時差ボケ
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『メキシコよサラバ』
旅のレポートも、これで最後になります。
あと数時間後には機上の人になる予定。
いまはホテルの部屋で、メキシコリーグのサッカーを見ながらこれを書いてます。
ドスエキスというビールは、けっこうおいしいです。この三日間のお気に入りになりました。
メキシコサッカーは、かなりレベル高いです。
貧民層の人は、野球かサッカーでなりあがるしかないから、がんばるんじゃないかなぁ。なんかハングリー精神を感じます。
カンクン入りしたのは、もう三日前になってしまいました。
メキシコシティで、飛行機に乗り遅れちゃいけないと思って、空港に早く行き過ぎて、空港で三時間も待つことになりました。こういう時、一人だと暇つぶしが大変。
人間観察も、三時間もやってると飽きてきます。
カンクンの空港で、タクシーに乗ろうとしたら、寄ってきた客引きの口車に乗せられて、たった一人で8人乗りのバンに乗せられてしまった。
もちろん値段は一人も八人も同じ。ふつうのタクシーの倍くらい払わされる。
ちょっと悔しかった。
タクシーの運転者が人懐っこくて、いろいろ話しかけてくるので、ポケモンの脚本家だというと、外国に住んでいる息子にわざわざ電話して、話をさせられた。
息子はアニメファンらしかった。
彼は、カンクンに出稼ぎに来てるという。
みんながんばってるんだよねー。
『遺跡で迷子になる』
二日目は、チェチェンイッツァの遺跡に行く。
日本人のツアーに参加。
アメリカ在住の日本人家族が二組、年配の御夫婦が一組、そしておれ。合計十一人。
大型のバンに乗りこんで、遺跡を目指す。
なんだか修学旅行気分で、おれはウキウキ。でも家族連れが二組ともおとなしいので、バンのなかではしゃぐわけにもいかず、しずかにしてた。
こき季節、カンクンにバカンスに来るのは、新婚旅行以外はアメリカ在住の日本人家族がけっこう多いって、ガイドさんが教えてくれた。
小学生と中学生の娘を連れてお父さんに話しかけてみた。
彼のは、もう七年もニューヨークに仕事でいるとのこと。娘さんは、日本語よりも英語のほうが得意そうだった。
三時間近く、ほぼまっすぐな道を行くと、ジャングルの中に遺跡が忽然とあらわれる。
巨大な都があったらしい。
ここにもでっかいピラミッドがある。
やはり階段状になっていて、最上階は、平らになっていて、そこに木で建物を建てていたようだ。
ティオティワカンの時も思ったのだが、当時の人々は背が低かったにもかかわらず、この階段の一段一段が異様に高い。
なぜだろうと思っていた。
その謎が解けた。
これは階段としての機能よりも、儀式の時の雛壇としての役割をになうものだったのだ。
きっとこの雛壇に、偉い人順に並んで座ったんだろう。
そう考えれば納得がいく。
この遺跡には、巨大な球技場があった。
サッカー場よりも、もっと大きい。縦に百五十メートルくらいはあった。
ボールを入れるゴールが、ものすごく高いところにある。
ここでの試合は、選手たちにとっては大変だったろう。
ここ以外にも、球技場はいくつもあったらしい。
いろんなサイズの球技場で、サッカーのような、バスケのような試合をやっていたのだ。
しかも勝ったほうのチームのリーダーが、その場で首を切られていけにえになったらしい。
研究者が言うのだから、たしかなのかもしれないが、僕には納得できないものがある。
いくらいけにえが神事だったとはいえ、自らいけにえになるのは、昔の人でも嫌だったんじゃないかなぁ。
遺跡が広大すぎて、帰りの道で迷子になってしまった。
他のツアーのおばさんたちに、道を聞いて、なんとか集合場所にたどりついたけど、集合時間に大幅におくれてしまった。
みんなに迷惑をかけたので、ひたすら謝る。
マヤの遺跡にまできて、遅れをあやまることになるとは、締め切りに遅れて毎度謝ることになっている、脚本家の悲しい癖なのか。
『会長さんとお友達』
三日目は、コバ遺跡とトゥルム遺跡。
八時前に迎えがくることになっていたが、電話で起こされた。
寝坊だ。
もう一組のお客を迎えにいってくるので、その間に準備してくださいということになる。また謝った。
今回は、昨日よりも一回り小さいバンになる。
昨日一緒だった年配のFさんご夫妻と一緒。
観光会社の日本人の若い女の子のガイドが二人、研修でついてくる。
海外で仕事をする日本女性は、日焼けで真っ黒。たくましい。
まだ三時間近く走る。
ジャングルの中をいくので、変化が少なくあまり面白くない。
今日はFさん御夫婦と、話しながら遺跡を目指した。
埼玉に本社のある自動車部品の会社の会長さん夫婦だった。
メキシコに工場があるので、だんなさんは仕事でメキシコによく来ているらしかったが、今回は奥さん孝行でカンクンに観光旅行にきたのだという。
ほがらかな御夫婦だ。
僕も話し相手ができて楽しくなってくる。
ここにもでっかいピラミッドがあった。
どうやらツインタワーのようになっているしらいが、もう一つはまだ草木に覆われた山のまま。
一つの方だけが発掘され、ほぼ復元されている。
そこに登ったら、ジャングルの中に、あちこちに盛り上がったようなところが見える。
それらも遺跡にちがいない。
マヤ人は、見事な舗装道路をつくっていたらしく、そのあともあった。
車輪は使っていなかったらしいが、舗装道路はなんのためのものだったのだろうか?
