描写を、やわらかくさせたんじゃないかと思うんだよね。

かりにそうでないとしても、この部分をちゃんとおしていくと、エンターテイメントとしての作品のトーンが、ものすごく変わっていくのもたしかだ。

脚本家の人というか、翻訳家の人、演出の人も、きっとそのあたりはちゃんと描きたかったに違いないんだけど、そこをおすと、たしかに作品のトーンはものすごく暗くなってしまう。
たぶん、このことを避けたかったんでしょう。

豪華な衣装とか、セットとか、すばらしいダンスとか、びっくりするマジックとか、美男美女のロマンスとかを、観光バスに乗って見に来るお客さんたち相手に、人間の残酷さや差別がつくりだした、異形の怪物の犯罪を見せつけて、自分たちの中にそういう残酷さがあるということを気づかせるような芝居を見せてもしかたがない。ここは幸せな気分で帰ってもらうおう。
そういう判断が、怪人が怪人になった理由の部分を薄くしてしまったんだよね。

そのあたりの現場の判断が、芝居を見ながら、透けて見えてしまうあたりが、まさに職業病。

でも、このことは、自分にもふりかかってくること。
エンターテイメントの仕事のなかで、どこをおして、どこをひくか。
エンターテイメントという言葉のなかには、そういうギリギリの作り手の、センスと知力の戦いもふくまれているのです。

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2005年10月15日 (土)

脚本チェックポイント

  昨日、ある劇団の芝居を見てきた。
  ストーリーは、ちょっと哲学的な内容を舞台化したもので、難解なところのあるものだった。それは観劇する前からわかっていたことなので、眠たくならないようにとカフェインをたっぷり飲んでいったつもりだった。それでもやっぱり、睡魔に負けて、うつらうつらしてしまっていた。
 面白ければ、どんなに眠たくてもたぶん大丈夫だったとは思うんだけど、やはりそれほど面白く感じられなかったということだろう。
 芝居を見るときには、そのときの肉体的コンディションもおおいにかかわってくる。
 体調が悪いと、どんなに面白い芝居でも、気分が悪くなったり、眠たくなったりしてしまう。
 体調がいいのに、体が不調になったら、それは芝居のせいだと思っていい。

 それでもう一つのことに気がついた。
 内容が難解で暗めのストーリーとかの場合、主人公を演じる人のキャラクターと演技力がとても大事になるということだ。
 観客をストーリーをつなぐのにもっとも大事なのは、主人公を演じる人物のキャラクターなのだと、あらためて思った。

 舞台に登場してからのわずかの時間で、観客を自分に感情移入させて、物語の再体験を観客たちにわけてあげられるキャラクターと人物。それが主人公を演じる人に要求されることなのだ。
 そのためには、できるだけ欠点の多い人物であることが、とても有効な手段となる。
 主役の人が、なんだか見た目がよくて、とっつきにくそうな人だと、観客としては感情移入がしにくい。
 なさけない人のほうが、好ましく思えたりしてしまう。親しみがわくからだ。

 脚本家は、自分の描く主人公が、観客から見て、親しみのわく人物になっているかというのを、物語の冒頭では考える必要がある。
 これは脚本を書く場合の、重要なチェックポイントの一つです。

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2005年10月10日 (月)

ハイバイあと2ステージ

右拳の痛みで、目が覚めた。
その直前、ぼくは夢を見ていた。
夢のなかで、何かに向かってパンチを繰り出したはずだった。
それが現実では、リビングにしいたマットの上で倒れて眠っているはずの自分の拳に激痛が走ったのだ。
しかも、ゴツッと音がしたような気がした。
なにかおきたのか、ぼくは瞬時に理解した。
体のすぐ横にあった壁に、パンチしてしまっていたことを。

夢のなかと同じように、体を動かしていたのだ。
そういえば寝言も言っていたような気もする。
それにしても拳が痛い。
かなり強烈にパンチをくりだしてしまったようだ。

子供のころ、ぼくは寝ぼける癖があった。
それは寝ぼけというには、かなり重症で、寝たまま風呂に入ったり、外に出ていってしまったこともあるらしい。
夢と現実との境目を、ぼくは行ったり来たりしていた時期があったのだ。
それは別に嫌な体験ではなく、まさに夢のなかでしている体験を、現実の世界でも体が反応しているというだけで、自分ではけっこう楽しんでいたような気がする。

今日は、劇団ハイバイの千秋楽。
僕が脚本に協力した作品『ナナイロニ』は、あと2ステージで終了。
エンターテイメント現代口語劇。しかも歌とダンスのミュージカルっぽい。
今回のお話は、妄想と現実がいりまじる人間の内面を、するどく、あたたかく、おかしく、ほろ苦く、歌い、踊り、笑い飛ばしたもの。
次世代の作家、岩井秀人の挑戦作。
見逃さないほうがいいと思いますよ。
昼は一時、夜は六時。あと二回だけ。高円寺の明石スタジオに急げ。

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2005年10月 8日 (土)

劇団ハイバイ本番中

ハイバイ公演中です。
ぼくが台本番長をしている劇団、ハイバイが公演中です。
今日は、もう三日目。
ぼくもこれから見に行きます。

台本番長とは、脚本アドバイザーのことです。
脚本演出の岩井君は、この体感脚本講座に参加して、そのようすもシーンにとりこんでしまいました。
ニセ体感脚本講座が、芝居のなかで展開してます。
今日もふくめてあと三日。
本番にすると、あと5ステージ。
ぜひ見てもらいたいです。
ハイバイのホームページを見てくれれば、行き方とか書いてあるので、よろしくね。

この三日間、ぼくは必死で原稿書いてました。
なんとか先が見えてきました。
ほとんど歩いてなかったので足がなえてます。

脚本家も体力勝負のところあるので、これからちょっと体力をもとにもどさなきゃと思ってます。
背中も腰もガチガチだし、運動不足でふとっちゃった。
仲間の脚本家も、この夏バテて、12キロやせたやつもいる。
やっぱ体が一番よ。

みなさん体は大事にしましょう。

かさねてお願いします。
ハイバイの芝居を見に来てください。

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2005年9月24日 (土)

モノローグ

イタリアから帰ってきて、仕事モードにきりかわり、またまた大変な状態になってます。
それで、このブログもちょっとさぼってしまいました。
せっかく読んでくれている人がいるのに、もったいないです。

あせってばかりで、前向きのエネルギーがわいてこないで、たちどまっているうちに、いつのまにた誕生日が来てしまい、また一つ歳をかさねてしまいました。

体感脚本講座のメンバーのみなさんに、誕生会をひらいてもらって、とってもハッピーでした。
誕生会なんてしてもらったのは、小学校の時以来かもしれません。
プレゼントももらったりして、うれしかったなぁ。
体感脚本講座やっててよかった。

そういうわけで、とうとうライブ版体感脚本講座も、あと一回になってしまいました。
ラスト一回、なにをやるか、いまから考えなくちゃ。

今回は、参加メンバーがもってきた企画書の検討をやりました。
それと、僕が以前に書いた舞台用の短編の台本を読んでもらい、その一部を僕が声に出して読んで、舞台脚本におけるモノローグの効用と面白さを解説。
モノローグは、日常的な会話では、ほとんどありえません。
映画やテレビのなかでも、ほとんどつかわれません。
もし現実で、ひとり言をしている人がいたら、ちょっと危ない感じの人だと思われてしまいます。
でも、舞台では、オーケイなんですよね。
とても便利なセリフ術の一つです。
もちろん、これを多用するのはだめですが、効果的に使うと、見せ場にもなります。

一人芝居。
これこそ、モノローグの集大成ですね。
たった一人で、何人もの人を演じわけたり、ドラマを語っていく。
ひとりで演じるわけですから、とうぜんモノローグもおおくなります。
うまい役者がやると(うまい役者しかやりませんけど)、おもしろいんですよね。
モノローグの醍醐味を感じられます。
ぜひ機会があったら、一人芝居を体験してみてください。

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2005年9月10日 (土)

芝居のチラシ

ひさしぶりの体感脚本講座。
今回は、劇場でもらってきた、チラシを使ってのワーク。

劇場に行くと、ぶあついチラシの束をもらいます。
ちかごろは、このチラシの配布をビジネスにしている会社もあるくらいです。
このチラシというのは、演劇関係にとっては、重要な情報伝達手段。
いくらネット社会になったからといって、芝居に関しては、このチラシというのが、もっとも有効な観客動員の手段のようです。

脚本講座の参加者の人たちに、一枚一枚チラシを見せて、『行きたくなるかどうか?』の感想を言ってもらいました。
どれだけチラシが、興味を引くことができるかの、テストです。
その結果、やはり情報を持たない人にたいして、もっとも興味を引くのは、『どんな役者さんが出演しているのか』ということだということがわかりました。

まぁ、当然といえば、当然の結果なんですけど。
役者というのは、まさに芝居の顔ですからね。

いい役者が出演しているというのは、観客にとっては、自分のお金と時間を使うための『保険』になります。
まだ出会う前の物語に、お金を払うのは不安ですからね。

その観点から見ていくと、商業演劇のチラシは、そういう一般的な観客に向けてのアナウンス効果という意味では、完璧にできていました。
メインの役者が誰で、どんな役者が出ているのかということだけが、チラシの前面におかれています。
芝居の内容も、一言でわかるようなキャッチコピーが書かれていて、わかりやすいことこのうえなし。
デザインの斬新さなど、一かけらもないんですけど、その手の芝居を見る人にとっては、必要十分なもの。
ある意味、プロの仕事だと思いました。

デサインがいいのは、やはり小劇場で、そこそこの実績をつんでいて、芝居の内容も評価の高いものをつづけている劇団のものがいいですね。

チラシを使っての、ディスカッションにつづいて、脚本講座は、2本の企画書を検討しました。
それぞれの企画について、いろんな感想や提案がでました。
それらを書いてきたメンバーにとっては、いいサジェッションになったことだと思います。
企画書というのは、自分の書く物語を、他人に見せる前の段階での助走になります。
ここでいい助走ができていると、いいジャンプができるわけです。
自分一人で、作品を書く場合は、企画書を書く必要はないのですが、商業的なジャンルをやったり、クライアントがついたりするものには、そういう部署との連携が必要になります。
それをクリアしていくためにも、企画書というのは重要なわけです。

次回からは、少し、この企画書というものについて書いていこうかなと思います。
なんてことを書いていながら、明日からは、取材旅行に入るわけで、このブログは旅行記になるかもしれません。
乞ご期待。

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2005年9月 8日 (木)

復活です。

体感脚本講座・復活です。
個人的な理由で、ここ何回か休んでしまった、ライブ版体感脚本講座が復活します。
参加者のみなさんには、迷惑をかけてしまいましたが、またみなさんに会えます。
なんてことをいいながら、来週は、また休んでしまうんですけど。(すみません)
この機会に、みなさんに一本脚本を書いてもらおうと思ってます。

来週は、シナハンで、イタリアに行ってきます。
シナハンは、中国ご飯のことではありません。
シナリオハンティングです。
いいインスピレーションをもらって帰ってくるつもりです。

昨日は、ひさしぶりに芝居を見てきました。
友人の西山水木が出演しているもので、シアター1010の『写楽考』です。
作・矢代静一、演出・マキノノゾミ。

シアター1010は、半年くらいまえにできた新しい劇場。
北千住にあるから、千十で1010。しかも建物は、丸井(0101)の入っているビルの中。昨年のオープン日は、10月10日だったという、シャレでネーミングされている。
いい劇場でしたが、名前のシャレのわりには、エントランスなどが、あまりにも普通すぎて、ちょっと残念。

ぼくは、劇場の入り口とか、構えというのは、芝居という非日常に入っていくための装置の一つだと思っています。
入り口から、芝居ははじまっていなければならないはずなのです。
それなのに、一般的な日本の劇場というものは、そこにはあまり気をつかっていないのが多いんですね。
やはり、ここもそうでした。

デパートという日常から、エスカレーターであがると、そこに区役所の分室があって、そこからあまりにも日常的に劇場のエントランスがあるわけです。
これじゃ、まるで区役所の公民館の高級なやつじゃねぇかよ、と心の中でつぶやいてしまいました。
一万円近くの料金を払うんだから、観客を非日常空間でおもてなししてさしあげようっていう仕掛けがもっとあっていいんじゃないかなぁ思います。
けっしてシアター1010の悪口を言っているんじゃありません。
全国にある、公共の劇場すべてが、あまりにも日常空間すぎるってことを言っているだけです。

われわれ演劇にかかわる人間は、芝居をプロデュースするとき、そういう器としての劇場の演出効果も、もっと考えていくべきではないかと思います。
もちろん、公共のものに手をくわえるということが、とても難しいことだということは、わかったうえで言ってます。
ここでも役人とか消防法とかが、立ちふさがりますからね。

物語を体験する入り口ということでは、芝居にとっては劇場、映画にとっては映画館、小説にとっては本、ゲームにとってはグラフィックか……
お客をおもてなしするには、どういう環境がいいのかという気配りですよね、結局は。

この気配りというのが、難しい。
気配り上手になりたいもんです。

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2005年8月 8日 (月)

広島の母たち

猛暑の日がつづいている。
外に出るのもおっくうになる暑さのなか、オフィス・サエ公演『広島の母たち』を観に行ってきた。
原作・山本真理子。構成演出・露川冴。

公演場所は、大塚の駅から少し歩いたところにある、スタジオバリオ。そこにたどりつくまでの道は、照りつける太陽で溶けだしそうだった。みるみる体温があがり、汗が吹き出してくる。
ぼくは、コンビニで袋入りの氷を買って、首の後ろを冷しながら歩くことにした。こうでもしないと、熱中症になりそうだったから。
この氷袋作戦は、正解でした。
おすすめですよ。

芝居は、原作の山本真理子さんの、被爆体験を書いた本を、ほぼその原文のまま朗読しながら、役者たちが、さまざまな役を演じていくというもの。
群読を、演劇に進化させたもので、このオフィス・サエの独自のスタイルである。

ふつうの演劇の場合、原作物をやるときは、それをもとにして、脚本を書くものだが、ここでは脚本化しないで、原作をそのまま使っている。もちろん、全部をやるわけにはいかないので、割愛したり、再構成したりはしているのだが、できるだけ原作のニュアンスを残すという意味では、徹底している。

ドキュメンタリーの舞台化。
その方法としては、このオフィス・サエの方式は、すごく効果的だと思う。
それに作家の文章の味というものを、あらためて気づかせてくれる体験でもある。
山本真理子さんの文章には、伝えなければならないものへの確信の強さとともに、それをつつみこむ温かいぬくもりがある。人間への、深い愛情。それが文章からあふれている。
これこそ文章の力だ。

今回の『広島の母たち』は、被爆した15歳の女の子が、助けをもとめて歩きまわるうちに、偶然お産の手伝いをすることになるというエピソードを中心に、彼女の被爆後、数日間の様子が描かれている。
それは60年経ったいまでも、一人の女の子の目線を通して、われわれに切実な現実として伝わってくるものだ。
命の重さ感じた、一時間半だった。

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2005年8月 6日 (土)

中学生と体感脚本講座

  中学生を相手にして、体感脚本講座をやってきた。
 昨日、東放学園高等専修学校に打ち合わせに行ったら、中学生相手の体験授業というやつが行われていた。
 つまり学校の下見で、実際に授業を受けてみるというやつですね。
 なんのきなしにのぞいていたら、ちょっと授業をやってくれませんかと、担当の人から頼まれた。
 断る理由もなかったので、『そんじゃ、いっちょやるか』って感じで、中学生に授業をすることになる。

 相手は、イラストライター志望の中学生4人とお母さん二人。
 それに高校生一人をくわえて、7人相手の体感脚本講座をやりました。
 はじめはいったい何がはじまるのって、とまどっていた中学生たちでしたが、ウォーミングアップで、おもしろいゲームをやっているうちに、みるみる笑顔になっていく。
 イラスト志望だけあって、けっこう内気そうな子もいたけど、『失敗していいんだよ』『失敗してくれて、ありがとう』『遊びなんだから、どんどん失敗して』と声をかけながらゲームを進めていきます。
 この声かけが大事なんですね。

 子供たちの多くは、ふだん失敗を恐れたり、失敗をしたくないと思ったり、失敗をすることが恥ずかしいと思ったりしながら生活をしています。
 それは、幼いころから、親に叱られたり、先生に叱られたりして生活しているからです。
 無意識に失敗をすることにたいして、どこかで警戒していて、そのために体のどこかが固くなっています。
 まずは、そのブロックを解いてやること。
 それがこの声かけです。

 すると最初は、警戒していた子供も、しだいに大胆に声が出せたり、動けたりしてくるようになっていきます。
 もともと固くなかったわけですから、その状態にもどしてあげるわけです。
 ウォーミングアップがうまくいくと、それにつづく授業のほうにも、ものすごくいい効果があらわれます。
 積極性が出ると同時に、集中力もあがってくるのです。

 おそらく中学校では、ほとんど発言などしないだろうと思われる少年(もしかしたら学校に行ってないかもしれない)が、このウォーミングアップをしたあとの授業では、自分のアイディアをなんのためらいもなく発言していました。

 あらゆる授業で、いま僕がやっているようなウォーミングアップが行われるようになれば、もっと教師と生徒のコミュニケーション能力と、授業の効率はあがっていくのではないでしょうか。
 そんなことを、ずっと考えていました。

 簡単にいえば、演劇的なウォーミングアップを、他の授業にも使っていくということです。
 たぶん数年後には、そういうふうになっていくのではないかという予感はあります。
 そういう日がくるように、これからも、体感脚本講座的な方法を広めていくつもりです。

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2005年8月 4日 (木)

ストーリーがはじまる

  劇団ハイバイの10月公演『ナナイロニ』のためのワークショップがはじまっている。
 このブログには、もう何回も出てきている岩井秀人主宰の劇団だ。
「稽古前に脚本について話がしたいんですけど」
 と、岩井君からの電話。
 そう、ぼくは、今回脚本のアドバイザー(岩井君流に言うと脚本番長)として参加することになっている。

 いつのまにやら気づいたら、巻きこまれていた感じだ。
 でも、ぼくはこの巻きこまれることが、嫌いじゃない。
 巻ズシよりも、トロが好きだが、人生は巻きこまれ上等。

 ぼくは二十歳の時に自分の劇団を立ち上げてから、ほとんど脚本演出という立場で芝居にかかわってきたのだが、去年から役者復活、そして今回は、こういう形で参加と、ちょっと流れが変わってきている。
 ワークショップでは、二十歳以上若い役者さんたちと、いっしょに即興でシーンを作ったりしている。
 できるだけ若者たちの刺激になるようにと、がんばっているのだが、なにしろこっちは腰痛持ち、けっこうハード。

 で、脚本の打ち合わせ。
 やりたいことがある人が書いたストーリーに、客観的で、なおかつ的確で、さらにクリエイティブな意見を言うには、かなり神経をついやす必要がある。
 なにしろ作家は、傷つきやすいのだ。
 それはぼくも作家なので、十分わかっているつもり。
 書いたものに、批判的な言葉をかけられると、まるで自分自身が否定されたように感じたりすることは、おうおうにしてあること。
 その批判もしくは批評をする人が、悪気がなくても、それを悪気ととってしまうことさえあるもんです。

 だから脚本の打ち合わせのときには、かなり言葉を選んで話すことになる。
 できるだけストーリーのパワーが落ちずに、さらに面白くなる方向に、作家が行けるような提案をするように心がけます。
 そのときに注意しなければならないのは、自分の考えを押しつけないこと。
 あくまでも、その作家が、自分で気づいていくように配慮します。
 いきなり結論を言ってしまうと、逆に、その結論に対しての拒否反応が先に出てしまうことがあったりするからです。

 気づきの過程。
 それが大事なんです。

 それは脚本作りではない場合でも、あてはまることだと思います。
 ワークショップをなぜするのか。
 それは演劇という集団創作の芸術には、創作にたずさわる全員が稽古のなかで、発見し、気づいていく過程を共有していくことがもっとも大事だからです。

 結論を押しつけるのではなく、みんなでそれに近づいていく。もしくは、みんなで発見していくこと。
 それこそが、つまり生きるということなのかもしれません。

 岩井君には、かなりいいたいことを言ってしまいましたが、彼がそれを受け止めて、さらに創作のエネルギーをあげていくのがわかりました。
 その結果ワークショップでは、役者さんたちの集中もあがり、かなり面白い稽古になりました。
 もちろんまだ台本もないなかでの稽古なのに、みんなが稽古の過程を楽しんでいるのが、伝わってきます。
 きっといい舞台ができるでしょう。楽しみです。

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2005年8月 2日 (火)

出会いましょう

6月からはじめたライブ版体感脚本講座、全12回も、残すはあと4回となりました。
毎週木曜日に、渋谷区の施設に集まって、物語作りを体感してます。
自画自賛ですけど、かなり面白いです。
脚本初心者から、プロで仕事をしている人まで一緒になって、脚本作りに役立つ心と体の調整と、実作体験をつづけてます。
その成果は、じょじょに現れていくと思っています。

参加者の一人、コンテンポラリーダンサーのJoujoさんが、いま発売中のダンス雑誌『DDD』に登場してます。
じょじょに現れると書いたから、Joujoのことを書いたわけじゃないよ。
なんと彼女がはじめて書いた短編小説(エッセイ風)も掲載されてます。
雑誌がお目にとまったら、ぜひ読んであげてください。

このところ、仕事で追いつめられているので、ほとんど外に出ないで仕事場にこもってます。
外にでるのは、打ち合わせか、食料の買い出しか、マッサージか、芝居の稽古かです。
なんだ、けっこう出てますね。
前言撤回。
けっこう外にでながら仕事場にこもってます。

芝居の稽古は、劇団ハイバイのワークショップです。
体感脚本講座の参加者の一人でもある、岩井秀人くんの主宰している若手劇団。
注目株です。
ワークショップなので、外部からいろんな若い役者さんたちが参加して、実験的な稽古にチャレンジしています。

ぼくは、もともと劇団出身ですが、僕が若手のころには、こういうワークショップ的な稽古はあまりやってませんでした。
劇団なら、劇団員ばっかりでやる稽古がほとんどでした。
ちょっと閉鎖的だったかもしれません。
いまは、こういうワークショップ形式のものが増えて、オープンな環境のなか、さまざまな役者や作家、演出家が交流するようになってます。
これは、とてもいいことです。
だいいち、刺激がありますからね。
それに、さまざまな人と出会えるチャンスがある。

出会うこと。
これこそが、もっとも大事なことだと思います。
人と人が出会い。
化学反応が起き。
そして、まったく新しいものが出来ていく。
そんな現場に立ち会える幸せを感じます。

劇場こそは、出会いの場。
劇場を、世界におきかえても、これは同じだと思います。

出会いましょうよ、みなさん。
そういうわけで、体感脚本講座は、あと4回。
まだまだ出会いを求めてます。
これからでも遅くはありませんよ。
ぜひコンタクトして、出かけてきてください。
一緒に、物語作りを体感してみませんか。

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2005年7月26日 (火)

追悼・岡八朗

ネットのニュースにアクセスしたら、岡八朗さんの訃報が載っていた。

往年の吉本新喜劇の大スターだった人だ。
子供のころ、僕が住んでいた九州でも、毎週土曜日は吉本新喜劇が放送されていて、僕はそれを見るのが大好きだった。
そのとうじ、岡さんは、ほとんど主役を張っていて、得意のギャグで、僕を笑わせてくれていた。
僕にとっての吉本新喜劇は、岡八朗だといっても過言ではない。

関東に住むようになって、吉本新喜劇があまり見れなくなったのと、お笑いのスターたちも世代交代がすすんで、岡さんの姿を関東で見ることは、ほとんどできなくなっていた。
それでも、まだまだ元気でいらっしゃるのだろうと思っていたのに……

岡さんのギャグの一つに、自分のくぼんだ目をネタにしたものがあった。
オクメ。
自分の体の、あまりかっこうのよくないところを、逆手にとって、それを誇らしげにギャグのネタにする。
それは少年時代の僕にとっては、衝撃的なことだった。

自意識過剰気味で、自分と人とがちがうことが恥ずかしかったり、自分の容姿を気にするようになっていた僕には、岡さんのギャグは、信じられない光景だった。だが、それが面白いのだ。そして、それをしている岡八朗が、なぜかかっこよく見えるのだ。
そう、岡八朗は、ぼくにとってはヒーローだった。
岡八朗は、新喜劇のなかで、いつも恋をしていた。
そして、その恋は、たいていかなわぬことになるのだが、それでも岡八朗は愛すべき人物でありつづけるのだ。

すばらしい喜劇人が、また一人、鬼籍の人となった。
きょうは岡八朗のギャグを思い出して、もう一度笑いたい。

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2005年7月25日 (月)

消息を絶つ

『消息を絶つ』とは、物騒なタイトルだけど、これはテレビドラマのタイトル。
よみうりテレビで放送されて、ネット配信もされてる、よみうりテレビの番組。
舞台演出家でもある、G2さんの、脚本演出。

その番組に、二人も知り合いが出演しているのだ。
一人は、主役の西村りさ。
もう一人は、バーのマスター役で渡猛。
この西村りさも、高校の教え子。
今年卒業したばっかりの2期生。卒業公演では、お世話になりました。
彼女も、高校の在学中からいろんな芝居に出演して、役者としてのキャリアを積んでた実力派。
これからもっと活躍して欲しい期待の女優さんです。