まさか飛行機の滑走路なんてことはないよね。
でも、そんなことを考えると楽しい。
ジャングルの中の遺跡は、風化が激しく、石灰岩にきざまれたレリーフとかもほとんど消えていた。
この遺跡も広大なので、自転車の前に二人分の座席をつけた、逆リヤカーみたいな乗り物で移動する。
この人力車は快適だ。
テュラムの遺跡に移動。
ここはカリブ海にのぞむ、マヤ最後の遺跡と呼ばれている。
四方を壁にかこまれた都のあと。
でも、僕には都というよりは、前線基地のように思えた。
マヤ人たちがカリブ海からやってくる外敵に備えてつくった城砦。
そんな感じ。
絶壁を降りていくと、そこには美しい浜辺があり、観光客たちが海水浴をしている。
あちこちに猫くらいの大きさのでっかいトカゲ(?)がいる。
すでに見慣れてしまったが、日本で見たならば、飛び上がるだろうなぁ。
『島に行く』
四日目、これでカンクンは最後だ。
あとはさっさと東京にもどるだけ。
今日は予定がなかったので、近場をブラブラする。
バスでフェリー乗り場に行き、三十分海の散歩。
イスラ・ムヘーレスという島に渡った。
ここはまるで新島って感じ。
浜辺には2年前のハリケーンのなごりが、まだあった。
そうとうひどかったらしい。
観光客がみんな水着姿で歩いていて、田舎の海水浴場って感じ。
浜辺沿いには、海の家みたいなものがたくさんあった。
一時間いて本土に戻った。
最後に、ホテルの前のビーチで、ついにおれも海に入った。
十分ほどだったけど、今年初の海でウォーキング。
カリブの海は、ぬるかった。
僕の長い旅行レポートを読んでくださって、ありがとうございます。
東京に帰ったら、また脚本修行だぜ。
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『これが広場だ』
昨日、メトロに乗ったことに自信を深めて、旧市街まで、今度はメトロの乗り換えに挑戦してみた。
午後一時過ぎ。昨夜の喧騒が嘘のように、地下鉄の駅は静かだった。
すんなり2ペソのチケットを買って、メトロに乗る。
なんとなく駅の表示とかも、システムが理解できるようになってきた。
地下鉄のなかは、いかにも労働者階級の人たちといった雰囲気の人たちで、八割方満員。そのなかに、いきなり物売りの女の人が乗りこんできた。
体にスピーカーをしょって音楽を鳴らしながら、CDを売っている。
これと同じような光景を、韓国でもバンコクでも見た。
日本でも、かなり昔は、そういうことをやっていたと聞いたことがあるが、今は想像だにつかない。
どんなことをしてでも働かなければならない人たちがたくさんいる国では、こういう電車内での行商とかがまだ行われている。
目の前に座っていたふとったおねぇえさんが、そのCDを買った。そのスムースなやりとりに、一瞬、目を奪われる。
やっぱ、買う人いるんだ!
行商のおばさんは、電車が次の駅に止まると、すばやくホームに出て、隣の扉に移っていった。
するとまた別の行商のおばさんが入ってきて、今度はガムを売る。
みんななかなかいい声の出し方をしているので感心。
五つか六つ駅をすぎて、一本ラインを乗り換えた。
簡単な乗り換えも、けっこう冒険に思えるから、旅は楽しい。
何をやっても脳が活性化する気がする。
ソカロ。
たぶん広場っていう意味なんだろうと思う。
メトロの駅をでたら、そこにははデーンとでっかいカテドラルがあり、その前に広大な広場がひろがっていた。
これはまさにヨーロッパの大都市のスタイルそのもの。
しかもこの広場が、半端なくでかい。ゆうに百メートル四方はある。
この下には、でっかいアステカの神殿があったらしい。
それをぶっこわして、スペインの征服軍がキリスト教的世界を、その上につくりあげたのだ。
カテドラルの横に、テンプロ・マヨールという遺跡があり、そこにはアステカの壮大な神殿が発掘されている。
侵略してきたスペイン人が、すこしでも以前の文明に敬意を持ってくれていたら、もっとたくさんの遺物を見ることができたんだろう。
しかし、そんな歴史的な遺物よりも、僕を驚かし、感動させたのは、このソカロに集まっている人たちだった。
このソカロの周囲には、ものすごい数の人が集まっていた。
メキシコシティじゅうの人が、ここに集まったんじゃないかと思うくらいの人出。
人、人、人、人人人……人の波。
道路の両側は、自分の売り物を一メートル四方のふろしきの上に広げた行商の人が、びっしりと埋めつくされている。
せまくなった道を歩く人たちは、肩をぶつけあいながら、まるで明治神宮の初詣状態。
それがえんえんと続いている。
なんだか町中が、巨大なフリーマーケットになった感じ。
あちこちでタコスや、ピザみたいなもの(なんがよくわからない食い物)を売っている屋台もあり、ここはアメ横か!
しかも半端なくでかい、アメ横だ。
僕の受けた感じでは、旅行者相手というより、地元の人向けの市場だ。
いろんな物が売られていたけど、価格は、すごく安かった。
あんまり上等な品ではなさそうだったけど。
写真もとったけど、この雰囲気はなかなか伝えられそうもない。
なんか写真を撮ってると、すりに狙われそうな気がしたから、もう写真は隠し撮り状態。
僕は、できるだけ気配をけして、町に溶け込もうとした。
まったくできないんだけど、そんなことは。
東洋人は、ほとんど歩いてなくて、みんな僕のことじろじろみるんだよね。
このソカロの、巨大アメ横では、メキシコのバイタリティを感じた。
誰もが、ひたすら商売してた。
なんでもやって生きるんだという、気合が伝わった。
しかし、どうしようもなく、まったくうれそうもない、おじさんとかもいた。
両手に、なんかパンみたいなものを持って、売り歩いているんだけど、あまりにもシンプルすぎて、誰も見向きもしない。
それでもおっさんは、声をだしながら歩き回っている。
やっぱ仕事が、あんまりないんだろうなぁ。
仕事があれば、そこまですることないだろうし。それとも、ふだんは何かやってて、休みの時はこういう行商とかするんだろうか。
そんなことを考えながら歩いていたら、やっぱり隙ができたんだろう。
靴磨きのおっさんにつかまった。
断ったけど、立ち止まった隙に、靴にクリームつけられてしまった。
しょうがねぇ、これも経験だと思い、言われるままに、靴を磨かれた。
やっぱり最後に、かなりの値段をふっかけてくる。
半分くらいだろうと思って値切ったら、その中間で、折り合った。
それでも、たぶん普通の値段よりは、かなり高めなんだろうと思う。
それにしても、靴磨きの人も、たくさんいる。
空港とか、駅とか、あちこちで見る。
たしかにメキシコ人は、みんなピカピカの革靴をはいている気がする。
靴磨きは、元でもほとんどかかんないし、いい仕事なのかもしれない。
あとで空港の靴磨きの値段を見たら、やはり僕がソカロで払った金額は、その倍以上だった。
あの靴磨きのおっさんは、観光客の靴を磨いて、ぼろ儲けしてんだろうなぁ。
ほとんどの人が英語しゃべれないんだけど、その靴磨きのおっさんは、けっこううまく喋ってた。
靴磨きも、英語力がものをいうのだ。
『二階建てバスの孝行娘』
ソカロを歩き疲れたら、ちょうど二階建ての観光バスが止まってた。
それに乗れば、ちょっと観光して、自分の泊まってるホテルの近くまで行ける。
迷わず飛び乗った。
バスの中でチケットを買う。おねぇさんが、手首にバンドを巻いてくれる。それをつけていれば乗り降り自由なのだ。英語は大丈夫かと聞かれて、イアフォンをくれた。それで町の解説を聞きながら観光ができるのだ。こいつはいい。
で、席に座ったら、日本語の解説もあるじゃないか。
じゃあ、さっきのおねぇさんは、僕のことを何人だと思ったのだろう?