渡くんは、去年一年間、僕の高校の授業のときにアシスタントをしてくれた、即興男。
これまた卒業公演では、お世話になりました。
いまは東京コメディストアというユニットで、インプロのライブショーをしています。

二人も知り合いが出ているとなると、これはみないわけにはいきません。
関東地区では放送されてなかったので、ネットでダウンロードして第一回を見させていただきました。
URLは、http://bb.goo.ne.jp/special/syousoku/
推理仕立ての、ほとんど個室ドラマ。
まるで舞台をのぞいているような面白さがありました。
われらが西村りさの芝居もたっぷり楽しめます。
推理物なので、解決編が気になるところですが、これはダウンロード有料になるみたい。

これから、こういうネット配信で、新作ドラマなどを見る時代になるんだろうなぁ。
そんな思いが強くなりました。
そういう意味では、この作品は、ネットで見るということをあらかじめ計算したうえで作られているように感じます。
G2さん、さすがです。

ぼくも、脚本家として、いくつかの作品にかかわっているので、ドラマ作りの現場の事情などは、多少はわかっているつもりです。
みんな厳しい条件のなかで、戦っています。
スケジュールとか、予算とか、もろもろね。
そんななかで面白いもの、多くの人に見てもらえるものをつくっていかなければならないというのは、本当に大変なことです。
面白いものをつくるためには、なによりも脚本が大事。
体感脚本講座は、そんな面白い脚本にすこしでも近づけるようにと、がんばる脚本家を応援します。

って、本当は、自分が一番、応援してもらいたいのかなぁ。

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2005年7月22日 (金)

ウルトラマンのヒロイン

小田急線の改札で、ウルトラマンのヒロインに出会った。

ぼくが、晩御飯のスープをぶらさげて、改札を抜けると、そこに彼女、ミズキ隊員があらわれた。
新宿南口に、怪獣が出現していたわけではない。
ウルトラマンもいなかった。
科学特捜隊の出動ではなかったようだ。

実は、この7月からはじまったウルトラマンマックスの、ヒロインのミズキ隊員を、僕の高校での教え子である長谷部瞳が演じているのだ。
すっかり大人びて、きれいになって女優オーラをはっしている彼女を見ると、女の子の十五歳から二十歳くらいって、すごく成長するんだなってことを、実感です。
まるで親御さんになったような気持ちで、彼女が女優として成長していくのを、喜びました。

高校で演劇を教え始めて、もう五年になる。
卒業生も、2学年おくりだした。
このなかには、俳優をめざして、大学や専門学校にすすんでいる子たちもいる。
もちろん俳優への道ではなく、ちがう道のほうに歩みだした子も。
みんな、どうしているんだろうなぁ。
一緒に芝居をつくっていた日々を、ときどき思い出す。
彼らにとっての青春の日の一ページのどこかに、僕を入れてくれてたら、うれしいんだけど。

今日は、高校での前期授業の最終日だった。
3年生には、いつものように、インプロの練習からはじめて、そのあと脚本講座をやった。
簡単に物語をつくれる方法を伝授する。
そして、それぞれの生徒に、物語のタネをつくってもらう。
それを、彼らがやる卒業公演の台本に反映させようと、もくろんでいるのだ。
もちろん彼らには、そういうもくろみのことは言ってはいないんだけど、物語作りの面白さを体験してもらうのはできたんじゃないかと思う。
 このなかから、いつかすごい物語作家が生まれないともかぎりません。

2、3年生のアフレコ志望のクラスでは、感情表現の練習をする。
いくつもの感情表現をやってもらって、それにたいして、何を感じたかを語り合う。
どんな感情が出しやすく、また、出しにくい感情は、なんだったのか。
そういうものに自分で気づかせるように誘導していく。
そして、そんな感情表現を、いろんなときに、採取して、自分の心の引き出しにいれてくれるように提案。
夏休みに、表現の引き出しに、いろんなファイルをふやしてくれればいいなぁ。

みなさんも、自分のなかに、いろんな感情が生まれたとき、自分がどんな顔をしているか、どんな行動をとっているか、どんな動きをしているか。
ちょっと観察してみてください。
そうすれば、その感情に捕らわれたり、しがみつかれたりすることもなくなります。
悲しみや、憎しみ、怒りなんて、いつまでもっていてもしかたないですからね。
そういうものは、さっさと引き出しにしまってしまいましょう。

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2005年7月20日 (水)

歌う脚本家

歌った!
小西真理さん主宰のミュージックノットに参加して、発声からコーラスを習ってきました。

発声練習から、一曲を選んでのコーラスまで、一時間半、たっぷり楽しませていただきました。
呼吸について、このところ考えているので、歌のための発声練習も、インスパイアされることばかりです。

やはり体の無駄な力を抜いて、リラックスして、発声することが一番大事だということは、ヨガの呼吸とも通じるもの。
喉をひらいて、ため息をする感じで、それに声を乗せていく。
スムースに、声がでるのを実感。

ピアノにあわせて、音程をとりながら、声を出す。
自分の音程があっているのかどうか不安になるが、音が気持ちのいい感じというところに集中していくと、自然と音もあっていくような気がする。
とにかくよけいな力を、体から抜いていくことに集中する。

今回、歌ったのは、ウルフルズの『バンザイ』
気持ちよく、イェー! ってな感じで、歌わせていただきました。
大声だして、歌うのは、それだけでストレス解消になります。
それにハモって歌うのは、さらに気持ちがよい。

最初のうちは、ハモるっていう意味さへもよくわかってなかったんだけど、何回かやらせてもらうちに、なんとなく気分のいいハモりがわかるようになってくる。

インプロダンスの時にも感じたんだけど、他の人の出してくるものに、あわせていくことの気持ちよさを体感しました。
芝居のなかで、インプロで歌を歌うということも可能かもしれないと思いはじめました。

また、ためしてみたいことを発見した感じです。
芝居のなかに、即興のダンスと、即興の歌がくわわったら、どんな作品になっていくんでしょう。

いま書いているアニメのシナリオにも、なんかそういうノリを活かしてみたいと思います。
作品づくりは、一つのところにとどまっていると、硬直しがちです。
たえず移動して、たえず自分に刺激をあたえ、変化しつづけることが大事だと、僕は思います。

変化すること。
それは、あたらしい機会(チャンス)を生みます。
チェンジは、チャンスになるんです。

自分が硬直してるなと感じたときは、恐れないで、どんどん変化してみましょう。

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2005年7月19日 (火)

呼吸の大事さ

ヨガをやっていると、呼吸の大事さを、あらためて気づかされる。
呼吸。
それこそが、人間にとって、もっとも原初的であり、もっとも大事なコミュニケーションだったのだと。

人は、呼吸で、世界とつながっている。
自分意外のもの(大気)を、吸いこむことで、自分の中にとり入れ、次に吐くときには、自分の内側を一回通ったもの(吐息)を、外に出すのである。
こんどは、誰かが吐いたものを、誰かが吸いこむ。

これって、空気をつかっての間接キッス。
世界中の人が、みんなで間接キッスをしてるってことだよね。
ウワーぁ。
そう思うと、なんだかこの星全体が、濃密な関係でつながっているような気がしてきます。
ラブラブだぁ。

ただ、この間接キッスは、個人の意志とは関係なく行われてしまうものだから、ときどき神経を逆撫でしたりします。

それのもっとも顕著な例は、他人のおならを嗅いでしまったときの感覚。
ただ臭いってだけじゃなく、憎しみすら感じてしまうことがありますもんね。

でも、それが愛している人だったり、親しい人のおならだったら、ぜんぜん嫌悪感を抱くこともなく、笑顔にすらなれたりします。
これはおならが、その人の体内から出てきたもの。
つまり他人の存在そのものだから起きる感情でしょう。
他人の体から出てきたものという点では、言葉と同じなんです。

目には見えない存在だけど、言葉と同じくらいの存在感をもった、コミュニケーション能力をもったものなのなんでしょうね。

なんだか変な話(シモネタ)になってしまいました。
呼吸の話を書こうとしていたら、おならの話になっちゃった。

呼吸の話にもどります。
このところ、どうして自分が呼吸のことを、こんなに気にしているんだろうと思っていました。
ぼくたち脚本家や作家は、そのとき心にひっかかっていることが、深いところ(潜在意識)で、自分がいま書こうとしている作品とつながっていることがあります。

今回、ぼくが、どうして呼吸のことが気になっているのか。
それは来年の映画のテーマの一つとして、呼吸が大事なキーワードになりそうだったからです。
ストーリー的には、まったく呼吸のことなど出てきたりしていないんですが、それがわかったとたん、いろんな要素が、一つにつながっていることに気づきました。
今回、自分は、呼吸について書こうとしているんだなということが。

呼吸についての物語。
それがどんなものになるのか。
お楽しみに。

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2005年7月18日 (月)

芝居とダンス

JOUさんの、ダンスワークショプに参加してきた。
初心者のための、インプロダンス。
JOUさんは、体感脚本講座の生徒さんでもある。
講師と生徒が入れ代わって、今度は教えてもらう側だ。

体のウォーミングアップにつづいて、インプロダンスに通じる簡単なウォーミングアップをやっていく。
参加者たちは、それらが、あとでダンスにつながっていくということを意識しないままやっているのだが、そのウォーミングアップ自体がおもしろいので、笑いながら体を動かしていくことができる。
ぼくも、即興を高校生たちに教えたりしているので、いろいろと参考になることがある。
はっきりいって、盗めるところばかりです。

今回は、参加者が二十名近くだったのだが、ほとんどが演劇経験者だった。自分を解放して人前で何かやるということに、抵抗感の少ない人がほとんどだったので、スムースにワークショップは進んでいく。
指導するJOUさんも、やりやすそうだった。

コンテンポラリーダンスといっても、どういうものか知らない人もいると思います。
うーん、僕にも、説明するのは難しいっス。

今回のワークショップでは、何人かのチーム全員で、ダンスらしきものをつくっていくという過程を体験しました。
これは前回もやったことなんだけど、今回は、前回よりも理解がふかまった気がします。
言葉で書くのは、非常に難しいですね、ダンスの稽古で何をやったかを表現するのは。
言葉で表現できないから、肉体と音楽で表現するのが、つまりダンスなんでしょうね。
すみません、うまく書けなくて。

でも、これだけは言えます。
なんでも体験しなければ、見えてこないこともあるってこと。
ふだんは自分の近くにないことでも、興味をもったら、思い切って飛びこんでいってみてください。
自分のやっていることにも、かならずフィードバックできることを、発見できると思います。

今回は、ダンスにつづいて、岩井君の劇団ハイバイのワークショップに参加しました。
そこでは、岩井君が稽古用に書いた台本を、役者たちがいろんな形で演じていくというものなんですけど、今回は、ダンスのワークショップから取り入れた動きを、その演技の間に入れてみるという試みをしてみました。

芝居の感情の高まりと同時に、その心境をダンスで表現してみるというものです。
よくわかる例を言うとしたら、ミュージカルでは、芝居の途中で歌と踊りになりますよね、それのコンテンポラリー(インプロダンス)版です。

これが面白かった。
芝居の途中に、いきなりおかしなダンスがはじまって(役者たちの即興ダンス)、ひとしきり踊ると、また芝居に戻っていくというもの。
理由はわからないけど、ほんとになんだかおかしくなるんですね、このシーンが。
これは、大発見でした。

発見したものを、さらに押し進めていけば、それはオリジナリティになっていきます。
きっといつか、この面白さを、みなさんにも見せる機会があると思います。

こんなふうにワークショップとかの話題ばっかりブログに書いていると、ちゃんと仕事しているのかと思われてしまいそうですが、ちゃんと脚本の仕事のほうもやってます。
実は、ますます脚本の仕事が好きになってきているんです。
いろんなことをやればやるほど、やっぱり物語、脚本が大事なんだということの確信は強くなっていきます。

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2005年7月17日 (日)

3年2組

  今日は二つめのブログ書きこみです。

 ポケモン見たあとに、吉祥寺シアターに行ってきました。
 矢内原美邦プロジェクト『3年2組』の公演を見ました。
 体感脚本講座のメンバーの一人、岩井君のお誘い。
 「映像とダンスとセリフのパフォーマンスで、最近、けっこう注目されてますから、見に行きませんか」
 なにかインスパイアされるものがあるような予感がしたので、忙しいけど、行くことにしました。

 吉祥寺シアターは、すばらしい劇場でした。
 ヨーロッパとかで、見たことのあるコンプレックスシアターで、いくつかのスタジオが一つの建物に入ってるようす。
 今回のパフォーマンスが行われるスタジオも、高さと広さも、いい感じ。
 観客席も、見やすくできていて、すごく好感のもてるステージ。
 自分もこういうところをつかって、何かやってみたいと、そそられました。
 武蔵野市、よくやった。

 さて、公演は、開演前から舞台に紙吹雪が降り注いでいて、美しいステージの空間が際立ち、期待感をそそる。
 舞台の中央奥に、おかれた紗幕に、映像が映し出されて、そのなかに役者が飛びだしてきて、ものすごいスピードでセリフを吐き出し、記号化された踊りのような動きで、リズムをつくっていく。
 セリフは、小学生なのか、中学生なのか、作者の個人的な思い出のようなものが語られていく。
 その内容を、ここで紹介するのは、言葉が足らずにできないんですが、スピードとエネルギーとポエジーとダンスの混沌の中に、誰しもが持っている青春の思い出が泳いでいる、って感じです。(すんません、なんだかわからない表現で)

 劇団ハイバイに前回出演していた、稲毛礼子が、役者として参加していた。
 ワークショップでからんだことがある彼女が出てきただけで、僕は一気に、親しみを持って見ることができるようになりました。
 稲毛さんは、まだ年齢は若いのに、おばさんみたいな腰の座った演技のできる、独特の雰囲気を持つ女優さん。
 彼女が出演していることを聞いていなかったので、なんだか嬉しくなってしまいました。
 やっぱり舞台は、客席との距離感というのが大事です。
 知っている役者が出ているということは、この距離を一気につめてくれます。

 今回の作品、ぼくは、とても面白かったんだけど、一緒に行った岩井くんは、どうもだめだったみたい。
 その理由も、ぼくにはよくわかる。

 まず、役者のセリフで、聞き取れないものが、すごく多かったということ。
 演出家は、それでもいいと思ってやっているのは、わかったんだけど、それはすごく挑戦的なことなんですね。
 演劇を見に来る観客というものの多くは、役者やストーリーによりそって、物語を役者たちと一緒に体験しようと思って、劇場にくるものなんですね。
 セリフは、聞こえて当たり前と思ってるわけです。
 セリフというのは、役者やストーリーを、自分のものとするための、観客がもちうる唯一の手がかりなわけだから。
 それが聞こえないとなると、もうそれだけで、突き放されたような気分になったりします。
 それでも、何かを感じろと、いうのは、観客への挑発と感じられてしまうこともあるのです。

 セリフを聞かせたいのか、結果的に、聞こえなくなっているのか、それとも、聞こえなくてもいいのかという点は、はっきりしておくべきだったのでしょう。
 そのあたりの、見極めが、中途半端だったのかもしれないと思いました。
 セリフのスピードを要求され、そのために自分の能力の限界を超えてしゃべり、そのせいで、セリフを観客にとどけられなくなってしまっている役者もいました。
 それは実は、役者にとって、すごく不幸なことなんですね。

 演出家は、それでもいいと思っていても、この作品だけを見た観客は、その役者が、だめだって思ってしまうことになりかねないからです。
 だめ役者のレッテルを張られてしまうかもしれません。
 セリフをまともにしゃべる技術がない役者だと。

 もちろん、今回、僕がそんなことを思ったりしたわけではありません。
 役者は、聞き取れないであろうことを、わかったうえで、それをしていると、好意的にとっていました。
 でも、きっと、そうはとれない人もいるだろうということです。

 このあたりのことだけが、残念に思ったところでした。

 来年の2月に、高校生の芝居をつくらなければならないんだけど、エネルギーとスピードでぐいぐい押していくような芝居は、高校生とか大学生とか、若さがはちきれんばかりの人たちで、やると面白いんですよね。
 若さは、それだけで、美しかったり、微笑ましかったり、無邪気な浄化作用をもっていたりします。
 そんなものを、見せたいと思っている僕にとって、今回の『3年2組』の公演は、とても共通する思いを感じました。

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映画公開

IMGP2218 昨日は、ポケモン映画『ミュウと波導の勇者ルカリオ』の公開初日だった。
舞台挨拶のある銀座マリオンに行ってきました。
毎年のことだけど、この日は、いつもドキドキです。
面白さはちゃんと伝わるのだろうか?
お客さんたちは、どんなふうに映画を見てくれるのだろうか?
期待と不安で、いっぱいになってしまいます。

映画館で、映画を見ながら、お客さんたちの反応を感じます。
楽しんでくれてるかどうか。
一番後ろの通路で立ったまま。

実は、毎年、出来上がったものを見ると、あそこはこうしておけばよかった、とか、もっと面白いセリフが書けたんじゃなかったか、とか、構成はこれでよかったのか、とか、いろんな思いが胸に浮かんできて、少し情緒不安定になってしまっていました。
もちろん毎回、映画の出来には満足してはいるんですけど、作り手側としては、反省点はかならず出てくるものなんです。

今年はIMGP2212、情緒安定したまま、見終わることができました。
イメージ通り。
ぼくが脚本を書いているときに、思い浮かべていた映像が、スクリーンの上にきっちりと描かれていました。
面白かったです。

お客さんの反応も上々。
喜んでくれていたみたいでした。
本当に、ほっとしました。

あとは興行成績が伸びてくれるのを祈るのみ。
映画の出来不出来にかかわらず、興行成績が良いか悪いかで、作品作りにかかわった人たちが、満足感を味わえるかどうかはかわってきます。
もちろん成績が良くなれば、みんなニコニコになれるってわけです。
そうなるといいなぁ。

今回の脚本は、実はオーソドックスな構成を取ってはいません。
脚本のルールなんていうものが、もしあるとしたら、そこからはかなり外れたものになっていると思います。
ぼく的には、かなりアクロバット的な脚本でした。
アクロバットは、失敗をしてしまうというリスクもあります。
でも、あえて、それに挑戦してみた作品でした。

でも、そういう脚本アクロバットに、挑戦させてくれた監督に感謝です。
湯山監督の理解と、アドバイスがあったから、できた作品だと思います。
それがなかったら、僕一人では、けっしてできませんでした。

映画初日は、じっさいには、一年も前にやっていた作業のことを、昨日のことのように思い出させてくれるのでした。IMGP2229

メインの声の出演者たちのみなさんと、エンディングテーマ曲を歌ってくれたパフィのお二人の舞台挨拶も、楽しませていただきました。
楽屋におじゃまして、一緒に写真を撮ってもらってはしゃいでしまいました。
みなさん、いい人たちでした。

初日打ち上げが、近くのレストランであったので、行ってきました。
実は、8年目にして、この打ち上げに出たのは、はじめてです。
おいしい中華料理をいただきました。
関係者の人たちの挨拶も、みんな前向きなものばかりで、よかったなぁと思っていたんですが、今度はしだいに来年の作品に対するブレッシャーに感じてきて、少し落ちつかなくなってきます。

これだけたくさんの人たちがかかわっている映画という産業の起点を作らなければならない、脚本家という仕事には、こういう大きなプレッシャーがのしかかります。
でも、それをプレッシャーにしているのは、自分なのだ。
自分の中の不安が、それをプレッシャーにしているんだと、自分に言い聞かせます。
これは応援なんだ。
みんなが応援してくれているんだ。
そういうふうに思って、まずは自分が本当に楽しむこと、目の前にいる、たった一人の人を楽しませること、それを大前提にして、次の作品にとりかかることにします。

今日は、なんだか決意表明みたいなブログになっちゃいました。

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2005年7月12日 (火)

さらば、橋本

やっぱり無理していると、つけが出てしまいますね。
このところ、急に仕事が忙しくなってしまい、睡眠を取らずに仕事したり、そのままワークショップに出たりして、無理してました。
体は正直です。
精神的には、大丈夫だと思っていても、ちゃんとコントロールできてませんでした。
風邪ひいたようです。

今日は、朝から喉が痛かったり、鼻水がでたりで、あきらかに風邪の症状。
すぐに弱気になってしまうぼくは、葛根湯を飲みました。
すぐに薬にたよってしまうところは、まったく健康的じゃありません。

それでも、打ち合わせにいって、長時間、冷房の下で耐えてました。
すると、ますます具合が悪くなるから、泣き面に蜂。

ふと、急逝してしまった、プロレスラーの橋本選手のことなどが頭をよぎったりして。
プロレスラーというのは、もっとも演劇的なアスリートたちです。
ある種のインプロ演劇に近いものが、プロレスのなかにはあると、ぼくはずっと思っていました。
ただ単に肉体的に強かったり、技があるというだけでは、真のプロフェッショナルなレスラーにはなれません。
どう観客の感情とつながるか。
どう観客を面白がらせるか。
そういう観客とのコミュニケーション能力が、プロには問われます。
この点で、プロレスラーとは、役者でもあらなければならないわけです。

橋本選手は、そういうプロの一人でした。
まだまだこれから活躍の舞台はあったはずなのに、残念です。

ただの風邪だと思って油断しちゃいけません。
だいたいの重病は、風邪だと思うところからはじまるわけですから。
ぼくも、さっそくいろんなサプリとか買ってきました。
まずはヨガやって、体をととのえて、栄養補給して、たっぷり眠って、明日の仕事にそなえたいと思います。
みなさんも、体には気をつけてくださいね。

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2005年7月11日 (月)

おどるJOU

ハイバイワークショップに参加してきました。
ハイバイは、ぼくの体感脚本講座に参加してくれている岩井秀人さんの主宰する劇団。
つぎの公演にむけて、稽古がはじまっている。
ぼくは、脚本のアドバイザー的役割で参加することになったのだ。

そこでコンテンポラリーダンスの、ウォーミングアップ的稽古をしてきた。
指導してくれるのは、JOUさん。
おどるJOUとして、世界で活躍するダンサーさんだ。
そして、これまた体感脚本講座に参加する生徒でもある。

体感脚本講座をとおして、すごく優秀でユニークで、才能ある人たちとの出会いがつづいている。
プロデュースしてくれたELITEの金丸さんに大感謝だ。

コンテンポラリーダンスは、あまり身近ではないけど、ときどきパフォーマンスを見ていた。
今回、初歩の初歩だと思うんだけど、即興的ダンスの成立の瞬間と、ダンスにおける空間感覚の体験をさせてもらって、すごく興味深いものを感じた。
空間芸術という点において、やはりダンスも演劇も、おなじだということ。
いくつもの共通点がそこにある。
ここで、それを一つ一つ書いていってもしかたがないので、ここまでにしますけど、僕にとっては、かなり刺激的な体験でした。

演劇の練習においても、コーチングの大事さというのは、つねづね感じていることなんだけど、ダンスにおいても、それは同じだった。
プレイヤーというか、ダンサーの身体的感覚を、鋭敏にさせて、自分で大事なことを気づかせていくには、コーチングがとても大事だ。
もちろんコーチングする側が、まちがった方向性を持っていては、もともこもなくなるので、コーチをする人間は、その表現を深く理解しておかなければならない。
体感脚本講座のコーチとして、責任感とともに、さらに勉強していかねばならないなと、自分に言い聞かせました。

そのあと、JOUさんが、はじめて書いた小説を読んでくれというので、持って帰って読んだ。
処女作を、いきなりダンス雑誌に連載してしまうという。
ダンスをテーマにした、短編小説。
やはりダンスをやっている人でなければ書けないと思われる、身体感覚の詩情あふれる小説だった。
ダンサーが小説を書いた。
いいんじゃないですか。

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2005年7月10日 (日)

カンヅメ

仕事で、一晩、ホテルにカンヅメしてました。
もちろん寝ないで、プロット作り。
やっぱり、時間はかかります。
やっばり、眠たくなるもんです。

そんでもって、なんとか昼間までに、方向性だして、監督とプロデューサーに渡して帰ってきました。
じつは、前の晩も、テレビの脚本書いていて、4時間くらいしか寝てなくて、もう限界でしたわ。
ふつうは7時間くらい寝ないとだめなのよ。

背中はガチガチだし、体に悪いっス。
シャワーもあびてなかったし、よくやるなぁって自分で自分をほめました。

でも、こういう体験も、たまには面白いです。
なんとかなるって感じです。
なんか、文章にも力がないし、思考力が停止してる感じですね。
こういうときは休まなきゃならないんだけど。
これから芝居のワークショップだぁ。

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2005年7月 7日 (木)

ヨガがよか(九州弁)

じつは、このところ情緒不安定、プチ鬱だった。
ほんのちょっとしたことで人間は、不安定になってしまうものだ。
いくらぼくが天然系でも、たまにはそういうことになる。

三日間は、じっと耐えてたんだけど、こりゃなんとかしなきゃと思いました。
仕事はすすまないし、いいことないんだもん。
それで、何をやったかというと、いま流行りのパワーヨガ。

じつはヨガは、五回ほど習ったことがあって、とてもいいことがわかっていた。
ヨガをやった日は、すごくすっきりしてなんだか調子がよくなるのだ。
でも、一人ではまだやったことがなかった。
で、やってみましたよ。
CDの先生の声にあわせて。