たいていのところでは「ハポネス」とすぐに気づかれてたんだけどなぁ。
ホテルの近くのレストランに入って食事。
けっきょくシティにはいって、この店で食べるのは三度目。
同じ店にばっかり入ってしまうのは、東京で暮らしているときと同じだ。
これは僕の癖。
基本的に、あまり冒険できないたちなんだよね。
ホテルの一階にスターバックスがあり、そこでも毎日、おなじものを買ってしまう。
グランデラテ。これも東京でやってることと同じ。
安心感があるんだよね。
スタバのラテには。
八時からソカロでメシキコフェスィバルのイベントで、モダンダンスがあると書いてあったから、それを見に行くことにした。
手首には乗り降り自由のバンドがある。
もう一度、二階建てバスに飛び乗った。
二階には、空いている席は一つしかなかった。それに座ると、前の席から日本語が聞こえてくる。女性の二人連れが話しているのだ。
「こんにちは」
と、つい声をかけていた。
二人はすぐに母娘だとわかった。二十代の娘のほうはメガネをかけているが、ほんとに雰囲気が似ている。
ぼくはつい、ひさしぶりに日本語を聞いたなどと、いいかげんなことを言ってしまった。実は、昨日はガイドさんに案内されていたので、別に久しぶりの日本語じゃなかったんだけど、昼間ものすごい群衆のなかで、珍しい東洋人として孤独感を味わっていたので、本当に日本語が懐かしくかんじていたのだ。
ほんとに言葉でコミュニケーションするのに、ストレスを感じないことの、なんとすばらしいことか。
この親子は、二人でメキシコ旅行にきたのだという。
女性の二人連れなので、なかなか夜は出歩いたことがないらしい。
ちょうど自分たちの泊まっているホテルに帰る途中だったのだが、僕がソカロでイベントがこれから始まるといって誘ったら、「じゃあ、一緒行こうかしら」ということになった。
旅はみちづれ、世は情け。
まさに、寅さん的な流れだ。
日常では、なかなかこうはいかない。
今年に入って、男はつらいよシリーズをたくさん見て、寅さん感覚を身につけていたからこそ、こういう流れがやってくる。
Oさん親子は、品川から来ていた。
僕とはちがって、二人は日本人観光客がたくさん宿泊している小さなホテルにいて、いろんな人に会えて楽しいと言う。
うん、これこそ正しい個人旅行だと思った。
豪華なホテルにとまるよりも、日本人経営のホテルの安心感と、そこでの出会いを楽しむ。
そのホテルには、修行中の若いプロレスラーも泊まっているとのこと。
面白そうじゃないですか。
二人は、メキシコシティに来てから、まだ一度も夜の町には出たことがないと言う。
なんだか怖かったらしい。
毎晩、夜の町を徘徊している僕とは大違い。
僕と一緒に、夜の町を歩けるのをとても喜んでくれた。
僕らがソカロについたのは、開演時間の十分前くらい。すでに広場は、何千人もの人で埋めつくされていた。
さらにどこからともなく、どんどん人が集まってきている。
下手よりの端っこに、座ろうとしたら、そこにいた人が身振り手振りで椅子を自分で持ってこいと言っている。
たしかに前のぼうに、バイプ椅子が山積みされている。
その椅子を勝手に持ってきて、そこに座席をつくった。
あとから来た人たちも、それにならってどんどん座席が広がっていく。
みんなこういう時の対処のしかたを心得ているらしく、ほとんど混乱もなく、すんなり座席が出来ていく。
会場整理の人などいないのに、数千人もの人が、まったく混乱しないで自分たちの座席を確保していく。
これはすごかった。
プロレスの会場でも思ったのだが、ものすごい数の観客にくらべて、場内整理の人員は極端に少ない。
それでもここの人たちは、ほとんど混乱することなく、いつのまにか自分の居場所をつくっている。
これはおおらかな国民性こそがなせる技なのかもしれない。
日本では、こうはいかないだろう。
なにが違うんだろうと思った。
チケット売り場とかで、多くの人がならんでいる。
日本だと、なんかイライラ感が伝わってくるのだが、ここではそれがないのだ。
最初からあきらめてるのか、それとも、そういうことを気にしないのか。
ここの人たちは、並んだり、混乱している中にいても、あまりストレスを感じていないような気がする。
やっぱり陽気なメキシカンなのね。
イベントは、アメリカのダンスカンパニー、シュン・ウェイ・ダンスアーツの公演だった。
モダンダンスカンパニーだ。
ピアノの音にあわせて、ダンサーたちがゆったりと、ときには素早く動きだす。
広場にあつまった民衆は、無駄話もしない。
こんなにも大人数が、モダンダンスのパフォーマンスを見るのは、きわめてまれなことだろう。
みんなほとんど咳もしないで、じっとダンスの公演を見つめている。
そこらへんに普通に生活しているおっさんや、おばさんが、難解な動きのダンスを見つめているのだ。
彼らの、芸術家に対するレスペクトが伝わってきた。
終わると、潮が引くように、彼はどこかへと帰っていった。
僕とOさん親子は、ソカロに近い評判のレストランで、マリアッチにかこまれて軽く食事をした。
マリアッチが見たと言っていた、Oサン親子は、大満足。
店にタクシーを呼んでくれと言ってら、待っていたのは白タクだった。
ガイドブックには白タクはやめておけと書いてあったらしく、Oさん親子は、ちょっとビビる。
僕は、親孝行するつもりで、この親子をホテルまで送って帰った。
こうして僕の、メキシコシティの最後の夜は終わったのだった。
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ちょっと長文です。僕と一緒に旅をしてるつもりで読んでね。写真があれば、もっとよかったのになぁ。
『博物館からルチャリブレ』
今日の予定は、国立博物館で歴史的な遺物を見ること。
遺跡から出土した、いろんなものがあるらしい。そりゃ、見とかなきゃね。
実は、睡眠がうまくとれてない。
三時間寝ては、六時間起きて、また三時間寝るみたいな感じ。
けっきょく明け方まで、なんだかんだと作業してた。
こういうときは体の本能のおもむくままにまかせるにしてる。
眠たくなれば、寝る。それまでは何か書いたり、読んだりする。
締め切り前と同じ。
こういう不規則生活には慣れてるのが、ヘッポコ脚本家のいいところ。(本当は体にはあんまりよくないんだろうけどね)
ガイドさんとの待ち合わせの時間まで、少しあると思ってホテルを出て、近場をブラブラ。
このあたりはオフィス街。スーツ姿のビジネスマンやウーマンが足早に歩いている。
近代的なビルと整備された歩道と並木道。
でも、一歩路地に入ると、老朽化したビルとふぞろいな歩道。
ここも格差が多いにある。
家の軒先につくった小さな店がつづく。昼時が近いので、屋台やワゴンも角ごとに出ている。法律的には屋台は禁じられているらしいが、彼らの仕事を奪うわけにはいかないので、黙認されているという。
ときどきギョッとするのは、物乞いの人が歩道に座ってたりすること。
いきなり手のひらを差し出されるので、びっくりしてしまう。だいたい年取った女の人が多い。子ずれの人もいる。
これも一つの労働なんだろうと思う。
焼きたてパン屋みたいなので、菓子パンと水買って、食いながら歩く。ちょっと日本のディニッシュよりは、少し大きめだった。味はまずまず。
失敗その一。
ガイドさんとの待ち合わせの時間を一時間勘違いしてた。
けっきょく一時間、またブラブラ。
東京という名前の、日本食屋があったのでふらふらと入った。
居酒屋風の作り。メキシカンの女子店員が居酒屋の制服で注文をとりにくる。
なんか言ってる。
雰囲気で飲み物はどうする?
って聞かれてるんだと思った。
『すうどん』を注文。だって、メニューにそう書いてあったんだもん。
薄い醤油味のうどんが出てきた。肉団子みたいな、厚揚げらしきものが浮いている。
うん、たしかに、うどんだ。
だしは取ってないかんじだったけど、麺は、ちゃんとうどんだったよ。
メキシコ国立人類学博物館。
アメリカの起源から、ティオティワカン、アステカ、マヤなどの遺跡から発掘されたものや、それらを再現したものが展示されてた。
どれも見どころたっぷり。
ここで一つ一つ書いてたらきりがないので、省略します。
全体として印象に残ったのは、
『仮面』
メキシコのルーツには、仮面がある。
仮面が象徴するものを、もっと考えてみようと思った。
マヤの人たちが、自分たちが崇拝する者(蛇神)に近づきたくて、頭蓋骨を変形させたり、目つきや、鼻を整形していたということを、はじめて知った。
人は、昔から、何かになるためには、エネルギーを惜しまなかった。
みんな、何かになろうとしていた。
それが人類の歴史なのか。
この博物館では、鉄の文明に滅ぼされる前の石の文明が、そのなごりを見せてくれている。
石を刻んだ人たち。
きっと素朴な人たちだったにちがいない。
博物館を歩くのは、なぜだかものすごく疲れる。
立ち止まっていることは、それだけで重労働なんだと思う。
歩き続けているほうが、よっぽど楽な気がする。
重力をもろに足腰に受けるか、歩いて地面に流しこむか。
そういや遺物には、羽のはえたとか、風の神とか、そんなのがずいぶんあった気がする。古代人たちも、重力から解放されたがってたんだと思う。
アステカの太陽の石の前で、秋葉原からまっすぐやってきたって感じの、リュックをしょった小太りのメガネの男が声をかけてきた。手には『地球の歩き方』