やっぱり、すっきりしちゃいました。
汗もかいて、気持ちも、すごく安定してくるし、その日一日、元気でいられます。
うーん、こりゃ、やっぱすごい。

もともと呼吸法とかには、興味があって、むかしから「臍下丹田に力をこめる」なんてことをやってました。
中学高校と陸上部で、長距離やってたんで、呼吸法で持久力もかわってくるってことを、体感的に知ってたしね。
それでヨガって、その中心は、呼吸にあるってことがわかってからは、なおさらヨガの深さを感じてるわけです。
すべては呼吸のなかにあったということです。

心と体をコントロールするために、もっとも効果的で、早い技術は、呼吸法でしょう。
ヨガは、その効果を知り尽くしたインド人たちが、長い時をかけてつくりだした技術なんですね。

これは脚本書きに使わない手はないと思いました。
執筆のための精神のコントロールに、ヨガを使ってみるのです。

ヨガをやって、心と体の調子をととのえ、その間に、イメージトレーニングで、執筆がどんどん進んでいるイメージをつくりあげておけば、いざ机についてからは、スイスイと気持ちよく仕事ができるカモ……

まずは、ぼくがためしてみますね。
まぁ、脚本の進行が同じだったとしても、体のためには確実にいいわけだし。

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2005年7月 5日 (火)

忍者の芝居

Neo Maskという劇団の旗揚げ公演を見てきた。
忍者の芝居である。
忍者軍団が、舞台をころがり、かたなをブンブンふりまわす。
鍛えられたからだの男と女が、肉体をぶつけあう。
殺陣を中心にすえた、かっこいい芝居だった。

子供のころに忍者ごっこをして遊んだ身としては、こういうの大好きだ。
また、いろいろと考えることも多かった。

なんでこの劇団の芝居を見に行ったかというと、知り合いの女優・井上直美が出ていたからというだけの理由だった。
話を聞くと、江戸村とかで忍者やってた人たちがつくった演劇集団だという。
なるほど忍者なわけだ。
殺陣が鍛えられているのも、納得。

ぼくは役者や声優さんの友人が多いのだが、小劇場系の芝居をやっている人たちが多く、この手のアクション物をやる人たちとの出会いは、あまりなかった。
たまに特撮物とかの脚本を書いたときは、そういう役者さんたちと接触する機会もあったのだが、脚本家はなかなか撮影の現場に行くことが少ないので、深く知り合うまでにはいかなかった。
本当は、こういう殺陣とかが得意な人たちと、もっと知り合いたいと思ってたんだ。

で、知り合ってきたかというと、体調不良のせいで、すぐに帰ってしまい、彼らと話す機会ももてませんでした。
今回は、残念。

考えたことの一つは、テレビや映画では、時代劇、とくに忍者物がつくられることは少なくなってしまったけど、特撮物やヒーロー物のなかに、その要素や技術は、ちゃんと生き残っているのだということ。
そして、この劇団の人たちのように、忍者アクションをエンターテイメントとして、ちゃんとやってみようとしている人たちもいるということ。
日本の伝統芸能は、こういうかたちで、生き残っていこうとしているんだなということだ。

忍者アクション芝居は、もしかしたら世界に通用するものにすることができるかもしれない。
そんなことを夢想しながら、芝居を見ていた。

日本製のエンターテイメント舞台が、世界に進出するとしたら、歌舞伎や能のほかには、こういう忍者アクションや特撮ヒーローアクションの路線があるのではないだろうか。
ブロードウェイで、忍者たちが飛び、駆け、斬りまくる姿を、いつの日か見てみたいと思った。
いや、ありでしょ。このセンは。

もちろんそのためには、脚本の面でも、おもしろいものを作らなければならないのは当然のことだけど。
今回の芝居は、セリフで説明するところが、どうも止まっている感じがしたのと、ユーモアが少なく感じたこと。
あとキャラクターの性格とかが、わりとよく時代物にあるタイプのものが多かった気がした。
よくいえば真面目すぎるのだ。
すごくテーマ性とかはあって、作者が真面目にとりくんでいるのは、よくわかった。
それはそれですごくいいんだけど、もうちょっとなにかがあってもいい気がした。
もっと無邪気な漫画みたいなノリでもいいのではないかと思った。

もっと時代劇をやっている劇団とか、アクションをやっている人たちを、これから見ていきたいと思った。
もしかしたら、一番、ブローデウェイに近いかも。
そこがいいっていうわけじゃないけどね。

そうそう、去年青山劇場で見た、唐沢さんの、『浪人街』は、チャンバラアクションすごくてよかったなぁ。
あれなら、アメリカでも絶対受けると思う。

いま、ちょっと体調不良です。
梅雨のせいかもしれませんが、自律神経がちょっといかれてるみたい。
なんだか体がほてったりするんだよね。
みなさん、体には気をつけましょうね。

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2005年7月 4日 (月)

むじゃきパワー

なんで、はじめて脚本を書いたひとの作品に、ひかれてしまうのか。

そのこたえは、そこに無邪気なよろこびがあふれていたからです。
物語つくりを、こころから楽しんでいるかんじが、自然とつたわってくるんですね。
ああ、これを書いている人は、まちがいなく楽しんでいるっていう感じが。

まるで小さな子供が、一心に描いた絵が、見るものの心をなごませ、いやしてくれるように、彼らの作品には、そういういやしの効果さえあるような気がしました。

童心。
無邪気さ。
すなおさ。
かざらずに、じぶんを出してしまう、解放感。

そういうものが、たしかに、ここにはありました。

そう赤ちゃんの笑顔をみると、おもわず、こっちも笑ってしまう、あの感じです。

そして、自分についても、ふと反省させられました。
自分も、最初に物語を書きたくて書き始めたときは、そういう無邪気な思い、ただ物語を書きたいという思いだけで、書いていたはずなのに、いつのまにか、プロになり、商品としての作品を要求されるようになると、この原初的なよろこびを、ついついわすれがちになっていたのではないか。
うまく書こうとするようになっていたのではないか。
ましてや、書く技術などと、えらそうに人に教えたりしようとしていなかったか。

大反省です。

無邪気にかくこと。
本気で、たのしむこと。
じぶんに、ブレーキはかけないこと。

わかっているようで、ついついわすれがちだった、このことを、もう一度、自分にいいきかせました。
毎日の人生も、こんな感じですごしていきたいもんです。

脚本は、書き続けていれば、ほっといてもうまくなっていくものです。
ただ、書き続けていくためのエンジンが必要なだけ。
そのエンジンこそが、この無邪気なのかもしれません。

無邪気パワー全開でいきましょう。
子供のように、物語で遊びましょう。

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2005年7月 3日 (日)

八王子教室ありがとう

八王子市から頼まれた脚本講座、全5回が終了しました。
ひとまず、めでたし、めでたしです。
すばらしい環境で、5回のレッスンを終えることができました。
教えに行った僕も、いろんな人と出会えることができて、実り多い講座になったと思います。
チャンスを与えてくれた、萩原朔美さんと、八王子市学園都市文化ふれあい財団のスタッフのかたたちに感謝です。

今回は、ELITE主宰ではじめた、体感脚本講座とこの八王子教室の二本立てだったので、こういうことをふだんやっていない僕にとっては、はじめてずくしでした。
でも、とても和気あいあいとした、いい雰囲気のなかで、脚本作りを体験できたと思います。

今回は、いつものように心と身体のウォーミングアップをやったあとに、この一週間で生徒さんたちが書いてきた脚本を、みんなで読んで、それについて話し合うということをしました。
いわゆる『本読み』というやつです。

脚本家にとって、本読みとは、ある意味、本番です。
書いている間は、まったくの個人作業ですが、この本読みからは、共同作業に変わります。
監督やプロデューサーの意見を聞き入れて、改訂作業に入っていきます。

このとき、さまざまな視点から、意見が出てきます。
いい意見もあれば、わるい意見もあるでしょう。
もしかしたら見当違いの意見もでるかもしれません。
このとき大事なことは、脚本家は、すべての意見に耳をかたむけるということ。
たとえその意見が、作家にとって不快な意見であったとしても。

さまざまな感情がわいてくるはずです。
でも、この場では反論しないようにしましょう。
反論は、相手が意見を言ってくれるのを、ブロックしてしまいます。
それでは、共同作業にはいっていけません。
まずは聞くこと。
取捨選択は、あとで落ち着いてすればいいのです。

この本読みにのぞむ時は、意見を言ってくれる人たちを、すべて自分の味方なんだと思うようにしましょう。
じっさい、意見を言ってくれる人は、たいていの場合、脚本家の味方です。
それを信じてください。

それを信じられないと、ときどき悲しいことになってしまいます。
意見や、忠告が、自分にとっての攻撃だと感じられたとき、人は悲しい感情や、怒りさえ抱いてしまうことがあります。
そういうことが、いままでどれだけたくさん引き起こされてきたことか。
これは脚本の本読みの場でおきたということじゃなく、社会のなかでっていう意味でね。

そういう悲劇を起こさないためにも、こういう意見の場をつくるまえには、ちゃんと相手が自分を応援してくれている味方だと感じられる、雰囲気作りのウォーミングアップが必要なんですね。
現実の社会では、ときおりこのウォーミングアップなしで、意見や忠告が行われがちだから、悲劇が起きたりするのだと思います。

ちょっと話がずれました。
本読みの話にもどります。

八王子の教室の生徒さんたちの作品(6作品も集まりました)は、どれも面白く、力作ぞろいでした。
まず一週間で、これだけの数の作品が集まるとは、予想以上でした。
まずは書き上げてきたみなさんの熱意とエネルギーに拍手です。
とくに、はじめて脚本を書く人もいるわけですから。

それで思ったのは、いままでいくつか脚本を書いた経験のある人の作品よりも、はじめて脚本を書いてみたという人の作品のほうに、ぼくはなぜだか惹かれる部分が多くあったということです。
もちろん脚本という形にさえなっていないものもありました。
でも、なぜだか惹かれるものがあるんですね。
その理由は、また次回に書きます。

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2005年7月 1日 (金)

ハズバナ、ナサバナ

恥ずかしい話、略してハズバナ。
情けない話、略してナサバナ。

僕の、情けない話をします。
ずっと胃のあたりに違和感があったことがありました。
これはもしかしたら、悪い病気かもしれない。
そう思うと、その不安はさらに大きくなり、ますます痛みは増してきます。
胃潰瘍? もしかしたら、胃ガン?
食欲は落ちて、仕事にもしだいに手がつかなくなっていきます。
病気で死んだ知り合いのことなども思い浮かんだりして、毎日がしょんぽり。
病院に行くのも、なんだか怖くて、忙しいのを理由にしてためらっていました。

ついに思い切って、病院に行って、検査をすることになりました。
苦しい思いをして、胃カメラまで飲んで。(ほんとにこれは苦しかった)
すると、まったく異常なし。
「えっ、先生、だってここ痛いんですよ」
すると医者は、口元に少し微笑みさえ浮かべていいました。
「そりゃ、毎日、そうやって押してれば痛くもなりますよ。押しすぎです」
「…………」
次の日から、痛みは、嘘のように消えました。

いま思い出しても、あのときは情けなかったなぁ。

で、なんで今日は、このハズバナから始めたかというと、これも脚本における登場人物作りのテクニックに使えるからなんです。

これを読んでくれているみなさん、僕がハズバナをする前と、ハズバナをしたあとで、印象ってかわりました?
たぶん、少し身近に感じられるようになったんじゃないでしょうか。
距離が少しだけ縮まったでしょ。

これを主人公の登場シーンに使うんです。
まず主人公の情けないところからはじめてみるわけです。

主人公を、お客(視聴者)の人と身近な人物にし、好きになってもらうのが、この作戦の目的です。
主人公は、われわれ作家が物語を伝えていくための、もっとも大事なパートナーてす。
彼を、お客さんにも、パートナーになってもらいましょう。

これさえうまくいけば、ストーリーの導入は大成功と言っていいでしょう。
あとは、主人公の思いのまま動いていってもらうだけ。
お客さんは、彼についてきてくれるはず。
彼と一緒に、物語を体験してくれるはず。

昨日の体感脚本講座では、参加者のみなさんに、ひとりずつハズバナをしていただいて、実際に体験してもらいました。
話をするまえと、するあととで話をした人の印象がどうかわったのかを。

この方法は、実人生でもけっこう役に立ちます。
距離を縮めたい相手がいるとしたら、その人の前で自分の恥ずかしい話をしてみてください。
恥ずかしい話をするということは、相手に、心を開かないとできません。
心を開いてくれる人を、誰も嫌いになったりしませんからね。
レッツ、ハズバナ、ナサバナ。

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2005年6月29日 (水)

時間を大切に

八王子の脚本講座の受講生のには、中学2年生が最年少で、高校生も二人います。
上は、六十すぎてる(女性なので、はっきり聞いてません)人もいます。
さまざまな年代の人がきているので、すごく面白いです。

毎回、その場で、物語の企画をつくってもらって、発表してもらってます。
どんなふうにしているかというと、前回を例にとって紹介しますね。

まず三十秒で、なんでもいいから、思いつきで物語のタイトルを三つ以上つくってもらいます。
それをノートの一番上に書きます。

次に、主人公の設定を、一分半でつくります。
次の一分半で、主人公の弱点を考えます。

さらに、次の一分半で、主人公にふりかかるかもしれないトラブル(事件)を考えます。

ここまでが約五分間。

次に、主人公にとって最大の障害となる人物の設定を考えます。
これも一分半。

さらに、主人公にとっての、最大の協力者を考えます。
これも一分半。

そして、タイトルの中から、一つ選びます。
トラブルの中からも、一つ選びます。

そして、次の五分間で、そのトラブルの状況のなかで、主人公と協力者とがどんな会話をするのかを考えて、シーンを書いてみます。

合計、十八分間の企画作りです。
このあとに書き上げたシーンの会話を、みんなのまえで読んでもらって、感想を聞きます。

感想は、できるだけポジティブな意見だけを言ってもらうようにします。
なにしろ、これは即席でつくりあげたものですし、あくまでも物語のタネなんですから。
そして作家は、このときの観客の人たちのリアクションをもとにしたり、インスパイヤを受けて、さらにこの物語のタネを育てていけばいいのです。(これは自宅にもどってからの作業になります)

参加者たちにとっても、自分で物語のタネをつくりつつ、他人のつくった物語のタネの観客になり、創作の過程を同時に体験できるというのは、とてもいい刺激になります。

二十五人がいっせいに、二十五個の物語りのタネをつくるわけです。
同じものが、一つとしてないのは、ほんとうにすごいことだなぁって思います。
(もちろん同じものができるはずもないんですけどね)
人間の数だけ、物語があるんです。

ひょんなきっかけで始まった八王子の脚本講座も、今週の金曜日で全五回の日程が終了になります。
いままで四回の講座でつくった物語のタネをもとにして、できれば脚本を書き上げてきてほしいと課題を出したんですけど、はたしてどんなものが出来てくるのか、楽しみです。
みんな忙しい毎日のなか、書く時間はとれたでしょうか?

脚本を書くために、大事なことを書き忘れていたことに気づきました。

そう、もっと大事なことは、執筆の時間を確保することです。

時間をつくるのって、実は、すごく大変ですよね。
毎日、いろいろとしなきゃならないことがありますし。

生きていられる時間は限られています。
もし、脚本を書くよりも、充実した時間をもてるのならば、それはそれをやったほうがいいです。
脚本は、その次にしましょう。
多少の締め切りがのびるのは、誰かさんも許してくれるはずです。

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2005年6月28日 (火)

フリー

脚本家というものは、だいたいフリーです。
フリーというのは、自由っていう意味。
すばらすぃ。

じゃなくてって、どこにも所属してないっていう業界用語。
会社とかに入っているわけではなく、個人事業主ってことです。

仕事は、自分で見つけなければなりません。
自分は、こんなことが書ける脚本家ですということをアピールして、仕事をくれるプロデューサーに見つけてもらわないことには、脚本家の仕事は成立しません。

役者さんには、オーディションというものがありますが、脚本家にとって、オーディションのような存在にあたるものは、コンテストと呼ばれるものです。
いまは、いろんなところでコンテストが行われています。
それに応募して、入賞したりすると、即デビューということもあります。
そういうふうにして、プロデューサーとのつながりができて、そこから脚本家生活をはじめる人もいます。

僕の場合は、いつのまにか脚本家になっちゃたパターンです。
物語をつくっていく仕事(作家・脚本家)をしたいと、子供のときから目標にして、そのための生活はつづけてきました。
その流れで、大学入学と同時に、演劇をはじめて、劇団に入ったり、自分で劇団をつくったりしているうちに、いつのまにかテレビの脚本の仕事をするようになっていたという感じです。
在学中にデビューしてしまったので、就職する機会もなく、現在にいたってます。

ちょうどアニメーション業界の方たちが、若い脚本家を求めていたので、最初は劇団の活動費を稼ぐのに都合がいいので、脚本を書きまくっていました。書いた小説の印税とかも、ほとんど芝居の上演費用に消えました。
芝居は、本当に赤字製造装置です。

それでも、ぼくは芝居をやっていて、よかったと思っています。
ぼくの脚本(物語)の書き方は、ぜんぶ芝居のなかから学んだと言っていいでしょう。
役者をやっていた経験も、セリフ作りには、大いに役立っています。

ですから、僕は脚本家志望の人には、演劇にかかわることを勧めるわけです。
劇場には、人との出会いがあります。
必然的に、人との葛藤をのりこえなければならなくなります。
それがぜんぶ、ドラマ作りに、生きてくるんですね。

劇場は人と人とが出会う場所。
この世は、劇場。
みなさん出会いましょう。

フリーということは、誰にも依存しないということではなく、この世の中の人、全員とうまくかかわっていくこと。
人と人との個人的な関係を大事にすること。
それがフリーなのよ。
どこにも所属してないってことじゃなく、どこにも所属できるっていう意味なんです。

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2005年6月24日 (金)

タイトルを考える

ライブ版体感脚本講座も4回目を終えました。
昨日は、明け方から、ブラジル対日本のサッカーの試合を見て、原稿書いて、午前中の打ち合わせにつづいて、午後の本読み、それが終わって、まっすぐ体感脚本講座のレッスンに駆けつけました。
もうこの時点で、カラータイマーが真っ赤に点滅状態。
エネルギー切れ寸前て感じでした。
ところがレッスンをはじめると、しだいにテンションがあがってきて、しだいに元気が戻ってくるではありませんか。
カラータイマーも、点滅状態から、ふつうの緑に戻った感じでした。

いまは、物語作りのための、心と身体を変えていくウォーミングアップをかなりの時間をかけてやってます。
おきる状況を受け入れて、それに反応していくためのエクササイズを、ゲーム形式でやります。
難しいことは一つもやってません。
ゲームをやりながら、そのなかで、反応のスピードが上がったり、相手を受け入れることへの抵抗感を無くしたりすることがスムースにできるようになっていきます。

参加者同士がお互いを認め合って、受け入れられるようになってくると、さらに面白さは増していきます。
これって、『物語作り』を、『人生作り』に置き換えても、同じことなんですね。
すごく役立つんです。

ウォーミングアップが終わると、実際に物語のタネをつくる、トレーニングにうつります。
今回は、まず『タイトル』を考えようとということではじめました。
参加者の人たちに、なんでも思いつくタイトルを考えてもらいます。
三つ以上。
いろんなタイトルが出ました。
そのタイトルだけでも、いろんなイメージがふくらむくらい。

次は、時間を決めて、キャラクター作りから、弱点作り、トラブル作りとすすみます。
ここまでは前回と同じ。
それに、対立する人物の設定作りをプラスしました。

そして、つくったトラブルの中から一つだけ選んで、その状況のなかに、主人公と対立するキャラクターが二人いると想像して、その会話を書いてもらいます。
会話を書く時間は、5分。

この時に、最初に考えたタイトルを一つ、思い浮かべてもらいます。
タイトルが、この状況における主人公たちに、なにがしかのベクトルを与えてくれるはずです。

いくつかの印象的な会話のシーンができあがりました。
最後に、その会話のシーンを、書いた人本人に読んでもらって、その感想を述べあいます。

こうして、ライブ版体感講座では、まいかいいくつもの物語のタネとシーンができあがっていくわけです。
あとは、参加者のみなさんが、ストックしたそれらのタネをもとに、作品にしていってもらえればいいわけです。

こんな感じで、ライブ版体感講座はすすんでいってます。
まだまだ遅くないですよ。
ぜひ参加しにきてくださいね。

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2005年6月22日 (水)

今に集中すること

前回の体感脚本講座には、新しい参加者がきてくれました。
シナリオライター志望の人で、ついに現れたって感じ。
ぼくが、この体感脚本講座をはじめた理由は、本当にプロを目指す人に、すこしでも僕の体験が役立つといいなと思ったのがきっかけだったからです。

彼は、他にも脚本講座とか受けたことがあるという経験者で、じっさいにテレビ用の脚本を書いたこともあるという人。
そういう人が、このワークショップを受けて、どういう感想を抱くのかも知りたかったんです。

終わって、みんな食事に行ったんですけど、彼は面白かったと言ってくれました。
ブログを読んで、その内容的なものはだいたい予想していたらしいけど、実際に身体を動かして、即興的なことをやったりするのは、はじめての経験だったということ。
どういう即興的なことをやっているのかというのは、ここで説明するのは、少し難しいんですけど、陸上競技の選手が、ダッシュやスタートの練習を繰り返すのと同じようなものだと考えてください。
脚本を書くための、心と肉体を結びつける練習です。
時間に限りがあるので、このウォーミングアップは、毎回一時間くらいしかやらないんですが、(ウォーミングアップに一時間!? と思われる人もいるでしょうけどね)本当は、もっとやってもいいと思っていたりします。

ぼくの体感脚本講座は、実はこのウォーミングアップがもっとも大事なんです。
心と身体が、今、この瞬間、瞬間に、いかに反応できるようにしていくか。
そのための練習方法を、いつも考えています。

今、この瞬間。
ここをどう生きるか。
それが一番大事だと、ぼくは思っています。

過去のことにこだわって、くよくよ後悔したりする人は、今を生きていません。
その人は、過去に生きています。
これからのことが不安で、いろんなことを心配している人は、今を生きていません。
その人は、未来に生きています。
過去や未来に生きていると、ときどき現在(いま)を忘れがちになります。
現在(いま)の反応が、鈍くなってしまったりします。
そういうのは、あんまり心にも身体にもよくないなって思うわけです。

今に集中して生きていければ、きっと後悔や不安は消えていくはずです。
この瞬間を夢中に生きることだけに集中すればいいんです。

ぼくの体感脚本講座は、そんな瞬間を、どうとらえて、生きるかということが、テーマなのかもしれません。
いい『物語』は、きっと今を夢中に生きる手助けになると信じています。

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2005年6月21日 (火)

映画館とDVD

 DVDの発売日が早まったせいで、映画館の入場者が減ったという新聞記事を見た。
 映画館でみなくても、DVDで映画を見ればいいという人が増えてているのは、まちがいない。
 かくいう僕も、劇場に行く機会がたしかに減っている。

 映画関係者としては、どうしたら劇場に人を集めることができるかを考えなければならないんだろうと思う。
 『いい映画をつくれば、客は集まる』というふうには簡単にはいかない時代だ。
 どうしたら観客を劇場に呼ぶことができるのか。
 ポケモン映画は、前売り券に付加価値をつけることで、観客動員につなげている。
 こういうことを他の映画でもしかけていかなければならないのかもしれない。
 今回は、映画の動員をふやすアイディアをいくつか考えてみようと思う。

 劇場に行かなければ手に入れることのできないものを用意する。
 たとえば、DVDにおける特典映像的なものを、入場チケットにつける。
 コストが高くなってしまうが、パンフレット代わりに、DVDがついているというのは、かなりお得な感じがするのではないだろうか。

 劇場に、サービスカードのようなものを用意する。
 5回劇場に行けば、1回無料になるようなスタンプカード。
 ふつうの小売店とかでは、こういうサービスをよくやっているが、劇場でもやってもいいと思う。

 メールサービス。
 お客さんに、劇場からの情報がメール配信されるようにする。
 劇場と、個人のお客との関係をもっと蜜にしていく。
 劇場に、ただの映画を上映する場所ということではなく、一つの情報発信基地としての役割ももたせる。

  なかなかいいアイディアって出てこないなぁ。
 僕なんかが考えるようなことは、とっくのむかしに誰かが思いついていて、よかったらとっくにやってるよね。
 今日は、映画館のために、このブログを書こうと思ったけど、なかなか調子が出てきませんでした。
 DVDとうまく、共存していくしかないんだろうなぁ。

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2005年6月19日 (日)

サガントス応援

ひさしぶりにサッカー観戦にいってきました。
J2の湘南ヴェルマーレ対サガン鳥栖戦。
炎天下の平塚競技場で燃えた。DSC00280

やっぱりサッカーは、ライブが面白いですね。それもアウェイ観戦というのは、やみつきになります。
敵地にのりこむというスリルもあるし、観客席の一体感というのが、ホームのときよりも盛り上がるんです。
サポーター同士に、最初から、『自分たちは、わざわざ敵地にやってきて、自分の好きなチームを応援するんだ』という同じ気持ちがあるから、簡単に一つになれるんです。

体感脚本講座を読んでくださっているかたたちならば、もうおわかりでしょう。
この場合、サッカーのチームが主人公なんです。
主人公が、敵地にいるってこと、マイナーチームだということ、トラブルをいろいろ抱えているということ。
そういうことをあらかじめ知っている観客(サポーター)は、最初から主人公(チーム)に共感してくれるんですね。

もうこうなると劇場(スタジアム)は、一体感をもって物語(試合)を見ることのできる最高の場所となります。
ぼくは、負け試合をみて、最後に選手がスタンドに挨拶にきてくれたとき、えもいわれぬ感動に包まれて、涙さえ流してしまいました。
しかも、この物語は、毎週連続する、大河ドラマなんです。
おもしろくないわけないですよね。

J2サガン鳥栖は、昨年は解散の危機さへあったマイナーチームです。
しかし今年、社長が交代し、チームも一新されて、いきなり大健闘。現在J1昇格も狙える位置にいます。
ファンにしてみれば、予想だにしていなかった好調ぶりなんです。
このままJ1昇格争いをつづけてくれたとしたら、まさにミラクル。

物語作りを専門としている、脚本家さへも予想してませんでした。
もし、もしですよ、このままJ1上がったりしたら、どうしますか?
奇跡です。
こんなに面白い物語はないですよ。

奇跡みたいな話って、物語のなかで描くと、リアリティがないとか言われたりするけど、現実の世界でミラクルがおきると、それは最高の物語になります。

実は、みんなミラクル好きなんだよね。
ミラクルが現実となるには、最大のトラブルを乗り越えなければなりません。
まさにそのときが、クライマックスですね。
(この脚本講座の前のほうを読んでみてください。クライマックスについてかいてます)
どんなトラブルが、最後にやってくるのか。
まさに予想だにしないことが、おきることでしょう。(なんなんだろう?)

そのクライマックスが、現実にやってくることを、いまから夢見ています。

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2005年6月16日 (木)

雨に唄えば

『雨に唄えば』
 なんか、気分がダウンしているとき、そういうとき、いくつかの切り抜ける方法がある。
 その一つは、『雨に唄えば』を見ることだ。
 1952年に制作された、MGMのミュージカル。監督兼主演と振り付けは、天才ダンサーのジーン・ケリー。
 共演は、ドナルド・オコーナーとデビー・レイノルズ。
 とりたててドラマがあるわけではなく、ストーリーは、単純なラブコメディなんだけど、おれは、この作品を何回見ても飽きない。
 なんといっても、唄と踊りのシーンが、見事で、見ているだけで、元気になれる。
 こんな映画が、50年も前につくられていて、それをすごくいい状態で、DVDで見ることができるとは、なんといい時代だと思う。
 ある意味、50年前に、ハリウッドのミュージカルは完成しているといっても過言じゃないだろう。
 いまだに、この作品を超える作品があるのかといわれれば、それを探すのが難しい。
 そりゃ、振り付けにしても、音楽にしても、レベルの高いものはいくらでもあるだろうが、この『雨に唄えば』には、ほかのどの映画よりも、幸福感に満ちているのだ。
 フィルムのなかに、幸せがつまっている。
 そんな感じ。
 おれは、この映画の、いくつかのシーンを見ているだけで、自然と身体が動きだし、やる気がわいてくる。
 こんな作品を、おれもつくってみたい。
 重厚なドラマや、人生の機微を表現した芸術もいいけど、なによりおれがみたいのは、幸福感に満ちた作品だ。
 まるで魔法のような映画。そんなものをつくりたい。

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2005年6月15日 (水)

ヒーロー

  貴花田がワイドショーに出て、年寄り株がどうだのとか、兄弟の確執とか、親子愛とか、守るべき物とか、語り続けてマスコミの格好の題材になっている。
  この騒ぎを見ていて、脚本家は、そこに何を見るか。

 貴花田って、現役のころから、相撲界のヒーローだったよなぁ。
 そして、今でもヒーローでありつづけるって、すごいことだ。

 『ヒーロー』って、主人公っていう意味もあるけど、それ以上の存在なんですよね。
 ヒーローには、ギリシア神話の時から、悲劇がつきまといます。
 悲劇を背負いこむことこそ、ヒーローの条件といっても過言じゃないでしょう。

 ヒーローと悲劇(トラブル)は、ついになってるものなんですね。

 そういえば貴花田には、現役のころから、悲劇(トラブル)がつきまとってました。
 兄弟で相撲の世界のトップを目指さなければならないのも、親父が師匠だということも、ふつうに考えれば、大きな障害です。
 世間を騒がした恋愛騒動でも、相撲をとるか、恋人をとるかという、ちょっと時代遅れのトラブルで結局、恋人を失ってしまい、その恋人にも、深い傷を負わせてしまいました。
 でも、そのたびに彼は、それと向かいあい戦ってきたわけです。

 そして大横綱となるわけですけど、横綱となってからも、病気とか、怪我とか、さまざまなトラブルを乗り越えなければならなかったですよね。
 もうこれだけでヒーローの条件は、十分クリアしてました。

 それにあきたらず、父親の死、そして遺産相続問題。
 ふつうだったら、こういうトラブルは、外にはださずに身内のなかだけで解決しようとするもんですが、ヒーローは、そうはいかないんですね。

 がぜん彼のヒーロー気質が首をもたげて、ただの相続問題を、日本全国の話題としてしまったわけです。

 われわれ凡人には、この気質はなかなか理解できません。
 だってヒーローは、悲劇の中にいるときこそ、いきいきと輝くものなのですから。
 神話の世界の人物なんです。

 貴花田って人は、生まれながらにして、真のヒーロー気質をもった人だったんですね。

 神話の中でも、ヒーローたちは、親殺しとか、兄弟殺しとか、さんざんやってきました。
 今、彼は真のヒーローとなるべく、無意識のなかで、親を殺し、兄を殺そうとしているのかもしれません。

 ただ、これらの協奏曲を見ていて思うのは、ヒーローは物語の世界の中だからこそ、すばらしいということ。
 現実の世界では、ヒーローなんかにはなりたくないもんです。
 脚本家でよかった。

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2005年6月14日 (火)

銀座の夜

昨夜は、僕にしては珍しく銀座ナイトだった。
日本料理屋さんで、ごちそうになったあと、会員制のクラブになだれこむ。
ふだんは居酒屋で、劇団員たちやダンサーさんと、ワイワイ騒ぐのが大好きなぼくが、現役女子大生のホステスさんと合コン気分でおしゃべりしてしまった。
ちょっと勝手がちがったので、実は少し調子が狂った。

脚本づくりになにか役にたつことがあるかといえば、銀座はやっぱりすごいってことが、わかったってことかなぁ。
新宿や六本木とは、道を歩いている人の雰囲気が、やっぱりちがう。
ホステスさんたちの、服装も微妙にちがう気がする。
なんかちがうんだよね。
なんなんだろう。
大人の街なんだな。
銀座は。

会話のスケッチをするには、絶好の場所だと思った。
ホステスさんと、会社の社長さんの会話。
ビジネスマンたちの、ひそひそ話。
夜の男たちの、立ち居振る舞い。
ここでしか聞こえてこない会話がある。

脚本家にとっては、あらゆる場所が取材の場であり、勉強の場になります。
こんな面白い仕事って他にないよ。

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2005年6月13日 (月)

会話のスケッチ実践

八王子の脚本教室の生徒さんたちが、会話のスケッチを実行してきて、披露してくれました。
前回の課題を、みなさんやってきてくれたんですね。
すごく面白かったです。

電車のなかの、年配の主婦の人たちの会話。
喫茶店の会話。
エレベーター内での会話。
そのほかにも、いきいきとした会話が収集されていました。

体感脚本講座では、この会話のスケッチを、収集してきた本人が、参加者たちの前に出て読んでもらいます。
そのときに注意するのは、会話だけを、一人芝居のように読むということ。
リズムと、間に注意して、できるだけその会話がなされていたときを再現するようにすること。
そうすることによって、会話を聞いているだけで、どんな人物なのかとか、どんな年齢なのかとか、状況も感じ取ることができるからです。

会話というものは、リズムや間やスピードを変えただけで、まったくちがった内容に聞こえたりします。
ですから、このことはすごく大事なんです。
一人で練習するときは、テープレコーダーとかに録音して、自分でも聞いてみるのもいいと思います。

そして、自分の書いたものを、人前で読むというのは、もう一つ、いい効果をもたらしてくれます。
自分の書いたセリフのどこに、聞いている人が反応するのかを、じかに感じることができるということです。
聞いている人は、思わぬところで笑ったりします。
共感が生まれるのです。
これを体験するというのが、作品づくりにの大きなモチベーションになってくれたりするんですね。

もちろん人前で、声にだして、自分の書いたものを読むというのには、かなりの勇気が必要です。
ましてや、いつも人前にでるのが苦手な人だったりすると、とくにね。
でも、勇気をもってこれをしたあとには、心地よいものがきっと流れます。

体感脚本講座では、ウォーミングアップをたくさんやっています。
勇気をだしてもらうためには、心と身体のウォーミングアップも大事なんです。

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2005年6月10日 (金)

体調と脚本

体感脚本講座は、順調に船出しました

昨日は、第2回目の体感脚本講座ライブでした。
参加者もあらたなメンバーが二人くわわり、新鮮な気持ちで物語作りを楽しみました。
みんなそれぞれの仕事をこなして、集まっているので、肉体的には全員ヘロヘロだったんですけど、いろんなゲームなどをしながら進めていくと、ついつい疲れも忘れて、笑い声があがったり、夢中になって叫んだりと、そんな脚本講座です。
今回は、キャラクターの設定と、状況設定によって、立ち上がってくるシーンというテーマでやりました。
きょうは、これから高校に演技レッスンに行かなければならず時間がないので、報告のみです。
そのあと、八王子での脚本講座。
脚本の仕事も、たまってきているので、そろそろスケジュールきついです。
でも、やるしかない。
自分で引き受けちゃったものは、しょうがないですもんね。
季節の変わり目は、体調を崩す人も出てきます。
みなさんも、体調には気をつけてくださいね。
いい脚本も、いい体調じゃないと書けませんよ。

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2005年6月 9日 (木)

追悼・菊地忠昭(団龍彦)

  作家の菊地忠昭(団龍彦)さんが亡くなった。
 お通夜にうかがわせてもらってきた。
 享年56歳。
 はやすぎますよ、菊地さん。

 菊地さんは、ダイナミックプロに所属して、企画を担当しながら、自分でも脚本や小説を書くといった多才なかただった。(過去形で書かなければならないのが、つらいです)
 漫画家、永井豪さんの右腕として、数々のヒットテレビアニメの企画立案にもかかわってきた。
 永井豪さんの最大な理解者であり、ブレインの一人だった。

 僕は、永井豪アニメの脚本を書いたことで、ダイナミックプロと知り合い、当時の社長の泰宇さん(豪さんのお兄さん)に呼ばれて、菊地さんと、僕をまじえた、三人で小説を書くということになった。
 作品は、『ゴッドマジンガー』(角川スニーカー文庫)。
 ぼくの作家生活のなかで、一つの作品を、3人の作家が続き物として書いていくという形式の共同作業をやったのははじめてだった。そして、いままで、他の作品でもこんなことはしたことがない。
 三人の作家の、それぞれの個性を尊重しながら、物語をつくっていくのは、とても楽しい作業だった。
 もう、それも二十一年前のことになる。
 菊地さんは、そのときに団龍彦というペンネームをつくり、それ以来、団龍彦として、40冊以上の小説を書いた。

 最初の出会いが、共同作業だったからか、菊地さんは僕に対して、とても仲良くしてくれた。
 兄貴分として、食事もおごってくれた。
 さまざまな小説やSF、ゲームについての造形がふかい菊地さんは、後輩の僕に、さりげないアドバイスをしてくれているようだった。
 最近は、年賀状のやりとりくらいになっていたが、菊地さんが元気に小説を書いているものとばかり思っていたのに、突然の訃報だった。

 菊地(団)さんが、これから書こうとしていた物語はなんだったんだろう。
 書かれなかった物語たちは、どこに行くんだろう。
 きっと、この世界には、書かれなかった物語たちが、行き場をなくして、たくさんさよまっているに違いない。
 僕たち、物語をつくる者は、これらの物語を見つけ出して、行き場を見つけてやるのが仕事だ。
 菊地さん、僕は、もう少しこの仕事をつづけます。
 ゆっくり休んでください。
 さようなら。

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2005年6月 8日 (水)

WE WILL ROCK YOU

 DSC00273 『WE WILL ROCK YOU』を見てきましたァ。
 新宿歌舞伎町コマスタジアムが、あの伝説のウェンブリースタシアムにかわりましたよ。
 すごく楽しかった。
 大満足です。

 クィーンが大好きで、楽曲もほとんど歌える僕にとっては、ズボッとはまるミュージカル。
 クィーンのライブを、みんなで楽しめれば、もうそれで最高。
 そういうミュージカルに、ちゃんとなってました。

 やられたっ感じです。
 はじまってから、終わりまで、もうノリノリで手拍子しながら歌ってました。
 音楽の力に脱帽。
 ビバ、クィーン!
 フレディ、ありがとう。
 ブライアン、まいりました。

 コマ劇場に来ているのは、オーストラリア版のキャストスタッフなので、ギャグとかもオーストラリアにちなんだものがちりばめられていて、なんとなくおおらかな感じだなって思ったのは、僕だけでしょうか。
 昨日のキャストは、プロの舞台は初めてという主役二人のコンビで、フレッシュな印象でした。
 新人でも、どうどうと主役をこなしているのが、うらやましいというか、すごいというか。
 とくに、メインをやった男優さんは、将来が期待。
 数年後には、ブロードウェイかハリウッドにいるかも。

 また見に行きたいと思った輸入ミュージカルは、もしかしたらはじめてかもしれません。
 はっきりいってストーリーもダンスも、今回は、僕の中では気にならず、ひたすらクィーンの曲と、ロックンロールへの愛がちりばめられたセリフを楽しんでました。

 このミュージカル、70年代に青春を送った人たちにとっては、最高のプレゼントかもしれません。
 そういえばちかごろ、アバの音楽をつかった『マンマミーア』とか、この作品とか、かつての名曲をフューチャリングしてミュージカルにする作品がふえましたね。
 その理由の一つに、ミュージカルのチケットが高額なので、それを払える観客層は、ある程度年齢が高いというのもあるのかも。

 DSC00272 あらゆる世代が楽しめるを目指すのは、エンターテイメントを作るものとしては当然のことだけど、最初から、それを目的とすると、焦点がぼけてしまうことがあります。
 まずは、自分が見たいものを作ること。
 脚本家ならば、自分が見たいものを、書くこと。
 それが一番大事なんです。
 自分が見たいものならば、他人も見たいと思うはずだという、信念をもって創作に向かいましょう。

 他の世代の人も、仮に理解はできなくても、作家が面白がっていることは、必ず感じてくれるはずですから。

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2005年6月 7日 (火)

寛斎さん

話したこともないけど、すごい人だなと思っている人がいる。
山本寛斎さん。
僕は、寛斎さんのデザインした服を着ているわけでも、彼のプロデュースするイベントを見たこともない。
個人的には、なんにもしらない。
ときどきテレビに出るので、顔を知っているだけだ。
でも、なんだか尊敬しているのだ。

それはなぜかというと、一方的によく会っているからだ。
それも午前六時という、きわめて特殊な時間に。

僕と寛斎さんが、夜明けの六時にほとんど毎日、密会していることは日本中の誰も知らない。(でもここに書いちゃたから、知られることになってしまうなぁ)
なんて書いたら、怒られますね。

ぼくは、この二十数年、都内にあるとある公園を、ほぼ毎朝散歩しています。
その公園で、ほとんど毎朝目撃する人が、この『世界の山本寛斎』なわけです。
朝の六時に、犬つれて、自転車で猛然と疾走している謎の男。
ときどきは、大声で何か叫んでいたりする。
そのテンションたるや、朝からすごい。
はなれていても、すぐに感じられるオーラを発しているのです。

はじめは『すごいおっさんがいるなァ』と思っていたのですが、この二十数年見続けてきて、その姿勢はまったく変わらず、体型もかわらず、あいかわらずエネルギーを発してるわけです。
それに刺激をうけて、おれも元気になるぞーと、密かに思ったりするわけですが、まだまだかないそうもありません。

こりゃもう、尊敬するしかないでしょう。

この公園では、いろんな人を目撃します。
元首相が、ゴルフクラブをかついで、ものすごい速さで歩いていたり、有名マラソンランナーがトイレでおしっこしていたりしました。
日本代表のジーコに遭遇したこともあります。
ジーコは、すれちがいざま、ぼくにむかって、何か叫びました。
ぼくは、神の声を記憶にとどめようとしたんですが、なにぶんポルトガル語がわからずじまいです。

寛斎さんとは、言葉をかわしたこともないのですが、その存在で多くのことを教えてもらっている気がします。
師匠と呼んでいいですか?

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2005年6月 6日 (月)

横浜夢座

  芝居を見てきました。IMGP2161
 横浜夢座『沢村春花一座奮闘記』(ランドマークホール)

 面白かったです。感動して、涙がでました。
 これは、まだ見てない人には、ぜひ見てもらいたいなぁ。
 ランドマークホールでは、水曜日まで。あと6月19日に、丸ビルホールでも公演があります。

 この横浜夢座というのは、女優の五大路子さんが中心となって、横浜の市民の方たちが立ち上げた演劇集団。
 毎年、新作の芝居を上演しつづけています。
 プロの女優と市民がつくりあげる演劇というのは、他の市民による劇団とは、一味ちがう集団。
 商業演劇とも、小劇場とも違う。
 横浜でなければ生まれなかった芝居を上演しているというのが特徴。

 どうして横浜まで、この芝居を見に行ってきたかというと、出演者の一人に、ポケモンのサトシ役をやってくれている、松本梨香が出演していたからです。
 彼女とは、『絶対無敵ライジンオー』で彼女が、仁という主役の声をやってくれた時から、もう十数年来のつきあいになります。IMGP2180

 この芝居のストーリーは、太平洋戦争末期、横浜大空襲の前日、大衆演劇の一座の小屋に、新劇の役者たちが転がりこむところからはじまります。
 新劇の役者たちは、反政府思想の持ち主『アカ』と疑われて、公安にマークされています。この大衆演劇一座の女座長が、義侠心から彼らをかくまい、一緒に芝居をつくりはじめる。そして、さまざま葛藤ののちに、一緒に芝居をすることになるのだが、その夜、大空襲がおきてしまう。その惨劇のなかで、彼らは、何をしたか。何を夢見たか。
 というのがだいたいのあらすじです。

 全編に、芝居に対する愛情があふれていて、同じ芝居を愛するものとして、すごく共感するところがありました。

 東京大空襲で、約9万人、そして横浜大空襲でも8千人以上の人が亡くなったという、悲惨な歴史をあらためて知り、戦争に対する認識の浅さを恥じました。
 もちろん原爆の被害の大きさは誰しもが知っていることですが、それ以外の空襲でも、多くの市民の方たちが亡くなっているんですね。

 市民をまきこむ戦争。これの生み出す悲劇は、いまもつづいています。
 悲劇は、物語のなかだけで十分です。
 現実の世界での悲劇を少なくするためにも、もっと物語の悲劇はあっていいのだと思いました。

 物語のなかで、悲劇を体験することで、現実の悲劇を回避できたり、それがもし起きたときの対応力をつけることができるのだと思います。
 脚本家は、もっと悲劇の効用を考えなければならないのです。

 戦争物の芝居を見るのは、実はあまり好きではないのですが、ドラマとして考える場合、戦争って、最大級のトラブルなんですよね。
 物語作りに、トラブルは、必要なもの。
 ぼくたち脚本家は、戦争までも、ドラマのネタに使っちゃうんです。

 でも戦争は、あくまでもドラマのなかだから許されること。
 現実の戦争は、もうたくさんです。

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2005年6月 5日 (日)

消えたメモ帳

  ヒーッ、八王子の帰りに、メモ帳が消えてしまいました。
 ショックです。
 どっかに落としたんですね。
 あー、なんか大事なことを書いていたような気がする。
 忘れちゃいけないこと書いていた気がする。
 ショボンです。

 『ネタ帳のススメ』ってタイトルで、ブログ書いたような気がしますが、脚本家にとってはネタ帳は命とも言って過言ではありません。
 まさに、そこにメシの種があるわけですから。IMGP2160

 バインダーノートのネタ帳は、けっこうかさばるので、ふだんはコンビニで100円くらいで売ってる小さなメモ帳をポッケに入れておいて、それにチョコチョコ思いついたものを書いてます。
 まとまったときに書き写したりしようと思っていたのですが、その前に、メモ帳が消えてしまったわけです。

 パソコンのデータなどは、わりと簡単にバックアップがとれるけど、メモ帳に直筆で書いたやつは、そう簡単に写すのってできないですよね。めんどうだし。
 なんとかいい方法がないものか。
 まぁ、落とさなきゃいいってことなんですけど。

 思い出せないようなことは、しょせん大事なことじゃなかったんだ。
 そう自分に言い聞かせてなぐさせました。
 でも、僕ッて大事なことでも、すぐにポカッと忘れてしまう、かなりヤバイ脳味噌なんだった。
 ほんとに忘れっぽいんです。
 いずれ確実にボケるんでしょう。
 大事なこと、あったかもしれないなぁ。

 忘れることも、人間にとっては大きな能力の一つ。
 そう誰かが言っていました。

 たしかにそう。
 忘れることも、能力なんだ。
 そう思えば、メモ帳落とすのも、一つの能力?

 無理やりこじつければ、落とし物も、一つの能力なんでしょう。
 メモ帳を落とすことで、今回のコメント書けたんですから。
 おお、そう思えば、すごい能力だ。

 自ら事件(トラブル)を引き起こして、ドラマを作り出すわけですからね。
 脚本家としては、かなりいい能力といえるでしょう。

 そういえば、脚本講座の生徒さんたちに、思いつくトラブルを書いてもらったとき、『財布を落とす』というのが、けっこうありました。
 もしかしたら、みんな『落とす』という能力を備えてるのかもしれませんね。

 脚本家の訓練として、ドラマのネタが思いつかないときは、とりあえず『何か落としてみる』のもいいかもしれません。
 そこから何が起きるのか?
 落とすエネルギーが、何に変わっていくのか、それを観察してみましょう。
 いいアイディアが思いつくかも。

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2005年6月 4日 (土)

八王子開講

体感脚本講座を、八王子でもやってきました。
s_001 八王子市は、新宿から電車で約50分の大都会。
実は初めての町だったので、興味津々で、少し余裕をもって向かいました。
駅前の商店街の道が広くて、歩きやすく、いい雰囲気。
大好きになりました。

この脚本講座は、八王子市の財団が主宰。
市民の方が応募してきたもの。
年齢も職業も性別もさまざまで、バラエティにとんだみなさんが集まりました。
30人も。ワオッ!
脚本を見たこともない人から、舞台の脚本を書いたことがある人、映像のシナリオを書いている人まで、個人レベルもすごく幅広い。
どの人にも、楽しく、参考になる講座にするべく、自然と僕のテンションもあがります。s_005

いったい、ここからどんな物語が生まれるのか。
それを思うと、もうワクワクしてきます。
生まれてくる物語に立ち会いたい。
これは、僕の最大の楽しみです。

子供の時から、図書館の本を毎日読むのが、日課でした。
いまは、僕をとりまくこの世界が図書館。
世界という図書館では、新しい物語が、つぎつぎと生まれてきます。
それを読むだけじゃなく、誕生に立ち会えるんですから。

講座の一回目のメニューは、体感脚本講座ライブ版で、リハーサル済。
それどころか、改良を加えていくので、さらにバージョンアップしています。

はじめて出会う人たちが30人もいるというのに、あっというまに、わきあいあい。
くつろいで、物語作りをたのしめる、とてもいい雰囲気のいい場所をつくりだすことができました。(ちょっと自画自賛です)
たぶん、みなさん物語作りの楽しさを体感して帰ってもらえたのではと思います。
このなかから、すごく面白い作品や、作家が誕生したらと思うと、うれしくなってきます。
さぁ、どうなるか。
未来が見たい。
結末がしりたい。
ドラマは、もうはじまってるんですね。
ウヒヒヒ。

昨日は、朝から晩まで、また22時間。(2時間のびてる)
ジャッキー・バウワーな一日でした。

6時起きで、原稿書いて。10時から3時まで学校で演劇の指導。4時から5時まで、ゲルマニウム温浴でのぼせて、6時から10時まで体感脚本講座。それからサッカーの日本代表のテレビ応援。終了は4時近く。
移動の距離も、八王子までだから往復二時間あり、『24』のジャックの移動が、以上に早いのをいまさらながらにうらやみました。
2時間も移動してたんじゃ、事件終わっちゃうよなぁ。どうよ『24』。

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2005年6月 3日 (金)

ついにスタート

 昨夜、ついに体感脚本講座ライブ、はじまりました。
 一回目は、参加予定していた4名が欠席だったので、半分の4名でスタートです。
 しかし、ある意味、理想的な人数。
 一人一人とコミュニケーションをとりながら、みっちりやれました。
 その内容を、紹介します。

 まずは、心と体のウォーミングアップ。
 お互いのコミューケーションを取りながら、名前をおぼえます。
 いくつかのトラスト系のゲームをやって、一つになりました。

 簡単に即興で物語をつくる楽しみをわかってもらえるゲームをやって、リラックスしながら、このレッスンをやれる状態にしていきます。

 一時間、ウォーミングアップが終わったら、次は、物語の作り方講座。
 このブログでも書いた主人公のつくりかたにつづいて、トラブルをつくることを、全員でやる。
 じっさいに、みるみるストーリーが立ち上がるのを体感してもらいます。

 そのあとは、いよいよ実作。
 30秒で、主人公の名前を決めます。
 次の1分で、主人公の状態。
 次の2分で、主人公の弱点を決めます。
 次の2分で、主人公にふりかかるトラブルをつくります。

 トータル、5分30秒。
 各自、一本ずつのストーリーのタネができあがります。

 そしてそれを、全員の前で発表します。
 ウォーミングアップがちゃんとできているので、発表するときに緊張することはありません。
 なんでもこの場所で言っていいんだということができているからです。

 つぎに発表したストーリーのタネにかんして、参加者が感想をのべます。
 どこに自分の心が動いたか。
 このときに注意しなければならないのは、他人のストーリーのアイディアにかんして、批評はしないということ。
 批評やネガティブな感想は、作り手のエネルギーにマイナスの影響をおよぼしてしまう可能性があるからです。
 あくまでもアイディアを聞いて、心が反応したところだけをいいます。
 これは、作り手(作家)が聞く、観客(読者)の最初のリアクションになります。

 リアクションを受けることで、作家の心もまた動きだします。
 自分の思いもしなかった方向に、動きだすこともあるし、自分でも気づいていなかった、物語の方向性を見いだすこともあります。
 他人との共同作業(物語の共有)が、ここにはじまるわけです。

 脚本は、多くの人たちが物語を共有するための設計図です。
 その設計図も、共同作業(協力)でつくられるんです。

 この作業は、作家にとって新たな体験になるということを、僕は発見しました。
 なにを発見したかは、またいずれ発表したいと思います。

 みのり多い、第一回は、笑顔のうちに終わりました。
 そのあとみんなで韓国料理を食べました。
 マッコリ、サムゲタン、トッポギ、などなど、うまかったよ。

 食べられなかったみなさん、残念!