バックパッカーのM森君。
なんだか同じ匂いを感じた。
こいつはプロレス好きにちがいない。
彼は電話のかけかたを、ガイドさんに聞いてきたのだったが、僕はすかさずたずねた。
「今夜、ルチャリブレ見に行きますか?」
「ええ、そのつもりですけど?」
「じゃあ、一緒にいきませんか?」
というわけで、僕とM森君ははルチャリブレの会場である、アレナ・メヒコで待ち合わせることになったのだった。
プロレスは、一人で見るより、仲間と一緒に盛り上がったほうがテンションがあがる。
『燃えるアレナ・メヒコ』
見知らぬ町では、電車に乗るという、きわめて日常の行為でさえ、冒険に感じられる。
これは子供の感覚だ。
子供のときは、何もかもがはじめてすることなので、毎日が冒険だった。
小学生のとき、はじめて博多の町に電車で行った時のことは今でも覚えている。
切符を買うのにも、どきどきしたものだ。
そんな感覚がよみがえっている。
僕は、地下鉄に乗りたかった。
メキシコシティでは、地下鉄の料金はオリンピックの時から、四十年以上変わっていないらしい。どこまで乗っても2ペソだ。日本円で約22円。信じられない安さ。一度、値上げをしようとしたら暴動が起きて、大統領はそれを断念したらしい。
民衆のパワーも象徴している、地下鉄料金。
地下鉄の駅は、ホテルからソナ・ロッサを抜けて、少し行ったところにある。
インスルヘンテス駅。
ソナ・ロッサを抜けていくのは、スペイン風になった渋谷のセンター街を行く感じ。
ところが駅の手前が、ものすごい人ごみになっている。
週末のソナ・ロッサは、若者たちの集う場所なのだ。
台湾の夜市を思い出した。とにかく駅がすごいことになっていた。人、人、人。チケット売り場は、長蛇の列。それなのに二カ所しか売り場がない。
ラーメン屋でも並んだことがないのに、2ペソのチケットのために時間を使いたくない僕は、アレナ・メヒコまで歩いて行ってみようと思った。
そして迷わず歩きだす。
地図で見ると、すぐにつきそうな気がしたけど、歩きだしたら想像したよりは長い道のりだった。
しかも駅からちょっと離れると、ほとんど人が歩いてなくて、暗いし、ちょっとビビる。 こんなところで屈強なギャングに路地裏に引きづりこまれたら、もうアウトだ。
そんな妄想が浮かんだけど、そんなギャングが現れるわけなかった。
三十分ほど歩くと、アリナ・メヒコについた。
アリナ・メヒコは、そっけのない四角い建物だった。だが、そのまわりが大変なことになっていた。
ここもまた、人、人、人。人、人、人、人人人人人……って感じ。
会場に入場しようとする人で、ごったがえしていた。
建物のまわりには、マスクや人形やTシャツを売る、夜店が出ているので、歩道はよけいに狭くなり、そんな状態を作り出している。
この人ごみのなかで、まちあわせたM森君を見つけなければならないのかと、一瞬絶望感に襲われた。
だが電話が通じて、M森君は以外と簡単に見つかった。
彼もこの押し寄せた人たちには圧倒されているようだ。
彼の持っていたガイドブックには、ルチャは下火で閑古鳥が鳴いていると書かれていたらしいが、そんなのは大間違い。
今日に限っては、もう祭り状態だ。
ダフ屋のおっさんも沢山いたけど、言葉がわからないし、なんだか怪しいチケットをつかまされたら困るので、正式なチケット売り場に行った。でも、そこはガラガラ。
もしかしたら、みんなダフ屋で買ってるのかも……
ありえるな、それは。
そういうとこなのかもしれない、この町は。
チケットは、三階席しかあいてなくて、80ペソだった。
入り口で入念な荷物検査があり、カメラとペットボトルははとりあげらた。
あとで返してくれると言うけど、なんだか不安になる。でもしかたがないので、会場内の写真撮影はあきらめるしかなかった。
会場内には、家族連れもいっぱいいた。小さい子供連れで、みんなで週末を楽しみに来てる雰囲気。
試合開始前、五分はまだ空席がかなりあるように思えたが、開始時点ではほぼ満員になった。
一万五千人は入っている。
この夜の主催は、CMLLというメジャー団体で、アメリカンプロレスの演出を取り入れているところだ。
会場の一角に、巨大なステージと花道がつくられていて、ど派手な火花やスモークの中をレスラーが登場する。
その前をもりあげるために、水着姿のナイスバディの美女たちが、しなをつくりダンスをする。
この美女たちの姿が、リングの上の大型スクリーンに映し出される。
どうやらテレビ放映もあるらしく、多くのカメラクルーも動きまわっている。
第一試合は女子プロの六人タッグマッチ。
ルチャでは、善玉悪玉がはっきりしていて、観客の反応ですぐにわかる。
善玉が出てくると、大歓声。悪玉が出てくるとブーイング。