 昨日は、一日で、テレビの原稿書いて、マイムのレッスンして、脚本会議して、マッサージ受けて、体感脚本講座するという、めまぐるしい一日でした。
 AM5時から、翌日のAM1時まで。
 20時間。
 まるでジャック・バウワーのような、ジャキー・ソノダでした。

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2005年6月 2日 (木)

開講

  きょうは、かなり忙しい。
 いまも打ち合わせに間に合うように、原稿を必死で書いてる真っ最中。
 どうやったら面白くなるのか、そればっかり考えてます。
 脚本家って、そういう仕事です。

 原稿あげて、マイムのレッスンにいって、そのあと脚本打ち合わせ。
 他の脚本家の人たちとの顔合わせもかねています。
 テレビシリーズの場合、スケジュールの関係で、一人で脚本をかかずに、何人かの脚本家に各話を発注します。
 これからそれをしなくちゃいけないんです。

 そのあとが、ついに体感脚本講座の開講。
 記念すべき、一回目。

 そういう事情なので、ブログは短めです。
 内容的にも、あんまり参考になるところなさそうですね。
 脚本家は、他の脚本家の台本を直さなければならないこともあるってことがわかったくらいか。

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2005年6月 1日 (水)

勇気を持ってジャンプ

 体感脚本講座ライブ版、開講まで、あと一日です。
 明日は、勇敢な七人の仲間が、渋谷に集結します。
 定員二十名とか、最初に書いておいたけど、いまのところ七名の参加です。
 ある意味理想的な人数かもしれません。
 あの有名な黒沢映画も、七人のサムライでしたしね。

 十数年前にも、一度『ローリング・ドラマ・ツアー』と称して、脚本家志望者をあつめて、毎週一回脚本の指導をしたことがあります。
 そのとき集まったメンバーも、やはり七人くらいでした。
 そのうち四人はプロの脚本家になり、一人は小説家、あとの二人はジャーナリストとして雑誌などで活躍してます。
 いまでは、みんな僕よりも活躍してます。

 そのときは、僕も若かったので、相当厳しい感じでやってました。
 脚本家になりたいんだったら、まずは劇団の手伝いからやんなきゃだめ。
 なんてかんじで、劇団に参加してもらって、役者やらせたり、制作やらせたり、雑用いいつけたり。
 でも、それの本当の目的は、劇団のなかで人間とぶつかりあいながら、ドラマのことを体験的に学んでいくのが、もっとも劇作について覚えるには効果的だと僕が思っていたからです。

 そのこころみは成功だったと思っています。

 今回は、劇団をやるという状況ではないので、まったく違うこころみになります。
 ぼくも、この十数年で変わったと思うし、少しは進化しています。

 いろいろと試したいこともあるので、彼らを実験台にして、やってもらうおうと思っています。

 でも、本当のことを言うと、実はもう始まってるんだよね。
 こんどの体感脚本講座に参加するメンバーの何人かは、すでに僕のまわりで動きはじめているものに巻き込まれ、一緒に体験しなゃならなくなっています。

 そのなかで、いろんなことを感じ、自分で見つけていくこと。
 それこそが、体感脚本講座の神髄なんです。

 体験することを恐れないでください。
 勇気を持って、飛びこんでいくこと。
 ジャンプ・ウィズ・カレッジ。

 それが合い言葉。

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2005年5月31日 (火)

『塔』
  芝居を見てきた。
『塔』(フラジャイル)。
 作家も知り合い。七人の出演者のうち、三人が友達という、まるで身内のようなカンパニー。
 作家の小里清は、若手の有望株で、演劇界では注目されている。
 だが、今回の芝居は、テーマが立ちすぎで、メタファーらしきものが多すぎて、ぼくにはあまり楽しめなかった。
 やりたかったことは、なんとなくわかるのだが、芝居に入っていきずらく、結局、感動もできなかった。
 見ている僕の心は、ちっとも動かなかったのだ。
 理解しようとする気持ちのほうが先立って、芝居の中に入ることができなかった。

 芝居を見ているとき、そんな状態になると、二時間の上演時間がやたら長くかんじられる。
 アゴラ劇場の椅子は、けっしていい状態ではなく、尻と背中が痛くなる。
 観客を苦しめるための実験ではないかとさえ思えてくる。
 今回、観客が演技エリアを取り巻く、かこみ座席になっていたのだが、不自然な角度で芝居を見なければならなかった観客がたくさんいた。彼らが、背中を痛めていないことを祈るのみ。

 面白く、観客が一体となって芝居に入り込める内容ならば、背中の痛みなど忘れてしまうのだが、今回は、どうもそうはならなかった。

 原因はなんだろうかと考えてみる。
 芝居に入っていけないということは、まず第一にチェックすべきポイントは、導入部だろう。

 冒頭、塔のてっぺんの、巨大な滑車が中央に鎮座する部屋に、気球に乗った女が、窓の外に現れる。
 窓の外というのが、舞台の奥にあり、ほとんど見えないのだ。
 見える人もいたとは思うけど、向こう側でなにやってるのかは、わかりずらかったと思う。
 見えない時間が、ちょっと長すぎた。
 もちろん観客は、劇のはじまりは、ものすごく好意的だ。なにがはじまるんだろう、なにがはじまるんだろう、どこにつれていってくれるんだろうと、ワクワク期待しながら見てくれているので、多少冒頭に無茶やっても許される。
 だが、この脚本講座では、何度もいっているように、『つかんでるかい?』これは、やらなきゃならないこと。
 ファーストシーンが、観客をつかんでるかどうか。これ大事ね。

 そこに舞台の床から、うすぎたない髭面の男が床をパコリとあけて現れて、疲れ果てて水を飲む。
 女が、窓を開けてと頼むところから、芝居がはじまる。
 ここまでが、ちょっと長かった。

 そのファーストシーンにつづく芝居が、またつかみそこねていた。
 セリフだけを聞いていると、コメディ的に、笑えそうなやりとりがつづくのだが、観客は、まったく笑わない。
 面白いシーンのはずなのだが、なんだか深刻に見えてしまう。
 これもやはり、冒頭部分としては、大きな問題だろう。

 演出家(作家でもある)は、ここをどうしたかったのだろうかと思う。
 観客をよりつかみたかったのならば、ちゃんと笑えるようにして、舞台の登場人物にもっと近寄らせてほしかった。
 でも、笑えるようにつくるって、ほんと難しいのは、僕もよくわかってます。
 俳優のその日の状態とかでも、大きくかわってくるからです。
 
 この芝居、最終的には、深刻なテーマが浮き上がってくるので、冒頭はとにかく、笑いから入ってほしかった。
 たぶん作家は、書いてるときは、それを意識していたはずだから、それがうまくいかなかったということなんだろう。

 導入部にかんしては、いちばんわかりやすいので、書きました。
 だが、日本の諺に『おわりよければ、すべてよし』というのがあるように、最後が、もりあがれば、途中のだめだったところとか、忘れてしまうものなんですが、今回の芝居は、僕には展開が予想できて、予想通りすぎて、驚きが少なく、クライマックスに、感情的な盛り上がりが欠けていたように思えた。

 でも、こういう結果になったのは、やはり冒頭部分に原因があると思います。
 主人公の、女(飛行船でたどりついた)に、ちゃーんと観客がよりそうようにしてやっていれば、よかったんです。
 それが、そうはなってなかった。
 他の登場人物の比重が多くなっていて、この主人公の比重が抑えられていた気がします。

 今日、このブログで書いたことは、作家に直接いえばいいことなのかもしれません。
 小里くんは、知り合いだけど、作品について僕が批評をするという関係性まではつくれてないので、昨日は、ただ握手をして帰ってきました。
 やはり、厳しい批評は、いいずらいもんです。
 もちろん、作品の正直な感想を抱くのは、観客の権利ではあるんだけど、自分のいうことが、相手にとってあんまりいい気持ちになるものではないと思うと、ついためらったりしてしまいます。

 やはり言いたいことを、はっきり言えるというのは、そういうことができる人間同士の関係性ができてからです。

 ライブ版の体感脚本講座では、お互いに批評が、正直に言えるような人間関係づくりからはじめたいと思います。
 人間の関係性こそ、脚本を書く上でも、もっとも大事なとこですしね。

 今回は、ちょっと厳しい意見ばっかりになってしまいました。
 あくまでも、僕の私的な感想で、他の人は、どう感じていたかはわかりません。

 百人の人がいれば、百の感じ方があります。
 劇場は超満員。
 あれだけの人が、雨の中、キャンセル待ちまでして、芝居を見るために駆けつけるのだから、きっとすごくいい作品だったのかもしれません。(ちなみに、僕は、キャンセル待ち)
 芝居のよさは、その場にいた人にしか、本当のことはわからないってことです。
 できはいまいちだったとか書いたけど、これだけの文章を僕に書かせてしまったということは、少なくともそれだけのエネルギーを僕がもらったということ。
 それが反発エネルギーだとしてもね。

 筋肉も、強くなるためには、プレッシャーを受けて、筋細胞が傷つかなければならないといいます。
 それは、心も同じなのかもしれません。
 傷ついたぶんだけ、強くなれる。
 なんだか、歌謡曲の歌詞みたい。

 脚本家にとっては、完璧な仕事の作品を見るよりも、自分だったら、こうするんだけど、というような作品を見て、いろんな感想を抱くのが、一番の修行になるのかもしれません。
 みなさん、失望を恐れずに、たくさん芝居を見てください。
 失望も、力になるのよ。

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2005年5月30日 (月)

クラウン・エフェクト

クラウン・エフェクト

  な、なんと! パーティのショーの出し物に出演した。
 パリからやってきたパントマイムの芸人親子『ジャン&ルイ』という設定。
 僕はは、親父のジャン。ルイ役は、渡猛くん。

 おまえ、パントマイムできるのかって?
 あたりまえじゃないですか。
 レッスン5回も受けてるんですぞ。
 はっきりいって、壁しかできません。

 それが、いきなりショーをやるなんて。
 しかもリハーサルもなしで。
 無謀といえば、無謀だけど、猛くんがうまいので、なんとかやれると思い挑戦することにしました。

 僕は一応、プロの脚本家なので、自分がドヘタでもばれないのような構成台本を書き上げて、本番前に、ちょこっと打ち合わせ。
 笑いのネタをいくつかしこんで、本番へ。

 顔は、白塗りの、ニセクラウン。
 シャツは、ボーダー。パンツは、ぴちっとしたダンサー物。

 ところが不思議なことがおきたんです。
 僕が、クラウンの格好で出ていったとたん、観客の視線はこの異質な人物にくぎづけ。
 何をしても、好意的な目線で見てくれているのが、はっきりわかりました。

 おお、これぞクラウン(道化)効果。
 クラウン・エフェクト。(僕がいま名付けました)

 お客さんは、僕を園田英樹としてではなく、どこからかあらわれた一人の謎のクラウンというキャラクターで見てくれているのです。
 そこに、園田は存在せず。
 一人の、道化者のクラウンがいたのです。

 クラウンは受け入れられている。
 そう思ったら、もう恐怖はなくなっていました。
 あとは、人前でビビッているクラウンの気持ちのまま、必死で行動するだけ。
 クラウンは、ドジで、ビビリで、おろかしいことばかりする存在。
 だから、ドヘタのマイムでも、ぜんぜんオッケイなわけです。
 かえって本当のクラウンだったら、それがうまいマイムなんかできないほうが当然かもしれません。

 そういうことだったのか。
 目からうろこでした。

 クラウンは、あまり言葉をしゃべりません。
 だから言葉をつかわずに、なんとか客とコミュニケーションをとるためには、なんとかお客に近づかなければなりません。ぼくは、そのことに集中したせいで。へたなマイムをしなければならないという恐怖からも解放されていました。

 即興のマイムショーという、とんでもない挑戦でしたが、僕的には大成功だったと思いました。
 お客さんたちの反応も、なかなかよくて、爆笑、爆笑。
 短いショーのなかに、いろんな気づきをさせてくれる、密度のこいものになりました。

 今日のブログは、脚本講座とはあまり関係ない内容になりました。
 このところちょっとブログを見てくれる人が減ってしまいました。
 やはり、連続物で、けっこう専門的なことを書いたのが原因だったのかなぁ。
 テレビ番組でも、連続物だと、視聴率が落ち込んでしまうことがあります。
 それは、やはりその内容が引き延ばしだったりするとき。

 よく一話完結で書いてくれとの依頼を受けます。
 一話完結とは、たとえ続き物のシリーズでも、その回のストーリーは終わらせるということ。
 これからは、できるだけ一話完結で書いていくつもりです。

 さて、ライブ版、の体感脚本講座スタートまで、あと三日になりました。
 まだ参戦できますよ。

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2005年5月29日 (日)

ダンスイベント

タップをはじめてから、ダンサーの知り合いがふえた。
  踊る人たち。
 実は、ずっとこの踊る人たちの気持ちが、わからずにいたんだ。

 子供のときから、踊るのは苦手だった。
 幼稚園のお遊戯会では、蜜蜂のダンスをやらされた。
 ベアの踊りだったのに、おれの相手役だけ、男の子だった。

 町の盆踊りでは、はなれて見ているばかりだった。
 おふくろが踊るのを、照れながら見ていた。

 中学の時のフォークダンスは、好きな子と手をつなげず、がっかりだった。

 高校、大学と、ディスコブーム真っ只中の時代だったにもかかわらず、自分はその輪の中に入っていけなかった。
 ディスコにいく友達を横目で見ながら、ダンスよりも、ナンパが目的なんだろうと、冷やかな態度をしていた。

 今思えば、本当は、自分も踊りたい、輪のなかに入っていきたと心の奥では思っていても、それを表に出すのが恥ずかしくて、わざとみないふりをしていたんだと気づく。

 自我がじゃまして、自分の心の欲求のままに、踊るのを止めていた。
 自分は、本当はずっと踊りたかったんだと、今なら言える。

 最近になってわかったことがある。
 ぼくは、多動症の子供だった。
 程度の差はあるだろうが、あきらかにADHDってやつだ。
 知的障害はともなっていないので、わかりずらいADHDだっただろうと思う。

 幼稚園のときに、あまりにも動きすぎるということで、椅子に足をしばられてご飯を食べていたという、悲惨な思い出がある。
 いまでも、それをはっきりと覚えているということは、よほどの心的ストレスをそのとき感じたにちがいない。
 幼児体験とは、なかなか根深いものである。
 おそらくそのころからの深い抑制意識が、踊りの楽しさに、身をまかせることに対しての恐怖を抱かせたにちがいない。

 ぼくは、踊るのが、怖かったのだ。
 本来の自分が解放されるのを、ためらっていたのだ。
 それに気づくのに四十年かかった。

 いまなら踊る人の気持ちが、少しはわかる。
 踊りは楽しい。
 体のなかには、リズムがあり、それが命とつながっているのがわかる。
 リズムが命だ。
 それを表に出したとき、人は真に解放される。

 タップ仲間の誘いで、ダンスのクラブイベントに行ってきた。
 こういうイベントにいくのは、生まれてはじめて。
 ディスコブームのときに、青春まっさかりを過ごしていたにもかかわらず、ディスコには2回しかいったことがなかったんだから。
 ましてやヒップホップダンサーが、ステージで踊るイベントなんて、自分の生活の範疇にはなかった。
 でも、誘われたときが、その殻を破るチャンスと思い、いそいそと出かけたよ。

 ついつい脚本家家業にしみついた癖で、やはりここでも人間観察。
 いやー、面白かったなぁ。
 いろんな人がいるもんです。

 今回は、たっぷりとダンサー人種を見させていただきました。
 写真をとりたかったけど、撮影機材持ち込み禁止だったので、断念。
 みなさんも、ぜひ普段自分のいかない場所にいってみてください。
 海外旅行の時みたいに、新鮮な気持ちになれますよ。

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2005年5月28日 (土)

脚本の極意5回目

脚本の極意5回目

  14001050 昨日は、締め切りだというのに、高校での授業もやらなければならず、かなり焦った。
 でも、人は目の前で起こることに、フォーカスを当てて生きるしかないのです。
 まだ書けていない原稿を置き去りにして、高校生たちの待つ稽古場に向かったのでした。

 僕が、必死の思いで稽古場に来ているというのに、生徒たちは、半分ほどしか集まっていない。
 これが劇団の稽古場だったら、とんでもないことなんだけど、まだまだ高校生、そのあたりの意識はかなり低いです。
 中学などで不登校とかやってた子が多いせいもあるけど、授業をさぼるということに抵抗がないんですね。
 演劇の稽古といえども、高校の授業の一環なので、まだ授業に出るっていう意識なわけ。
 だから、平気でさぼってしまう。
 このあたりの意識を、なんとか変えようと毎年がんばるんだけど、それがなんとか変わったころで卒業ってことになっちゃうんだよね。

 しかし、ここでこっちがイライラしたら、ここで終わりになっちゃうんで、僕はじっくりと耐えて待つことを覚えました。
 相手が、こちらの言葉を受け入れる準備ができるのを、待つんです。
 けっしてあきらめず。

 高校で演劇を教えるようになって、もう5年目だけど、僕のほうがずいぶん学んでいる気がします。

 anh3 さて、四回にわたってつづけてきた『スターウォーズの第一作』を題材につかっての、脚本極意講座ですが、いよいよ最終回です。(この体感脚本講座の最終回じゃないよ。あくまでも、このシリーズ)
 今回は、クライマックスの部分の分析と解説です。
 さぁ、いってみましょう。

 いままでの部分が、舞台の脚本でいうところの一幕と、二幕としたら、ここからが第三幕になります。

 全体の起承転結でいうところの、『転』の部分。
 この中にも、小さな起承転結があります。

○オビワンが死んだと思っておちこむルークをなぐさめるレイア。

○そこに追手がくる。(トラブル)空中戦になる。

○ハンソロとルーク、大活躍で、敵機を打ち落としていく。(爽快感の提示)
 チューを毛嫌いしていたレイアも、思わず抱き合ってしまったりする。
 オビワンの死という暗い場面のあとに、空中戦闘に勝つという爽快感のある場面を持ってくるあたり、脚本の構成が見事です。
 脚本家は、観客の心理を見事にコントロールしていると言えるでしょう。

112分
○レイア姫の救出作戦は成功したと思ったが、実は、敵はわざと逃がしたのだった。
 しかし、レイアは、それを読んでいた。
(レイアのキャラの立て方が見事。ただのおてんばキャラではなく、姫としての知性もあるいということろをちゃんと見せている)

○ハンソロとレイアは喧嘩するが、お互い、引かれあっていくのが、観客にはわかる。
 ここで、ルークとレイアとハンソロの三角関係の成立。(トラブル)

○反乱軍基地に到着するファルコン号

○R2から、デススターの情報を取り出す、反乱軍。
 しかし、デススターは、基地を発見していた。(トラブル)

○反乱軍は、小型飛行機で、敵の弱点を突くという作戦を立てる。

○デススターが、反乱軍の基地に迫ってくる。

anh12 ○ルークは、反乱軍のパイロットに加わって、攻撃に参加することにする。
 (主人公が、自分の意志をはっきりと見せて、変化を見せていることに気づいてください)

 ハンソロは、金を受け取ったら、オサラバという感じ。しかし、なんとなく釈然としていない。

○ベンがいてくれたらと落ち込むルークに、またレイアがキスをしてくれる
 落ち込んだ男の子が、女の子のはげましで元気をとりもどすのは、万国共通の行動原理ですね。(わかりやすい性格の主人公)

○ここで、ビッグスというパイロットと再会するが、そのまえふりは、まったくないので、なにかルークに関してのエピソードがカットされているということが推測できる。
 (ルークが辺境地域では優秀なパイロットだったということの説明にはなっているが、そのためだけかもしれない!? 脚本では書かれていたが、フィルムになったときにそのシーンがなくなっているということは、よくあります。演出上の理由とか、いろんな理由です)

○ルークには、オビワンの声が聞こえる。
 しかし、どういう理由で、そういう現象がおきているのか、物語の展開が急転直下なので、そういうところは観客は気にならなくなっている。
 (最大のトラブルを切り抜けるために、登場人物たちが必死に動けば、観客は、もうそれについていくしかないって感じになってしまうわけです)

○デススターへの攻撃開始。敵も小型機で応戦してくる。

○この3幕の中での、『転』の部分に入っていきます。つまり、クライマックス。

anh16 ○空中戦の連続。(いわゆる見せ場です)
 やられていく反乱軍のパイロット。

○デススターの攻撃まであと数分。(トラブル。タイムサスペンス)
 (タイムサスペンスというのは、エンターテイメントの脚本では、よく使います。みんなサスペンスが大好きなんです)

○反乱軍の攻撃機は、ダースベイダーたちに、次々にやられていく。(トラブル)

脚本極意12……クライマックスでは主人公を徹底的においつめること。
 いったい、どうなるんだと、観客に思わせることができれば大成功。主人公が最大のピンチを切り抜けた時、観客は、主人公といっしょに、カタルシス(解放感)を得ることができるのです。

○ついにルーク一機だけとなる。
 フォースをつかえととの、オビワンの声が聞こえる。
 機械に頼らず、自分の力で、切り抜けようとするルーク。
 ここも、大きなプロットポイントの一つですね。
 R2もやられてしまう。(トラブル)

○デススターの射程に入り、時間がなくなる。(究極のピンチ)

○そこに、ハンソロが現れて、ベイダーを追いやってくれる。
 (ハンソロのおいしいところ取り)
 ダースベイダーは脱出していっているので、次の物語への、引きになっている。

○ぎりぎりのところで、デススターの爆破に成功するルーク。
 宇宙に花火があがって、カタルシス(解放感)を得る。

ここからが、全体の起承転結の『結』です。
○基地に戻るルークを迎えるレイア姫。そこにハンソロもきて、三人抱き合う。

anh5 ○表彰式
 絵に描いたようにハッピーエンドだね。故障していたR2のピカピカに直っています。

脚本極意13……エンディングは、気持ちよく。あー、よかったと観客に思わせること。終わりよければ、すべてよし。

○脚本上達のためのチェックポイント

 この物語を通じて、主人公は、何を得たか?
 何が変わったかを、考えてみてください。

 成長。友。恋。メダル。称賛。仲間。
 そんなものを、主人公が得ていることがわかりますね。
 主人公は、物語の最初と最後で、どう変わっていたでしょうか?

 こんな感じで、いくつかヒット作品を分析してみてください。
 それだけで、あなたの脚本術は、グーンと上がるはずです。
 やはり、なんでも自分で体験し、発見したことにまさるものはありません。
 体験してください。
 そして、感じてください。

 それこそが、体感脚本講座の極意なのだ。
 ヌーン。

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2005年5月27日 (金)

脚本の極意4回目

脚本の極意4回目12801024

  ウワー、大変だぁ。
 トラブルだぁ。
 トラブルをいかにつくれるかが、脚本のおもしろさだって、いい過ぎたのかも。
 って、脚本家にとって最大のトラブルは、締め切りでしょう。
 それさえクリアできゃば、おれは成長できるのだぁ。
 クライマックスを迎えることができるのだぁ。
 そんなことを、ブツブツいいながら、焦ってます。

 そんなときに限って、予定がはいっていたりして、ドタバタしてます。
 昨日は、芝居を見に行く約束を、仕事していてど忘れしていて、劇場に遅れていくという失態を演じてしまいました。

 でも見た芝居は、当たり!
 脚本家仲間の、土屋くんが、脚本演出の『円』の舞台。
 『梅津さんの穴を埋める』(円スタジオ)
 おもしろかったです。
 29日までやっているので、みなさんぜひ見に行ってあげてください。
 円の役者さんは、声優さんとかやっている人も多いので、アニメとかたくさんやってる、ぼくとしては何となく親近感がありました。

 で、昨日につづいて、『脚本の極意4回目』でーす。
スターウォーズの第一作の分析と解説だよ。

経過時間47分(テレビの特別編をもとにしてます)
○悪の巣窟といわれる港町に行くルークたち。
 テレビで放送された特別編では、この宇宙港町の点描風景は、あとから追加されたもの。
 CGの技術が27年前の製作当時にはまだ未熟だったわけ。
 今は、いろんなことができるようになった。監督のイメージを忠実に再現するのに、CGはすごく便利。

○なんで、港にいくのかの理由が、このテレビ版では、抜けてしまっていた。
 宇宙に旅立つために、船とパイロットを探しにいったはず。

○酒場で、オビワンのすごさを紹介。anh18

極意その10……映画は、映像で説明するメディア。キャラクターの説明は、セリフではなく、行動で見せること。ここでは、老人がライトセーバーで悪人を切って捨てるという意外性を使っています。

52分30秒
○ハンソロ登場
 金のために動く、自由きままな凄腕パイロット。
 いわゆるアウトローキャラ。
 ジャバザハットに賞金をかけられて、命を狙われているというところを、西部劇風のパターンで紹介。(ハンソロのトラブル)
 サブキャラ作りの極意を思いだしてください。

○ソロとジャバのシーン(ハンソロのトラブル)
 ここは、テレビ版で追加されているもの。
 ジャバをCGでつくり、合成している。
 このあたり、ちょっとたるいのは、そのせい。監督は、新しい技術を使ってみたかったんだと思う。

60分
○ハンソロの船で飛び立つルークたち。
帝国軍は、R2を追っていて、攻撃してくる。(トラブル)

63、50秒
○帝国軍の戦艦に追いかけられるハンソロの船。(トラブル)
 しかし、ハイパースペースに逃げ込む。

64、40
images2 ○デススター登場(真打ち登場って感じ。ためにためて、いよいよ出てくる、大物悪役ってとこだね。)
 ダースベイダーのバックにいる、黒幕ターキー総督。
 見せしめに、オルデラン星をデススターで破壊すると宣言する。
 大ボスの力のすごさを観客に見せておく。(最大のトラブル)
(敵が強ければ強いほど、それを倒した時に、ヒーローは輝くことができるのである。これは、プロレスの演出でも、よく使われてますな)

○宇宙船で、目的地オルデランに向うルーク、ハンソロ、オビワンたち。
 ルークとハンソロは対立する。(葛藤、トラブル)
 ルークは、フォースの練習をして、その才能の片鱗を見せる。
 ハンパースペースを抜けて、オルデランが破壊されていることを知る。
 デススターと遭遇して、主人公たちは、敵の大きさを知る。
 デススターに、とらえられてしまう、ミレニアム号。(トラブル)
 レイア姫を処刑しようとしていた、総督とダースベイダーは、姫にまだ使い道があると判断する。(トラブル)

76分30秒
○船に隠れているルークたち。(トロイの木馬作戦!?)
 ダースベイダーは、長い間忘れていた何かを感じると言う。(次の作品へのふりですね。実は、ダースベイダーは、ルークの父親だったという事実が次回作でわかるわけだから)

79、30
anh10 ○作戦成功。デススターの制御室に入り込むことに成功。
 オビワンと別行動することになる。トラクタービームの電源を破壊に向かう、オビワン。
 ルークは、R2を守って、反乱軍にとどける目的を優先。

○対立するルークとハンソロ(葛藤)
 R2がレイア姫がいることをつきとめる。
 一目惚れしている、ルークは、すぐに助けにいこうとするが、ハンソロは関係ないと断る。(トラブル)
 ハンソロを金でつって力をかすようにしむけるルーク。

 ここにも、大きなプロットポイントがあります。
 今まで、自分の意志では行動していなかったルークが、はじめて、自分の意志だけで行動を開始します。(姫を助けに行くという自発的行動)
 ここをさかいに、前半のルークと、後半のルークとは大きく変わっていくわけです。

極意その11……主人公は、自らの意志で、事件を解決に導かねばならない。

83分
anh14 ○チューバッカを捕まえたふりして、姫のもとにいそぐ、ルークとハン。
 喧嘩しながらも、同じ目的のために突き進むという、いわゆるバディ物のバターン。
 しかし、敵に見破られて、戦闘になる。(トラブル)
 ムチャクチャやって、切り抜ける。

86、30
○姫を発見するルーク。
 なぜか、姫は、挑発するようなポーズで寝そべっている。
 このあたり、監督の狙いがわかるよね。(どういう狙いなんだよ!?  主人公の下心をくすぐるつもりか……その通り。人間は、高尚な目的だけでは、行動しないということを、観客の多くは、知っています。主人公が、正義のためとかいう、高尚な理由で動いているのではなく、レイア姫への恋心という、下心で動いているのがわかるから、観客は、このルークの一連の行動を、本能的に理解できるわけです)

○ダースベイダーが、ベンケノービがきていることを、フォースの乱れで感じ取る。ここで、ダースベイダーがジュダイの騎士の生き残りであることを説明。(トラブル)

90分
○姫を連れてにげるルーク、ハン、チューたち、追手と戦闘。(トラブル)
○勝気なレイア姫のキャラクターの説明。
 ハンと口げんかして、脱出の手口を指導する。ダストシュートに飛び込む。
○ダストシュート内に、モンスターがいた。(トラブル)
 壁にプレスされそうになる。(トラブル)
 C3に連絡しようとしても、通じない。(トラブル)
 R2が、プレスをやっととめる。C3とのいきちがいで、ちょっと笑わせる。
100
○オビワンは、電源を止めるための、工作をしている。すごく、高さのある場所。
○レイア姫と、ハンソロは、喧嘩する。(トラブル)
 脱出するために、ファルコン号に向かう。しかし、発見されて、銃撃戦になる。レイアは、おとりになったハンソロの行動力に、ちょっと見直す。
○通路の橋がわたれないルークとレイア。しかも、発見されて撃ち合いに。(トラブル)
anh4 ○姫にキスしてもらうルーク。
 姫は、お守りよと言うけど、あんまり説得力はない。なぜ、レイアがキスをしたのかは不明。少年を働かせるために、色気を使ったとも、とれる。あなどれんぞ、このレイア姫は。男を振り回すタイプなのかも。
105
○ダースベイダーとオビワンが対決する。
 ダースベイダーは、かつては、オビワンの弟子だったと、自分で言っちゃったりする。そして、オビワンは、たとえ倒れても、永遠の力で、よみがえると、自分で宣言。ダイアログとしては、かなり強引な展開だ。
○オビワンが、敵を引きつけている間に、ルークたちは、船に乗り込んでいく。
 ルークの目の前で、オビワンは、自らダースベイダーの剣に倒れる。
108
○脱出に成功するファルコン号。

  このスターウォーズの分析も、次回の5回目で終了です。
  最後まで、おつきあいしてくださいね。
 さて、いよいよライブ版体感脚本講座の開始が近づいてきました。
  六月二日が、第一回の予定。
 どんなメンバーが集まるんでしょう。
 どんなことをやりはじめるんだろう。
 その報告も、ここで書きたいと思ってます。
 お楽しみに。

 そのまえに29日は、ELITEのパーティ。
 みなさん、どしどしコンタクトしてください。

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2005年5月26日 (木)

脚本の極意3回目

3 脚本の極意3回目

  NHKで放送している『アクターズスタジオ・インタヴュー』という番組を、ときどき見る。
 いまは、再放送で深夜にやっているけど、これ、すごく面白いよ。
 やっぱり、いい役者は、いいこと言う。
 見てると、メモしたくなるようなことが、つぎつぎと出てくるもん。

 脚本家は、役者の言葉に耳をかたむけるのは、とても大事なことです。
 僕たちが書いた言葉を、彼ら(役者)が口にだしてくれてこそ、それが表現になるわけだから。
 共同作業のパートナーとして、役者さんたちは重要なんです。

 いい脚本が書けたら、ぜひそれを役者を集めて、本読みしてみよう。
 声にすることで、脚本の印象って、ずいぶん変わることがあります。
 そういう機会を持つためにも、役者の知り合いはつくっておきましょう。

 だんだん仕事のスケジュールがきつくなってきました。
 でもなんとか、このブログは書いていくつもりなので、読んでくれたらうれしいな。
 それじゃ、前回のつづき、いってみよう。

images5 『スターウォーズの第一作』を使った、脚本の極意三回目。

 この分析は、以前にテレビで録画したものをもとに、分数を出しているので、DVDとかとは違うと思います。この数字は、おおまかなものです。
○ルークのおじさんとおばさんは、オビワンのことを知っているらしいが、何か隠している感じ。(トラブル)

○ルークは、外の世界に出て行きたがっている田舎の高校生って感じのキャラクター。
 ルーカス監督の処女作は、そういう田舎の高校生たちの、それぞれの悩みを描いた青春映画、『アメリカン・グラフティ』。
 ここに二つの作品のテーマ的なつながりを見いだすことができます。
 当時、まだ若かったルーカス監督は、青春映画をつくろうとしてたんだね。

26分経過
○R2が、ルークの家を出ていってしまう。(トラブル)
 ルークは、そのことを、おじさんに隠して、一人で探しに行く。

32
○R2を探しにでたルークとC3。そこに、サンドピープルが襲ってくる。(トラブル)
 そこにオビワンケノービが登場。ルークを救う。
 彼は、本当の名前を隠して、暮らしていた。

極意その9……重要なサブキャラは、印象的な登場をさせること。
 ここでは、主人公を助けて登場という、これ以上ない印象的な登場をさせてます。

○ルークは、オビワンから、自分の父親に関しての、真実を聞かされる。
 父親は、ジェダイの騎士で、銀河で一番のパイロットだったということを知るルーク。(ちなみに、ジェダイというのが、日本の時代劇のジダイからとったもの)
 父の遺品、ライトセーバーを渡される。
 ダースベイダーの説明。
 フォースの説明。
 レイアからのメッセージを見る、ルークとオビワン。
 オルデラーンの反乱軍に、R2(デススターの設計図)を届けてくれるようにと頼まれる。

○主人公のルール……主人公の目的は、シンプルなものがいい。この場合は、物をとどけるという、じつに、初めてのお使い的な、簡単なものである。
 
○オビワンに頼まれて、ルークは、自分にはできないと、悩む。(葛藤)

39分
○帝国軍サイド。ボスとダースベイダー。その他の幹部たち。
 恐怖で、人間を支配しようとする、ボス。悪の典型。帝国軍は悪で、反乱軍は正義という、単純な構図を提示している。
 悪の軍団は、反乱軍の基地を見つけて、デススターで、一撃でつぶそうと計画している。(大きなトラブルの設定)
 物語のクライマックスに向けての、大きなフリがここにある。

○砂漠のジャワ族が惨殺されている。
 その現場を見て、自分の家が危ないとかけだすルーク。
 あんのじょう、おじさんどおばさんは、殺されていた。(トラブル)

 第二のプロットポイントだね、ここが。
 プロットポイントとは、物語が大きく動いていくところのことです。

○レイア姫は、ダースベイダーに拷問されている。反乱軍の場所をきくため。

○ルークの決意。
 オルデランに行く。
 そしてフォースを学んで、騎士になる。

○第2幕の、新しい起承転結がはじまったのが、わかるよね。
 ルークの前に、いくつものトラブルが立ちふさがった……つまり、新しい『起』ですね。(身内が殺された。一目惚れした女は、拷問されてる。悪を倒さねばならないという目的の明確化)
 ここからが、ルークを主人公にすえた、物語が新しく展開しはじめたのが、明らかです。

 以上、今回は、ここまで。次回をお楽しみに。
 つづくったら、つづく。

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2005年5月25日 (水)

脚本の極意2回目

脚本の極意・第二回

  50521_005 パソコンは、まだ復旧せず、キーボードが不自由なノートパソコンで仕事してます。
 だいたい仕事しなきゃならないのに、パソコンの復旧という時間のかかる作業ができるばずもありません。
 復活してくれたとしても、データ類はパーだしね。
 今回、最大の反省は、メールのデータをまったく保存してなかったこと。
 アドレスとかも、これからいちからつくりなおさなきゃなりません。
 あと、住所録とかも。
 いまさらながらにバックアップの重要性を痛感だヌーン。

 こんなときは体にいいことをするに限る。
 パワーヨガやってきたよ。
 これがけっこう筋肉にも効くし、血行もよくなって、やったあとにスッキリして、いいんだなぁ。
 みなさんにも、おすすめです。
 一時間やったら、汗びっしょりで、ホカホカになります。
 体の免疫率もぐっと向上。いいことずくめ。こりゃ、やるっきゃないよ。

sw0800  と、体の調子が上向いてきたところで、昨日につづいて、『スターウォーズ』分析の第二回です。
 さぁ、はじまるよ。(ドクッ、ドクッ、ドクッと24の効果音がなってます)

極意その5……映画における『承』は、展開部。
 一言でいうと、ここは、『ハラハラドキドキ』。
 観客をハラハラドキドキさせながら、ひっぱっていくのだ。

○惑星タトゥーインの砂漠をさまよう、二体のロボット。
 余談だけど、この構図は、実は、黒沢明監督の作品『隠し砦の三悪人』という映画の構図にそっくり。はっきりいって、パクリです。物語の構図も、よく似ている。
 パクリということ言葉が悪いけど、トリュビュートとか、オマージュといえば、いい感じになります。脚本家は、パクリをおそれるべからず。大好きなんだぁという気持ちさえあふれていれば、観客もわかってくれます。

○二体のロボットは仲間割れ。二手に別れてしまう。(トラブル)
12分
(ここに書いている時間経過は、いぜんにテレビ放映されたものの録画をもとにしているので、正確なものではありません。だいたいの感じです)

○R2は、謎の現地人ジャワ族に襲われてしまう。(トラブル)
 r2d2-b つれて行かれた先は、廃品ロボットがいっぱい。こいつらは、どうやら、町のゴミ回収屋らしい。そこに、別れた、C3もいた。
 脚本家は、世界の設定を観客に提示しながらも、ちょっとしたユーモアで、観客の心をほぐしていこうとしている。ロボットたちのドジな感じが、大事。こういうキャラクターのことを、狂言回しとか、コミックリリーフとか呼ぶ。

16分50秒。
○ルーク登場。
 今回の真の主人公。彼の登場にかぶらせて、メインテーマの曲が流れる。こいつが主人公だと言ってるようなもんだね。
 C3が、ルークに買われるときに、自分を売り込む。ちょっと観客を笑わそうとしている。
 ルークはR2とは、別のロボットを買おうとする。(トラブル)
 すると、そいつが故障してしまい、C3のすすめで、ルークは、R2を買う。

極意その6
○主人公のルール……その1、主人公は、観客に好かれるキャラでなくてはならない。(ルークは、好感のもてる少年。おじさんとおばさんの、と仲良く暮らしているいい子。嫌われる要素なし)

 その2、主人公は、物語がはじまるときに、何らかの不満を持っていなければならない。それは、できるだけ、観客の気持ちとシンクロするものであるべき。そうすることで主人公に、観客は、さらに感情移入しやすくなる。そして、その不満が、ドラマを通して変わっていったり、補完されていくことで、観客は、満足感を得ることができるのである。(ルークは、この時点で、この農園生活が退屈だとと思っていて、この岩だけけの星から、別のところに生きたいとと不満を抱いている。これは、主人公と同年代の観客たちが、みんな抱えいるような気持ちなので、共感しやすい)

 その3、主人公は、物語の始まりと、終わりとでは、はっきりと変わっていなければならない。この時点での主人公がAだとしたら、終わりではAdashに変わっているべき。つまり成長ってことだね。

20分30秒
○ルークが、R2を修理しようとしていて、レイア姫のホログラフメッセージを見ることになる。
 sw4 美女が助けを求めている。「助けてオビワンケノービ、あなただけが頼りです」
 こんなことを言われたら、少年の心は、グラグラくるよね。

○ここが『プロットポイント』
 プロットポイントとは、劇的転換点とも言います。それは、主人公の、行動の方向を変えて、発展させる出来事、エピソードのことです。
 ルークの人生は、このメッセージを見たことで、大きくかわっていくわけです。
 おまけに、ルークは、レイア姫に一目惚れまでしてしまう。(これもある意味トラブルですね)

極意その7……プロットポイントは、あとからわかるもの。
 シナリオをかきあげたあとで、ああ、あそこがプロットポイントだったなと、あとでわかればよいのです。書いてるときは、脚本家は、夢中になって面白がりながら書くのが一番。

極意その8……一つ目のプロットポイントまでに、物語は状況設定を終わっていなければならない。
(スターウォーズの状況設定は、ここまでにすべて終わっていたでしょうか? それは自分で再確認してみてね)

 というわけで、第二回目は、ここまで。
 つづくです。
 体感脚本講座のブログは、まじめにつづけてますが、現実の締め切りにむけての原稿のほうは、なかなかすすまず、かなり焦ってきてます。
 またまた、『もがいてます』状態かも。
 みなさんは、どうですか?
 現実では、もがかなきゃならないトラブルがたくさんあるよね。
 そんなときは、この物語作りでつちかった、トラブル解決のスキルを使って、うまく切り抜けていってくださいね。

 ELITEのパーティが29日に迫ってます。
 なぜかマイムをやることになっちゃった。(できんのかよぉ!)

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2005年5月24日 (火)

脚本の極意1回目

スターウォーズ公開記念sw1

  まもなくスターウォーズの最新作が公開されますね。
  アメリカでは、すでに公開されて、大騒ぎみたいですね。
 日本では、まもなくで夏休みの目玉作品。
 ぼくのポケモンとは、完全バッティングしてます。
 ポケモンは、子供専門になっちゃったけど、スターウォーズのほうは、大人向けを維持して、ここまできました。(これってすごいことです、マジで)
  二十数年にもわたる、シリーズ作品で、映像の進化の象徴ともいうべき、偉大な作品だと思います。
 もう、脚本家としては、うらやましいを通り越して、ねたましいとさえ思える、幸福な作品ですね。

 この大ヒット作を、分析して、参考にしない手はないでしょう。
 スターウォーズへの敬意をこめて、この体感脚本講座では、スターウォーズの原点となった、一作目を分析しながら、脚本の極意を盗んでしまいましょう。

 今回は、連続物のブログになりますよ。
 いままで、僕が書いたことを思い出しながら、読んでみてください。

 おっと、もしかしたらスターウォーズの一作目を見ていない人がいたら、ごめんなさい。

 さぁ、とってもためになる脚本の極意、いってみようか。
 
極意その1……起承転結の『起』は、『いったい何がおきたんだ!?』という感じを出すこと。観客をびっくりさせること。

(映画の経過時間)1~2分
○メインタイトルと同時に、メインテーマが鳴り響き、観客の心をわしづかみにしてしまう。
 この作品は、壮大なSFフィクションなんだと、観客に有無を言わせずなっとくさせてしまう。

○頭ごなしに、巨大宇宙戦艦が登場。
 いきなり観客を、びっくり驚かせておいて、物語に引き込もうという手口がみえみえ。 すごくわかりやすい導入部だと思う。
 巨大スクリーンにいっぱいの宇宙戦艦が、頭ごなしに飛んでくるというのは、それまでに、あまりないアングルだった。巨大さを見せるには、もっとも有効的。

 それにつづいて、はげしい戦闘シーン。
 観客は、考える余地なしに、物語の世界にひっぱられていく。つかみとしては、完璧だね。(『つかんでるかい?』)

○ロボット2体が登場。C3POとR2D2。images3
(実は、こいつらがシリーズの主人公なのかもしれない。スターウォーズのシリーズ全体を通して、出演するのは、このロボットたちなのである)
 脚本家は、彼らに「もうだめだ!」と言わせてしまう。

極意その2……主人公たちにいかにトラブルをつくるかが、物語の作り方としては、いちばん肝心だと言ったことを思い出してください。
 「もうだめだ!」というのは、ある意味で、最大のトラブルでしょ。
 主人公が、いかにそのトラブルを乗り越えていくか、そして、その中で、どう変わっていくかが、面白さを作り出すのです。

4分
○最大の適役登場。ダースベイダー。
○ヒロイン登場。レイア姫。
 悪役のすごい力を見せる。
 敵の目的の提示。(新兵器の設計図を探している)

images4 極意その3……主人公の前に立ちふさがる敵は、大きければ、大きいほどいい。
 敵というのは、最大のトラブルである。乗り越えなければならない壁は、大きければ大きいほど、それを乗り越えた時、その人間は輝くのです。
 主人公をより輝かせるためにも、敵は、強いほうがいいわけ。

極意その4……ヒロインには、華が必要。はなとは、輝きのこと。まわりを明るくするなにかをヒロインは持っていなければならない。
 このレイア姫は、けっして美人ではないけど、全身白づくめという、いわゆる花嫁ファッションで、全編を通している。
 花嫁とは、女性の人生において、もっとも無条件にヒロインでしょ。しかもお姫様だし。

○ロボット2体が、設計図を持って、脱出していく。
(敵は、それを追いかけることになる。やっぱり、ロボットが主人公だったんだ!?)

8分
○敵の口を通して、設定を語らせる。二大勢力が争っていること。
(葛藤とは対立ということ。2大勢力の対立は、大きな葛藤ですね)

ここまでが、全体(スターウォーズシリーズ)の『起』ですね。約8分30秒。

ハリウッドのシナリオの王道には、映画がはじまって10分までに、おもな登場人物を全部出すことという、決まりがある。
あと、1分30秒以内に、メインところはそろうのか!?

○全体の、起承転結の『承』はここから。
 この中に、こまかい起承転結が連続して、映画は作られていくのです。
 ここまでは、シリーズ全体の『起』なので、この一本目の映画の本当の『起』は、実は、ここからなのです。
 今まで主人公が出て来なかったのは、一作目のドラマが、実は、ここからはじまるからだった。ちなみに、ここから映画を見はじめても、ちっとも違和感なく見ることができるはず。_100

 スターウォーズ公開記念1、分析と脚本の極意編、第一回目は、これにて終了。
 つづく。(ドクッ、ドクッ、ドクッと24みたいな効果音あり)

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2005年5月23日 (月)

パソコンダウンだヌーン

040720_026 トラブルは、思いもかけないところからやってくるもんです。
いきなりパソコンがシャットダウンして、再起動しなくなってしまいました。
サポートセンターに電話したら、リカバリー用のディスクが必要だって。
そんなのどこにしまったか忘れてるヌーン。
メインでつかってるデスクトップが、いまは使えない状態です。
まいったぁ。

書きかけの原稿や、いろいろ使いやすくしていた、ソフト類なども、ぜんぶパーって感じ。
最悪の気分になりました。
バックアップの大切さを痛感。
いままで、パソコンにかんしては、こういうトラブルにあってなかったから、全部人ごとだったんだけど、まさか自分の身にふりかかろうとはね。

でも、こういうときこそ、『トラブル・イズ・マイビジネス』を思い出すのだ。ヌーン。
これも、自分にあたらな体験をさせる機会をくれているんだ。
トラブルを楽しむんだぞと。
それでこそ体感脚本講座のヌシなのだ。(と、自分をメチャはげましてます)

いちおう、数日前までの文書データは、メモリースティックに入れておいたので、仕事のほうは、なんとかなります。
でも、ここ数日のは、無理かも。

こういうときは、あきらめがかんじん。
気分を変えて、前にすすまなきゃね。

そういうわけで、このブログは持ち出し用のノートパソコンで書いてます。
あらためて、デスクトップのほうが、文書を打ちやすいのを実感してます。
とくにぼくは、親指シフトという、きわめて少数派のキーボードを使っているので、ノートの方は打ちにくいのです。
この悩み、親指シフトを使っている人になら、わかってもらえると思います。
ノートは、無理やりに、親指シフトにしたやつなんで。

このブログを、約一月近く書いてきました。
体感脚本塾への申し込みも、何人かしていただきました。
じつは予想していたよりも、少ないです。
そのぶん、みっちりと密度の濃い塾ができそうなので、楽しみです。
開始まで、あと約一週間、なんかドキドキするなぁ。
どんなメンバーが集まるのか。
どんな物語が、新しく生まれるのか。

入塾希望のかたは、まだ受け付けてますので、ぜひコンタクトしてみてください。
脚本家になりたいわけじゃないけど、一度ジャッキーの話を聞いてみたいという人、見学してみたいという人も、かまいませんよ。

ブログを読んでもらっていれば、よくわかってもらえると思いますが、ぼくのまわりにはみなさんに紹介したい面白い人がたくさんいます。
そういう人たちに、一度あってもらいたいんです。
そして、いろんなことを感じてほしい。

この体感脚本塾の企画をサポートしてくれている、ELITE主催のパーティが5月29日に新宿であります。050520_011
なんと無料で、ダンスパフォーマンスが見れたり、サルサを習えたり、爆笑のショーが見れたりするというもの。
もちろんぼくも参加します。
参加したいという人は、このページからELITEのページにジャンプしてね。
そのパーティが、この体感脚本講座ライブ版の、第1回目になります。

何を感じて、何を書くか。
それは、参加するあなたの物語。

今回パソコンの不調で、写真とかも、ノートに残ってるやつしかつかえず残念。

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2005年5月22日 (日)

エンドマークをめざすのだ

西所沢に行ってきましたぁ。
埼玉だぁ。050519_015
はじめて足をふみいれた町。なんかドキドキします。
まずはパシャンと一枚。
なんかのんびりとした雰囲気です。駅前には、パン屋と、コンビニ、ちょっと見上げるとダンススタジオ。いい感じじゃないですか。
都心から少しはなれると、こんないい感じの住宅地があるわけです。