でも、女子プロの登場では、観客は両方に歓声をあげていたように聞こえた。
たぶんどっちがどっちなのか、よくわかっていない観客がたくさんいるらしい。
僕と、M森くんは、四人目の選手が現れた時点で、いきなり盛り上がってしまった。
リングアナが、スペイン語で「ハポン……シマダ」と言ったのが聞き取れたのだ。
『シモダって……あの下田美馬じゃない!?』
二人は顔を見合わせる。
M森君が、ぽつりとつぶやいた。
「メキシコに渡ったっては聞いていたんですけど、こんなところでやってたんですね……」
なんだよ、その情報力。やっぱりこいつはオタクだ。
M森くんは、さりげなくバッグからルチャの情報誌を取り出した。ここに来る前に、どこかで買いこんできたらしい。その雑誌には、今日の試合のプログラムが書かれていた。そこにはちゃんと英語で、下田の名前とタッグパートナーの日本人の女の子の名前(ユイカとかなんとか)が書かれていた。
下田美馬は、まだ全日本女子プロレスが人気をほこっていた時代に、アイドルレスラーとして写真集とかまで出したことのある、実力派の選手だった。
その後、全女をやめてからは、いろんな団体を転々としていたようだが、昨年からメキシコに活動の場を移したらしかった。これはM森君からの情報。
日本の女子プロの中でも、超ベテランの部類に入るレスラーで、もう三十代半ばだと思う。
そんな彼女が、ここでは全盛期の輝きを放っていた。
いきなり相手のメキシコ人レスラーに奇襲攻撃をしかけていき、自分たちがヒールであることを、観客にしらしめると、そこからは見事な技の連続。
鮮やかに一本目を先取しました。
もう観客は一気にヒートアップ。
女子の三本勝負というのは、珍しいらしい。
二本目と三本目は、善玉チームに取られて、下田選手たちは足をひきずりながらの退場だったけど、お客さんたちは大満足。
僕は、なんだか感動していた。
女子プロの試合の展開ではなく、日本では活躍の場をなくした一人のプロが、自分の場所を見つけて、たくましく活躍していることに、心を動かされていたのだ。
これこそプロだと思った。
ヨーロッパのサッカー選手や、メジャーの野球選手とはちがって、ギャラだってそんなにいいはずはない。
きっと過酷な状況のなかで闘っているにちがいない。
それでもプロとしての自分の表現の場所を、どこまでももとめて、それを現実につかんでいる姿。
それはすごいことだ。
やめてしまうことは簡単なこと。
つづけることは、ものすごい努力と、心の力が必要にちがいない。
自分の肉体しかたよることができないプロスポーツの世界だと、それはさらに過酷になるだろう。
僕は下田選手の輝く姿を見て、自分も自分の仕事の場所を、どこまでも追い続けるプロでありたいと強く思った。
男子のルチャは、そりゃあもう、すさまじい盛り上がりだった。
これぞ、本場のルチャ・リブレかと感激。
観客とレスラーが一体になって、まるでロックコンサートのような熱狂がつづく。
観客席にもレスラーと同じようなマスクをかぶったのが、いっぱいいるのだから、それはもう異様な雰囲気。
ふと気づくと、僕のとなりに座っていた小学生たちも、マスク姿になっていた。
マスクをかぶると、子供なのか、大人なのかもわからなくなる。
マスクマンに囲まれての熱狂。
僕もマスクをかぶっていたかった。
というより、ここはマスクをかぶって一緒にのらなきゃ嘘だ。
ルチャ・リブレは、メキシコの人たちにとっては、水戸黄門みたいな勧善懲悪のエンターテイメントだ。
出場してくるルチャドールたちも、わかりやすくできている。かっこいいマスクをかぶっているのはヒーロー。悪役は、顔にペイントとかして、憎々しそうにしている。
展開されるプロレスは、きわめて高度な技を次々と繰り出して、お客をあきさせないものだった。
僕らは、セミファイナルまで見たんだけど、ドスカラスJrとか、ミステリオとか、僕でも聞いたことがあるようなレスラーがでてきて、楽しめた。
メキシコの古代遺跡から出土した遺物には、たくさんのマスク類があった。
デスマスクなのもあるらしいが、僕には、彼らが超自然の能力を身につけたくて、つくったマスク類もあるような気がした。
アステカ人たちは、戦いのためには、ジャガーや、イーグルなどの扮装をしていたらしい。
思えば、それはルチャドール、そのものではないか。
華麗なマスクを身につけ、日常の自分ではない何者か(ヒーロー)になり、戦い、悪を倒す。
彼らは古代の戦士たち(神)の遺伝子を受け継ぐ者たちなのだ。
メキシコで、これだけルチャ・リブレが民衆の中に溶け込んでいるには、それなりの理由があるのだと思う。
古代から脈々とメキシコ人たちの血の中に流れるDNAが、彼らにマスクをかぶらせるのだ。
帰りの混雑が予想できたので、メインの前に会場の外に出た。それでももう十二時近くくになっている。
もちろんマスクを買った。
ぼくは、メキシコの歴史が生んだマスクを大事に抱えて、地下鉄で帰路についた。
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メキシコ取材の初日は、メキシコシティから50キロほど離れたところにあるティオティワカン遺跡。
日本人のガイドさんがついてくれたので、順調にまわれた。
ああ、写真が見せられないのが残念。
せっかくデジカメ、新しいのを買ってきたのに、その大容量のSDカードをノートパソコンが読み込んでくれない。こんなことになるんだったら、まえのデジカメも持ってきとくんだった。なんか、アクシデントがあるような予感はしてたんだけどね。やはり、予感がしたときは、それにしたがっておかなきゃならないという教訓です。
ここのピラミッドをつくった文明は、紀元前2世紀頃から八世紀にわたって繁栄したのち、忽然と消えてしまったらしい。
掘り出されたピラミッドなどから想像するに、この都市は二十万人以上の人口をかかえた、極彩色の巨大な都市だったようだ。
世界各地に、ピラミッドは存在する。
世界各地の古代人にピラミッドを作らせたのは、なんだったのだろう。
ケツアルコルトルと呼ばれる、羽毛の生えた蛇のレリーフを見たけど、僕にはどうみてもライオンかシーサーにしか見えなかった。その横にある、雨の神様のレリーフは、ロボットみたいだし、この二つのレリーフの様式がまったくちがっているのが興味深い。
ティオティワカンの名前は、神話などは、その後やってきたアステカ人たちが作ったものらしく、この巨大都市を作り、また去っていった人たちが何者だったのかは、謎のままだ。これらの謎は、ストーリー作りをするものとしては、すごく刺激を受ける。
歴史のミステリーは、僕らの想像力のエンジンになる。
この遺跡は、メキシコの小学生や中学生たちの修学旅行のポイントらしく、ものすごい数の団体が来ていた。
その小学生たちが、なぜか僕のほうを、チラチラ見てる。
そしてその一人が、一緒に写真を撮ってくれと言ってきた。
どういうこと!?
僕をジャッキー・チェンだと見間違ってるの!?
と、一瞬思った。
どうやら彼らにとっては日本人が珍しいらしい。
外人(僕)が珍しいので、一緒に写真をとってみたい。
それが本当の理由らしかった。
たぶんメキシコの地方都市じゃ、外国人は珍しい。
田舎に住んでんだよ、この子たちは。
ポケモンのことを聞いてみたら、みんな知ってた。日本のアニメは、すごいぜまったく。おれが脚本書いてるって言ったら、サインをせがまれた。
メキシコの地方都市の小学生で、ピンク色のリュックにおれの名前を書いた女の子がいる。
名も知らぬその子の未来が、幸せでありますように。
メキシコシティの外側には、貧困層が居住する山が広がっている。
山全体にびっしりと立てられたモルタル住宅は、まさにカオス。
なんだかすごいぞ。
しかしカオスのなかにも、秩序があるかんじ。
ここにシティの富裕層の生活をささえている労働者の層が暮らしているのだ。
シティのお金持ちは、週末はクエルナバカという常春の別荘の町で暮らしているらしい。
階級社会である、メキシコの一端を見た気がした。
午後は、昼寝。シエスタ。
長距離移動の疲れが出たのか、高度のせいか、ちょっと頭痛。
三時間くらい寝たら、すっきりした。
ソナ・ロッサという、繁華街を探索。
規模は小さいけど、原宿とセンター街をスペイン風にした感じ。
なぜかゲイのカップルが十メートルおきくらいにイチャイチャしてた。
このあたりはメキシコの二丁目か?
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メキシコシティにつきました。なんとか。ヒューストン経由で、約15時間くらい。疲れた。一人なんで、ちょっとこころぼそいけどね。
とにかくホテルにたどりつくことで、精一杯で、まだなんにもみてません。飛行機はコンチネンタルだったよ。ヒューストンから、メキシコシティまでは小型ジェットで、横に三席とか四席しかないやつ。日本人は、僕一人しか乗ってなかったよ。やっぱ、アメリカのトランジットは、セキュリティチェックが厳しかった。ぼくは荷物が少なかったからよかったけどね。飛行機のなかでは、鼻水ずるずる。こういうときアレルギー鼻炎はこまります。ティッシュは大量にもっていかなきゃね。
取材旅行は、明日から。きょうは、とりあえず休みます。
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