で、なんでここにきたかというと、この町に拠点をおく市民劇団のお芝居を見るため。
学校で即興の授業を担当している正さんというかたが、この劇団の演出をしているので、招待券をもらったのでした。

いまは、地方を拠点においている劇団も多数あります。
なかなかそういう劇団の芝居を見るチャンスは少ないです。
所沢という場所は、都心に近いとはいえ、いちおう地方劇団になるのかなぁ。

スタジオは、もとは民家だったものを改装したもので、観客が五十人はいれば満員。
あったかい雰囲気で、芝居をみました。050519_016

おじさんや、高校生と思える若者がいっしょになって、芝居を楽しんでいるのが伝わってきました。

こういう地方の劇団の役割というものを、ちょっと考えました。
地域に生活する人たちが、演劇にふれたり、体験したりすることの機会になるためにも、こういう劇団はもっとあっていいと思います。
いまは、人と人とのつながりが希薄になってます。
都会では、隣に住んでいる人の顔さえしらないということも、あたりまえです。
それは地方でも、おなじようになってきています。
そんななかで生活していかなければならない人たちが、こういう場所で、つながりを持ったりしていくことは、とても大事なことのような気がします。
いわば祭りの場所ですね。
祝祭空間が、身近にあれば、ひとはいきいきしてくるもの。

ちょっと今回はアカデミックになっちゃったなぁ。

で、今回のタイトル『エンドマークをめざすのだ』です。

これはまさに書いてある通り。
脚本を書きはじめたら、自分でエンドマークをつけるまで、やりましょうってこと。
じつは、これがなかなか難しいんですね。

書きはじめたものの、途中でにつまってしまって、中途半端に終わってしまっている脚本がいかに多いか。
完璧である必要はないんです。
とにかく最後まで書き上げるということが、大事だとぼくは思います。
失敗してもいいじゃないですか、最後まで書き上げましょう。

誰か、有名な作家が言ったことばを思い出したました。
その作家は、『あなたの代表作は?』と問われると、いつも、
『ネクスト・ワン(次の作品です)』と答えるのです。
なんか、かっこええ。
でも、自分の次の作品が、傑作になると思うと、次の作品にとりかかる意欲も出てきますよね。
ネクスト・ワンをめざすためにも、いまはエンドマークを目指さなきゃ。

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よかったぁ

050519_008 原宿でインプロのショーを見てきたました。
去年、僕のアシスタントをやってくれた、渡くんが出演してます。
ステージのある店内は、満員のお客さんでにぎわい、笑いと拍手のなかショーは進みます。
ラストには、ジャズシンガーのおまけもあって、盛り沢山な夜になりました。

インプロっていうのは、耳慣れない人もいると思います。
日本語でいうと、即興。
いっさい台本なしで、その場でシーンやストーリーをつくっていくというもの。
僕は、これが大好きです。

物語作りは、一人で即興をやっているようなものですからね。

しかし、インプロをいきなりやれっていわれても、なかなかできるものではありません。
人前で、相手役の人が出してくるものに、瞬間的に反応して、協力しながら、ストーリーをつくっていかなければならないんですから。
でも、ご安心を。
インプロをできるようになる、ゲームがたくさん開発されてます。
いわゆるシアターゲームと呼ばれているものなどです。
ゲームをやっているうちに、しだいに心と体が解放されて、人前で表現することができるようになってきます。
楽しく、創造的で、刺激的な遊びです。050519_013

この体感脚本講座では、そういうインプロのゲームをやったりすることで、脚本作りの本質に迫っていくつもりです。
ぜひやってみたいと思うかたは、コンタクトしてみてください。
本格スタートの六月は、まもなくです。

で、今日の本題。
『よかったぁ!』

このキーワードは、脚本のラストにつかいます。
起承転結の『結』の部分です。
『そんなことがぁ!』のクライマックスを、主人公が切り抜けたあと、物語は集束していきます。
そのとき、『よかったぁ!』と観客(読者)が思えるようなものになっているのか。

あなたの物語は、そうなっていますか。
もちろん、これはハッピーエンドでなければならないと言っているのではありません。
悲劇的な結末でも、感情的なカタルシスがあり、主人公とともに、観客が物語を体験していれば、かならずこの『よかったぁ』という感覚になれるはずです。
もし、そうなっていなかったなら、もう一度読み直して、検討してみましょう。
余韻が残るのがベストですね。
いいもん見たなぁって感じを、観客に抱かせたいものです。

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2005年5月20日 (金)

とんでもないことが!

050519_007  今日は、パントマイムのレッスンを受けたあと、新番組の打ち合わせに行く。
 時間が少しはやかったので、マックでくつろぐ。(飲み物百円に驚いた)
 もちろんマンウォッチング。
 会話のスケッチ、実行。
 午後のマックは、高校生と、おばさんたちのたまり場だ。
 そのなかに、営業マンの休憩中。
 みんな、がんばれだ。

 監督とプロデューサーとの脚本会議。
 ようやく新しい物語の骨格が出てきた感じ。
 これは中国の資本でつくるアニメ。
 いま、政治的には日中関係が微妙だけど、文化や経済の面では、しっかり協力してます。

050519_005  で、今日ののタイトル『とんでもないことが!』です。
 どこかで聞いたなぁと思った人は、なかなかの記憶力。
 そう、なつかしの番組、ファイトクラブでナレーターがよく使ってたセリフ。
 『そのとき、とんでもないことがァ!』『予想だにしないことがおきてしまった』ってやつです。

 なんのことかというと、これが『クライマックス』なんですね。
 ハラハラドキドキの最後には、主人公に最大のピンチが襲いかかる瞬間。
 それがクライマックス。
 起承転結でいうなら、『転』にあたる部分です。
 ゲームでいうなら、ラスボスが登場して、主人公がもう逃げられない窮地におちいってしまうところてですね。

 これをラスト五分の部分にもってきてください。
 ハラハラドキドキさせつづけた観客に、最大のピンチを体験してもらいましょう。

 脚本の構成を考えるときに、この部分をはっきり意識するのは、いいことです。
 クライマックスは、なんになるのか?
 主人公の、最大のピンチ(トラブル)とはなんなのか?
 それを問いかけてください。
 もし、他の作品をみるときは、その作品のクライマックスが、『予想だにしないこと』になっているかを、チェックしてみてください。
 逆に考えれば、そこに向かって物語はすすんでいくわけですから、これを想定していると、作家としては書きやすくなります。

 テレビドラマや映画をみるときに、『つかんでるかい』『ハラハラドキドキ』『とんでもないことが』この三つを意識してください。
 会話のスケッチと、この作品分析。
 これを毎日つづけることが、脚本家のウォーミングアップ。
 レッツトライ!

 実人生では、とんでもないことや、予想だにしないことは、あまりおこって欲しくないですけど、物語の世界では、大歓迎。
 あなたの人生のクライマックスは、いつきますか。
 そのとき、ああこれがクライマックスかぁ、と気づくことができたら、主人公としては、それを切り抜けることが楽しみになりますよね。
 どんなふうにして、自分は、このクライマックスを切り抜けるんだろうって。
 トラブルも、こう考えたら、楽しみに変わるかも。

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2005年5月19日 (木)

ハラハラドキドキ

100_0295
 第二のキーワードは、
『ハラハラドキドキ』です。

 これが起承転結の承にあたる部分のこと。
 いろんなハラハラドキドキがありますよね。

 とにかく主人公といっしょに、お客(視聴者・読者)に、ハラハラドキドキを体験してもらいましょう。
「どうなるの?」「どうなるの?」「どうなるの?」
 って感じで、次のシーンにつながっていけていたら、それはもうしめたもの。

 サスペンスドラマだと、いちばんわかりやすいです。
 テレビドラマの『24』なんか、その典型のドラマですね。

 でも、これは他のタイプのドラマでも、あてはまることなんです。
 ロマンス、悲劇、コメディ、シリアスドラマ、歴史劇、どんなジャンルでも、おもしろいといわれるものは、ぜんぶこの方式があてはまってます。

 ハラハラドキドキさせましょう。
 ドラマの大半は、それでできているのです。

 ラストの5分前までは、その連続です。
『ハラハラドキドキ』できるのか。
 つかんだあとは、それを自問しながら書きください。

 実人生で、毎日が、ハラハラドキドキしていたら、そりゃちょっと疲れますが、ドラマのなかでだった大丈夫。
 せいぜい長いやつでも、二時間ちょっと。
 テレビシリーズだったら、1クールか、2クール。
 それくらいなら、つっぱっしっていたいものですから。

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2005年5月18日 (水)

つかんでるかい

100_0265  そろそろ実践に役立つ、脚本講座をはじめましょう。
 今回のキーワードは、『つかんでるかい』

 脚本は、1ページ目、さらにいえば、1行目で勝負しなければなりません。
 勝負をかけるべきです。

 なんの勝負かというと、観客(視聴者、またはスタッフ)の心を、つかめるかどうか。
 つかんだら、脚本家の勝ち。
 スタートには、成功できます。
 数ページは、興味をもって読んでもらえるでしょう。

 漫才やコントブームのおかげで、『つかみ』という言葉は、わりと一般的になってますよね。
 よく『つかみはオッケイ』なんて使われているのを耳にするでしょ。
 観客を、自分たちの話にひきこめたり、興味をひくことができたことを意味してます。
 脚本にも、これが大事なんです。

 起承転結における、『起』の部分のことですね。

 30分物のテレビ番組だと、冒頭の約1分以内。
 1時間物だと、冒頭の3分以内。
 そこできっちりと、お客様たちを、つかんでいる必要があります。
 もちろん、そこには主人公は、登場しているべきです。
 そこで主人公を、観客のみなさまに、気に入ってもらえたら、ベストです。

 だからもう、一行目から油断しちゃだめなんです。

 冒頭の何ページかを書いたは、一回、あたまから読み直して、自分に問いかけましょう。
『つかんでるかい?』
 つかんでたら、オッケイ。
 前に進もう。

 もちろん、いろんなつかみかたがあるので、そこは各自でアイディアをひねりましょう。
 こんな『つかみかた発見した』という方は、どしどしコメントよせてくださいね。
 ぜひ参考にさせてもらいたいと思います。
 

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2005年5月17日 (火)

吸うのが先か吐くのが先か

 050516_006 歌のレッスンを受けた。
 先生は、ぼくが演劇を教えてる東放学園高等専修学校でボーカルを指導している作詩作曲家の小西さん。
 いやー、楽しかったなぁ。

 高校生のときに、コーラス部というのがあって、男女が仲良く歌ったりしているのを、横目でみながら、『ケッ、なんだよ』とひがんでいた僕でした。
『どうせあいつら、女が目当てで、コーラス部とかにはいっとるとやろ』
 と、九州弁で毒づいてました。

 ところがいざ、みんなでハモって歌ってみると、その気持ちよさに気分爽快。
『ゴスペラーズの気持ちがわかるなぁ』
 なんて、過去のことなど忘れて、すっかり歌手気分なわけです。

 演劇と同じく、ボーカルの練習も、『呼吸』からはじまりました。
 やはり人間のする表現行為には、かならず『呼吸』がついてまわるもんなんですね。

 呼吸の大事さを、あらためて実感しました。
 ただ、複式呼吸をつかって、ゆったり息を吸って、吐いているだけで、自然と血流がよくなり、気分がよくなってきます。
 よけいなところに力がはいらず、必要なところだけの筋肉をつかって動けるようになります。050516_009

 みなさんも、仕事をはじめるまえに、ゆったりと呼吸をしてみてください。
 できるだけ上半身や胸や首などの緊張がほぐれるように。
 マッサージしてみるのもいいと思います。
 仕事がスムースにすすむことうけあいです。

 レッスンは約二時間。
 やはり新鮮な体験というものは、疲れを残しません。
 からだは少し疲れているはずなのに、気分ははればれ。
 手足は、血の巡りがよくなっているのがわかります。

 そこでひらめきました。
 『田中くんに教えなきゃ。心臓にふたんをかけずに、いいエクササイズになるのは、歌がいいよって』
 さっそく、闘病中の脚本家に教えてあげたいと思います。

 で、今日の本題。
『吐くのが先か、吸うのが先か』

 呼吸の練習をしていて思ったんですけど、「人間が生まれてくるとき、息を吸ったのか、吐いたのか、どっちからはじめたんだろう?」って。

 赤ちゃんが母親の体内にいるときは、酸素はへそから、取り込んでるわけですよね。
 それを切り離して、この外界にでてくるとき、まずはどっちをしたんでしょう?
 やっぱり吸ったんでしょうか?
 赤ちゃんは、生まれてたときに、泣くっていいますよね。
 泣き声をあげるためには、息を吐かなきゃならないし……

 どなたかご存じのかたは、教えてください。

 もしかしたら、この反対を考えれば、答えは見つかるのかもしれませんね。
 人は死ぬとき、どうするのか?
 最後に、息を吐いて、つぎに吸わなくなるから、人は死ぬわけですよね。
 ということは、人は、息を吸って誕生し、吐いて終わるってことですか?
 これでいいのかなぁ。0559_013

 脚本の書き方と、今回のタイトルは、あまり関係がありませんでした。

 ただ、こんなことを考えたりすることが、ひょいと脚本に反映してきたりすることがあります。
 歌の練習のシーンと、人の誕生や死のイメージ。
 かけ離れたような二つのイメージが、どこかでつながったりする。
 それは作家が意識するしないにかかわらず、作品にいろんな味付けをしてくれます。
 
 ですから、自分のなかに浮かび上がってくるイメージや思いを、できるだけもらさないように注意してください。
 ここで以前に書いたネタ帳の出番です。
 無意識にでてきた思いでも、ネタ帳に書きつけておくんです。
 いつか、それが、どこかで効いてきます。

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2005年5月16日 (月)

トラブル・イズ・マイビジネス

 050516_010 きょうの東京は、すごくいい天気。
 紫外線も、すごいだろうなぁ。しかし、緑があざやかです。
 これも昨日の嵐のおかげですかね。

 いやー、昨日のかみなりは、ちょっとビビッた。
 同時に、地震もおきたし。
 おれはオヤジだし。
 きっと、どこかで火事もおきてたんじゃないかな。
 ヒョウも降ってたらしいね。
 ウヒョウ!

 この世界は、まさになんでもありの、おもしろワンダーランドです。

 現実の人生では、トラブルはなるだけ起きて欲しくはないものなんだけど、物語の世界では、トラブルこそが、物語を面白くしてくれる必需品です。

 物語のなかでは、思いっきりすごいトラブルを主人公にふりかからせて、楽しむことができます。
 主人公に感情移入できていれば、まさに自分がトラブルを解決していくような気分になります。
 それが物語の面白さなんですね。
 物語のなかでだったら、どんな悲惨な体験でも、死ぬことすらもできるわけです。
 燃えるような恋も、はげしい変態行為も、空を飛ぶことも、宇宙怪獣と戦うことだって。

 そして、そこで疑似体験したことが、この現実の世界で、実際に体験することに、役立ってくれたりするんです。
 それこそが物語の効用。
 ぼくたちが、物語を必要とする、大きな理由だったりします。

 ビバ、ストーリー。
 ビバ、フィクションなのだ。

 100_0182 小学生に『物語の作り方』というテーマで話をしたことがあります。
 一時間で、きみも脚本家になれると銘打って。

 そのときはなしたのは、まず主人公をつくって、その弱点をきめたら、みんなでトラブル(事件)を思いつきでいいから、とにかく考えてみようというもの。
 小学生に一人一人、トラブルを言っていってもらいます。
 いろんなトラブルがでてきます。

 トイレで紙がない。
 おかあさんにしかられる。
 忘れ物をしてしまう。
 宇宙人にあう。
 親が死ぬ。
 友達と喧嘩する。
 怪獣にふみつぶされる。
 交通事故にあう。
 落とし穴に落ちる。
 などなど。

 トラブルが集まったら、それを全部、主人公に体験させるのです。
 このとき、主人公の顔を、黒板に絵で描いているいると、子供たちの反応は、ぐっとよくなります。
 子供たちが、それぞれの自分の頭のなかで、主人公がこのトラブルにあって、悲惨な目にあうときのようすがイメージしやすいからです。

 この主人公が、これらのトラブルをどうやって切り抜けていくかを、みんなで考えてみて。
 と、僕は、アドバイスしながら、これらのトラブルをつなげていきます。
 子供たちのなかから、自然と笑い声があがり、彼らが楽しんでいることがわかります。

『そして、もう一つ、大事なことがあるんだ。このトラブルを切り抜ける前と、切り抜けたあとで、主人公が少しだけ変わっているかどうかを考えて』
 ぼくは、最後に、こうつけくわえます。

 すごく変わらなくてもいいんです。
 ちょっとだけの変化でもいいんです。
 でも、この変わるということが、とても大事なんです。
 できれば、少しいいほうに、変わっていることが。

 物語をつくりながら、物語の主人公と一緒に、子供たちは、それを体験したんだということを感じてくれています。
 教室にいる全員が、おなじ時間のなかで、おなじ体験をしたんだということを。

 これって、実は演劇の面白さとおなじなんですよね。
 劇場にいる全員(役者と観客)が、物語ができあがるのを、同時に体験すること。

 もちろん小学生の子供たちは、演劇とか、芝居とか、あまり見たことはないし、そんなものにも興味がなかったりするんですけど、演劇にたいして、すこしでも興味を持ってもらえたらと思って、ぼくは、最後に、それもつけくわえます。
 『お芝居って面白いんだよ』と。

 そして、現実の人生でも、すごく役立ったりするんだよって。

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2005年5月15日 (日)

キャラの宝庫

 _012 主人公のつくりかたのところでも書いたかもしれませんが、自分のまわりの人を、よく観察していると、脚本の登場人物のヒントになります。

 よく見ること。
 それが大事です。

 これは、会話のスケッチのところでも書きましたね。
 キャラクターにかんしても、おなじです。
 とにかく、よく見て、よく聞いてください。

この写真は、なんとなく顔に見えた樹です。よく見ていると、こんな面白いことにも気づきます。関係ないかもしれないけど。

 つぎに考えるのは、その人物の『弱点』『苦手なもの』
 その人物は、なにに弱いのか。
 なにが、彼をこまらせるのか。

 どうして、これが大事かというと、観客(視聴者)は、その弱点こそを『愛して』くれるからなんです。

 本人にとっては大問題の弱点が、観客にとっては、その人物の愛すべきところになるわけですね。
 親近感。シンパシーという言葉に置きかえてもいいでしょう。

 この感覚を、観客に抱かせられたら、脚本家は主人公の造形に成功したも同然です。
 あなたは、どんな『弱点』を、主人公に持たせますか?

 _014 これは学校の風景。
 廊下のすみに映っているのは、Nくん。
 もう主人公にしてやりたい人物の一人です。

 本人にとっては大問題だろうけと、弱点だらけの人物にぼくは思えます。
 ステキだなぁ。
 と、ぼくは思ってしまうわけですが、演出家としては、演劇の練習をすることによって、彼に弱点を、長所に変えていったり、弱点を弱点だとおもわずにすむような心持ちにしてあげられたらいいと考えます。

 演劇のエクササイズには、もちろん舞台をつくるという目的もありますが、教育という観点で、このエクササイズを見ると、人に成長の過程を体験させるという部分が多くあります。
 このことを、全国の先生たちに知ってもらいたいと、ぼくは思います。
 もっと演劇(ドラマ)を、教育の現場につかってもらいたいと。

 この5年間、学校で演劇を教えることになってから、こんなことを考えるようになりました。
 脚本家として、エンターテイメントを提供していくと同時に、このことはぼくにとっての大きな目的となったようです。

 体感脚本講座では、ぼくがこの教育の現場で感じたことなども、どしどし使っていきたいと思ってます。
 ぜひ、みなさんも体感してくださいね。

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2005年5月13日 (金)

外からつくる

 パントマイムの授業に出た。
 講師は、藍さん。
 プロのパフォーマーだ。1_004

 なぜかこの時間は、生徒が少ないので、レッスンを受ける側にとってはいい環境。
 みっちりとレッスンを受けられる。
 まだ三回目だが、すこしずつ体の動かしかたを、体がおぼえていっているのがわかる。

「マイムは形ですから。どう見えるかが、大事です」
「かならず鏡の前で練習してください」
「自分の動きがどう見えているかを、たえず意識してください」
「重さは、角度なんです」
 印象的な言葉を、いくつも発見する。

 自分の知らないジャンルをやっている人の話には、いままで気づいていなかったことを気づかせてくれるヒントがたくさんある。
 それが楽しくて、ぼくはいつも、いろんなところに顔を出しているような気がする。
 もちろんマイムは、演劇にもすごく役立つと思っている。
 演劇をやりはじめたころ、もっとマイムの練習をしておけばよかったと思っていた。
 だから、いまこうしてレッスンを受けるのが、すごく楽しいのだ。1_002

 やっぱり楽しいことをやるのが、もっとも集中するんだな、あらためて思う。

「演劇とかでは、内面をつくれってよくいうでしょ。でもマイムでは、いくら内面をつくっても、それが見えなきゃ、どうしようもないわけですよ。だからぼくたちは、どう見えるかをいつも考えてます」
 レッスンが終わって、藍さんが言った。

 その通り。
 ぼくも、そう思う。
 演劇だって、なんだって、観客にどう見えるか、どう伝わったかが、もっとも大事。
 そのときに、俳優や、役者や、演出家が、どう思っていたかなんてことは、二の次で、観客に『なにが』伝わったかが、もっとも重要だ。

「外をつくれば、内側も、それに影響されて変わってくるんですよね」
 と、ぼくは相づちをうった。

 この影響されてくるというところが、面白い。
 影響は、いろんなところにでてくる。

 脚本においては、どう見えるようになるかを、設計して書いていくことが必要なんですね。

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2005年5月12日 (木)

ネタ帳のすすめ

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 ネタ帳。
 またはアイディアノート。

 脚本家志望の人には、これを毎日、自分のそばに置いておくことをお勧めします。
 なんでも思いついたものを、このノートにメモしておくのです。
 きっと、それがいつか役にたちます。
 いまは、使えないアイディアでも、時間がたったとき、それをぼんやりながめた瞬間に、そのアイディアがまた新しいインスピレーションをひきおこしてくれたりするのです。

 過去が、いまを助けてくれます。

 ぼくは、形はかわったけど、中学生のころから、このネタ帳を書きはじめて、今にいたっています。
 学習ノートだったのが、A4のバインダーになり、皮表紙の手帳になったり、電子手帳になったりして、いまはまた、学習ノートにもどってます。

 このネタ帳とは別に、作品ごとに、創作ノートというのもつくります。
 表紙には、その作品の『タイトル』を書きます。
 できるだけバインダー形式のものがおすすめです。(差し替えが可能になるから)

 一ページ目は、その作品で、自分がめざそうとするものを書きこみます。
 たとえば『世界中の人たちを感動させる』とか『みる人に、家族の大切さをもう一度思ってもらう』とか『とにかくかっこいいアクションをやる』とか『命とはなんなのか』とか『自分探しの旅』とかです。

 その作品全体にかかわる、自分のモチベーションを、いつも再確認できるように、ここに書いておくわけです。

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 つぎに『登場人物』
 1ページに一人で、人物のメモをつくります。
 おもいつくかぎり、その人物について、くわしく書きます。
 書いていくうちに、自分のなかで、その登場キャラクターがしだいにはっきりと浮き上がってくるはずです。
 登場人物が、一人でかってに動きだすようになれば、もうしめたもの。
 あとはこの人物によりそって、物語ができていくのを、作家は楽しめます。

 主人公が、一番はじめに書かれるのは当然のことですよね。
 たぶん二番目は、その主人公を、助けてくれる人になるでしょう。
 三番目は、主人公にとって、最大の敵(ライバル)となる人物。
 あとの順番は、あなたしだいです。

 つぎは『トラブル』
 ここには、登場人物たちにふりりかかると大変なことになると思われる、事件(トラブル)を、思いつくままメモします。
 そのトラブルが、作品のなかで、使えようと使えまいと吟味せずに、とにかく思いつくかぎりのことを書いてみます。
 吟味は、書いたあとですればいいんです。

 つぎは『あらすじ』
 ここには、できるだけ簡単、簡潔に、物語のあらすじを書きます。
 くわしくストーリー(プロット)を書くのは、次の作業でいいです。
 ここには、できるだけシンプルに、一行か二行で書いてみます。
 こうすることで、この作品が、どこを目指していくのかが、いつも確認できるからです。

 作家というものは、書いていくうちに、いろいろアイディアがでて、最初に行こうとしたところと、まったく違うところに行こうとしてしまうことがよくあります。
 でも、それってあんまりいい結果にはならないことが多いんですよね。
 ですから、ここでいつも、自分のいく場所を確認するというわけです。

 たとえば、『主人公は、宝の地図を見つけたことで、冒険の旅にでる。しかし、宝を狙う海賊たちと、戦いながら、宝の島を見つけるが、ほんとうの宝は、自分と一緒に旅をした仲間たちだということに気づくのだ』
 こんな感じです。

 つぎに、くわしい『ストーリー』をつくっていきます。
 このことはプロットということもあります。

 創作ノートのつくりかたは、実は、もっとくわしいものを考えたんですが、それはまた別の機会にね。(体感脚本塾ライブでは、それはもちろんやりますよ。応募待ってます)

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2005年5月11日 (水)

銃弾か天使の指先か

 脚本会議では、脚本家は毎回窮地においこまれる。
 昨日も、かなりおいこまれました。

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 自分の書いたストーリーにたいして、プロデューサーたちが、それぞれの意見をぶつけてくる。
 それがたいていの場合、否定的なニュアンスのものばかり。
『要素が多い』『テーマがわかりずらい』『これはやらないほうがいい』『新鮮味にかける』『焦点がしぼりきれてない』『主人公の目的があやふや』などなど。

 もちろん言い方はソフトになっているのだが、それらの言葉は、まるで弾丸のように脚本家の胸に突き刺さる。
 あまりにも銃弾を受けすぎると、生死にもかかわってきます。
 それらの銃弾は、いくら脚本家が防弾チョッキを身につけていても、そのうえからグイグイとくいこんでくるからだ。

 規模ちがえども、みなさんにも、おなじようなピンチが何度も訪れると思います。
 こういうときの切り抜けかたを、教えましょう。

 まずは、自分のなかのよけいな感情をおさえて、じっと彼らの言葉に耳をかたむけること。
 そして、
 この場所にいる人たちは、みんな自分の味方なんだ。みんな僕のファンなんだ。みんな、ぼくのことが大好きで、ぼくにプレゼントをしてくれてるんだ。

 そう思うのです。
 とにかく、そこにいる人たちの背中には、みんな羽がはえている。彼らは天使なんだと思いこむのです。

 するとどうでしょう。
 いままで銃弾に思えていたものが、とたんにやらわかい天使の指先にかわってきます。
 天使の指先が、やさしく自分をマッサージしてくれているのです。

 天使たちは、まだまだ未熟なぼくを、もっといい場所に導いてくれようとしているんだ。
 どこかすばらしいところに連れていってくれようとしているんだ。

 そう思えてきたら、もうしめたもの。
 会議は、前向きな、楽しいものにかわってきます。

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 そんなにうまいこといくかなぁ。
 そんなのできっこないよ。
 そう思われるのも当然でしょう。
 かくいうぼくも、なかなかうまくはいきません。

 脚本家が、自分の書いたストーリーにこだわるのは、あたりまえのことです。
 何時間も、または、何日もかかって、背中の痛みと、睡眠不足にたえて書き上げた原稿なのですから。
 自分では気に入って、会議の席にもってきたのですから。
 自信作なのですから。

 しかし、それにこだわりすぎると、いい作品にするためのチャンスを失うことになってしまいかねません。
 脚本は、共同作業(演劇にしても、映像作品にしても)を前提してして書かれるものなのです。
 みんなでいいものを作り上げていくための道具です。

 会議では、脚本家は窮地におちいると書きました。
 ここでドラマの基本を思い出してください。

 主人公は、窮地におちいる。(トラブルにある)
 そして、それを一つずつのりこえていくことで、成長し、自分の目的を達成する。
 それがドラマです。

 いいドラマをつくるためには、無数のトラブルが必要なのです。

 窮地のときこそ、チャンス。
 おいこまれたときこそ、自分にシメシメと言い聞かせるのです。
 天使があらわれた。
 自分にチャンスがおとずれたと。
 トラブルを、よろこんで受け入れるのです。

 受け入れることができたら、どんなにかいい状態で、仕事ができるようになるだろうと、ぼくは思うのです。

 ですから、いつも、受け入れたいと思いつづけているわけです。
 みなさんは、どうですか?

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2005年5月10日 (火)

作家の執念

 入院している脚本家の田中浩司を、お見舞いに行ってきた。
 蕨市民病院。
 ワラビという、なんだかおいしそうな町の名前。
 友達のお見舞いというのに、はじめて降り立った町だったので、いきなり観光気分になってしまった。
 タクシーに乗ると、ワンメーターで病院についた。これなら歩けたなと思う。
0559_002  
 ぼくは町をゆっくりと歩きながら、観察するのが好きだ。
 どんな人たちが、ここでは生活しているんだろう。
 どんなドラマがここでは毎日おきているのだろう。
 そんなことを考えながら歩いていると飽きることはない。

 病院の近くに、すこし大きめの神社があるのが見えた。
 神社も好きだ。
 神社のなかは、いつも空気がきれいに澄んでいる気がする。
 いや、まちがいなく、その土地で、もっとも地脈のいい場所に神社は建てられている。
 ぼくは、神社の境内で、土地のエネルギーを体で感じるのが好きなのだ。

 テレビドラマのセットにでてくる、明るすぎる病院とはちがい、本物の病院には、なんだか沈殿したような暗さがただよっている。
 そりゃ、そうだよなと思う。
 病気や怪我をかかえた人たちの、重い雨雲のような気分が、そこらじゅうにたちこめているのだから。
 あちこちに、いらだちや、かなしみや、あせりや、いたみや、くるしみが、かたまりのようになっているのを感じる。
 ぼくら、外からきた訪問者は、それらにできるだけ触らないように、慎重に歩かなければならない。
 胃のあたりが、ちょっとと重くなる。
 自分が少し緊張しているのがわかった。

 田中くんは、予想していたよりも、元気そうに見えた。
 ベッドのうえで起き上がって、ぼくを迎えてくれた。
 それでも数日前までは、トイレに行くのも禁じられていたというほどの重症だったらしい。
 すでに入院して二週間以上もたっていると彼は言った。
 病院にくるまで、自分の状態が、そんなに悪くなっていると気づいていなかったらしいのだ。
 喘息の具合が悪いと思って病院にきたら、それは実は心臓が原因で、あやうく心臓が止まりそうになっていたのである。
 そのまま入院。
「もう運動もできなくなっちゃったよ。……エッチもね」
 と、彼は冗談めかして笑いながら言ったが、ぼくは、どう答えていいかわからなかった。

 しかし、作家は、死ぬまで作家なのだ。
 さすがだと思ったのは、彼がベッドのうえで、書きつづけていた、ノートを見たときだ。
 そのノートには、入院してノートをつけられるようになってからのことが、びっしりと書きつけられていた。
 毎回の食事については、詳しいイラスト付きである。

「このまま死んじゃったら、これが遺作になると思って、書いてんだ……いや、一日中ベッドからでられなくて、なにもすることないしね」
 作家魂だ。
 おれは、はじめて田中くんを、尊敬した。
 ごめん、はじめてで、田中くん。

 実は、この田中くんには、ぼくはこっそり嫉妬していたことがある。
 なんせあの寺山修司の弟子を名乗れる男なのだ。
 ぼくが一度はあこがれた寺山に、かわいがられた男なのである。
 そりゃ、嫉妬してもいいでしょう。
 しかし寺山さんにその才能を買われていたにもかかわらず、ぼくの知っている田中くんは、どちらかといえば、どんくさいタイプの男で、純粋であるがために、生きかたが不器用に思えていた。
 だが、やはり、この男は立派な作家だった。

 人間、自分が死ぬとわかったときに、なにをするかは、大きな問題だ。
 この男は、作品を書いていた。
 しかも、懇切丁寧な食事のイラスト付きで。
 そこには、なんともいいようのないユーモアがあるではありませんか。
 おろかしくも、真剣なユーモアが。

 ほんとに、尊敬したよ、田中くん。
 きみがいいというから、ここにきみの記念写真をのっけます。
 きっと、このブログを見た人は、みんなきみを尊敬するよ。

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 でも、あのなんだか不思議なイラスト付きのノートは、遺作にはならないと思う。
 まだきみは、しぶといよ。

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2005年5月 9日 (月)

酔拳と脚本家

 酔拳の日本チャンピョンに、中国拳法を習った。
 カンフーである。
 ジャッキーである。
 ブルースなのだ。

 ぼくは、いちおうジャッキー・チェン兄貴の、日本人の弟である。
 とうぜんカンフーはできるはずだと思っていた。
 思いこんでいた。

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 ところがはじめて体験するカンフーが、こんなにもきついものだったとは思いもしなかったよ。

 中国拳法では、敵の金的(キャンタマ)とか狙うために、体勢を低く構えるのだそうだ。
 低く構えるためには、とうぜん膝をグッとまげた状態にならなければならない。
 これで一分もすると、もうももの筋肉がプルプルしてきて、膝が笑ってしまう。

 ふだんダンスで鍛えているとはいえ、そんな姿勢をとっているわけではない。
 たちまち汗びっしょりになってしまった。
 おまけに、突き出すパンチの早いこと。
 カンフーだけに、カンパツいれずに、パンチを出さなければならない。
 フーってな感じだ。

 それにしてもカンフーとは、香港映画でよく見ていたが、実戦形式でそれをやっている人たちがいようとは、まったく知らなかった。

 このチャンピョンたちは、フルコンタクトで闘う試合をしているらしい。
 毎年11月に大会があって、このぼくたちに教えてくれた、廣橋さんという人は、去年の大会で優勝したのだ。
 本物の日本チャンピョン。
 いちおうマスクと金的ガードと、オープンフィンガーのグローブはつけるが、それ以外はどこを殴ってもいいということになっているらしい。
 おまけに決勝戦は、お互いに目隠しをして、両手両足につけた鈴の音をたよりに闘うんだって。
 ちょっとクレージな感じの世界。
 おもしろすぎるぜ。
 まさにカンフーハッスルな世界だったのだ。

 酔拳と、脚本講座にどんな関係があるのか?
 と聞かれると、ちょっと困ってしまうけど、無理やり理由をつけてしまおう。
 それが即興の基本だ。

 酔拳は、八人の仙人が、酔っぱらっている人の姿にインスピレーションを受けて編み出した拳法だそうだ。

 脚本家も、どこにインスピレーションがころがっているかわからない。
 いっけんバカバカしいものにも、すばらしい脚本のネタがあるかもしれません。
 見落としちゃいけないってことだよね。

 まさか酔っぱらいが、チョー強い拳法になるとは、それ以前の人は思わなかっただろう。

 もうひとつ気づいたのは、ダンスも拳法も、実戦(試合)にいくためには、地道な基礎トレーニングが必要だってこと。
 これは脚本も同じだと思う。

 拳法の道場では、ウォーミングアップもかねて、基礎の突きとか蹴りをひたすらくりかえす。
 ダンサーは、ベーシックのステップをくりかえす。
 脚本家はなにをすればいいか?

 この体感脚本講座では、脚本家のためのベーシックトレーニングの方法も探っていきたいと思います。

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 もちろん、他の人の作品や脚本戯曲類を見るのは当然のこととして、実践的なエクササイズって必要でしょう。

 まずは、前回も書いた、『会話のスケッチ』ですね。

 脚本家よ、町にでて、人々の声に耳をすまそう。
 まずは、それがトレーニングの一番だ。

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2005年5月 8日 (日)

踊りまくるのだヌーン2

 このブログは、6月からはじまる、体感脚本塾のためのプレ講座のつもりだったけど、なんだかこれを書くのが楽しくなってきた。
 脚本の書き方を、あらためて自分に問い直している感じ。

 体感脚本講座の申し込み、どしどし待ってます。

100_0135

 脚本家というのは、人との共同作業が好きな人に向いてます。
 一人で作業するのが好きな人は、小説とかのほうがいいでしょう。
 脚本家が組むのは、演出家や役者などの場合が多いけど、脚本を書き上げるまでの過程にならば、相談に乗ってくれる人、全員が相手になります。

 共同作業って、じっさいはけっこう難しいもんです。
 一人一人、自分のエゴをもってるし、自分の書いたものに、他人が意見を言ったり、批評をしたりするのって、最初は、自分自身についてなにか言われてると思いがちですから。

 そういうとき、相手の意見や批評を受け入れる耳を持つというのは、とても大事なことになります。
 他人の言葉に、しっかりと耳をかたむけましょう。
 どんな意見も、自分を客観的に見るための手助けになるものなんです。

 人の話に耳をかたむけるということの訓練方法ですけど、いくつかまえのタイトルでも書いたけど、会話のスケッチって役にたちます。
 ただじっと聞いて、それを再現してみるのです。
 声に出して、プレイバックします。
 リズムや音の高低はどうだったか、どんな省略や、流行り言葉が使われていたかなどにも気をくばってやってみてください。

 いかに自分が、正確に聞いていないかがわかります。
 ましてや、文章に書き起こすと、どうしてもしゃべりそのものではなく、書き言葉になってしまう傾向がでます。

 声に出してみると、そのことによく気がつくことでしょう。
 いいアイディアを人から、もらうために、いい会話が書けるようになるために、人の話には耳をすませてくださいね。

0557_002
 昨日はタップのレッスン。
 いい汗かいたよ。
 このクラスには、ぼくよりも年上の先輩がいる。
 Nさんは、IT関係で働いていたが、いまはダンサー。
 もう50近いはず。
 ほんとまじめな人で、バレエとかも習ってるらしい。人生半ばもすぎて、踊れる人生って、幸せだと思います。
 Nさんは、マンションの管理組合の総会の準備があると言って帰っていった。
 すばらしき生活感。ビバ、ダンスマン。

 かたや43歳の脚本家、K・田中からメールで、心臓病で入院したとの知らせがくる。
 もともと不健康そうな生活していたから心配はしていたんだけど、心臓にきたかって、感じ。
 この男は、あの天才、寺山修司の最後の弟子。
 師匠の寺山さんは、享年47歳だった。
 いくら弟子だからって、病気癖まで師匠のマネしないでもいいのにと思ってしまう。
 ちょっと意地悪い書き方しちゃったけど、マジで心配してます。

 同年代の友人が、病に倒れたりすると、自分の運のよさに感謝です。
 ここまで病気らしい病気したことないもんね。
 このまま、踊りつづけるぞ、倒れるまでは。ヌーン。

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仮面のすすめ

 土曜日の原宿を、少し歩いた。
 明治神宮の前の橋のうえに、コスプレした少女たちがたくさんいる。
 フリル系や、きぐるみ系など、衣装はさまざまだったが、みんなメイクが、ゾンビだった。
 目の周りや、ほっぺとか、黒々と縁取りみたいなをしていて、それはまさに死霊、ゾンビそのもの。
 どうやら、死霊メイクが流行ってるらしい。
 これって、いつから?

 彼女たちは、じつに楽しそうに、それぞれかってきままに地べたに座りこんで、歩道を占拠しつづけている。
 コスプレゾンビに、明治神宮は占拠されているのである。

 これってじつに象徴的だなと思った。
 もとより神社は、霊的なものが集まる場所。
 地脈にくわしい人の話では、明治神宮あたりは、エネルギーの出る場所があるらしい。
 そこに死霊たちが集まるのも、当然のことか。

 現代の巫女たちは、わざと死霊の格好をして、生きていることを忘れがちな日本人たちに、生きる実感とはなにかを教えようとしているのかもしれない。(ちょっと持ち上げすぎかヌーン?)

 奇抜なメイクで、素顔がわからないようにしてしまうと、とたんに少女たちは、大胆になる。
 ふだんの日常ではおさえつけている、感情や、本来もっている傾向を、あらわにして動きはじめたりする。
 彼女たちは、メイクをしているから、地べたを占拠することができるし、じろじろみられてもへいちゃらでポーズをとったりできるのだ。
 日常(現実)の自分は、けっして危険にはさらされないと、どこかで思っているから。

 これって演劇で、仮面をつけるのと同じ効果なんですね。
 役者は、役柄という仮面をつけたとたんに、舞台のうえでなんでもできるようになります。
 モラルに反することも、犯罪さえも、役でやるのならば、平気でできるわけです。
 そこでおこなわれるのは、フィクションで、現実の自分はけっして危うくなることはないとわかっているから。

 自分を虚構化してしまう、装置がここにあります。
 フィクションに同化することが、仮面(役柄)だけで簡単にできるのです。

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 脚本家や作家の場合においても、同じような効果を発揮するものがあります。
 それはペンネーム。
 ペンネームをつかえば、日常の自分とはちがう者に、簡単になることができます。

 作品を書くんだというモチベーションをあげるためにも、自分にペンネームをつけるというのは、けっこういい効果をもたらしてくれます。
 あなたも、ひとつペンネームをつくってみませんか。

 かくいうぼくも、このブログをつくるにあたり、ジャッキーという、名前を使ってみました。
 とたんにジャッキーというキャラクターが、ぼくのなかで立ち上がり、一人で動きだしています。
 もうジャッキー、大活躍です。
 ジャッキー・チェンの腹違いの弟の、ジャッキー・そのだは、日本で脚本家をやってます。

 ジャッキーは、ふだんのぼくよりも、かなり元気なようです。
 ブログ作りにかんしても、エネルギーをおしんでません。
 もうしばらくジャッキーには働いてもらうつもりです。

(写真は、この話とは、まったく関係ありません。)

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2005年5月 7日 (土)

踊りまくるのだヌーン

 一気にコメントがふえてうれしいなぁ。
 なつかしい人が、コメントくれた。
 フジヨシ、立ってるかぁ?(ワハハハ)
 イワイくん、ヌーンつけてみました。
 くらみさん、いい脚本書いてね。
 はるなちゃーん、稽古いきます。
 いたがきさーん、ラウですか?

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 演劇のワークショップをやっていると思いきや、たちまちダンサーに変身!
 ルイスのラテンダンスのレッスン受けてきました。
 ほんとうは、まだ4回目なんだけどね。(けっしてしゃるうぃダンスに影響されたのではありませんぞヌーン)
 このクラスは、生徒さんの人数がまだ少ないので、生徒の立場からするとじっくりと教わることができるので、すごくいい。
 きょうは、女優の星野マヤさんもきてくれて、レッスンは華やかになっちまったヌーン。

 ドミニカンの体にしみついたリズム感を、うらやましがりつつも、自分なりに汗かきを楽しむのだヌーン。(そろそろヌーンやめていいよね)

 脚本家は、いつも好奇心旺盛でなければなりません。
 いたるところにアイディアのタネはころがっているものですから。
 こうやってダンスのレッスンをしていたら、いつか、しゃるうぃダンスの二番煎じを狙うプロデューサーが、ダンスにくわしいシナリオライターを探して、ぼくのところにやってくるかもしれないでしょ。
 脚本の取材もかねていると思えば、毎日が、もう仕事モードよ。
 遊びのときこそ、次の仕事の準備をしてるようなもの。
 毎日が、真剣勝負だヌーン。(あっ、くせになっちゃった)

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ビバ・フィクション

1  連休明けで、ひさしぶりに高校に行って、ワークショップをやってきた。
 3年生の卒公準備クラスと、2、3年生の声優志望者クラス。
 役者志望の3年生のクラスには、はじめて演技をやる者もまじっているので、芝居の基本からやっている。
 今日のテーマは、『フィクション(物語)にすると、現実はとたんにおもしろくなる』だ。

 まずは一人ずつに、連休中にどんなエボックがあったかを語ってもらう。
 いろんな話がでた。『バイトしてた』『ともだちとボーリングいった』『ゲームざんまいして、することなかった』『おじいちゃんたちと、お台場にいった』など。
 二十数人のリアルな生活が、なんとなくつまらなそうに披露された。
 生徒たちは、なんでこんな話をしなきゃなんないんだろうという感じで、ちょっと面倒くさそうだ。

 そこで、僕は、こう提案する。
「じゃあ、こんどは、いまはなしたことを、百倍くらい誇張して、フィクションにしていいから話してみてよ。ただし、ネガティブな誇張はなしね。あくまでも、いいほうに味付けして。ポジティブな感じでね」
 生徒たちは、「そうきたか」って感じで、とたんにテンションがあがっていく。

 するとさっきの話が、みるみるおもしろい話に変化して、聞いている生徒たちから、笑い声や、喝采がおきるのだ。
 ただのバイトが、『銀行強盗を捕まえた』話になったり、ただのボーリングが『ボールとまちがって友達を投げちゃった』話になったり、ゲームしてだけでなにもしなかったのが『自分の情けなさをネタにしたコント』になったり、お台場にいっただけが、『お台場を買い上げた』話になったりしてしまう。

 これこそ『物語』の力。ストーリーパワーだ。
 作り話は、面白いのである。
 これはもう、まちがいないことなのだ。

 ぼくは、生徒たちに『嘘』でいいんだということを説明する。
 芝居は、本当のことをやる必要はないんだと。

 フィクションのなかで遊ぶことが、芝居なんだということ。
 ただし、真剣な遊びでなければなりません。

 この高校生たちの話が面白かったのも、彼らがいきなり他の生徒たちの前で、即興で作り話をかたらなければならないという、切羽詰まった状況があったからこそなのです。
 ギリギリの真剣な状況に追い込まれたものが、作り話を真剣に語っているからこそ、観客はそれを面白がれるわけです。

 これは脚本書きにも、まったくあてはまります。
 どんなホラ話でも、バカ話でも、作家は真剣そのものでなければなりません。
 作家が、ギリギリの真剣勝負で書くからこそ、それは観客に伝わるのです。

 みなさん、物語作りを、もっと楽しみましょう。
 プレイ・ザ・ストーリー。

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2005年5月 6日 (金)

ボイストレーニング

 昨日は、日テレの生田スタジオに行って、7月からの新番組に出演する子役(といっても11歳から14歳)の人たち相手に、ボイストレーニングのしかたを教えてきた。

 なんで脚本家が、ボイストレーナーなのと驚かれるかもしれないが、ぼくは劇団主宰者で、19歳のときから劇団でさんざん鍛えられた役者でもあるのです。それにこの五年間、東放学園高等専修学校という芸術系の高校で、演技指導もしてきたので子供のあつかいにはかなりなれている。ポケモンの脚本家ということもあり、子供の受けは相当いい。ある意味、理想的な子役の指導係なのですよ。その番組の関係者が、振り付けの金丸さんを通して、ぼくに依頼してきたのでした。(ちなみにこの番組はぼくの脚本ではありません)

 子供といっても、子役としてのキャリアがあるので、彼らの態度や飲み込みはすばらしかった。こちらとしてもやりやすいことこのうえなし。
 やはり、こういうワークショップ的なものは、教わる側の質によって変わるんだなと痛感。
 教えてる側も、生徒がいいと、がぜん乗ってくるもんです。

 子供たちは、可能性のかたまりというオーラをみんな発していて、一緒にいると自然と楽しくなってきます。
 できるものなら、この子たちの未来を見てみたいと思いました。
 彼らにどんな輝く未来が待っているのか。
 この輝きは、どこまでつづくのか。
 無邪気さと、計算高さと、不安と、自信と、そんなものがいろいろまじった彼らの気持ちをあびながら、数時間を楽しみました。

 ボイストレーニングでもっとも大事なのは、呼吸と姿勢なんですね。
 声も筋肉をつかって出すものなので、ウォーミングアップも大切。

 それってじつは、なんにでもあてはまるものなんです。
 もちろん脚本を書くことにかんしても。

 脚本を書くのに、呼吸と姿勢が大事だとは意外かもしれません。
 あたまを使うためにはエネルギーのコントロールが必要でしょ。
 そのためにもっとも大事なのが、呼吸なんです。

 ぼくは執筆の前に、複式呼吸(丹田を意識した呼吸法)をおすすめします。
 あるきながらでも、座ってもかまいません。
 おへそのしたあたりの丹田を意識して、ゆっくりと呼吸しましょう。

 ようはリラックスすること。からだの余計なところに力がはいらないようにすること。
 そのための呼吸なんです。
 自分のからだの状態をととのえることで、脚本を書くための集中力が生まれます。

 体もストレッチとかやってウォーミングアップするほうがいいです。
 よけいな緊張感を抜きましょう。

 ものを書くという行為は、とくに背中のあたりの緊張状態がつづきます。
 何時間も執筆していると、背中がガチガチになってしまったりします。
 そういう状態がつづくと、集中力も持続しなくなります。
 緊張と脱力(リラックス)。
 これが大事です。

 これってまさにドラマの構成にもあてはまるでしょ。
 緊張状態ばかりがつづいても、観客はつかれてしまいます。
 緊張のあとには、脱力をもってくること。

 ぼくの場合は、脱力が多すぎて、締め切りにまにあわなくなってしまったりするわけですけど。
 反省。

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2005年5月 5日 (木)

会話の練習

会話のスケッチ・デッサン

 これはダイアログのエクササイズアイディアです。

 町で耳にはいってきた会話を、そのままおぼえていて、スケッチするのです。
 できるだけ正確に。
 そして、一人になったらそれを声に出して読んでみる。
 仲間がいるときは、その人と一緒に読んでもらってもいい。

 会話は再現できるのか?
 そのニュアンスはスケッチできたのか?

 絵描きさんは、自分の作品をつくるために、さまざまなデッサンやスケッチをしますよね。
 それって当然のことなんだけど、脚本家にとっても、その練習って効果的だと思います。

 会話のスケット、デッサンをやってみましょう。

 もちろん現実の会話の再現できたからといって、いいセリフがかけるようになるとは限りません。
 あくまでもセリフをいきいきと書くための練習です。
 自分で声に出して読んでみたりしているうちに、あなたが書きたいセリフのリズムやタッチが自然に生まれてくると思います。

 だって、テープレコーダーじゃないんだから、本当に正確に再現はできないものだから。
 あなたというフィルターがかかることが、いいことなんですよ。
 それが個性というものなのかもしれません。

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切り抜けろ

切り抜けました。
昨日は、そうとう追いつめられてたんだけど、なんとか窮地を切り抜けました。
原稿できたのは、打ち合わせにいく、三十分前。
ほんと、脚本家としては、最低だなぁって、いつも思います。
どうして、こんな状態になる前にできないのか、二十五年間も思いつづけてます。

ほんと、締め切りが守れる脚本家の方を尊敬してます。

それで、また直しの日々です。